第五幕「空中戦」
「かかるぜよっ!」
赤茶色の怪鳥の頭に乗ったイルルタが叫ぶ。
奴の周りをブンブン飛んでいるのは紅い甲殻をしたアリの群だった。
アリといっても、大きさは子牛ほどもある上に、ハチみたいな翅まではやしている。
そういえばアリとハチは生物的に近いんだったか。
しかし、あの巨体なら普通は飛べないどころか自重で身体が崩壊しそうなものだが、そういう心配はないらしい。
これもファンタジー定番の魔法的な力ってやつか。
「つくづく気に入らんな、ご都合主義ってやつはっ!」
言いつつも、俺自身、いまは魔法的な力で空中にいる。
エルフたちが施してくれた処置だろう。
ある程度なら自由に動くことが出来た。
イメージとしてはゆっくり泳ぎながら落ちている。そんなところだろうか。
紅いアリ共が、落下しつづける俺たちに接近してくる。
まったくブンブンと五月蠅いことだ。
「大将、こいつら紅い傭兵だっ!」
「なんだそりゃ、中二臭い名前だな」
「迷宮の化け物ですよ、殿様っ!」
なるほどね。わざわざ白壁山脈を越えて引き連れてきたわけか。
「ご苦労なこったなっ!」
俺は急降下してきた紅アリに抜き打ちの一閃を見舞った。
村雨が紅い甲殻を切り割り、中から青紫色の体液を噴出させる。
さすがにこれを浴びるのは勘弁だ。
斬った敵の亡骸を踏み台に、俺は体内のヤドリギを集めて跳びあがった。
「彦、ハチ、先に降りていろっ! 殿は俺が引き受けるっ!」
イルルタの狙いは俺だろうしな。
彦とハチは悔しそうに頷いた。
自分たちが残っても、足手まといになると感じたのだろう。
彦は腕前こそ確かなのだが、そもそも手持ちの武器が悪い。
あいつの装備は境村にあった一般的な太刀だ。せめて長船辺りの刀工の作ならよかったんだが。
ハチに至っては武芸が苦手ときている。
相手に挑んでいく気概はあるのだが、いかんせん、実力が伴わない。
俺は二人が降下する中、一人敵中に突っ込んだ。
一匹、二匹、三匹。
紅い甲殻と青紫の体液が俺の周囲に四散する。
いよいよかわすのが難しくなってきたところで、村雨の刃が止まった。
紅アリの巨大な顎に挟まれたのだ。
「ちいっ!」
太刀一本ではやはり辛いか。
「苦手だからあんまり実戦ではやりたくないんだがな」
俺は左手で脇差を引き抜くと、間近に迫った紅アリの青い目を串刺した。
――ギィィィイイイッ!
痛みに耐えかねた紅アリは、六本の脚をワシャワシャさせながら悲鳴を上げる。
開いた顎から取り戻した村雨を、俺は左の脇下に巻き付けるように振りかぶった。
「二天一流、五方の形、四本目っ!」
――重機ッ!
横薙ぎの銀閃が、胸のところを境に紅アリを二分する。
剣豪、宮本武蔵の二刀流だ。
もっとも、武蔵の二刀流は実戦で一本の剣を左右どちらの手でも自由に取り回せるように考案されたもので、戦場で本当に二刀を用いたわけではない。
まあ、この場合、御託よりも使い勝手が優先って話だ。
太刀と脇差を駆使して闘う俺を、怪鳥に乗って追いかけてくるイルルタが笑った。
「ちゃっちゃっちゃっ! まるで奥村左近太ぜよっ!」
幕末に登場した伝説の二刀使いにたとえてもらえるとは光栄だね。
でも正直、嬉しくねーよ。
「ぜぇやぁぁぁあああっ!」
脇差でかみつきを防ぎつつ、右の太刀でうすっぺらい翅を削ぎ落とす。
甲殻は堅くて刃が通らないことがあるが、翅の方は見た目通りもろい。
やはり飛行手段を絶つのが狙い目だろう。
透明な翅を傷つけられた紅アリはもがきながらも為す術なく落下していく。
これでやっと半分くらいか。
俺の消耗を待っていたように、イルルタは学ランのズボンに巻いた青銅のベルトのバックルを手前に引いた。
「ゼンギンぜよっ!」
バックルから露わになった短い銃身の筒先から赤紫色の粒子が飛び散る。
その粒子がイルルタの身体を覆い、容姿を一変させた。
真っ白い体表。ウネウネと蠢く触手を有した口元に、鏃を思わせる尖った頭。肩先から両腕に広がる吸盤。
目と耳と鼻は空洞のように深い闇に覆われて、さながらドクロのようだ。
「クモの次はイカかよっ!」
人型をしたイカの怪人。それがイルルタの変身フォームらしい。
「普通、二番手はコウモリだろうがっ!」
「ちゃっちゃっちゃっ、儂の地元の名物ぜよっ!」
いいんだよ、こんなときに高知押しなんてしてこないで。
イカ怪人と化したイルルタは、腰から長剣を抜いて構えた。
柄がゲソを模した作りになっているが、刃の部分は明らかに日本刀だ。
「侵略イカ怪人ぜよっ!」
何年前のネタだ。
イルルタのやつは怪鳥を急降下させながら、ゲソ刀を俺の頭上に振り下ろしてくる。
空中に漂っている状態の俺に比べ、機動性はやつの方が上だ。
俺は村雨と脇差を交差させてゲソ刀の一閃を防いだ。
――ギンッ!
と、鈍い金属音が鳴る。
「ぬうっ!」
衝撃で、俺の落下スピードが上がる。
空中戦ではやはり高所をとった者が圧倒的に有利だ。
機動性で負け、位置取りでも負けている。
いや、そもそも空中戦で俺の戦い方は明らかに間違っているのだ。
どうにも地上で相対しているような感覚で闘ってしまっている。
頭を切り替えろ。
俺自身が飛行機や鳥になったつもりで動かなければ、後手に回る一方だ。
まず、相手よりも高所を取る。
敵は数こそ多いが、イルルタ以外は判断能力も鈍そうなモンスターの群だ。
やつ一人を叩けば、それで決着がつく。
乗騎にしている怪鳥はスピードもパワーも十分だが、大きいために小回りが効かない。
「と、なればっ!」
俺は二刀でイルルタのゲソ刀を弾くと、体内のヤドリギをつま先に集めて後ろへ跳んだ。
いま上空何メートルかは分からないが、地面と平行に滑っている格好だ。
イルルタは俺を逃がすまいと、怪鳥を駆って追ってくる。
ゲソ刀の間合いと怪鳥のくちばしが迫る。
その刹那、俺はクルリと向きを変えると、一段高い空間を蹴った。
身体の向きが縦から横になる。
平行移動からの垂直移動。室内であれば床からそのまま壁を歩いているような感じだ。
俺はさらに停まらずヤドリギを蓄積した脚を前に出す。
壁から天井へ、横から見れば「つ」の字を描く動き。
天上に立って下を見上げる俺と、天頂を振り仰ぐイルルタの目が一瞬すれ違う。
――インメルマンターン。
第一次世界大戦で活躍したドイツのエースパイロット、マックス・インメルマンが創始した縦方向のUターン技術だ。
俺はさらに空中で身体をひねり、イルルタの乗る怪鳥の背後を取った。
「そいやぁぁぁあああっ!」
そのまま、左の脇差を怪鳥の背中へと投擲する。
緑色の魔素、ヤドリギを宿した脇差は凄まじい勢いで飛翔し、怪鳥の身体を刺し貫いた。
――ギュアッ!
短い悲鳴は、柄まで埋まった脇差がどこかの急所に達したことを示していた。
「ちゃっちゃっちゃっ、まずいぜよ」
イルルタが言ったときには、怪鳥はグラリと身体を傾け、ついには真っ逆様に落下を始めていた。
俺はさらに追い打ちをかけ、流水の刃をイルルタへ奮った。
「柳生新陰流、三学円太刀」
――一刀両断っ!
右脇に流した切っ先を、左上に向かって斬り払う。
ゲソ刀を握ったイルルタの左手首が、下からの斬撃で跳ね飛んだ。
「もういっちょうっ!」
頭上に振りかぶった太刀でトドメを刺すつもりだった。
だが、
「なにっ!?」
いつの間にか俺の視界を赤い光が覆っていた。
浄天眼を発動するときに出る、あの光である。
途端に視界が切り替わり、どこかの一室にあるソファーの前へ俺の視点は移動していた。
「やれやれ、やってくれたな基点王」
ソファーに腰掛けた男が、俺に向かって言う。
小柄で色白の少年だった。
長く伸ばした黒髪を首の後ろで折り返しているのだろう。頭の影から逆立った毛先が見えている。
前髪は右のこめかみの上だけに一筋垂らし、あとは後ろに撫でつけていた。
なんともすかした感じのするやつで、その印象を証明するように白い学ランを着込んでいる。
「俺はナーカルの兄弟が一人にして天翔軍元帥、ザシタンサオル・ジョギリレ」
「ザシタン……なに?」
「ザシタンサオルだ。まあ、名前なんてのはどうでもいいんだよ。幾度となく繰り返してきた転生で、俺には名前がありすぎるくらいあってな。この名前も便宜上のものにすぎない」
そういって、ザシタンサオルと名乗った少年は口の端をかすかに上げた。
なんだこれ、浄天眼で一方的に俺が見ているだけのはずなのに会話が成立している。
そもそもどうして超能力が勝手に発動したのかもわからない。
「お前、一体、〝何だ〟?」
俺の問いに、ザシタンサオルは答えなかった。
ただうっすらと小馬鹿にしたような笑みだけを浮かべる。
「その様子だと、エルフどもは貴様に何も教えていないようだな」
「ふん、それが怖くて慌てて襲撃してきたのか? 案外、小心者だな」
「吼えるなよ。挑発してきたところで、貴様の知りたいことなど漏らさん」
「どうかな。少なくとも、そっちの基点王が動けないのは駄々漏れだぞ?」
途端にザシタンサオルが鼻白んだ。
どうしてわかった。そういう顔だ。
「なに、訳はないさ。ただ俺の記憶を奪っておきながら今日まで放置していたこと。複数人いるらしいナーカルの兄弟らが一度にではなく逐次投入されていること。エルフたちが俺に接触することを許してしまったことを考えれば一目瞭然だ。お前たちを裏で操っている存在は、どういう訳かいまは動けない。だから俺への対応がこんなに中途半端になる。まあ、もっとも……」
――そんなこともわからない唯の馬鹿という可能性もあるがな。
ザシタンサオルの目がクワッと見開かれた。
そのまま立ち上がり、かたわらに立てかけていた小金造りの鞘を持つ大太刀を引き抜き、斬りかかってくる。
もちろん、ザシタンサオルはここにはいない。斬撃が俺に達することはない。
すべてはあくまで映像の中での出来事だ。
しかし、俺の視界は白学ランの背後に透けた大鎧姿の武士の姿をはっきりと捉えていた。
「見えたぞっ! 貴様の正体がっ!」
――八幡太郎義家ッ!
大太刀を振り抜いた姿勢のまま「しまった」と硬直したザシタンサオルを最後に、再び俺の視界が切り替わった。
勝手に発動した浄天眼が解除され、左手を失ったイカ怪人が瞠目してこちらを見ている。
俺はその陸上では不自然なくらい白い顔を蹴りつけた。
「げぶぁっ!」
珍妙な声を出し、空中に投げ出されたイルルタはそのまま落下していく。
おそらく死にはしないだろうが、もう一度体勢を立て直して攻め込んでくるということもできないだろう。
空中に留まっていた紅アリたちも、いまや黒い点と化したイルルタを追って降下していく。
この突然の戦闘は終了したのだ。
「まったく、こっちに来てから落ち着く暇がないな」
俺は村雨を鞘に戻すと、仰向けのまま息をついた。
エルフが施してくれたらしい魔法はまだ効果を保っている。
このまま落ちるに任せていれば、やがてゆっくりと地上に降り立つことができるだろう。
「エルフ、ナーカルの兄弟、消された過去、そして基点王という言葉……」
分からないことがたくさんある。
それを知るためには、白壁山脈を越え、神聖レムリエン連邦に入り、マキモノで元いた世界と交信するしかない。
そう思っていた。だが、
「この眼があれば、挑んでくるナーカルの兄弟から情報を引き出すことも容易い」
あえてミヨイ各地をうろつき、敵対勢力を引きずり出して、情報を収集するのも手だ。
いや、どちらか一方ではなく両方やればいいのか。
ナーカルの兄弟と闘いながら、レムリエンに入る。
そこまで考えて、俺は一人笑っていた。
「くははは、義姉さん、西野義姉さん、なんだか面白くなってきたよ……」
元いた世界ではつまらない契約社員だった俺。
運命に屈服し、底辺に沈み込んだまま、何もできないでいた俺。
その俺が、どういうわけかこの世界では重要な存在で、様々な勢力が、俺の動向に一喜一憂している。
ふいに西野義姉さんが言った「天命」という言葉が脳裏をよぎった。
「俺の天命はどこだ?」
いまは分からない。だが、それは確実に存在している。存在しているから、こういう事態になっている。
「やっぱり義姉さんは正しかった」
ならば、俺のやるべきことは決まっている。
「見ていてよ、義姉さん。俺はきっと天下に一事を成す。一事を成して、義姉さんが正しかったと、この世界の連中に見せ付けてやる」
言った瞬間、義姉さんの幻影が現れて、俺の頬を優しく撫でた気がした。
その顔は満足そうに笑っている。
俺はそんな義姉さんの面影を忘れないように、ゆっくりと目を閉じた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
実はいまノクターン用の外伝を製作中だったりします。
本編の更新頻度もこれから上げていきますので、いま少しお付き合いください。
よろしくお願いします。




