絶体絶命
6月
ジューンブライドとも呼ばれ、結婚するカップルが最も多いこの季節。
学生にとっては、祝日が無く梅雨の影響で雨が降り続いていることもあって、決してめでたい月ではない。
「雨の日ってさ、髪ぼさぼさになるから嫌なんだよね~」
そう口では言いながら、今日も唯香の髪は緩やかに巻かれていて、ふわふわ感がある。
きっと毎朝時間をかけて、頑張っているのだろう。
「俺達は髪短いから関係ねえよな、光太」
「ああ。でも雨止んでくれねえと、外で練習が出来ねえから困る」
「そうだよね。もう1週間ずっと雨だもんね」
舞亀市は日本海に面した港町。
他の地域よりも、比較的梅雨の時期が長い。
「友菜は雨好き?」
「う~ん…あたしは結構好きかも」
雨の音とか聞いてたら癒されるし、雨の日特有の匂いも心地いい。
あと乾燥肌のあたしにとって肌が潤うし、コンタクトも乾かないから、目薬をさす必要もない。
だからあたしにとって、雨にマイナスなイメージがほとんどない。
さすがに1週間も続いたら、憂鬱な気分になるのを感じるけど…
「雨が好きなんて、珍しいよね」
「そうかな?」
「あたしは嫌いだな…あ~あ…早く梅雨が終わってくれないかな~」
今日も1日中、雨が降り続いた。
夜
あたしはお母さんに車で送ってもらい、塾に向かっていた。
あたしの通っている塾は、進学塾として有名で、色んな学校から生徒が集まってきていた。
結構レベルも高くて、あたしはついて行くのが精いっぱいだ。
だから、学校では今回の中間テストまでずっとトップだったけど、上には上がいることは自覚している。
「今日も送ってくれて、ありがとね」
「頑張って勉強して来るのよ」
「うん。ばいばい」
お母さんに見送られ、教室に向かう。
数時間後、授業を終えて外に出て来た。
「ばいばい、友菜ちゃん」
「うん。また明日」
一緒に授業を受けた子達が、一斉に帰っていく。
あたしも帰るとするか。
電話を掛けて…あれ?
ここであたしは、重大な事実に気がついた。
携帯忘れた…
塾に行く前に唯香と長電話して、電池が切れて、充電機に差しっ放しにしたことをすっかり忘れていた。
どうしよう…
もうみんな帰っちゃったし…
仕方ない…駅まで歩こう。
確か駅の近くに、電話ボックスがあった気がする。
あたしは、駅に向かって歩き始めた。
しばらく歩いていると…
[土砂崩れの危険あり]
そう書かれた看板が、立てられていた。
ヘッドライトを持ったおじさんが、回り道をするように誘導している。
この道が近道だったのに…
今日はとことんついてないな…
仕方がないので、回り道をすることにした。
その道の通りには、ライトアップされたきらびやかな店が並んでいる。
いわゆる歓楽街だ。
その雰囲気に圧倒されながら歩いていた。
その時…
「お姉さん」
男の人の声がする。
近くで聞こえたけど、あたしには関係ないよね。
再び歩みを進める。
「あなたのことですよ。かわいいお姉さん」
肩を軽く叩かれてあたしに話しかけられていることに気がついた。
「あ…あたしに何か御用ですか?」
「あまり見かけない顔だなと思って、声を掛けたんですよ」
20代半ばぐらいのスーツを着たお兄さんだった。
口調こそ丁寧だけど、目は笑っていない。
少し危険を感じた。
「そ…そうですか」
「こんな時間にここを歩いてるってことは、夜の街に興味があるんでしょ?」
「興味なんて無いですよ…通るはずだった道が通行止めだったから仕方なく…」
「嘘だ!」
「えっ?」
急に表情が険しくなる。
「夜の街はいいもんだぜ。お金稼げるし。お姉さん美人だから、すぐナンバーワンになれるよ」
「け…結構です…」
立ち去ろうと、少し早足で歩き始めた。
「待てよ」
ガシッ
肩を掴まれた。
逃げようとしても男の人の力にかなう訳が無くそこから足が前に進まなかった。
「今日一晩だけでいいからさ。ね?」
有無を言わさない強い目力を感じた。
「かわいい子じゃん。捕まえたの?」
お兄さんの知り合いらしき人がやってきてさらに状況は悪化した。
「かなりの上玉だろ?すぐにでもトップになれそうな素質があるぜ」
「確かにな。さあ行くぞ」
暗い路地のほうに引っ張られて行く。
ど…どうしよう…
こんな時に頼みの携帯電話もないし…
八方ふさがりとは、まさに今の状態のことを言うんだなと思った。
「確かに、こんなド田舎ではそうそう見つからない上玉だな」
また別の人の声がかかる。
路地に入ってしまったので、暗くて顔はよく見えないけど、2人よりずいぶんと若そうな人だった。
これで1対3…
さらに絶望的な状況になった。
誰か助けて…
もう神頼みしかあたしに残された方法はなかった。
「おまえ、誰だよ?」
「ガキの分際で俺らに話しかけてくんじゃねえよ」
あれ?
なぜに喧嘩腰?
どうやら少年はお兄さん達の知り合いでは無かったようだ。
「お前らこそ気安く喋りかけんな」
「ハァ?やんのか?」
「大人をなめんなよ!」
ヤバい展開…
最初にあたしに声を掛けて来たお兄さんが少年に殴りかかった。
見ていられなくて目を閉じる。
ドガッ
「グッ…」
目を開けると、鈍い音とともにあたしに声を掛けて来たお兄さんが地面に転がっているのが見えた。
「俺の仲間に何て事してくれんだよ」
2番目にやって来たお兄さんが少年に殴りかかる。
しかし少年は軽やかな動きでかわすと、みぞおちにパンチを打ち込んだ。
「うっ…」
パンチを受けて、そのまま地面に倒れこんだ。
「めんどくせ...」
「あたしこんな所に来たくて来たんじゃないんです。どうか見逃してもらえませんか?」
すがるような思いで少年に話しかけた。
「はぁ…」
少年はため息をついた。
「いい加減気づけよ…」
「えっ?」
少年から聞こえて来たのは意外な言葉だった。
「俺だよ。川越」
少年の顔をよく見る。
そこにはよく見知った顔が浮かび上がっていた。
「川越君…川越君~」
「お…おい」
知り合いだと気付いた瞬間、緊張の糸が途切れ、気づいたら泣きながら、川越君の胸に飛び込んでいた。
「ヒック…怖かったよ~」
川越君は驚きの表情をしていたけれど、あたしを引き剥がそうとはしなかった。
数分後、泣き止んで我に帰ったあたしは、公道でとんでもなく恥ずかしいことをしていることに気がついた。
「ご…ごめん…」
慌てて川越君から離れる。
「……」
顔を離した途端、周囲からの視線を感じた。
「川越君、こっちに来て」
その場にいたたまれなくなり、川越君の腕を引っ張って、あまり人目につかない場所に移動した。
「川越君のシャツびしょ濡れだよ~どうしよう…」
「別にすぐ乾くから」
「お母さんに連絡しないと!川越君携帯持ってる?」
「ああ」
そう言って携帯を差し出してくれた。
「ありがとう」
家に電話を掛ける。
「もしもし」
お父さんが電話に出た。
「もしもし、友菜だけど、お母さん家にいる?」
「友菜を迎えに行ったまま、帰って来てない」
「そっか。携帯忘れちゃって、今友達の携帯借りて電話掛けてるんだけどさ、お母さんの携帯番号ってわかる?」
「080-xxxx-xxxx」
「ありがとう」
「夜は危ないから、美雪が行くまで歩き回っちゃダメだぞ」
「うん。バイバイ」
「おう」
少し過保護気味なあたしのお父さん。
あたしが悪いお兄さんに捕まりかけたなんて知ったら、凄い勢いで飛んでくるんだろうな。
このことはあまり大ごとにしたくなかったので、お父さんには言わなかった。
「ごめん。今度はお母さんに電話するね」
「……」
無言で頷いた。
お母さんに電話を掛ける。
「もしもし」
知らない番号からかかって来たからか、お母さんの声には少し警戒心が混ざっていた。
「友菜だけど…」
「友菜!今何をしてるの?心配したんだよ」
「ごめんね。携帯忘れたから、公衆電話探して歩いてて、偶然クラスメイトに出会って、携帯を借りたの」
あながち嘘ではない。
悪い人に捕まりそうになった所は、カットされてるけど…
「そっか。連絡なかなか来ないから、迎えに行ったんだけど塾にいなかったから…とにかく無事なのね?」
「うん。今から塾に向かうから、そこで待ってて」
「わかった。気をつけて来るのよ」
「うん。バイバイ」
ピッ
「ありがとう」
川越君に携帯を返した。
「助けてくれて本当にありがとう。お母さんが待ってくれてるから、もう行くね」
踵を返して、塾の方向に向かって歩き始めた。
「おい。待てよ」
川越君に呼びとめられた。
「な…何?」
「何じゃねえよ。また変な連中に捕まる気か?」
確かにあたしは歓楽街を逆走しようとしていた。
「だ…だって仕方ないじゃん。小道に入ったら、道に迷いそうなんだもん」
「おまえバカだろ…小道の方が暗いから、もっと危ねえよ…」
「じゃあどうしたらいいの…」
「ついて行ってやるよ」
「えっ?」
「何度も言わせんな。ほら行くぞ」
「待ってよ~」
なぜか川越君もついてきてくれることになった。
あたしに恩を着せる理由なんて無いはずなのに。
川越君って意外と優しいのかも。
あたしの中で、川越君のイメージが少しずつ良くなっていた。
「おまえ、何でこんな所にいるんだよ?」
「えっ?」
「こんな所に、公衆電話を探しに来たのか?」
「そんな訳無いよ。駅まで行こうとしたけど、いつも通ってる道が通行止めだったから、仕方なくこの道を通ったの」
「ふ~ん」
自分で話を振って来た割には、あまり興味が無さそうな様子だった。
「じゃあ川越君は、何で歓楽街にいたのさ?」
「ハッ?」
「川越君もこんな所に用は無いでしょ?」
「コンビニに夜飯を買いに行く途中だったんだよ」
確かに歓楽街にはコンビニがたくさんあった。
「そうなんだ。てことは川越君、このあたりに住んでるの?」
「まあな」
すでに時計の針は22時を指している。
こんな時間にコンビニに夜ご飯を買いに行くってことは、あまり良い食生活は送っていないんだろうな…
「いつもこんな時間に夜ご飯食べてるの?」
「日によって色々だな。俺1人暮らしだから、夜飯いつ食べても自由だし」
「1人暮らし?」
「ああ。歓楽街は抜けたから、ここまででいいだろ?」
気付かない内に、見慣れた道に戻ってきていた。
ここから塾までは、すぐだ。
「うん。送ってくれてありがとう」
「じゃあな」
神崎君は素っ気なく踵を返すと、姿を消した。
そういえば、何で1人暮らししてるのか、聞きそびれちゃったな…
転校してきたことと、何か関係があるのだろうか。
そのあと塾まで戻り、お母さんに家まで送ってもらった。
とにかく無事で何よりだ。
神崎君の不器用な優しさを感じた1日だった。
……
~和馬Side~
時計の針は、21時30分を指していた。
もうこんな時間か…
腹減ったな…
飯を買いに行くため、外に出ることにした。
雨が続いていたからか、もう6月だというのに、外は少し肌寒かった。
歓楽街にある、家から一番近いコンビニに向かって歩き始める。
歓楽街
昼と夜で、まったく違う顔をのぞかせる。
人間の欲にまみれた、ある意味異世界とも言える場所。
「お兄さん、今なら1時間1万で女の子といいこと出来るよ。興味無い?」
「……」
キャッチをしている男共を無視しながら、歩いていた。
その時、前方でキャッチの男に捕まっている女を見つけた。
その人物が誰か分かった瞬間、頭で考えるよりも先に体が動いていた。
「かなりの上玉だろ?すぐにでもトップになれそうな素質があるぜ」
「確かにな。さあ行くぞ」
「確かに、こんなド田舎ではそうそう見つからない上玉だな」
気づいたら、自分から男に話しかけていた。
「おまえ、誰だよ?」
「ガキの分際で、俺らに話しかけてくんじゃねえよ」
部外者がいきなり話しかけてきたのが気に入らなかったのか、男達は喧嘩をふっかけて来た。
「お前らこそ気安く喋りかけんな」
「ハァ?やんのか?」
「大人をなめんなよ!」
男が殴りかかって来た。
スローモーションのようなパンチ。
楽々男のパンチをかわすと、みぞおちにパンチを繰り出した。
「グッ」
一発で地面に沈んだ。
「俺の仲間に、何て事をしてくれたんだよ」
2人目の男が、殴りかかって来た。
「うっ…」
再現VTRのように、この男も地面に倒れこんだ。
「めんどくせ...」
そう言いながら、傘を拾う。
子供の時に護身術を身に付けていた俺に、ド素人がかなうわけがなかった。
「あたし、こんな所に来たくて来たんじゃないんです。どうか見逃してもらえませんか?」
坂本は俺だと気づいていないようで、すがるような目で俺を見て来た。
「はぁ…」
思わずため息をつく。
「いい加減気づけよ…」
「えっ?」
「俺だよ。川越」
俺だとカミングアウトした瞬間、坂本の表情がみるみる歪んでいく。
そして…
「川越君…川越君~」
「お…おい」
俺の名前を叫びながら、胸に飛び込んで来た。
「ヒック…怖かったよ~」
川越は肩を震わせながら、安心しきったように、俺に体を預けている。
数分後、我に帰った坂本は...
「ご…ごめんなさい…」
そう言いながら、俺から離れた。
「川越君のシャツ、びしょ濡れだよ~どうしよう…」
そう言う坂本も、俺の胸に飛び込んだ時、傘を投げ出したから、雨で濡れている。
シャツが少し透けていた。
それにまったく気づく様子も無く、俺のシャツをじっと見ている。
無防備すぎんだろ…
「別にすぐ乾くから、問題ねえ」
「そうだ!お母さんに連絡しないと。川越君、携帯持ってる?」
傘を拾いながら、そう尋ねて来た。
「ああ」
俺から携帯を受け取った坂本は、父親と母親に電話を掛けた後、俺に携帯を返して来た。
「助けてくれて、本当にありがとう。お母さんが待ってくれてるから、もう行くね」
そう言うと、歓楽街を逆走し始めた。
ただでさえヤバい場所なのに、そんな服で歩いたら、また誰かに捕まるに決まってんだろ…
「おい、待てよ」
「な…何?」
「何じゃねえよ。また変な連中に捕まる気か?」
「だ…だって仕方ないじゃん。小道に入ったら、道に迷いそうなんだもん」
「おまえバカだろ…小道の方が暗いから、もっと危ねえよ…」
「じゃあ、どうしたらいいの~」
「送ってやる」
別に下心があるわけじゃない。
1人の人間として、わざわざ危険な所に飛び込んで行く知り合いを、放っておく訳にはいかねえからな。
そう自分を納得させ、坂本を安全な場所まで送ったのだった。




