第二幕「旅の一座」
折れた太刀を小太刀に見立てて繰り出したのだろう。
とはいえ、得物が折れた直後、なんの動揺も見せず即座に切り替えてきたあたり、さすがだった。
「俺はどうも甘く見ていたらしい」
相手が御子神典膳にせよ、小野善鬼にせよ、世に聞こえた一刀流の剣客だ。
間違って斬ってしまったらなどという考え自体、傲慢だったと言わねばならない。
「鼻の高きは俺だった。申し訳ない」
「まだ、先がありそうな口ぶりやな」
「ああ、ある」
答えた直後、俺は両目から赤い光をほとばしらせた。
五行の能力、浄天眼である。
「俺の眼は、過去、現在、未来、すべてを見通す」
目が合った瞬間、善鬼はグンッと拳を押し込むと、即座に後ろへ下がった。
「危ないわ、自分……」
こめかみから生えた角の根本をつと汗が流れる。
この眼の力を本能的に感じ取ったのだろう。
俺は村雨を鞘に納めると、腰をかがめ、再び鯉口を切った。
居合い、あるいは抜刀術である。
鹿島で浅野甚助に習ったという事もあるが、俺も元いた世界で祖父さんから仕込まれていた。
甚助との修行はいわば復習だった。
「無双神伝流……」
林崎神道夢想流の流れを汲む、現代居合道の流派である。
何も柳生新陰流だけが、俺の持ち技ではない。
――斬る。
その一事だけを念頭に置いた。
他の余分な感情は、いまは捨て置く。
目の前の御子神善鬼という兵法者を斬る。そこに自分のすべてを懸ける。
浄天眼が、数瞬先の俺の未来を映し出す。
斬られ、斬られ、斬られる何人もの俺。
しばらくすると、俺が善鬼を両断する未来が見えた。
その場面をなぞるように、俺は左足を踏み切り、鞘を持った左手を捻った。
迎撃すべく、善鬼が折れた太刀を手に身構える。
ヤツの動きまで、浄天眼に映ったものとまるきり同じだった。
――斬れる。
と、思った刹那、
「それまでっ!」
横合いから声が飛び、俺と善鬼はピタリと身体の動きを止めた。
いや、止められたのだ。
声の主のあまりの気迫に、身体が勝手に反応していた。
「先生っ!?」
善鬼の抗議に、総髪の牢人はクワッと両目を見開いた。
「黙れ、善鬼っ! 師の言うことが聞けぬかっ!」
「せやけど……」
「この勝負、引き分けとしたいがどうか?」
訊かれたのは俺である。
「あの吊るされた男をくれるなら、こっちに文句はない」
「だそうだ、五峰」
「な、なんアルニャッ!? こっちは金払ってるアルニャッ! くっちゃべってないで早くソイツを斬るアルニャッ!!」
「……五峰」
総髪の男の声は有無を言わさなかった。
逆らえば斬る。そういう気迫がある。
「ぐっ、わかったアルニャ……」
五峰はしぶしぶと言った様子で頷いた。
俺が鉄扇で殴り倒した猫耳連中がエッホ、エッホと縄を引き上げていく。
その間、俺は総髪の男と話していた。
「あなたは一刀斎殿とおっしゃるのではないか?」
「ほう、俺を知っているのか?」
「いえ、下のお名前だけ、風の便りに」
「ふむ、左様か。前原一刀斎である。一刀流というものを起こし、諸国に広めるべく旅をしておる」
「甲州牢人、世良田巴と申す」
「貴殿は陰流の使い手か?」
「幼少のみぎり、祖父に仕込まれました」
「新当流も使うらしい」
「いささか」
「善鬼はどうだった?」
「得物が同じかそれ以上なら、斬られていたのは俺でした」
「なるほど、つまり、あの時はやはり斬れたのだな?」
「わかっていて止めたのでは?」
「何か不味い、とは感じておった」
勘で止めたのか。まあ、修行を積んだ兵法者のそれとなれば、あながち馬鹿にできない。
「とはいえ、得物が劣っていて負けたのなら、善鬼の修行不足だわい」
「不足ですか?」
「我が流派は、棒切れでも勝たねばならん。そういう風に教えているのでな」
一刀斎の言いように、しかし側で聞いていた善鬼は声を荒げた。
「先生はなんでワイが負けたみたいに言うてるんですかっ! あのままやってたらワイが勝ってましたって!」
「いやいや」
「いやいやいや」
俺と一刀斎がそろって掌をパタパタ振ると、善鬼は顔を真っ赤にして怒った。
「勝ってたっ! 絶対勝ってたっ!」
「だって斬れたし」
「斬られそうだったし」
「絶対勝ってましたってっ! つーか、なんで自分も先生と一緒なって否定しとんねんっ!」
若いオーガ族は地団駄踏んで悔しがった。
御子神善鬼、面白い男である。
ともあれ、ここで漫才みたいなことをやり続けるわけにもいかない。
俺は吊るされていた男を受け取ると、再び甲板からジャンプした。
五峰は最後まで不満そうで、「この借りは必ず返すアルニャッ!」とか宣言していた。
可能ならケンカなんかしたくないんだけどな。
海岸に戻ると、彦が野次馬の爺さんとニコニコしながら待っていた。
「よう、戻ったぞ」
「見てましたよ。結局、一人も斬りませんでしたね」
「こういうのはなるべく斬らない方がいい」
上黒駒村みたいな展開は、正直避けたいところだ。
俺の答えに、角頭巾の爺さんは笑みを深くした。
「いやいや、眼福でございました」
「恥ずかしいところを見せた」
「なんの。殺さぬことは、殺すことより難しい。腕前だけでなく、お心も強いのだと感心しておりましたよ」
――ああいう手合いは、恨みを忘れぬものですからな。
と、爺さんは付け加えた。
一人でも斬っていたら、しつこくつけ回されていたと言いたいのだろう。
「彦、とりあえず水だ」
俺は彦から瓢箪をもらうと、血塗れの男の口元にあてがった。
ボコボコにされた後、縛り上げられて海風にさらされていたのだ。
脱水症状を起こしていても、不思議ではない。
最初は唇を湿らせる程度にして、男が手を伸ばすと、瓢箪を預けた。
男は震える手で瓢箪をつかむと、ゴクゴクと中の水をあおった。
「か、かたじけない。生き返り申した」
一息つくと、男は喘ぎ喘ぎそういった。
「なに、お主の義侠心に感じ入って手を出したのだ。ああいう連中とケンカするのは思ってもなかなかできぬ」
「ぶ、無様をさらしました」
「義を見てせざるは勇なきなり。破れたとて、恥じることなどない」
俺の言葉に、男は「グスッ!」と鼻をすすった。
「……ご尊名をお聞かせ願いたい」
「世良田巴という。お主は?」
「三州牢人、原弥八郎と申す」
聞けば、元は三河の国の大名の下で鷹匠をしていたという。
それが実家の都合で一向一揆に参加することになってしまい、一揆が鎮圧されると主家を退転し、牢人となったものらしい。
弥八郎の経歴に、角頭巾の爺さんは「ほっ」と声を漏らした。
「これはこれは、元は石取りのお武家様でございましたか」
「む、昔の話だ。それに所詮、下士にすぎぬ」
弥八郎は気まずそうに顔を伏せた。
昔のことはあまり突っ込んで欲しくないのだろう。
「ともあれ、どこぞでお身体を休めねばなりませんな。当てはお有りですか?」
弥八郎は首を横に振った。
爺さんは次いで俺と彦を見る。
「生憎、俺たちも当てはない」
「小田原に入れなくて困ってたんだ。入れさえしたら、一応、身元を引き受けてくれそうな人は居るんだがね」
浅野甚助が言っていた、江馬家家老、笠原尾張守のことだ。
甚助から紹介状をもらっているので、会えさえすれば協力してくれるだろうが、そのためにもまずは小田原に入らなくてはならない。
すると爺さんはまた「ほっ」と声を出して、「ならわたくし共とご一緒致しませぬか?」と言ってきた。
「爺さん、連れがいるのか?」
「ええ、これでも旅の一座を率いておりましてね。小田原にも何度か来ております。免状もほれ、この通り」
爺さんが見せてきたのは虎の朱印が押された書付だった。江馬の勢力圏内で旅の興行を許す旨が記されている。
宛名のところに「千賀地半蔵」と書かれていた。
「爺さん、千賀地半蔵というのか?」
「ええ、ですが倅も同じ名でしてな。いまは石見と呼ばれております」
「千賀地石見か。ではお言葉に甘えさせてもらおうかな」
俺と彦、それに弥八郎の三人はこの石見に同行させてもらうことにした。
石見爺さんは、その外見とは裏腹に、小田原への道をひょいひょい歩く。
とても腰をかがめながら杖を突く老人の動きではない。
ひょっとすると、この爺さん、かなりの使い手なのかもしれなかった。
小田原の街へはなんなく入れた。
戦国時代というと、年中戦に明け暮れていて、誰でも好き勝手なことができそうなイメージがあるが、実際には街道の通行や街への出入り、駅の使用などで厳しい制限がある。
朝廷や幕府が健在だった頃構築されたシステムを、戦国大名たちが引き継ぎ、機能させているからだ。
牢人への禁令も、当然のようにある。
許可が無ければ城下に住んではならないとか、街の者も棲家を提供してはならないとかだ。
仕える主人を持たない二本差しは、居るだけで治安を乱す。
俺と彦は境村を出る際、華陽義母さんと名主の彦右衛門さんから充分な旅費をもらっていたが、大抵の連中は貧乏で、押し込み強盗のような真似をするヤツも珍しくなかった。
「あれ、あの旅籠がうちの一座の宿でございますよ」
石見はニコニコしながら振り返っていった。
二階建ての木造建築で、江戸初期を舞台にした時代劇なんかでよく見かける宿泊施設に見える。
「あるんだな、ああいう旅籠」
俺は素直に驚いた。
戦国時代の記録なんかを読んでいると、旅をしている連中はみんな寺とかその土地の大名の家臣の屋敷なんかを宿所として宛がわれていることが多いので、普通の旅行者が泊まれる宿があるのが意外だったのだ。
食料が少ない時代だというのに、饅頭屋や団子屋、茶の歩き売りもある。
旅籠の中は板敷きになっていて、八畳ほどのスペースに、旅人たちがそれぞれ雑魚寝していた。
布団ももちろんなくて、何かかけるものが欲しいヤツはムシロを購入する。
一泊の料金が二十四文で、内訳は朝食が十二文、夕食が十二文、ムシロが別途に十五文。
昼食は外で食べることになっている。
たしか一文が百円から百五十円くらいの価値だったと何かの本で読んだ気がするから、一日の滞在費は三千円前後といったところだろう。
ちなみに鹿島からここまでの俺と彦の旅は、一応、武者修行の意味もあったので、神社の軒下を借りたりしていた。
「とはいえ、やはりイメージとは違うな」
旅籠の中に入った俺はまずそうつぶやいた。
旅のご老公一行が泊まる宿みたいに畳はないし、個室でもない。
中には男女合わせて五人ほどが居た。
すべて、石見が率いる旅の芸人一座の面々だという。
「あそこの隅にいるでかいのが、倅の半蔵でございます。その隣の四角い顔が猿楽師の土屋藤十郎。あんななりですが、舞は一級品です」
男二人がペコリと頭を下げてくる。
石見はついで手前の大柄な女を紹介してくれた。
「これは櫻戸と申しまして、薙刀の演舞を披露しております」
「櫻戸にございます。どうぞ、よしなに」
頭を唐輪髷に結った美人だった。
唐輪髷というのは前髪を真ん中で分けて垂らし、残りの髪を頭頂部に集めて束ね、余った毛束を根元に巻きつけた髪型をいう。パッと見の印象は〝伊勢エビ〟と言ったところだろうか。
大柄と言ったが、別に太っているとか筋肉質というわけではない。背こそ高いがスラリとしていて、姿勢もよく、現代人の感覚からするとバレーの選手かモデルといった感じだ。
惜しむらくは胸が寂しいことだろうか。まあ、個人的な意見だ。全体からすると、均整が取れていてとても美しい。
横を見ると、彦のやつがポケーッとしていた。
もしかして惚れたか。おいおい、折花はどうしたよ、お前。あ、そういやアイツ、俺の女房だったっけ。うん、別にいいかな。
石見爺さんも彦の様子に気付いたのか、ニコニコしている。
それから櫻戸の隣を見て、「おや?」と声を上げた。
風呂敷包みと市女笠、それに竹の杖が一本、置かれている。
「姫は居ないのかい?」
と、石見がいって、櫻戸が「はい」と頷いた。
「少し所用があるそうで。日暮れまでには戻るかと」
「そうですか。まあ、いつものことですからね、うちのお転婆姫さんは」
石見はコロコロ笑った。笑っていたが、目の奥は笑っていないように見えた。
「姫さんというのは?」
「ああ、うちの売れっ子ですよ。幸若を舞うのですが、それはそれは見事なのです」
石見がいうと、櫻戸が後を継いだ。
「歩き巫女もやっていなさるのですよ。治癒の術がよくお出来になると評判なんです」
歩き巫女。特定の神社に仕えず、巫女の技でもって諸国を旅する女のことだ。
病気平癒の祈祷や吉凶の占いなどを行って日銭を稼ぎ、ときに春をひさぐこともある。
旅する女の典型的な職業で、それゆえ、くノ一が変装に使うことも多い。
俺の世界だと、武田信玄の配下、望月千代女が有名で、彼女は信濃に道場を開き、見目麗しい孤児を引き取っては忍びの術と歩き巫女としての修練を積ませ、諸国に密偵として放っていたという。
俺たちがいまはいない歩き巫女の話をしていると、童女が二人、ササッと足下まで寄ってきた。
「じっちゃん、じっちゃん、あたしと美晴も紹介してよっ!」
「……香林、いきなり近づくのは危険。ロリコンかもしれない」
二人とも、十歳になるかならないかの背格好だ。
石見が「おお、そうでしたそうでした」と思い出したようにいった。
「こちらの元気のよいのが香林、その影にいるのが美晴と申します。香林は亀に芸を仕込んでおりましてな、綱渡りなどさせてお客の評判も上々なのですよ」
「お亀だよっ!」
石見に紹介されて、香林と呼ばれた少女は胸に抱えていた緑色の生物をこっちに突き出してきた。
亀ということだったが、外見的には体長三十センチほどのアンキロサウルスに見えた。
それは恐竜じゃないのかと突っ込みたかったが、まあ、ここは異世界、住人が亀といえば亀なのだろう。
香林自身は元気ハツラツといった感じの女の子で、頭のてっぺんに髪を一房結っているのが特徴的だった。
ついで石見はその香林の背に隠れてこっちを窺っている少女を紹介してきた。
「美晴はまだ芸はできませんがいろいろ目端の利く子でしてな、将来有望ということで、一座に加えておるのですよ」
顔立ちの整った、髪の長い綺麗な子だった。
この歳でこれなら、将来とんでもない美人になるだろう。
だが、俺にとってはもっと気になることがあった。
「いまロリコンと聞こえたが……」
このミヨイには不釣合いな表現だ。
いぶかしむ俺の視線に、美晴はパッと駆け出すと、部屋の隅に引っ込んだ。
香林が「あ、待ってよ、お晴っ!」とアンキロサウルスのお亀を抱えて後を追う。
石見は「なにか事情のある子のようでしてな。三浦三崎で所在無げにしておったので引き取ったのですよ」といった。
「あるいは、お知り合いですかな?」
「いや。だが、もしかすると、同郷かもしれない」
「はて、甲州の子とも思われませぬが」
石見は分からないと首を傾げた。
俺たちがそんな話をしていると、側に居た櫻戸が「あの」と声をかけてきた。
「そちらの方はよろしいのですか?」
言われて振り返ると、俺と彦に肩を預けていた弥八郎がぐったりしていた。
すまん、忘れてた。
魂が口から飛び出さんばかりになっている弥八郎を寝かせると、俺と彦もこの宿の世話になることにした。
久しぶりの屋根のある生活である。
夕食を一緒にしながら、芸人たちの面白おかしい苦労譚を聞き、かわりにこっちも武芸の話なんかをして、その日は寝についた。
旅籠の部屋は敷居というものがなくて、男女一緒に雑魚寝なのだが、飯盛り女という給仕役の女中が居て、金を払うと二回の部屋で夜のサービスをしてくれるらしい。
食事を終えると、石見の息子の半蔵と、猿楽師の藤十郎はいそいそと二階に上がっていった。
「お二人はよろしいのか?」
石見が訊いてきた。
正直、ご相伴に預かりたいところだが、隣の彦は櫻戸に酌をしてもらって幸せそうにしている。
あの空気を壊すのは、なるべくならやりたくない。
「寝るよ」
そう答えて、俺はムシロにくるまった。
小田原という大都会にあっても、この世界の夜はやはり早い。
闇に覆われた天からしたたるように落ちた月光が、格子のはまった窓から板の間に寝る俺を照らしている。
月の雫は二〇二五年の日本と違ってほのかに青い。
空気中の塵が少なく、またギラギラした外灯もないから、弱い青光が妨げられずに届いているのだ。
「……義姉さん?」
まどろみの中で声をかけられた気がして、俺は目を覚ましていた。
四時間くらいは寝ただろうか。
寝ぼけ眼で月光を見つめていると、外から微かに人の声が聞こえた。
合間に、鋼の打ち合わされる音もする。
ケンカか何かだろうか。
部屋の中を見回すと、二階に消えた半蔵と藤十郎以外のメンツはムシロを被って寝息を立てている。
彦も酒臭い息をしながら俺の隣で寝ていた。
居ないのは、櫻戸の隣に帰ってくることになっていた「姫」という人物だけだ。
「……浄天眼」
俺は、赤く光る両目を音のする方角の壁に向けた。
途端に俺の視界は壁の木目を抜け、宿の裏手にある路地裏へと行き着く。
そこでは黒装束の一団に囲まれた女が一人、逆手に持った忍者刀で孤軍奮闘していた。
紫色の忍装束を着て、やはり紫色の布で覆面をしている。長い黒髪は、ポニーテールにして頭の後ろで結わえられていた。
そんな格好でどうして女か分かったかというと、大きな胸が、忍装束をぴっちりと押し上げていたからだ。
「貧乳はくノ一に非ずってか?」
俺は村雨をひっつかむと、旅籠の外へ飛び出した。
ムシロを跳ね上げて駆け出したのは俺一人ではない。
さっきまで寝ているように見えた櫻戸までが、薙刀を抱え、小袖をたすき掛けにしてついてきていたのだ。
「どうしてついてくる?」
俺の問いに、櫻戸はニコリと笑った。
「姫様のところに行かれるのでしょう?」
「お前の言う姫様を俺は知らん」
「では何をしに出られます?」
「くノ一が一団に囲まれている。その見物だ」
「危なくなったら、そのくノ一に助太刀下さいますか?」
「姫様とくノ一は同一人か?」
櫻戸は曖昧に笑うだけだ。
まあ、もう答えを言っているようなものだけどな。
「義姉さんが夢枕に立った」
「義姉上様、ですか?」
櫻戸は「なぜいまそんな話を?」という顔をする。
「別に意味が分かる必要はない。義姉さんが俺に会いにきた。理由はそれだけで充分だ」
路地裏に行き着くと、俺は飛び上がって村雨を鞘ぐるみ引き抜いた。
漆黒の鞘が、黒装束の胴を凪ぐ。
――ドウッ!
と、敵の一人が吹き飛ぶ様に、くノ一の大きな目が驚きで見開かれた。
その目に告げる。
「世良田巴信康である。見知りおけ」
言いながら、返す刀で、向かってきたいま一人の黒装束の面を打つ。
残りは三人。
櫻戸がくノ一の守りについたのを確認すると、俺は鞘に納まったままの村雨を正眼に構えた。
「月が青いな」
声をかけると、黒装束たちはキョトンとしてしまった。
連中にとっては当たり前のことなのだろう。
だが、俺からすれば違う。
「こういう綺麗な月夜を血で汚したくはない。退いてもらえないか?」
俺の申し出に、黒装束の一人が目を細めた。
覆面で見えないが、おそらく笑ったのだろう。
「何を言い出すかと思えば」
「とんだ腑抜けだな、こやつは……」
「その女の命、どうあってもここでもらわねばならぬ!」
三人が三人共、拒絶の意志を示す。
俺は重ねて言った。
「いまなら気絶している二人を抱えて帰れる。もう一人が倒れたら、退くに退けなくなるのはお前たちだと思うが?」
「いらぬ世話だ。事情もよく知らぬ者がしゃしゃり出るな」
「事情なら、だいたい知っている」
浄天眼で見たからな。
「そこのくノ一は加賀美家の忍びだろう? で、お前たちのところに潜り込んで、仲間のフリをしていたわけだ。それが分かったから、お前たちは慌ててソイツの口をふさごうとして、こんなところでチャンバラする羽目になった」
――違うかね、風魔の衆よ。
言った直後、クナイが俺の喉元を狙って飛んできた。
俺は左手で脇差を抜き様、クナイを弾くと、右手に持った太刀を前方に突き入れた。
漆黒の鞘尻が、不意を討とうとした風魔忍の腹部をえぐる。
「げぇっ!」
覆面の下で嗚咽を漏らし、三人組の一人は路地裏にもんどり打った。
気絶はしていない。彼らが引き揚げるとすればここが限界点だろう。
「さて、どうするね?」
問いに、リーダー格らしき黒装束は「ちっ!」と舌打ちした。
さすがに分が悪いと感じたのだろう。
「恋風、その首、しばし預けたぞ」
気を失っている二人をそれぞれが肩に担いで飛び上がる。その後を、腹を抑えた最後の一人が追っていった。
「こんなものでよかったかな?」
俺が訊いたのはくノ一に寄り添っている櫻戸に対してだ。
彼女はニコリと微笑むと頭を下げてきた。
「ご助力、かたじけなく存じます」
「なに、気まぐれみたいなものだ」
正直、寝起きに西野義姉さんの声を聞いたから、手助けする気になったにすぎない。
村雨を腰に戻しながらくノ一に視線を向けると、射抜くような眼でこっちをにらんでいた。
かばわれたことが気に入らない。そんな感じの眼だ。
俺としても感謝されたかったわけではないので、別段、不満はない。
「今夜は、旅籠に戻らない方がいいだろう」
後をつけられれば、石見たちも一味として追撃の対象にされかねない。
頷く櫻戸と、なおもにらんでくるくノ一を残して、俺はその場から走り去った。
いまから新しい宿を探すのは困難だ。となれば、またどこかの軒下を借りることになるだろう。
やっと屋根の下で寝られると思ったんだがな。




