十四話 都~運命の交差点~
翌日。
飛鳥が目を覚ますと辺りはとっくの昔に明るくなっていて、馬車の外からは食欲をそそる香りが漂ってくる。
彼女はむくりと起き上がると、結局あのまま――恐らく十時間以上――爆睡してしまっていたのだと気づき、自分を恥じた。
馬車の外にいたのはミリーだった。
どうやら、彼女は保存食を使った朝食を作っていたらしい。
今回のスープは乳白色をしていて、シチューに近い甘い香りが鼻孔を擽った。
「……起こしてくださればよかったのに」
早朝の平原は少し肌寒い。
飛鳥は暖を取るためにもミリーの傍に寄ると、拗ねた子供のように言った。
「昨晩の様子を見たら、ね。それに、アスカは王都に用事があるんでしょう? なのに、道中で体調を崩してたら目的を果たせないわよ?」
だが、ミリーに正論で窘められてしまう。
とはいえ、飛鳥も本気で文句を言っているわけではない。
一晩床に着いて考えたこともあり、心の整理がついたのも事実である。
――ありがとうございます。
そう、感謝の言葉を口にしようとした瞬間。
「もしかして、アスカはあの日だった? 私はそうでもなかったけど、貧血になる娘もいるっていうし」
「あの日……?」
「女の子の日、って言った方がわかりやすいかもしれないわね」
……オンナノコノヒ。
……女の子の日。
飛鳥は頭の中でその意味するところを検索して――
「ち、違いますよ! えっと、その、自分が何者なのか……とか考えてたら気分が悪くなっちゃって……」
理解した途端、真っ赤になって叫んでしまった。
「……そう? まあ、思春期にはありがちなことかしらね」
ミリーは、「同性なのだから恥ずかしがることもないだろう」とでも言いたげだった。
だが、一人で納得すると鍋へと向き直り、火の調節をし始める。
やはり、彼女にとって飛鳥は同性の少女なのだ。
相手が少年だとは夢にも思っていない。
――生理、かあ。……いつか、この身体にも来るんだろうか。
そんな彼女を余所に、飛鳥は不安になってしまった。
イナンナの肉体は恐らく自分と同じ年ぐらい。
もう来ていないとおかしい年齢である。
――確か、月末だっけ?
そう遠くない未来なのは間違いなく、一抹の不安が脳裏を掠めるのだが
「じゃあ、アスカはバッツを起こしてきてもらえる?」
その時はその時だと一種の現実逃避をすることにして、飛鳥はとりあえずミリーの指示に従った。
◆
それからは魔物に襲われることもなく、順風満帆に馬車を走らせることが出来た。
もっとも、飛鳥がそう呟くと、
「あれだけの数のゴブリンや、ワイバーンに襲われるなんて普通は有り得ねえんだ。あれを基準にしちゃいけねえ」
とバッツに呆れられてしまったのだが。
兎に角、飛鳥を乗せた馬車は無事に王都へと到着した。
最初に転移した場所であり、一度は逃げ出してしまった苦い思い出の地。
これから、飛鳥はこの街に潜んでいるバイモン教徒と相対し、神器を破壊せねばならない。
となれば、訪れるのは別れである。
「バッツさん、ミリーさん。ここまでお世話になりました」
飛鳥は馬車から飛び降りると、二人へと向き直り、ぺこりと頭を下げた。
頭の動きに合わせ、今朝、ミリーに結ってもらった赤髪がふわりと揺れる。
「いや、気にすることはねえよ。むしろ、こっちが礼を言いたいくらいだぜ。アスカがいてくれなきゃたどり着けるかも怪しかったからな」
「ゴブリンならまだしも、まさか翼竜だなんてね」
「……あ、あはは」
すると、今度は二人が礼を言う。
だが、飛鳥にとっては身から出た錆であり、笑って誤魔化した。
「お仕事、頑張ってくださいね」
「いけすかねえ連中の取引先なんだから、きっとろくでもねえ相手なのは間違いねえんだがな……」
飛鳥の激励を受け、バッツはぼそり。
露骨に嫌そうな顔をしたのだが、すぐに飛鳥の方を向き笑顔に切り替える。
「ああ、そうだ。忘れないうちに渡しておくぜ」
「え?」
返事を待たず、茶巾袋を投げつけてくるバッツ。
慌てて飛鳥は受け取った。
放物線を描いて投げ込まれたそれは、ずしりと重い。
その上、ちゃりんと金属特有の擦れあう音がして、彼女は見るまでもなく中身を察した。
だが――いや、だからこそ怪訝な顔で御者台の二人を仰ぎ見る。
「初めて会ったときに一文無しだって言ってただろ? そんなんじゃ、王都を満喫するどころか、宿にも困っちまうぜ」
そんな飛鳥に対し、バッツはしてやったりという表情を向けてきた。
「そんな……受け取れないです」
馬車での移動は勿論、食事なども世話になっているというのに……。
むしろ、こちらがお金を払うべきではないだろうか。
飛鳥はそう考えて首を振ると、強引に突っ返そうとした。
しかし、その行動をミリーが妨げる。
「さっきも言ったでしょ? ここまで無事辿り着けたのは、アスカの護衛のおかげなのよ。それなら、仕事として護衛料をちゃんと払わなきゃ」
それどころか、優しく飛鳥の手を抑えると、数枚の鱗が入った袋を握らせてくる。
「それとこれも。全部換金して渡せたら格好良かったんだけど、残念ながら私たちも懐に余裕がなくて」
「ミリーさん……」
飛鳥は、二人に向けて何か言わなければならないと考えた。
気の利いた言葉は必要ない。
恐らく、ただの一言でも十分に思いは伝わるはずだろう。
しかし、漏れ出るのは嗚咽だけであり、「ありがとう」とすら上手く言葉を紡げない。
しばしの間、しんみりとした雰囲気と沈黙が場を支配する。
そんな中、静寂を破ったのはミリーだった。
「……私たちはこの仕事の後も王都に滞在するんだけど……よかったら、アスカの用事が終わったら一緒に来ない?」
目は口ほどに物を言う。
きっと、その概念は『ルフェリア』においても変わらない。
じっと彼女を見据えるミリーの瞳は優しさに満ちていて、心からの好意なのだと飛鳥は理解する。
二人にとって、飛鳥は縁もゆかりもない少女である。
無論、二度に渡って命を救ったことも関係しているのだろう。
だが、彼らはそれ以上に――まるで、妹のように――飛鳥のことを可愛がってくれているらしかった。
もし、そんな彼らと一緒にいられれば、とても居心地がよいのは間違いない。
どうせ、飛鳥には元の世界に戻っても家族などいないのだ。
甘美な、誘惑。
それでも飛鳥は決意を込め、裾で目じりを拭うと見つめ返す。
「申し出は本当にうれしいんですけど――ごめんなさい」
きっぱりとした、否定。
「僕のせいで迷惑をかけてしまった友達がいて、噂だと、彼らは大変なことになってるみたいでなんです。……だから、僕はその解決をしなければいけません」
飛鳥には、親友たちを巻き込んでしまった責任がある。
そんな彼らを元の世界に戻すためにも。
介入したことで、この世界に生まれてしまった歪みを正すためにも。
彼女が逃げ出すことは二度と許されなかった。
「そっか……友達、助かるといいわね」
「わりぃな。引き留めて。……達者でやれよ」
飛鳥の決意を受け、二人はどこか納得したような顔をする。
そして、成功を祈るような仕草。
「はい! また、いつか機会があれば……! 本当にありがとうございました!」
老馬が鞭を受け、蹄が軽妙なリズムを立て始める。
こうして飛鳥は、去っていく荷馬車が見えなくなるまで手を振り続けていた……。




