第三十三幕「決着」
「行くわよ、メラ、パト、ティラ、カブ!」
ティルの呼びかけに、四体の魔製獣はそれぞれ咆哮を発して答えた。
僕はこいつらについて大して詳しいわけじゃないけれど、頭を左右に激しく振る様を見るとかなりやる気のようだ。
ここは援護してやらなくちゃと、僕は空中に指先を走らせた。
緑色の光が文字を描き、その文字に魔素・ヤドリギがワラワラと集まってくる。
決闘場のギャラリーが何事かと僕の右手に注目するのが分かった。
そういや、この魔法を家族以外に見せるのは初めてだったっけ。
右の掌でお祭りみたいにはしゃぎ出したヤドリギを抑えつつ、僕は足裏に起こした風に乗って空中に飛び上がった。
「いっけぇぇぇえええっ!」
――グランツ・デア・シュトルム!
のっけからの最上級魔法。
たとえ援護射撃だからって手を抜く気はさらさらない。
むしろ、一発一発を全力でいかないと、ゲッツには勝てない気がしていた。
七歳の子供が無詠唱で最上級魔法を放ったことに、ギャラリーは悲鳴を上げた。
それもそうだろう。普通この規模の魔法を撃ったら数十メートルの範囲で地形が変わる。
ボクシングのリングよりずっと小さい決闘場なんてあっさり飛び越えて、ギャラリーたちまで巻き込むのは明白だからだ。
もちろん、僕はそうなったときでもこの緑の風をうまく制御する自信があったのだけれど、直撃を受けるはずだった相手、鉄腕ゲッツの方が一枚上手だった。
「へっ、そう来るだろうってのは分かってんだよ!」
ゲッツは稲穂色の髪を逆立てながら、右手の甲を前に突き出した。
義手の中に内蔵された碧いリングが高速で回転しながら、吹き荒れる緑の旋風を吸い込み、ヤドリギが形成した魔法を分解していく。
どうやらあのオリハルコンの腕、魔法無効化の機能を有しているらしい。
「てめぇらみてぇなチビ助が自分で闘うなんて言い出すときはな、だいたい魔法に自信があるって相場が決まってんだ!」
どうやらこっちの手の内は最初からバレていたらしい。
だけど、僕に焦りはなかった。
こっちだって事前調査はちゃんとやっていたんだ。
相手が盗賊騎士、鉄腕ゲッツだってことも、その右腕が特殊だってことも知っている。
当然、魔法無効化についても対策済みだ。
「随分、余裕ですけど、僕たちだって魔法に頼らない戦法くらい用意してますよ」
僕の言葉に、ゲッツは怪訝そうに顔をしかめ、しかし、緑風の横で起きていた事態に気付いて表情を硬直させた。
まあ、そういう風になるのも当然だよね。
僕も初めて見たときは我が目を疑ったもの。
まさか、こんなファンタジーまっしぐらの世界で合体ロボットが出てくるなんて、誰も思わないだろう。
僕が時間を稼いでいる間に、ティルの四体の魔製獣たちは行動を開始していた。
まずパトカーのパトが人型に変形し、さらにX字型に自分の身体を組み替える。
ついで飛び出したのは雪ヒョウのメラだ。体表をメカニカルに変じさせ、四肢を折り畳んで頭部を中央に置いた箱を形作ると、X字になったパトの上部にドッキングする。
さらにタイラント・レックスのティラが、小さな前脚を収納した上半身と、後ろ脚を切り離した下半身を二つに分かつ。
ティラの太い後ろ脚はそのままパトのX字の下方に差し込まれ、二つになった胴体はそれぞれ右腕と左腕になって、メラの顔の横に取り付いた。
仕上げとばかりに、巨大芋虫のカブが一気に仔牛ほどもあるヘラクレスオオカブトに成長し、透明な翅を震わせて上空に舞い上がる。
カブの身体は頭部、胸部、腹部の三つに分裂。
腹部はさらに縦に割れて、下駄としてティラの足を底上げし、胸部は翅を広げたままバックパックとしてパトの背面に覆い被さる。
最後にメラの上にドカッと乗っかった頭部の黒い外殻がスライドし、中から白いロボットの顔がせり出してきた。
ロボットの顔は五角形の両目と、への字の切れ込みが縦に並んだ口を持っている。
最後にティルが赤紫色の粒子に包まれながら、四体の魔製獣が組み合わさったロボットの中に消えた。
直後、ロボットの五角形の目にエメラルドの輝きが灯り、それぞれの魔製獣の体色のままだった装甲がワインレッドを基調にしたカラーリングへと塗り替えられる。
右手になったティラの口が咆哮を上げ、背面に広がったカブの翅が震動し、胸元から突き出したメラの口蓋が牙を軋らせ、パトの機械的な声とティルの嬉々としたそれが重なって、ロボットは自らが何者であるかを名乗った。
「魔神合体ティル・オイレンシュピーゲルDXッ!!」
その名の通り、天頂を向いたカブの角が道化師のとんがり帽子に見えて、格好良いのだけれど、ある種の滑稽さもかもしだしている。
ゲッツをはじめ、メトロビウスやザシャ、フリードリヒ陛下らギャラリーはポカンと口を開け、目を点にしてしまっていた。
頭の中が真っ白です。もう何が何やら分かりませんって顔だ。
だけど数瞬後、その無感動な顔が動いた。
彼らは眼球が飛び出さんばかりに全長4メートルの合体ロボットと化したティルを見上げ、いまようやく思い出したとばかりに叫んだのだ。
「「「なんじゃこりゃぁぁぁあああっ!!!」」」
まったくである。
でもティルの方は、ギャラリーたちのそんな反応など気にしてすらいなかった。
「ドラゴンファングッ!」
先手必勝とばかりに、右手になったティラの頭をゲッツの上体へ振り下ろす。
――ガインッ!
と、ティラの牙とアイザーネンハントが衝突して、凄まじい金属音が鳴った。
ギシギシと軋みを上げる目前の状況に、ゲッツは楽しそうに口角をつり上げた。
「いいぜぇ、すごくいいぜぇ、チビ助ども。こんなに血沸き、肉躍る感じは久しぶりだぁ……」
「余裕かましてんじゃないわよ。食らえ、ドラゴンテイルッ!」
ティルの左腕が、がら空きになったゲッツの脇腹を狙って横薙ぎの一撃を見舞う。
だけどゲッツは、ティラの牙をつかんだまま引き寄せると、折り曲げた肘でその一撃を受けた。
――ガギッ!
と、またしても金属同士の衝突音が鳴り響く。
身体にかかる負荷はとんでもないことになっているだろうに、ゲッツは微動だにしなかった。
「ははっ、まだまだ甘ぇ!」
「んどりゃざぁぁぁあああっ!」
ティルは意味不明なかけ声を叫ぶと、右手のティラの口蓋をガバリと開いた。
「ゼロ距離ブッパぁぁぁあああっ!」
途端、ティラの口蓋から紅蓮の炎が湧き起こり、牙をつかんだままのゲッツに放射された。
火属性の最上級魔法に匹敵する威力だ。
だけどそんな巨大すぎる火炎放射がゲッツを焼き尽くすことはなかった。
またしても義手の甲に仕込まれた碧いリングが回転し、自身に降りかかる灼熱を吸い上げていく。
「そろそろこっちも行くぜっ!」
炎を粗方吸い取ってしまうと、ゲッツは軽い感じで右腕を「ブンッ!」と振った。
それだけで、ティルの巨体がよろける。
彼女が体勢を立て直そうとしたときには、すでにゲッツは右手を振りかぶっていた。
「アイザーネンハント……」
黒い義手の肩先から、小さな羽根のような突起が飛び出し、そこからヤドリギの緑色の粒子が吹き出す。
「活劇のアインス・グラナーテ!」
傍目にはただの右ストレート。だけど、威力は本物だった。
黒の装甲に碧いリングを灯した拳が、メラの顔をつけたティルの胴体に突き刺さる。
直後、先ほど合体を遂げたばかりのティルの身体がバラバラに砕け散った。
メラ、ティラ、カブ、パトの四体の魔製獣が目を回した状態で決闘場に転がる。
でも、そこで諦めないのがティルだった。
合体が強制解除される中、ロボットの頭部から赤紫の光と共に飛び出した彼女の手には、切っ先鋭いフラガラッハがしっかり握られていたのだ。
「ぜぇやぁぁぁあああっ!」
両手を右肩に上げ、背中に担いだロングソードを力いっぱいぶん回す。
ゲッツはしかし、事も無げに遠心力を乗せた刃を鷲づかんだ。
「軽ぃんだよっ!」
――グルン!
と、ティルの小さな身体が空中でひっくり返った。
まずい。僕は足裏の風を蹴って、二人の間に割り込んだ。
「シュナイデン・ヴィント!」
投げ出されたティルの身体を抱きとめつつ、風のカッターを飛ばす。
緑風の刃はゲッツの義手にぶち当たり、その表面に亀裂を生じさせた。
魔法の分解が効いていない。
いまならやれる。
そう思って今度はグランツ・デア・シュトルムを浴びせたのだけれど、ゲッツのかざした碧いリングのせいで風の最強魔法はまたしてもあっさり掻き消されてしまった。
「なんで!?」
一瞬前はたしかにダメージを与えたのに。
混乱する僕の腕の中で、ティルが悔しそうに歯を軋らせた。
「たぶん、あたしを攻撃したからよ。アイツのあの腕、攻撃と防御が両立できないのよ。それよりも……」
――キッ!
と、ティルが殺気だった目で僕を見た。
「なんで合体が解除されたときにぶっ放さなかったのよ、マクシー!」
「え、や、でも、そんなことしたらティルが巻き込まれて……」
二人があまりにも接近していたから、さっきまで僕は援護射撃ができなかったのだ。
けれど、ティルはそういう僕の思考自体に不満みたいだった。
「あたしごとやりなさいよ、おバカッ!」
声を荒げて、彼女はいった。
「アンタちゃんと分かってんの!? この決闘にはペネロペや父さん、母さん、ガッティナラたちの命までかかってんのよ!? そうしなくて良い道もあったのに、あたしたちがみんなを巻き込んだの! だったら、捨て身で勝ちを拾いに行くしかないでしょ!!」
「で、でも……」
「でもじゃない! 目の前のアイツを見なさい! あれが一筋縄で行くような相手に見える!? RPGの一面ボスみたいに安全マージンさえとってれば木の棒で倒せちゃうようなヤツに見える!? 違うでしょ!! 百戦錬磨の相手を倒すには、こっちも形振りかまっちゃダメなのよ!!」
ティルに気圧されて、僕は思わず視線をそらした。
でも僕に逃げ場なんてのは残されていなかった。
僕が視線を向けた先には、積み上げられた薪に座らせられているペネロペの姿があったからだ。
その隣には同じようにメトロビウスが薪に腰かけている。
この決闘で敗北したどちらかが火あぶりになる。そして僕たちが負けた場合、真っ先に犠牲になるのはペネロペだった。
忘れていたわけじゃない。覚悟がなかったわけでもない。
でも、僕の覚悟は自分を犠牲にする覚悟だった。自分だけが傷つくことを想定した覚悟だった。
それじゃダメなんだといまさら気付いた。
自分の大切な何かを守るためには犠牲が必要なんだ。
魔女裁判のとき、ガッティナラたちはペネロペを犠牲にして他の家族を守ろうとした。
それを僕たちがさえぎって、決闘裁判という危ない橋をみんなで渡る道へと引きずり込んだ。
なら、他の誰か、僕たちにとって大切じゃない誰かに代わりに犠牲になってもらうしかない。
みんなで幸せになるっていうのはそういうことなんだ。
僕に必要な覚悟っていうのは、そんな理不尽を押し通すってことなんだ。
「……わかったよ、ティル。だけど、リスクを背負うなら二人一緒だ」
僕たちは頷きを交わして立ち上がった。
――すべては今度こそ幸せになるために。
転生した直後、二人で語った未来を思い出す。
僕らはロングソードを抜き放つと、縦に並んで鉄腕ゲッツに対した。ティルが前衛、僕が後衛だ。
僕らが捨て身で行くことを察したのだろう。
ゲッツは右の義手を大きく振りかぶった。
「新劇のツヴァイト・グラナーテ!」
おそらくは魔素・ヤドリギをまとった大出力の右ストレート。
間合いの外にあっても、緑色の波動が僕たちに迫りくる。
ティルが盾になってその衝撃を受け止めた。
「ぐぬっ!」
ワインレッドの髪が棚引き、頭に被ったベレー帽が飛ばされる。
羽織ったハーフマントはズタボロで、ヴァルブルガに作ってもらった胸甲にも亀裂が走った。
だけど、僕はそんなティルを助けなかった。
耐え忍ぶ彼女を置き去りにして右から迂回し、穴の中のゲッツに接近する。
アイツが防御に徹している間は魔法が効かない。
それなら、あえて攻撃させてその隙に至近距離から必殺の一撃を叩き込むしかない。
「えりゃぁぁぁあああっ!」
僕はエッケザックスの刃に風魔法を乗せて斬りかかった。
魔法無効化はない。これで決まる。
「だから甘いってんだよ!」
ゲッツはティルから僕に視線を移すと、もう一度拳を振りかぶった。
「連撃っ!?」
「いくぜぇっ!」
――惨劇のレッツテ・グラナーテ!
攻撃こそ最大の防御ってわけか。
魔素をふんだんに含んだ波動が今度は僕に降り注ぐ。
「うぐぁぁぁあああっ!」
アイスピックで全身を突き刺されたような痛みが僕を襲った。
なんて鋭くて、なんて冷たくて、なんて残酷な感覚なんだろう。
七歳の身体に、この攻撃はダメージが大きすぎる。
だけど、
「妹が耐えたのに、兄貴が男を見せないわけにはいかないでしょぉぉぉおおおっ!」
僕はさらにゲッツに近付くと、エッケザックスの刀身を右手でつかんだ。
ハーフソード。ロングソードの技法の一つで、突きを正確に行うため、自傷覚悟で刀身をつかんで攻撃する技だ。
僕は穴の淵ギリギリからこのハーフソードでエッケザックスの切っ先をゲッツの手の甲から露出している碧いリングに突き入れた。
右の掌が切れて血が吹き出す。もっとも、ゲッツの攻撃を受けて僕の全身はすでに血まみれだった。
だから、もう防御なんて考える必要もない。ここで三度目の正直だ。
「グランツ・デア・シュトルムぅぅぅうううっ!」
二度目の人生で初めて覚えた風の最上級魔法。
何度も失敗したけれど、僕にとってこの魔法はずっと隣にあった相棒だ。
その威力を、僕は他のどんな魔法よりも信頼している。
エッケザックスの剣先に生み出された緑光の嵐は、僕の気持ちを酌んでくれたみたいに吹き荒れて、アイザーネンハントの碧いリングを割り砕いた。
「まだまだぁぁぁあああっ!」
僕はエッケザックスの柄尻についたリングをガジッと噛むと、空いた左手で宙に呪文を描いた。
グランツ・デア・シュトルム。それも十連撃だ。
とにかく撃つ。撃つ。撃ちつくす。
やがてアイザーネンハントは亀裂を大きくし、内部から崩壊した。
――やったか!?
と、思ったとき、脇腹に「ドカッ!」と鈍い重みがきた。
ゲッツが残った左手で僕の胸甲を叩いたのだ。
いや、叩いただけじゃない。その手には腰から抜き放ったダガーが逆手に握られていた。
「ぐっ、このっ!」
最初に素手で相手をすると言っていたくせに、ピンチになったから前言撤回ってことらしい。
だからって僕はそれを卑怯だとは思わなかった。
手加減自体、ゲッツが勝手にやっていたことだ。
「……第一、こっちは二人だからね」
苦々しげに顔を歪めたゲッツのかたわらに、ティルが立つ。
頬に血涙の伝った痕があった。
「もう、魔法無効化はないんでしょ?」
――ニコリ。
と微笑むティル。
焦った様子で左腕を伸ばすゲッツの身体を紅蓮の炎が包んだ。
火魔法、フォイアー・プファイル。
初級の攻撃魔法だけれど、ティルが使えばその威力は折り紙つきだ。
火達磨になったゲッツは悲鳴を上げながらのた打ち回り、やがてぐったりと穴の淵に倒れ伏した。
一瞬、呼吸を忘れたような沈黙が決闘場を覆い、しかしすぐに割れんばかりの歓声がそれをくつがえした。
勝った。僕とティル、そしてペネロペが勝ったんだ。
僕らが顔いっぱいに喜びを表して振り返ると、ペネロペは両手で口元を抑えていた。
その両目からは、涙がポロポロと流れ出ていた。
こうして、僕らの決闘裁判は終結したのだった。




