第五幕「養子縁組」
俺が拾われた世良田家は、あばら家に父娘三人が暮らし、わずかな田畑を耕して日々の生計をたてている、いわゆる貧農に属する人々だ。
しかし、世良田家は最初からこうした貧しい百姓暮らしをしていたわけではない。
その昔、ほんの二百年前まで、世良田家は武家の名門として周囲から一目置かれる存在だった。
それというのも、世良田家は南北朝の動乱の中、室町幕府初代将軍となった喜連川尊氏の好敵手であり、彼と同じく源氏の名門であった脇屋義貞の一門であったからだ。
要するに、源氏の名門の親戚で、そこの執事になる資格を持った家だったのだ。
ところが共に鎌倉幕府を滅ぼした尊氏と義貞はその後対立。
尊氏は征夷大将軍に就任し、喜連川幕府の成立を宣言すると、義貞を攻撃した。
義貞は何度となく尊氏と戦い、時に勝利することもあったがついに決定的な敗北をきっして自害した。
彼の一門衆であった世良田家もこのとき一緒に没落してしまう。
一族はミヨイ各地に散り散りとなり、わずかに残っていた力も歴史の流れの中で失っていき、そして現在、こうして甲斐の国の貧農になってしまったというわけだ。
「じゃが、儂は世良田家再興をあきらめたわけではない」
こう俺に語ったのは世良田家現当主、世良田次郎三郎さんだった。
西野さんと折花、近隣でも評判の美人姉妹の父親である。
彼は分け入った山中で鍬を振り下ろしている。
栽培している作物だけでは食料が足りないため、地面に埋まっている自然薯を掘り当てようというのだ。
西野さんのおかげですっかり元気になった俺は、世話になっている礼をすべく、次郎三郎さんが鍬を入れてやわらかくした土を手でどけていた。
「なにか、世に出る算段がお有りなんですか?」
「いや、ない」
即答である。
ならなんで言ったし。
「算段はないが、用意はある。そのために西野も折花も近くの尼寺に通わせ、学問をさせておる」
「源応尼さまでしたっけ?」
「うむ。才色兼備。まさに頼むに足るお方だ」
「好きなんですか?」
俺がそう聞くのは、源応尼という尼さんが三十代ながらびっくりするくらいの美人であるからだ。
この国は食糧事情が豊かとはいえないから、現代日本にくらべて人間も老けやすくなっているはずなのだが、源応尼様は現役バリバリといった感じである。
そんな人が仏門に入って、清貧とした生活を送っているのだ。
そこにはある種の涼やかさ、爽やかな色気すらただよっている。
なんでも若い頃はその美しさを巡って男たちが血で血を洗う抗争を繰り返し、彼女はそのために出家したのだともっぱらの噂だった。
「ば、馬鹿言え! 相手は仏門のお方だぞ!」
「いやあ、背徳感ってのも大事だと思いますけどね」
その手の映像作品でもお馴染みだよね。「いや、やめてください。神が見ておいでです!」とか「だめだよ、お兄ちゃん、私たち兄妹なんだよ?」とか。
まあ、この国にはそうした媒体自体ないんだけどね。
「ふん、お主の方こそどうなのだ?」
「俺ですか?」
「儂の娘は気に入ったか?」
訊かれて、俺はつい固まってしまった。
父親の前で娘の印象を語るというのはなかなか緊張するものがある。
鍬を振りながら、次郎三郎さんは言う。
元々の出自が違うせいか、村人から自分たちは嫌われている。
娘たちは美人なので嫁にくれという話は多いが、世良田家再興を夢見る自分は婿をとって家を継がせたい。
でも、村内でうまくいっておらず、収入も低い自分の家をわざわざ継ぎたいと言ってくれる人間はいない。
「だから、お主さえその気があるなら、養子になってくれんか?」
問われて、俺の脳裏に浮かんだのは西野さんのことだった。
淡くかがやく白い肌。
ほっそりとした滑らかな指先。
流れるような艶やかな黒髪。
優しく、しかし毅然とした意思を感じさせるきらきらした瞳。
鈴を転がしたような、耳心地のよい綺麗な声。
そして、力を込めればぽっきりと折れてしまいそうな身体からは想像もつかない我がままな二つの丘。
はっきり言おう。
完璧である。
完璧に俺の好みど真ん中である。
もう、お義父さん、自然薯掘ってるときにそういうこと言うのやめてもらえます?
いろいろ妄想しちゃうじゃないですか。
結局、俺は返事をすることもできないまま、悶々としながら家路についた。
途中、尼寺から戻ってきた西野さんと折花に行き会った。
「巴ちゃん!」
と俺を呼び、やわらかく微笑む西野さん。
ああ、天使だ。天使がおられる。
この人が俺の嫁!
この人が俺の嫁!!
この人が俺の嫁!!!
はい、大事なことなので三回言いました。
「まだ居たの?」
と、折花がジロリとにらんでくる。
まったくこいつは、どうしてこうも俺を邪険に扱うかね。
でも、お義兄ちゃんは寛大ですからね。
特別にこれからは「お義兄さま」と呼ぶことを許可してあげましょう。
そんなこんなで俺は調子に乗りまくりだった。
有頂天だった。
人生の絶頂だったといってもいい。
しかし、俺はこの時、大事なことを忘れていたのだ。
きっと現代日本にいたままなら決して忘れることのなかった言葉。
絶対に見落としたりしない兆候のはずだった。
しかし、異世界にいた俺はそのことをすっかり失念していたのだ。
そう、「フラグ」というあの言葉を。