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第六幕「砂上の過去と未来」

 午後も数刻が経ち、もうそろそろ日も沈もうかという時間帯、俺は西野さんと一緒に家の前にいた。


 西野さんはそのほっそりした指に枯れ枝を持ち、玄関先にまいた砂の上にカリカリと字を書いていく。


 この国の文字や歴史について、尼寺で習い覚えたことを俺に教えてくれているのだ。


「でね、先の大樹、つまり将軍家の跡目争いが原因で、京兆(けいちょう)氏と海老名(えびな)氏との間で“応享(おうきょう)の大乱”が起きたの。将軍・喜連川(きつれがわ)義政(よしまさ)公の弟・義視(よしみ)公と、実子の義尚(よしひさ)公の母上・富子(とみこ)様との政争ね。これで各国の守護たちが京兆派と海老名派に別れてしまい、さらに継嗣問題が一端片付いたのに、今度は有力守護家であった上条(じょうじょう)氏の跡目争いにまで両派が介入してその後はドロドロ。幕府の権力は急激に衰えて、各国の守護たちが在地の有力武将や国人衆を家臣化して独立してしまうという事態になったの。これがだいたい百年くらい前の話ね。中央の政争は最終的に京兆氏の側近だった十河(そごう)氏が勝利して実権を握ったんだけど、先代の大樹、剣聖将軍と呼ばれた義輝(よしてる)公を暗殺して、分家筋の義栄(よしひで)公を擁立したことが仇になったわ。このとき義輝公の側近たちが弟の義昭(よしあき)公をともなって脱出したのを捕らえられなかったの。義昭公は美濃、尾張、伊勢の三カ国に勢力を持つ津田(つだ)弾正少忠(だんじょうしょうちゅう)という人物の助力を得て上洛(じょうらく)し、正式に将軍職を継がれたわ。これが去年の話よ」


 西野さんの去年という言葉に、俺の心臓が「ドクン!」と高鳴った。


 もしかしたらと思ってはいた。


 ひょっとしたら、この国は俺の知っている戦国時代に酷似しているのではないのかと。


 それがいまの“応享の大乱”と“義輝公の暗殺”、そして“義昭公の上洛”で疑念は徐々に確信に変わってきている。


 だが、まだ足りない。あと1ピース、どうしても埋めなければならない場所があった。


「西野さん、その義昭公の上洛を助けた津田弾正少忠の実名、(いみな)はわかりますか?」


 俺が問いかけると、西野さんはやれやれとため息をついた。


「巴ちゃん、言っておくけど、実名を口にするというのはとても失礼に当たるのよ。まあ、わたしもさっきから大樹(たいじゅ)のお名前を口にしちゃってるわけだけど、もしよその人に会った時にそれじゃダメよ。怒りっぽい人になるとその場で斬り捨ててやるなんて言いだすんだから」


「ええ、もちろん、面と向かって言うようなヘマはしませんよ。でもこの津田って人物の名前はどうしても知りたいんです。ご存知ですか?」


 怒った顔もかわいいなぁとか思いつつ、俺は質問を重ねた。


 西野さんは「もう、しょうがないんだから」とちょっと頬をふくらませながら枯れ枝で砂場に字を書いていく。


 やがて砂上に漢字二文字ができあがると、西野さんは鈴を転がしたような美しい声でそれを読み上げた。


信長(のぶなが)


 俺の心臓が二度目の鼓を打った。


 もう間違いない。


 三カ国を支配下に置いた状態での義昭を押し立てた上洛作戦。


 俺の記憶とも符合する。


 この津田弾正少忠という男は、俺の世界における織田信長なのだ。


 ということは、


「いまは、西暦1569年に比定されるわけか」


 年代がわかれば、未来になにが起きるかも予想できる。


 もちろん、全部が全部同じではないだろうし、俺が知っている知識も2025年のものだ。


 その後の研究で新事実が発覚するなんていうことは、歴史学の世界ではざらにある。


 しかし、歴史というやつは大筋においてそうそう変わるものでないのもまた事実だ。


 過去に起こった出来事によって、現在は形作られているのだから。


 ならば、


「世良田家再興も、果たせるかもしれない」


「え?」


 俺のつぶやきに、西野さんが驚きの声をあげる。


 俺はそんな彼女を見つめ、言った。


「西野さんをお姫さまにしてあげられるかもしれないって話です」


「まさか……」


「本気ですよ、俺」


 途端に西野さんの顔に朱がさした。


 まるでのぼせたように、ふらりと体勢を崩してしまう。


 俺はとっさに西野さんの手を取った。


 見た目は雪のように白いその手は、触れてみると炎のように熱かった。


「……巴ちゃん」


「……西野さん」


 潤んだ瞳が、俺を見ている。


 俺もそんな西野さんを見つめた。


 いい雰囲気だ。


 いい雰囲気である。


 心の中の内なる俺が叫んでいる。


 いけ、いっちまえ、押し倒せ、と。


 オーケー、了解、ア○ロ行きます。


 西野さんの頬に手を触れ、自分の顔を近づける。


 10cm。


 5cm。


 1cm。


 0.5cm。


 西野さんからの拒絶はなかった。


 いける。これはいけるぞ。


 そこでふと、俺は自分の右側に気配を感じた。


 なんだこのプレッシャーは?


「うげっ!?」


「きゃっ!?」


 俺のうめきと西野さんの小さな悲鳴はほとんど同時だった。


 見知らぬ若い男が俺たちの様子をジッと見つめていたのだ。


 いや、ジッとというよりジーッとだ。


 呆れた表情で、うろんげなジト目で、まだ日も高いのになにやってんだこいつらって顔だ。


 誰だお前は?


 問いかけようとした俺を制するように西野さんがアタフタと口を開いた。


「ち、違うの、新ちゃん!」


 新ちゃん?


 お知り合いですか?


 ていうか、違うのってなんです。


 俺よりこいつに気をつかわなきゃいけないってことですか?


 つーか俺より親しげに呼ばれているのがなんかムカつく。


 うん、嫉妬だね。


 あたい知ってる。これって英語でジェラシーっていうんだぜ。


「どちらさまですか?」


 俺は西野さんの手を強く握りなおしてから訊ねた。


「ちょっと、巴ちゃん!?」


 困惑した様子の西野さんが俺の手を振りほどこうと腕をブンブンする。


 うん、可愛いね。


 なので離してあげません。


 男はやれやれと嘆息すると、手に持った大根をかかげてみせた。


「またろくなもん食ってないんだろうなって思ってよ、これ持ってきた」


――それで、そいつが例の行き倒れか?


 言葉の後半には強い疑念と侮蔑の感情がこもっていた。


 世良田一家が暮らしているのは甲斐の国は(さかい)村という。


 俺が召喚された上黒駒村の川下にあって、名主は代々「馬場(ばば)彦右衛門(ひこうえもん)」という名前を名乗る。


 現在の彦右衛門には三人の息子がいて、長男はすでに結婚し、次男は出家して坊さんとなっている。


 問題なのが三男、新太郎だ。


 どうして三男なのに新太郎かというと、彦右衛門は一度妻を病気で亡くしており、新太郎は後妻との間にできた最初の子だったからだ。


 この新太郎は近所でも札付きの不良として知られている。


 ヤクザ連中と付き合いがあり、なにかにつけてケンカをする。


 もちろん戦国乱世の中だ。ケンカといっても殴る蹴るではない。


 そこでは当然のように刀や槍が出てくる。


 切った張ったってやつだ。


「で、こちらがその新太郎さんですか? 札付きの悪の?」


「と、巴ちゃん! そんな言い方しないで! 新ちゃんは私と折花の幼馴染で、いまでもこうしていろいろお世話になっているんだから!」


 西野さんが大根を見せつけるようにして言ってくる。


 ええ、それは知ってますよ。さっき聞きましたから。


 要するに近所の大百姓のボンボンで、普段は畑仕事なんて全然手伝わないくせに、貧乏な西野さんたちに食い物持ってきてポイント稼いでる嫌なヤツってことですよね。


 おまけに「幼馴染」という俺からしたら垂涎(すいぜん)もののタイトルホルダーってことでしょ?


 うらやましくなんかないんだからね!


 内なる俺がジェラシーとタップダンスを踊っている中、新太郎は「へっ」と小馬鹿にしたような声を出してから言った。


「ま、お前みたいにただ飯食って迷惑かけてるやつとは違うってこった、行き倒れ」


「倉田巴です。馬場新太郎さん」


「へえ、そうかい、ちゃんと名前があるのかい。そんなみょうちきりんな格好してるから気付かなかったぜ」


 新太郎は俺の頭と服装をジロジロ見た。


 マゲを結っていない髪型に、白いワイシャツとスーツのパンツ姿。


 なるほど、たしかに変なヤツである。


 でもそれを言ったら新太郎も充分変な格好をしていた。


「それ、女物の小袖(こそで)ですよね? オシャレですか? オシャレでそれ着てんすか?」


「な、なんだよ、別にいいじゃねーか!」


 新太郎は声を荒げて叫んだ。


 しかし顔色の方はよくわからない。


 べっとりと白粉(おしろい)をぬったくっているからだ。


 どうやら新太郎は「傾奇者(かぶきもの)」というやつらしい。


 マゲも月代(さかやき)を剃っていないし、額にはネジリ鉢巻をまいている。


「流行に敏感な若者ってやつですか? かっくいー!!」


「おい、お前馬鹿にしてんだろ? 馬鹿にしてんだよな?」


「そんな馬鹿になんかしてないですよ、新太郎すぅわん、プークスクス」


「てめぇ、女に養われてる浮浪者のくせに!」


「そっちこそ、親の稼ぎで気を引こうとしてるボンボンじゃねーか!」


 売り言葉に買い言葉。


 俺と新太郎は互いに相手のエリをつかみあげていた。


 そこへ大根をしまいにいっていたはずの西野さんが飛び込んできた。


「もう、なにやってるの巴ちゃん! 新ちゃんも、もうすぐ父上と折花が帰って来るんだからやめて!」


 西野さんの言葉に新太郎の身体かピタリと止まった。


 悔しそうに顔をゆがめる。


 その瞬間、俺の脳裏に「ペカッ!」と電灯がついた。


「あんた、折花が好きなのか?」


 特になんの考えもなく出た言葉だった。


 直後、左の頬に強烈な痛みが走った。


 てめぇ、いきなりグーパンすんじゃねーよ。


 文句を言おうとしたときには新太郎は夕日を背にして駆け出してしまっていた。


 なんとなく、その背は哀愁をおびて、すすけて見えた。


「もう、どうしてあんなこと言ったのよ」


 家の板の間で、西野さんは俺の頬にぬれた手ぬぐいを押し当てていった。


「いや、すいません。なんというか、ちょっとした行き違いといいますか……」


 まさか折花狙いなんて思わなかったのだ。


「新ちゃん、小さいときからずっと折花が好きで、いつかお嫁さんにしてあげるって約束してたのよ。なのにいきなり巴ちゃんが来たから、居ても立ってもいられなかったのね」


「それで大根とか持ってきて、よく思われようとしてるってわけですか」


 俺がそういうと、西野さんの顔が暗く沈んだ。


「どうしたんです?」


「違うのよ、巴ちゃん。新ちゃんはね、折花とは結婚できないの。だから、ああやって、友だちとしてよくしてくれているのよ」


「結婚できない?」


「新ちゃん、彦右衛門さんのとこの三男坊だから継ぐ田んぼがないの。だからどこかに養子に入らなきゃいけないの。でも、うちの田んぼは小さいでしょ? 折花と結婚しても食べていけないのはわかっているから、実家の人たちに反対されたのよ。うちの父上も世良田家を継ぐのは武家の人がいいって考えだから、頼みにいくってこともしていないの」


「つまり、百姓の長男じゃないから結婚できない?」


「ええ」


――コクリ。


 と、うなずく西野さんに、俺は二の句がつげなかった。


 この国では収入は土地から上がる。


 具体的には米が金の代わりになる。


 だから米がとれる土地を持っていない人間は収入がないのと同じなのだ。


 そして、土地というやつは兄弟に平等に相続させるというわけにはいかない代物だ。


 例えば六人が一年間食べていくことができる土地を持っている農家があるとする。


 そこには三人の息子がいる。


 土地を三人に分け与えれば二人分の食料を確保する収入になる。


 つまり相続した本人とその妻になる人物の食い扶持だ。


 だがそこに子どもが生まれたら?


 いや、子どもの代は生活を切り詰めればなんとかなるかもしれない。


 だが、その夫婦に生まれた子どもが三人だったら?


 相続分は一人一人分も残らない。


 だから土地は長男が一括で相続し管理しなければならない。


 次男三男が苦労しないで済むには、余程の金持ちになるしかないのだ。


 新太郎が長男だったら、あるいは折花が長女で、世良田家にそれなりの土地があれば二人は結ばれていただろう。


 だが、そうはならなかった。


 新太郎は三男で、折花は貧農の次女だ。


 俺はやるせない気持ちになって、その晩、床についた。


 眠りについてしばらくすると、また夢をみた。


 この世界に来てから、毎晩夢を見るようになった。


 夢はどういうわけか、俺が直接知るはずのない遠くの場所や過去のことがほとんどだった。


 今晩の夢は境村での出来事だった。


 三人の子どもが仲良く家の前で遊んでいる光景。


 西野さんと折花の世良田姉妹に、新太郎だった。


 やがて、夢の場面が切り替わる。


 子どもの頃の西野さんが突然、熱を出して倒れたところだった。


 幼い顔に玉の汗が浮かび、苦しそうに尼寺に用意された布団に横たわっている。


 側についているのは若い頃の源応尼さんだ。


 うつると大変だからと、外に出された折花と新太郎が、何事かを話し合っている。


 夢をながめる俺の意識はゆっくりと二人の側に寄った。


「上黒駒村には薬があるんだって、父上が言ってたのよ!」


 興奮した様子で折花が言った。


 それに対して、新太郎が答える。


「でも、あれは特別に税がかかってるやつじゃねーか。勝手にとってきたら村の乙名衆(おとなしゅう)の評議だけじゃすまねぇ。領主さまの前に引き出されることになっちまうぞ」


「だって、買うとお金がかかるじゃない。うちにそんな余裕ないのあんただって知ってるでしょ!?」


 どうやら西野さんのために上黒駒村から薬草をくすねてこようとしているらしい。


 そういや、召喚されたとき、上黒駒村の連中は境村の人たちよりいい服を着ていた。


 名主の勝蔵にいたっては紋付の羽織りに脇差という格好だった。


 金があるんだろうなと思っていたが、どうやらそれは薬草による副収入があったためらしい。


 幼い二人はしばらく問答した後、ついに新太郎の方が折れた。


 上黒駒村に盗みに入ると決めたらしい。


 それにしても、折花がこんなに姉想いだとは知らなかった。


 俺が西野さんに助けられたときは随分冷たい反応だったから、きっとツンドラみたいな性格なんだろうなと思っていたが、どうやら誤解だったらしい。


 いいやつじゃないか。正式に義兄になったら優しくしてやろう。


 しかし、幼い二人の旅は苦難の連続だった。


 道を間違え、にわか雨に降られ、最後は猪に襲われた。


 二人は木に登ってやりすごそうとしたが、猪ってのはすごいな、まさか垂直跳びで1メートル以上ジャンプするとは思わなかった。


 豚もおだてりゃ木に登るなんてことわざがあるけど、あれを考えたやつは豚の身体能力をよくわかっていなかったらしい。


 豚は登らなくても木の中ほどの高さまで跳べるのだ。


 結局、二人は上黒駒村にはたどりつけなかった。


 髪の間に小枝を刺し、膝小僧をすりむき、足首まで泥だらけにしながら、夕暮れの中を意気消沈しながら村に戻っていく。


 新太郎はすすり泣く折花を背に負っていた。


「ぐす……こんなところ、もうやだ……ひっく……お城で暮らしたい……」


 折花がそんなことを言う。


 きっと父親の次郎三郎さんから世良田家の昔のことを聞いたのだろう。


 世が世なら、世良田家は武家の名門だ。


 薬草を盗もうとして泥だらけになるなんてことには逆立ちしたってならないだろう。


 現実感のない妄想を語る少女を、新太郎は責めようとはしなかった。


 むしろ彼は強い口調でいった。


「決めたぞ、折花。俺はいつか武勲をたてて侍大将になる!」


「ふえ?」


「法性院信玄様の側近、春日(かすが)弾正(だんじょう)様も元は百姓のせがれだ。手柄をたてればきっと俺のことだって引き立ててくださるさ」


「ぐす……だったら、だったらね新ちゃん、もしそうなったら私のことお嫁にもらって」


 折花の申し出に、新太郎は顔を真っ赤にしてうなずいた。


「ああ、してやる。お前はお城の奥方さまになるんだ」


 幼い二人の約束。


 背に負った少女の夢をかなえてやると語る新太郎に、俺は素直に好感をおぼえた。


「かっこいいじゃねーか、傾奇者」


 夢の中でつぶやいた直後、雄鶏の鳴く声がして、俺は目を覚ました。


 なんとなく外を歩きたい気分になって、こっそりムシロを抜け出す。


 あと十分もすれば、みんな起きだして、それから野良仕事にいく準備をしなくてはならない。


 自由に出歩くとすれば、この時間しかないのだ。


 左右に田畑の広がるあぜ道をゆっくり歩き、霧がかった景色をながめていると、前方に人影を見つけた。


 赤い縁取りのド派手な小袖に、額のネジリ鉢巻。


 腰には漆のはげた刀を差している。


 馬場新太郎だった。


「よう」


「……よう」


「昨日は悪かったな。何も知らないのに勝手なことをいった」


 俺はまずもって頭を下げた。


 何かトラブルがあったら、きちんと状況を確認したことを説明して謝る。


 社会人になってから身につけた処世術だ。


 ま、あまり褒められたスキルじゃないがね。


「お、おう」


 新太郎は戸惑った様子でうなずいた。


 オーケー、「おう」っていったな? 謝罪を受け入れたな? 


 もう謝んないかんね。


 あ、そうだ。ついでに誤解もといておこう。


「俺、折花には興味ないから」


「へ?」


「誤解させておくのもなんだから、先に言っておく」


――俺が好きなのは、西野さんだ。


 俺がいうと、新太郎は露骨にほっとした顔をしたあと、にやけ面で肩をついてきた。


「んだよ、そういうことかよ」


「そういうことだよ」


 お返しに背中へ張り手をくれてやる。


 それから俺たちはお互いの話をした。


 新太郎は生まれてからこれまでのことを、世良田家の姉妹との思い出を踏まえて。


 俺は異世界からやってきたことから西野さんに助けられたところまで。


 腹を割って話してみると、新太郎はけっこう良いやつだった。


 正直、ヤクザ連中と付き合いがあるってことすら意外な印象を受ける。


 気になったので訊いてみると、あっさりした答えが返ってきた。


「強くなりたかったからだよ」


 なるほど強くなりたかったからケンカにあけくれていたと。


 ヤンキー漫画の主人公かお前は。


「強くならないと武勲はたてられねぇ」


――侍大将になれねぇからな。


 そう言って、新太郎は朗らかに笑った。


 あきらめていないのだ。


 三男坊で、継ぐ田畑がないとしても、こいつは夢も折花を嫁にもらうことも決してあきらめていないのだ。


 まぶしいなと思った。


 現実世界ですっかり運命のやつに屈服していた俺とはまるで違う。


 本当にまぶしくて、そして強い。


「新太郎、ちょっと右手出してみ」


「あ? なんだよ、急に?」


「良いから、ちょっと出してみ」


 俺は、新太郎がいぶかしそうに差し出した右手のうちから小指だけを選んでつかむとすぐさまそれを捻り上げた。


「あだだだだだだッ!? 何しやがるッ!?」


「小指だけなのにすごく痛いだろ?」


「いでぇ! なんかわからんがすげぇいでぇ!!」


「俺の国の武術の技だ。強くなりたいなら俺が教えてやる。だからヤクザ連中との付き合いはやめろ」


「いででででッ! わがっだッ! わがっだがらやめれッ!!」


 言質をとったところで離してやると、新太郎は涙目でにらんできた。


「一体、何者なんだよ、お前……」


「ただのお節介な異世界人だよ」


「なんだよ、そりゃ」


 俺たちはどちらからともなく笑い声をあげた。


 大したことをしたわけではないし、そんなに面白い話だったわけでもない。


 それでも笑いあえる相手を、俺は異世界で初めて得たのだった。


 その後、霧が晴れてきたところで俺は世良田家へと戻った。


 家ではすでにみんな起きだしていて、農家の一日が始まっていた。


 俺も慌てて囲炉裏の端につくと、麦飯と漬物をかっこんだ。


 麦は白米とちがって粒が大きく弾力があるが、味の方は白米の方がずっとしっかりしている。


 なんというか、味の抜けた小粒のグミを噛んでいるような感じだ。


 食事が終わると、俺と次郎三郎さん、それに折花はわずかばかりの田と畑の世話に向かう。


 西野さんは基本的に留守番だ。


 人手が欲しいときには手伝ってもらうが、身体が弱いために長時間日光の下にいられないため、一日の大半を尼寺の源応尼さんのところで過ごしている。


 そこで近所の子や寺に預けられている子たちに学問や縫い物を教えるのだ。


 尼寺には折花も通っているが、その時間は西野さんよりずっと短い。


 女とはいえ、農家において人手は大事な戦力だ。


 俺が来る前は、いま俺が次郎三郎さんとやっている川魚の捕獲や自然薯掘りも折花が手伝っていたらしい。


 日も傾いてくると、農作業は一端終わりを迎える。


 会社勤めをしていた人間からすると随分早く終業するんだなと感じるが、仕事は何も田畑の世話だけではない。


 (まき)(なた)で割ったり、川で洗濯をしたり、干した(わら)(みの)(かさ)を編んだり、漬物をつけたり、要するに自給自足のための仕事が山のようにあって、でも夜に明かりを灯そうとすれば油を使わなければならないから、日が沈む前にすべてを終えなければならない。


 結果、日が昇ってから沈むまで仕事をして、日が沈んだらさっさと寝るというサイクルが自然と出来上がるのだ。


 この日もそろそろ日が暮れるという時間帯、藁で縄をなっていると、隣に座った次郎三郎さんが唐突に言ってきた。


「それで、例の件、考えてくれたか?」


「……義理の親子になろうって話ですか?」


「ああ。お前は真面目だし、愚痴もこぼさん。娘たちにも優しいし、礼儀作法や学問も積極的に覚えたいと言ってくれとる。なにより」


――剣の腕がある。


 農家のせがれにそれは不要だろうと思うが、次郎三郎さんは世良田家が昔の栄光を取り戻すことを望んでいる。


 そのためには武術ができるというのは大きいのだろう。


 仮に俺の代で世良田家が盛り返さなくても、その子どもや孫に一族の夢は引き継がれる。


 そのとき、俺が子どもに武芸を仕込んでいれば技もまた子々孫々に受け継がれる。


 世に出る種を残しておこうというのが次郎三郎さんの狙いらしい。


 気の長い話だ。俺ならもっと身分のありそうな家の女中にでも西野さんか折花を出す。


 運がよければ殿様のお手つきになって、側室になり、男の子を生めばその実家である世良田家も優遇してもらえる。


 そっちの方が現実的だろうと思わないではないが、あえて言わないでおく。


 西野さんをどっかの殿様にとられるなんて真っ平ごめんだからだ。


 想像しただけで殺意がわいてくる。


 結局、俺は西野さんが欲しいだけなのだろう。


 世良田家の隆盛よりも、あの人の幸せの方が、というかあの人を隣に置いた自分の幸せの方が大切なのだ。


 そんな俺だから、答えもおのずと決まっている。


「その話、つつしんでお受けいたします」


 正直、このまま農民としてやっていくのかと訊かれると迷うところではある。


 しかし、元の世界に戻ったところで家族も職もない俺だ。


 なら低収入とはいえ、安定した暮らしをもとめてもいいじゃないか。


 それに次郎三郎さんは最近やたらと老け込み、嫌な咳をするようになった。


 恩を受けた手前、なるべく元気なうちに安心させてやりたいという気持ちもある。


 さらに言えば、西野さんの授業で気付いたこの世界のありようというのも、俺の思考をポジティブにしていた。


 俺はこの世界の今後を知っている。


 うまく立ち回れば、そこそこ良い暮らしができる目処もつけられるだろう。


 案外あっさり了承した俺に、次郎三郎さんは驚いた顔をしていたが、その後はびっくりするくらい喜んでくれた。


 彼の表情を見て、俺は自分の決断が間違っていなかったのだと思うことができた。


 そう、本当に、このときまでは……。


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