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第四幕「正ヒロイン」

 再び目覚めたとき、最初に思ったのは死にそうだということだった。


 とにかく身体の芯の芯、背骨の中からぞわぞわとした寒気が湧き出てきて、でも頭は(なまり)を落とし込まれたように鈍くて重い。


 異世界という慣れない環境、徹夜の後の逃亡劇、そして濁流(だくりゅう)への転落で、俺の身体は悲鳴をあげていた。


 身体が弱れば気も弱くなってくる。


 俺はこのどうしようもない異世界召喚に心底嫌気が差していたし、そればかりでなく、両親が死んだこと、志望の大学に入れなかったこと、まともに就職できなかったこと、職場の人間関係がうまくいっていなかったことまでが、俺という人間の人生を否定するために運命のやつがしくんだ罠のような気さえしていた。


「いっそ、殺してくれ……」


 垂れ流した涙と鼻水が落ちたのは、粗いつくりのムシロの上だった。


 俺はあばら家の板の間に、ムシロをかけて寝かされていた。


 板の間は、六畳もない広さしかなく、中央におかれた囲炉裏(いろり)のせいで、余計にせまく感じられた。


 俺は囲炉裏を背に、壁に向かって身を横たえている。


 なのに、俺の目の前にあるのは壁ではなかった。


 白いふっくらとした胸が、そっと俺の顔をつつむように押し付けられた。


「そんなことを言ってはだめよ。せっかく拾った命なんですもの」


 重いまぶたをなんとかあげて、視線を向けると、黒髪の美女が俺の頭をかかえて微笑んでいた。


 色白で線が細い。


 うっかりすると溶けてなくなってしまうのではないかと心配になるほど繊細(せんさい)(はかな)い印象を見るものに与える。


 美女は俺の頭を撫でながら、子守唄のようにやさしくささやいた。


「いまはゆっくり眠りなさい、(ともえ)ちゃん」


 どうして俺の名前を知っているのだろうと思ったが、そういえばちょっと前に少しだけ目を覚まして、そのとき名乗ったような気がする。


 記憶があいまいすぎてよくわからない。


 この美女の名前も聞いた気がする。


西野(せいや)さん……西野さんの名前ってなんでしたっけ?」


 俺がそう聞くと、西野さんはくすくすと笑った。


「寝ぼけているの? いいのよ。そのまま寝ちゃいなさい」


「はい……おやすみなさい、西野さん」


「おやすみなさい、巴ちゃん」


 西野さんの温かさに包まれながら、俺は再び眠りについた。


 ゆっくりと意識が現実から夢の中へともぐっていく。


 やがて夢の中で、俺は崖から飛び降りていた。


 追い詰められたときの記憶だろうかと考えたが、不思議なことに、夢の中の俺は崖から飛び降りるあの時の俺自身を見つめていた。


 喪服姿の俺は、右手に持ったネクタイを途中に張り出した枝にひっかけながら速度を殺し、やがて濁流の中に落ちた。


 衝撃で気を失ったのか、ぐったりした様子のままどんぶらこと川を下り、しばらくして中洲にボロ雑巾みたいにひっかかる。


 さすがにこれは死んだだろうと、横から見ていた俺自身、疑ってしまうくらい悲惨なありさまだった。


 そこに野良着(のらぎ)姿の女が二人、洗濯物を(かつ)いでやってきた。


 一方は色白で線が細く、いま一方は日に焼けて真っ黒だった。


 しかし対照的な肌の色とは違い、二人の女はよく似ていた。


 特に(つや)やかで長い黒髪と、強い意志を感じさせるキリリとした目つきがそっくりだ。


 二人を知らない人間でも、一目見れば彼女たちが姉妹であることがわかっただろう。


 西野さんとその妹の折花(おりばな)だ。


 俺を最初に見つけたのは折花の方だった。


「うわ、土左衛門(どざえもん)。朝からいやなもの見たわ」


 日に焼けた眉間にしわを寄せ、嫌悪感たっぷりにつぶやく。


 こんにゃろう、瀕死(ひんし)の人間に向かってそれはないだろう。


 こういうときは一も、二もなく助けるのが人情ってもんでしょうよ、御嬢ちゃん。


 その点、姉の西野さんの方はさすがだった。


 余計なことはなにも言わず、少し焦った様子で浅瀬を渡り、中洲の端に横たわった俺を抱き起こす。


 折花が「そんなやつ放っておきなさいよ!」とぷんぷん怒りながら後につづいた。


 まったく、姉はこんなに人間が出来てるのに、こいつはなんなんだろうね。


 外見はそっくりのくせに中身は全然別物といった感じだ。


 妹の心無い声を聞いても、西野さんは俺を見捨てなかった。


 呼吸と心音を確かめ、死んでいないことが分かると心底安堵した様子で「ほっ」と息をもらす。


 それから妹の方を振り返って、家に運んで看病しようと提案してくれた。


 地獄に仏とはこのことだ。


 このときの俺はもちろん意識を失っていたけれど、もし万が一、気がついていたら感涙でむせびながら平身低頭したことだろう。


「自分だって半分病人のくせに!」


 と、折花は悪態をついたが、それでも結局、西野さんを手伝って、俺を抱えて歩き出した。


 もしかしてツンデレってやつなのかもしれない。


 二人が俺を担ぎ込んだのは、吹けば跳びそうなあばら家だった。


 そこで父の世良田(せらた)次郎三郎(じろさぶろう)と親子三人で暮らしているらしい。


 母親がすでに他界していることは、二人の会話からなんとなく分かった。


 次郎三郎さんは運ばれてきた俺を見て、


「若い男か……」


 と、なにやら意味ありげなセリフをつぶやいたが、意識を取り戻すまで看病するということについては反対も賛成もしなかった。


 この件について、四十そこそこの父親は娘たちの意見に従うことを選んだらしい。


 俺は西野さんが普段使っているムシロの上に寝かされた。


 布団はどうしたって? ねーよ、んなもん。


 なので冷え切った俺の身体を温めるため、西野さん自身が添い寝してくれることになった。


 決して役得だなとか思ったりしていない。


 西野さんの胸が痩せた四肢に比べて不釣合いなくらいたわわだということも、この際関係はない。


 断じてないったらないのだ。


 西野さんは自分も身体が弱くて、しょっちゅう寝込んだりしているらしい。


 だというのに、見ず知らずの俺のためにここまでしてくれたのだ。


 やましい気持ちなんて持ったらそれこそバチが当たるだろう。


 やがてムシロの中で震えていた俺が目を覚ますと、夢の中の俺も同時に目を覚ましていた。


 すでに家の中は暗くなっていて、世良田親子は囲炉裏を取り囲むようにして、それぞれムシロをかぶって寝ている。


 虫とカエルの鳴き声しかしない板の間で、西野さんのコホコホとこもった咳だけが響いた。


 すっかり体調のよくなっていた俺は、ムシロを彼女の身体にかけなおし、彼女が俺にそうしてくれたように、そっと彼女の身体を抱きしめた。


「ありがとう」


 特に意識したわけでもないのに、そんな言葉が口をついてでた。


 腕のなかで、西野さんの口元が穏やかに微笑んだ。


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