坂本家
坂本家に入ると、スリッパの音が近づいて来て、一人の女性が姿を現した。
「おかえり~友菜、おっ!君が、噂の川越君か~」
「初めまして、川越です」
「超イケメンじゃん!美雪の母の美雪です。よろしく~」
「よろしくお願いします」
「後ろに連れてるのは…猫?」
「うん。サプライズゲストだよ」
「川越君の家で、飼ってる猫なのかな?」
「はい」
「今日一晩、この子も一緒に泊めてあげたいんだけど、大丈夫かな?」
「ええ。猫は好きだし、大歓迎よ」
「やった~」
「さあ上がって、上がって」
「おじゃまします」
玄関にはなぜかカメがいて、俺を迎えてくれた。
「ごめんね。お母さんがうるさくて」
「別にいい。おまえは、母親似なんだな」
「そうかな?」
「ああ。性格は似てねえみたいだけど」
「飲み物を用意するから、先に部屋で待ってて。あたしの部屋は、階段を上がって、すぐの部屋だから」
「分かった」
坂本はリビングに入って行き、俺は坂本の部屋に向かう。
ちび太も俺の後に続いた。
ガチャ
ドアを開けると、まずグランドピアノが目に飛び込んできた。
部屋の中に入ると、白で統一された家具の周りに、様々な種類のぬいぐるみが所狭しと置かれていて、いかにも女らしい部屋といった印象を受けた。
そして部屋の中央には、コタツが置かれていた。
コタツがある家、初めて見たな。
田舎では当たり前なのだろうか。
「ニャ~」
ちび太はコタツの中に入って、出てこなくなってしまった。
これが猫はコタツで丸くなるってやつか。
そんなことを思いながら、俺の興味はコタツからグランドピアノに移った。
なつかしいな。
たしなみという名目で、色んな事をやらされたが、ピアノは割と好きだった。
音域の広さから作り出される無限の世界に魅力を感じていた。
高校に入ってからも、時々気分転換でピアノを弾いていたが、こっちに来てからはピアノが無いこともあって、弾く事が無くなっていたのだ。
俺の体は自然とピアノに向かって行った。
椅子に座り、鍵盤に手をかけ、演奏を始めた。
楽譜を見なくても、勝手に手が動く。
俺のお気に入りの一曲。
ベートーヴェン交響曲第7番。
舞踏の賛歌と呼ばれ、今なお愛され続けている名曲。
軽快なリズムから生み出されるリズミカルな曲調が印象的で、一度耳に入ったら頭から離れなくなるほどの、強烈なイメージが残る曲だ。
自分の世界に入っていた俺は、坂本が戻ってきていたことにまったく気付かなかった。
弾き終わった瞬間、隣から拍手が聞こえてきて、坂本の存在に気付いた。
「ピアノすごく上手だね!あたし感動しちゃった」
「そりゃどうも」
「飲み物持って来たよ。あともうすぐご飯ができるってお母さんが言ってた」
「わかった。じゃあ呼ばれるまで、おまえが弾いてみてくれよ」
「え…あたし川越君みたいにうまく弾けないし、恥ずかしいよ~」
「いいから。どうせ暇だし」
「そうだけど…」
坂本は渋々ピアノの椅子に腰かける。
「あんまりじろじろ見ないでよ。緊張しちゃうから」
「別にどうしようと俺の勝手だ」
「ううっ…いじわる!」
坂本は俺に文句を言った後、ピアノに向き直り、深呼吸をしてから演奏を始めた。
……
「……」
「何か感想は?」
「もっとマシな選曲できなかったのか?」
「だって、ねこふんじゃったが、一番自信あったんだもん!」
「まあ、ちゃんと弾けてたな」
「あ~バカにしてるでしょ?」
「してねえよ。ピアノが上達するためには、目隠しして練習するといいらしいぜ」
「目隠し?そんなの絶対に無理だよ~」
「そんなことねえよ」
俺は坂本と入れ替わりでイスに座ると、目を閉じてスピリッツの曲の冒頭を演奏した。
「凄い…凄すぎる…」
「おまえも弾いてみろよ。ねこふんじゃったでいいから」
「そうだよね…何事も挑戦だよね…」
不安気にそう言いながら、坂本がイスに座り、目を閉じた。
「全然わかんないよ~ラはどこ?」
坂本は手をバタバタさせている。
「ここ」
俺は坂本の腕を掴んで、ラの所まで誘導した。
「か…川越君…近いよ…」
「でもこのままじゃ、永久に曲が始まらねえだろ」
「友菜、川越君~ご飯よ。降りてらっしゃい」
その時、坂本の母親の声が聞こえてきた。
「ご…ご飯できたみたいだね」
「そうだな」
坂本は目を開け、イスから立ち上がった。
「ところで、ちび太は?」
「こたつの中」
「そうなんだ。お~いちび太~」
坂本はこたつ布団をめくった。
「すごい!本当に猫はこたつで丸くなるんだね。かわいい~」
「そういえば、こいつのご飯用意するの忘れてたわ…」
「どうしよう…猫ってキャットフード以外に何を食べるの?」
「俺も良く知らねえけど、魚とかじゃねえの?」
「煮干しならあるんだけどな…」
「塩分が多い人間の食べ物は、あまり良くないらしい」
「そっか。じゃあ今は我慢してもらって、後でキャットフードを買いに行こっか」
「そうだな」
「ごめんね、ちび太。先にご飯食べてくるね」
「ニャ~」
「じゃあ、下に降りよっか」
「ああ」
俺達は坂本の部屋を出て、1階に向かった。
「お父さん、おかえり」
「ただいま」
下に降りると、坂本の父親らしき人がいた。
「その人は?」
「川越君。同じクラスの人だよ」
「イケメンでしょ?」
「川越です。友菜さんにはいつもお世話になっています」
そう言って頭を下げた。
「川越君、礼儀正しいのね~育ちの良さが出てるわ」
「お父さん、川越君を泊めてあげたいんだけど、いいかな?」
「…分かった」
警戒されている様子。
まあ当然だろうな。
父親にすれば、大事な一人娘が、いきなりどこの馬の骨ともわからない男を連れて来たのだから。
「挨拶はそれぐらいにして、早くご飯食べようよ。お腹ペコペコだよ~」
「そうね。川越君の席は、友菜の隣だからね」
「分かりました」
手を洗って、言われた席に座る。
「いただきま~す」
坂本はよっぽどお腹が空いていたのか、目の前のハンバーグにがっついた。
「友菜、行儀悪いわよ。神崎君を見てみなさい」
ナイフとフォークを使って食べている俺を見て、どうやら行儀が悪いことに気がついたようだ。
坂本はあからさまに落ち込んでいる。
「しまった…いつもの癖が…」
「豪快に食べる女の子は、可愛いと思いますよ」
坂本が不憫に思えてきて、思わずフォローを入れていた。
「ホント?」
坂本は、目を輝かせて俺のほうを見ている。
そんなやり取りを見て、ニヤけている母親に気付いている様子は全く無い。
「川越君って本当いい子よね~友菜、このままじゃ、川越君と釣り合わないわよ」
「そうだよね…もっと女の子らしくしなきゃ…」
また落ち込む、坂本。
本当に感情の起伏が激しくて、面白い。
「ところで、ベートーベンを弾いてたのって、川越君?」
「そうです」
「凄く上手ね~友菜とは、比べ物にならないわね」
「どうせ、あたしはヘタですよ~」
「クラシック、好きなのか?」
坂本の父親が食いついた。
「はい。幼少期からピアノを習ってましたので、その影響で好きになりました」
「そうか。友菜にもクラシックを弾けるようになって欲しくて、ピアノを習わせたんだが、全然興味を示さなくてな。ジャニーだのなんだのって、そんなんばっかり弾いてるんだよ」
「別にいいじゃん!」
「君とは気が合いそうだな。ゆっくり話しをしようじゃないか」
「はい。よろしくお願いします」
坂本の父親は意外と話しやすくて、音楽の話や、政治の話などで盛り上がった。
坂本の父親の俺に対するフィルターが外れたのを感じた。
「ごちそうさまでした~」
ご飯をおかわりしながら、一番に食べ終えた坂本。
前から思ってたけど、良く食うよな。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。口には合ったかな?」
「はい。凄く美味しかったです」
「良かったわ。また食べにいらっしゃい」
「ありがとうございます」
「川越君の分の食器洗っておくから、先に上に上がってて」
「悪いな」
「いいの。川越君はお客様なんだから」
「じゃあ頼んだ」
「うん」
坂本の言葉に甘えて、先に坂本の部屋に戻った。
しばらくして、坂本が洗い物を終えて、部屋に戻ってきた。
「お…お待たせ~」
「遅かったな」
「ちょ…ちょっとね…」
坂本はなぜか挙動不審だ。
手を後ろに回して、何かを隠しているように見える。
「何を持ってんだよ?」
「な…何も持ってないよ」
「ふ~ん。じゃあ手を前に出してみろよ」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
「川越君!」
「何だ?」
坂本がいきなり大声を挙げた。
そして頭を下げながら、手を俺の前に突き出した。
「あたしと一緒に遊園地に行って下さい!」
目の前に現れたのは、遊園地のチケットらしき物。
「このチケット、どうしたんだよ?」
「お母さんが同僚の人からもらったんだけど、行かないから、あたしにくれるって」
「そうか」
「それで、一緒に行ってくれる?」
坂本は不安そうに、上目遣いで俺を見ている。
「行く」
「良かった~断られたら、どうしようかと思ってたよ」
「それで、何て所なんだよ?」
「東京にあるタイランドって所だよ。何か国の名前みたいで、面白いよね~」
タイランド?
どっかで聞いたことあるような…
「その遊園地、川越グループが今度新しくオープンする遊園地じゃねえか…」
「うそ~凄い偶然だね」
「そうだな」
「じゃあ川越君は、アトラクションに乗ったことあるの?」
「まだオープンしてねえんだから、乗れねえよ」
「本当だ。[オープン前の遊園地のアトラクションに乗れるチャンス]って書いてある」
「もうすぐオープンのはずだから、近いうちに行かないといけねえんじゃねえの?」
「うん。今週の土曜日だって」
「わかった。予定空けておく」
「楽しみだね♪」
「そうだな」
こうして坂本と遊園地に行くことになった。
「じゃあ今から、計画を立てなきゃね」
「その前に忘れてることがあるだろ?」
坂本の頭の中には?マークが浮かんでいる。
本当に猪突猛進というか、一つのことに集中すると、周りが見えなくなるタイプなんだな。
俺はさりげなくこたつの布団をめくった。
「あ!ちび太のご飯忘れてた~ごめんね、ちび太」
「買いに行くぞ」
「うん」
階段を下りて、外に出た。
坂本は母親に外に出ることを伝えているようだ。
「お待たせ~」
「ああ」
「近くの薬局でいいかな?」
「そうだな」
「そういえば、薬局で川越君に会ったことあったよね」
「ああ」
「あの時、川越君がキャットフード買ってて、初めて川越君の家にお邪魔したんだよね」
「そんなこともあったな」
「あれから、ずいぶん仲良くなったね」
「そうかもな」
「あの時は、こんなに仲良くなれるとは思ってなかったよ」
「そうだな」
「あたしと仲良くしてくれて、ありがとう」
「別にお礼を言われる筋合いはない」
「そっか。でもありがとう」
坂本がこっちを見て、ひたすらお礼を言っている。
相変わらず良く分からねえが、感謝されて悪い気はしなかった。
キャットフードを買って、坂本家に戻ってきた。
「ちび太、ご飯買って来たよ」
「ニャ~」
坂本がちび太に話しかけた瞬間、ちび太は布団から出てきた。
こいつ、まさか人間の言葉がわかるのか?
下から皿を借りてきて、キャットフードを皿に盛ると、ちび太はすごい勢いで食べ始めた。
「いい食べっぷりだね~ちび太。よっぽどお腹すいてたんだね」
「おまえと一緒だな」
「えっ?」
「ハンバーグをいきなり箸で刺して、かぶりつくやつ、初めて見たわ」
「でも豪快に食べる女の子、好きなんでしょ?」
「そんなの嘘に決まってんだろ。建前だ」
「ガーン…それにしても川越君、あたしの両親の前では別人みたいだったよね?口調も丁寧だったし」」
「別に普通だ」
「嘘だ~あたしには意地悪ばっかりで、フォローしてくれるなんて、今まで無かったじゃん」
「じゃあ両親の前で、意地悪されたかったのか?」
「そんなこと言ってない。ただ本当に育ちがいいんだなと思って…」
「気にすることねえよ」
「えっ?」
「おまえは、おまえのままでいい」
「うん…」
「もしおまえが自分で自分を否定したなら、それは親のことを否定したのと一緒の意味になるんだぞ。それでもいいのか?」
「良くないよ。だってお母さんもお父さんも大好きだもん!」
「じゃあ育ちとか、そんなことは気にするな」
「うん。ありがとう」
会話が途切れ、しばらく沈黙が続いた。
ザー
「あれ?」
異変に気づいた坂本は、窓を開けた。
「先にキャットフードを買いに行って良かった~大雨だよ」
「そうだな」
今日は、雨が降る予報じゃなかったはずなんだが…
まあ天気予報なんて、アテにならねえな。
「友菜~お風呂に入りなさい」
「わかった~」
下から、坂本の母親の声が聞こえてきた。
「川越君、先に入る?」
「別にいい。先に入って来い」
「うん。じゃあ行って来るね」
行って来るねと言った後、なかなか行こうとしない坂本。
「どうした?」
「あの…下着を出したいんですけど…」
「ああ」
「ああじゃなくて、川越君が見てたら、出せないよ…」
「別に気にしねえから、早く行ってこいよ」
「あたしが気にするんだよ~少しの間、コタツに潜ってて」
「しょうがねえな…」
俺がコタツに潜っている間に、坂本は準備をして、部屋を出て行った。




