プロローグ クレイジートラック
放課後の空き教室。
窓際で二人の男子高校生が机越しに向かい合っていた。
二人とも一心不乱にノートへとペンを書き滑らせているのだが、決して勉学に励んでいる風体ではない。
時折サイコロを転がしていることからも明らかだ。
もし、熱心に予習復習を行っているのであれば、そんなものはこの場に必要ないのだから。
無言ではあるが、彼らの顔に浮かんでいるのは沸き立つような興奮。
例えるなら、秘密基地に集まった子供のような雰囲気だった。
「えーっと。準備できたかな? 残りの二人は用事があって遅れるらしいから、先に導入だけ始めちゃおう」
タイミングを見計らうと、如月 飛鳥がこの年頃にしては高めの声で言った。
若干背が低めの中性的な面立ちの少年だ。
彼の手元のノートだけは簡易的な衝立で隠されている。
「用事?」
「うん、美紀ちゃんがレポート間に合わないから先生にお願いしてくるんだって。健斗くんはその付添い」
「成程な……ちょっと待ってくれ」
コロコロ。
サイコロを転がしながら、樋山 真一が答える。
よく日に焼けた大柄な少年である。
彼はサイコロの出目をノートに書き込みつつ、飛鳥へと話しかけた。
「あ、そうだ。今日、お袋が夕飯食べに来ないかって言ってたぞ」
「本当? なら、お邪魔しようかな」
「了解、家に帰る前に連絡しとくぜ」
そして、会話が終わると同時に計算を終え、面を上げた。
「……悪い、待たせた。オーケーだ」
「ううん。じゃあ、真一――シグルドの成長報告をお願い」
「シグルドは前回のクエストで聖騎士のレベルが9に上がった。ついにカンストが夢じゃなくなってきたな」
「へえ、ならガンガン強い敵出しても平気かな?」
「勘弁してくれよ……飛鳥が言うと洒落にならん」
彼らが行っているのはテーブルトーク・ロールプレイングゲーム――略してTRPGだ。
簡潔に説明すれば、参加者がプレイヤーとゲームマスターの二手に分かれて行う即興の演劇に似たゲームである。
プレイヤーは自身の分身たるキャラクターを作成し、冒険者となってクエストに挑む。
一方、ゲームマスターはNPCやモンスターを操り、プレイヤーを導きつつ試練を課していくのだ。
タイトルは『メイク・ワールド』。
数か月前、飛鳥がふと立ち寄った古本屋で購入したマイナー作品である。
どのぐらいマイナーかというと、ネットで検索しても一切タイトルがひっかからなかったほど。
創造神に見放された剣と魔法の世界――『ルフェリア』を舞台に冒険者たちが活躍するという、言ってしまえばありがちな世界観。
かといって目新しいシステムが実装されているわけでもない。
そのため人気が全くといっていいほど出なかったのだろうと飛鳥は推測していた。
さて。
TRPGがテレビゲームと大きく異なるのは、ルールに沿ってさえいればシナリオとキャラクター、設定を自由自在に作ってしまえる点だろう。
それどころか、ゲームが成り立つのであれば――そして周囲の許可があれば――ルールを逸脱することも許されてしまう。
テーブルでの演技とサイコロが全てを支配するゲーム。
それがTRPGなのだ。
「じゃあ、セッション始めよっか。連続シナリオの導入だからそれほど難易度は高くないけど、気は抜かないようにね?」
それだけ言うと、ゲームマスターである飛鳥はもう何度目かもわからない『メイク・ワールド』の開始を宣言した。
◆
「さて、シグルドがいつもの様に酒場で管を撒いていると、一人の少女が現れるね。燃えるような赤毛が特徴の、身長150センチぐらいの少女だ。純白の衣に身を包んでいて、恐らくは神職だということが一目で窺える。彼女は店内に入ると開口一番こう言った――『あの、この酒場に『ヴェルダー』なる冒険者の方々がいらっしゃるとお聞きしたのですが』」
飛鳥は、朗々と用意していたテキストを読み上げる。
最後の台詞部分だけはちょっと高めを意識して。
「管を撒いてるは余計だが……名指しの依頼か? まあ、確かに世界観的にはかなり名の売れた部類だとは思うが」
ちなみに『ヴェルダー』とは真一たちのパーティ名である。
たった三人の少年少女で構成されているのだが、何十回もプレイを重ねた結果、年齢に似つかわしくない戦力を誇る冒険者の集団となってしまった。
「うん。君たち以外眼中にない感じだね」
「ふぅん……。うちのパーティの神官は問題児だが、その繋がりか?」
「いや、少女――イナンナが仕えているのは、知名度の低い小神で、健斗くんのキャラと宗派が違う。彼女は自分がその宗教の巫女だと語るよ」
「了解。飛鳥、次にどういう依頼なのか教えてくれ」
「勿論」
真一の質問に答える飛鳥。
その説明とはこうだ。
イナンナのいた神殿には、ある神器が秘匿されていた。
だが、数日前、儀式の最中で手薄になったところを盗賊に襲撃される憂き目にあってしまったのだ。
「『神器は本来ならば門外不出の品のはず。どうして、彼らがその存在を知っていたのかはわかりません。ですが、何とかして取り返して頂きたいのです』」
「どういうアイテムなんだ? そのあたり、知らないと足取りも掴みづらいだろ」
「『……あなた方を信頼してお話しすると、神の顕現を行うためのものです』」
「……は?」
真一がぽかんと口を開けるのを無視し、飛鳥は続ける。
「『賊が邪神を崇める異教徒と通じているという噂もあり……。あなた方のような高名な冒険者に頼るほかないと考えたのです』」
「ちょ、ちょっと待て。邪神ってレベル10より上のチートモンスターだろ? 例えば『邪神アスタロト』とか……。んなもん、復活されたらパーティ全員でも確実に押し負けるぞ」
明らかに狼狽えた様子の真一。
だが、その反応も当たり前だろう。
『メイク・ワールド』ではプレイヤーの最大レベルは10である。
合わせたかのように通常のモンスターも同等だ。
だというのに、神クラスのモンスターは限界突破していて、特に最上位クラスではどう足掻いても刃が立たない。
現に、彼の例に挙げた『アスタロト』は最高位でレベル20。
カンストしたプレイヤーの二倍であり、スキルや習得魔法は反則級の物ばかり取り揃えられている。
そもそも、TRPGにおけるモンスターのレベルというのは多対一で同格になるよう調整されているものなのだ。
数で勝っていても格上ならば結果は推して知るべし。
「『いえ、安心してください。私たちの調べによれば、彼らの崇めているのはバイモンと呼ばれる邪神です』」
「どっちにしろ、レベル15の邪神じゃねーか!」
熾烈なツッコミ。
しかし、飛鳥は意に介さずに微笑んだ。
「うん。要するに、復活を阻止する系のクエストだね」
「おい、鬼畜ゲームマスター。これ、阻止できなかったら容赦なく戦わせるつもりだろ……」
真一のぼやきに、飛鳥は心外といった風に首を振る。
基本的に飛鳥は厳しめの判定を行うが、悪意を以てではない。
下手に緩くしてしまうと、なあなあで後出しじゃんけんが頻発すると理解しているからこそ、心を鬼にしてプレイヤーたちに当たるのだ。
そもそも、ゲームマスターの役割とはプレイヤーを倒すことではない。
あくまでプレイヤーを楽しませるのが仕事である。
そのため、往々にしてゲームマスターは貧乏くじ扱いされやすいのだが、飛鳥は誇りを抱いていると言っていいほどこの役職が好きだった。
ギリギリを見計らっての難易度調整。
プレイヤーとのひりつくような裏のかきあい。
あっと驚くどんでん返し――。
緻密にプロットを組んでプレイヤーを罠に嵌めるのも、そのプロットを思いもよらない方法で破壊されるのも醍醐味だと胸を張って言える。
だから、彼は一度もプレイヤーとしてゲームに参加したことがなかった。
「……僕だってそこまで鬼じゃない。救済策は幾つか用意してあって、そのうちの一つに、イナンナは依頼の間『ヴェルダー』の一員となって協力することを約束してくれるよ」
「ん? NPCの仲間化か。飛鳥にしては珍しいな」
「まあね。流石に君たちよりは何段階か弱く設定してあるけど。ほら、これがステータスだよ」
イナンナ。
魔道騎士レベル7。
飛鳥は、筋力や知性、敏捷性などが書き込まれたキャラクターシートを提示した。
彼がセッション開始前にサイコロを振っていたのは、この一枚をせっせと作っていたからである。
「……魔導騎士って不遇上級職じゃなかったか?」
「まあ……そうでもないと出す機会なさそうだし」
「それに、ステータスもあんまり高くねえな」
だというのに、返ってきたのは嘆息。
思わず飛鳥も同意してしまう。
魔導騎士を一言で表すならば「器用貧乏」。
剣術系のスキルは本職に比べ数段劣るし、魔法も低ランクのものしか使用できない。
その癖、クラスチェンジするためには下級職である剣士と魔道士の両方のレベルを上げなければならないのだ。
貧弱な癖に経験値だけは余計に必要とする。
初めてプレイする際ですら、ルールブックを見るなり、満場一致でハズレ認定されたほどであった。
「っていうか、神職のくせに僧侶じゃないのか」
「そのあたりはバランス調整だよ。二人いても困るでしょ」
「うちの僧侶はサイコロ運悪いから二人いても困らないんだが……。別に、いいけどな」
口ぶりに反し露骨にがっかりした様子の真一。
飛鳥は誤魔化すように苦笑い。
それから少しして、教室の中に少年少女が一人ずつ入ってきた。
呆れるほど天真爛漫な少女と、眼鏡の背が高い少年だ。
「飛鳥、真一、お待たせー」
「何故か僕まで先生にこっぴどく叱られましたよ、全く……」
「ううん、今始めたところだよ。美紀ちゃん、健斗くん」
飛鳥は和やかに着席を促して、ゲームを再開しようとするのだが――
『――ようやく見つけましたよ』
「え?」
突如、頭の中に響く声。
一瞬、飛鳥は美紀かと考えた。この場にいる女性は彼女一人だけだからだ。
しかし、すぐに違うのだと理解する。
美紀も怪訝そうにこちらを見つめていたからだ。
「飛鳥……でもないんだよな?」
残念ながら、親友の疑問に答える暇は飛鳥には与えられない。
「――危ないッ!」
誰かが校庭の方で叫んでいる。
続けて耳をつんざくようなエンジン音。
タイヤがグラウンドの土を噛むことで立てる、耳障りな唸り。
振り向いたときには遅かった。
……次の瞬間、飛鳥たちのいた教室には暴走トラックが激突し――オイルに混ざり血がだらりと流れ続けていた。