第七幕「祝言の夜に」
さっそくだが、祝言の日がやってきた。
現代だと親戚へのあいさつだとか結納だとかいろいろ儀礼的なものが必要だが、そこは俺も世良田家もわざわざ呼ぶような親戚がいない身なので割愛だ。
板の間にムシロを敷き、新郎新婦はちょっと小奇麗な小袖を着てその上に並んで座る。
基本的にはそれだけだ。
あとは村の連中がお愛想程度のあいさつに来るので、餅や酒を振舞って返す。
ともかく俺が婿養子になって家を継ぐことが決まったと周知させるためのイベントなので、これだけで充分なのだ。
しかし、いくら座っているだけの儀式とはいえ、当事者としての意識が薄い。
これがマリッジ・ブルーというやつか。
乗り気ではない俺とは対照的に、西野さんはとにかく嬉しそうだ。
「おめでとう、巴ちゃん」
と、にこにこしながら言う。
その笑顔に、俺は胸が引き絞られる想いだった。
「……ありがとうございます。西野、義姉さん……」
花婿の席にはたしかに俺が座っている。
でも花嫁の席に座っているのは西野さんではなく折花だった。
次郎三郎さんいわく、西野さんは身体が弱く、きっと子どもを産むのに耐えられない。
せっかく婿養子を迎えるのであれば、世良田家の次代をつくれる夫婦でなければならない。
だから折花なのだという。
正直に言おう。はっきり言おう。
思ってたのと違う!
だいたい折花だって俺のことを嫌っているのだ。
さっきから隣でものすごい形相をしている。
――お似合いの夫婦ですねなんていってみろ、ぶっ飛ばすぞ!
そんな心の声が聞こえてきそうな顔だ。
要するに、喜んでいるのは次郎三郎さんと西野さんだけなのだ。
名主の馬場家からは長男夫婦だけがきた。
新太郎は顔もみせない。
きっと怒っているのだろう。
当然だ。興味ないなんていってたのに一転してこれだものね。
俺が逆の立場だったらきっと一生許さないだろう。
あいさつが済めば三々九度の酒を酌み交わし、それが終わればいよいよ初夜だ。
あばら家なので次郎三郎さんや西野さんが寝ている横で初夜を迎えることになる。
しきりなどない。
義理の父と好きな女性に聞かれながらの新妻との初夜。
どんな罰ゲームだ。
とはいえ、やらなければならない。
仕方なく、義務的に、他の家族に義理を通すという形で。
俺だってこんな失礼なことはないと思うくらいの感性は持ち合わせている。
折花だって、嫌ってるやつからしょうがなく抱かれるなんて真っ平ごめんだろう。
しかし、俺は世良田家を継ぐと決め、そのためには折花と夫婦になって一生一緒にやっていくしかないのだ。
腹をくくろう。
深呼吸、ひっひっふー。ひっひっふー。
俺は折花が好き。俺は折花が好き。
よし、気持ちを切り替えていざゆかん。無限の大地へ。
が、折花の寝ているムシロに近付いた瞬間、強い殺気を感じた。
――ゾッ!
と背筋に悪寒を覚え、とっさに身構える。
見れば、折花はムシロの中で薪割り用の鉈を抱えていた。
両の目から涙を流し、「近付けば殺す」と本気の拒絶モードである。
折花のそんな必死な姿を見て、俺は自分の中から何かが流れ出て行くのがわかった。
「だよな。嫌なもんは、どうしたって嫌だよな」
俺が独り言ちると、折花は怪訝そうに見上げてきた。
本当に、西野さんによく似た顔をしている。というより、瓜二つだ。
ただ一点、違うところがあるとすれば、屋内にいることの多い西野さんに比べ、折花はこんがりと日焼けしているということだ。
外見上の差異といえばそれくらいだろう。
でも、俺の中で西野さんと折花は決定的に、そして圧倒的に違う存在なのだ。
こいつのことは嫌いじゃない。人当たりはきついし、言動は全然可愛くないし、まったくデレてくれる気配がないが、それでも俺はこいつが嫌いじゃない。
だが、それだけだ。
嫌いじゃないというだけで、正直、好きじゃない。
「お互い、おかしなことになっちまったな」
俺は折花の背中にそう呼びかけて、同じムシロの中に入った。
もちろん、手は出さない。
一拳ほどの距離をあけて、背中合わせに添い寝するだけだ。
これでめでたく仮面夫婦の成立だ。
ため息しか出てこない。
この先、これでやっていけるのだろうか。
そんな不安を持ったまま、俺は目蓋を閉じた。
直後、またしても夢を見た。
場所は、俺の故郷である現代の二〇二五年の日本だ。
どうしてわかったのかというと、夢の中に黒いロングコート姿の俺が居たからだ。
俺は洋風の大きな書斎の中で、椅子に腰かけた一人の人物と相対していた。
その男は、俺が着ているものと同じ黒いロングコートを着ていた。
中肉中背。やや茶色がかった黒髪を後ろに流し、赤く血走った双眸をかすかに細めている。
年の頃は俺と同じくらい、十代の半ばを少し過ぎたところだろうか。
男は大きな樫の木の机に頬杖をつき、どこか試すように訊いてきた。
「本当によいのだな? 引き受ければ、最早、後戻りはできんぞ?」
赤い双眸の男の問いかけに、夢の中の俺はきっぱりと言いきった。
「全て、承知しているつもりです」
俺の返事に、赤い双眸の男は「やれやれ」と嘆息した。
「悪いが、すまんとは言ってやれん」
「それも承知しております、大樹公。どうかご命令下さい」
夢の中の俺は、右の拳を心臓の上に押し当てて言った。
おそらく、敬礼のつもりでそうしたのだろう。
俺から礼を受けた赤い双眸の男――征夷大将軍、山田信は、本心では気乗りしていないといった様子で、静かにつぶやいた。
「さらばだ、我が有能なる手駒よ」
「そのお言葉だけで、充分にございます。御主君」
俺の言葉を最後に、夢は唐突に終わりを迎えた。
「……どういうことだ?」
目を覚ました瞬間、俺は自分の前髪をくしゃりと鷲づかんでいた。
意味が分からない。まったく訳が分からない。
俺とあの征夷大将軍に個人的な繋がりがあった?
会話するどころか面識もないはずなのに?
ただマキモノのウインドウに表示される彼の姿をうらやんでいただけなのに?
だが、夢の中の俺は言っていたじゃないか「御主君」と。
夢の中のあいつも言っていたじゃないか「我が有能な手駒」と。
ただの妄想かもしれない。所詮は夢の中の出来事かもしれない。
いっそそっちの方がこっちとしてはありがたい。
だってあの夢の光景が真実だとするのなら、あの書斎でのことが過去に起きた事実だとするのなら、つまりは、
「俺は、記憶を失くしてるのか?」
そういうことに、なっちまうじゃないか。




