第二十九幕「リリカル、リーガル、魔女裁判〔その2〕」
正直に言えば、僕とティルが弁護人として認めてもらえるかは五分五分の賭けだった。
なにせ、被告であるペネロペの承諾すら僕らは受けていない。
ボルギアかリヒロイ、もしくはクレーマーが彼女の意志を確認していれば、こんな付け焼刃な計画はすぐにでも破綻していただろう。
だけどそうはならず、僕とティルが悠々と弁護人席に腰かけることができたのは、ひとえにボルギアたちの政治的な思惑によるものだった。
向こうとしては、逃げの一手を決め込んでいる相手の親族が自分から罠に飛び込んできたのだ。見逃す理由はどこにもない。
むしろ、背伸びした生意気なガキ二人をやり込めれば、もれなく本命を引きずり出すことができるとあって、彼らは気持ち悪いくらい僕らの参加に好意的だった。
リヒロイはすまし顔で進行を続けたし、ボルギアは愛想の良い笑みを崩さなかった。
クレーマーも最初こそ動揺していたが、いまは余裕綽々だ。
ただ一人、ピッコローミニだけが心配そうにしていたが、こうなっては後の祭りだった。
逆に名乗った上で追い出されれば、ペネロペと共倒れになると分かっているので沈黙をつらぬいてくれている。
この清廉で優しい人が枢機卿になってくれて、本当によかったと思えた。
初対面のとき「ザ・糞・ふぉーん」とか叫んでしまった自分がとても恥ずかしい。
「ありがとう」
僕は口の形だけで、感謝の意を小さな猊下に伝えた。
彼は「分かっていますです、ハイ」と言った様子で頷いてくれた。
僕らが秘かにそんなやり取りをしている間にも、裁判は続いた。
基本的に、公判の流れってやつは原告側が起訴に至った理由や証拠、被告人への質問をやってから被告側の弁論に入る。
つまり、いまはあっちのターンってわけだ。
クレーマーは捻じ曲がった唇に皮肉気な笑みを浮かべてしゃべっていた。
要約すると、彼の主張はこうだ。
ペネロペは僕らの父さんと共謀して悪魔崇拝を広めるためイシュタリエンからやってきた。
カモフラージュのため教皇庁から派遣されたように装ったが、信徒台帳に名前がないという致命的なミスをしたため、事が露見した。
証拠はこれといってなく、取調べの際も悪しき魔法にかかっていたせいで沈黙していたが、神の力を得たムチでその魔法を解除することに成功したため、自白に至った。自白は証拠の女王である。
情状の酌量についても、犯行の悪質さ大胆さともに例をみないものであるため、考慮に値しない。
よって火刑の執行を要求する。
「……デタラメだらけだ」
「……これで連戦無敗だってんだから反吐が出るわね」
僕とティルは、クレーマーに負けないくらいの笑みを浮かべながら囁きあった。
特に酷かったのは被告人質問のときだ。
ペネロペは「それは何かの間違いです、私もラタトスク公爵閣下も悪魔崇拝などしておりませんし、自白もした覚えがありません」と主張しているのに、クレーマーもボルギアもリヒロイも、無視して取り合わなかったのだ。
自白した場合、その書面には本人のサインが必要なのだけれど、それも明らかにペネロペの字ではない筆跡でデカデカと記してあった。
強引っていうか、露骨すぎていっそ笑えてくる。
「どうあっても有罪にする気みたいだね」
「はん、上等じゃないの。誰を敵に回したか思い知らせてやるわ」
「敵って言えば、あいつがいないね」
「あいつ?」
「あのメトロビウスとかいうオカマエルフだよ」
国際会議の場では、あいつの証言でザシャが告訴に踏み切り、ボルギアが受理していた。
すべての元凶はあいつだったと言っても良い。そんな男が証言に現れなかったのだ。
トラブルか、あるいは罠か。
僕の懸念に、しかしティルはやれやれと首を横に振った。
「居ないもんはしょうがないでしょ。そんなことより、いよいよこっちのターンよ」
「……うん」
敵のターンは終わった。
今度はこっちの番なのだけれど、いかんせん、手札が一枚もない。
まあ、弁護人になるって決めたのが昨夜だからね。証人や証拠をそろえる時間なんてなかったのさ。
でもだからって闘えないわけじゃない。
手札にジョーカーがないなら、相手のジョーカーを奪ってしまえばいいんだ。
僕はクレーマーへと視線を向けた。
彼は「さあ、やれるもんならやってみな、小さな弁護士くん」とばかりにおどけて見せた。
いいさ、そんなに潰して欲しいならやってあげるよ。
僕は大きく声を張った。クレーマー検事の主張はまったく真実ではないと。
ボルギア枢機卿は、この一方的なゲームの勝ちを確信しているからか、穏やかな声音でいった。
「真実ではないとは、どういうことですかな公子?」
僕は人差し指をピンと立てて応じた。
「まず一点、僕らの父ジギスムントと被告が結託していたという嫌疑についてですが、これは明らかなデタラメです。なぜなら、彼女を家庭教師に加えてほしいと願い出たのは僕と妹なのですから」
「君たちが自ら希望したと?」
「そうです」
対面に立ったクレーマーは小馬鹿にした様子で肩をすくめた。
「これはこれは、突進公はよいお世継ぎをお持ちだ。健気にも自分を犠牲にして父親をかばおうとは」
「かばっているわけではありません。そうだよね、ティル?」
「ええ、そうよ。言いだしっぺはあたし」
赤毛の妹はコクリと首肯した。
「しわくちゃの年食ったおっさんなんかじゃやる気が出ないって言ったの。だってそうでしょ? あたしたちは当時三歳だったのよ。若くて美人で異国情緒に溢れた先生に教えてほしいって思うのは至極真っ当じゃない。ま、いまは渋いおじ様も大好きだけどね」
ティルはそういって、ピッコローミニにウインクした。
好々爺然とした次席判事はまんざらでもない様子でニコッと微笑した。
クレーマーはムッとした表情で反論してきた。
「それを証明する証拠はお持ちか?」
「証拠はありませんが、証人はおります。ピッコローミニ枢機卿猊下、初めてお会いしたときのことを覚えていらっしゃいますか?」
僕の質問に、ピッコローミニは赤帽子を乗せた小さな頭を縦に振った。
「ええ、昨日のことのようにはっきりと覚えておりますです、ハイ」
「そのときの様子を話していただけますか?」
「ええ、もちろんです、ハイ。あなた方二人は拙僧が馬車から降りてくると大変ご立腹な様子でした。話が違うと。しかし、拙僧の後でそこなペーネロペイアが現れますと、まるで生き別れの姉妹を見つけたように喜んでおりましたです、ハイ」
「恐れ多くも枢機卿猊下の確認を取れましたので、こちらからもクレーマー検事に質問させていただきます。いったいあなたは何を根拠に僕らの父ジギスムントと被告が結託して悪魔崇拝を広めようとしているなどという妄想をこの場で披露なさったのですか?」
クレーマーは「ふん、そんなもの」とあくまで強気な姿勢を崩さなかった。
「ここに本人のサイン入りの供述書があるからです。自分は魔女であり、ラタトスク公と密約があったと」
どうだと言わんばかりに茶色がかった書面を突き出してくる。
隣でティルが「異議有りっ異議有りっ異議有りっ!」と椅子の上で腕を伸ばしながらピョンピョン跳ねた。
「そんなもん、なんの証拠にもなんないわよ! 字だってペネロペのじゃないし、第一、拷問してとった供述でしょ! 信用なんか出来ないわ!」
「失敬な! これは神の力で悪しき魔法を解除したがゆえに得られた真実の言葉なのだ! それ以上の世迷言は神への侮辱と受け取りますぞ!」
いつもならこの言い回しで相手が黙るのだろう。
そうやって、この異端審問官は魔女裁判を勝ってきたのだ。
でも、今回ばかりは違う。
ティルは腰に手を当てると、ドンと胸を張って一歩も退かなかった。
「へえ、その神の力でなら魔法を解除できるってぇの?」
「当然だ!」
「だったら見せてもらおうじゃないの」
ティルは弁護人席を離れると、そのまま礼拝堂の中央まで進み出た。
「あたし、魔法で自分の防御力アップするから、アンタ、その神の力で解除してみせなさいよ」
「な、なんだと!?」
「その真実を吐き出させるムチが本物かどうか証明してみせろって言ってんのよ! 本当に魔法を解除できるなら、あたしの身体に傷がつくはずでしょ? あたしが傷ついたらアンタの勝ち。傷つかなかったら、その胸糞悪い供述書は引っ込めなさい!」
クレーマーは「本気か?」と僕の方に視線を向けてきた。
「ええ、妹の言う通りにしてください。これは実験です。異端審問官殿の主張が真実か。そして、この裁判を天上の父たる主がどのようにお考えになっているか知るための実験なのです」
子どもにここまで言われたら乗ってこざるを得ないだろう。
案の定、ボルギアからクレーマーに無言の指示が飛んだ。「やれ、黙らせろ」と。
クレーマーは最初こそためらっていたけれど、徐々にその顔に暗い悦楽を浮かべだした。
この野郎、さては神の力がどうのじゃなくて、単に人をムチでブッ叩くのが好きなんだな。
うわー、超変態だよー!
僕が内心でドン引きしていることなど知る由もない検事は、片手に革製のムチを握ると、ティルの背後に立った。
「い、いい、言っておきますが、て、手加減はできませんからね! や、ややや、やれと言ったのは君たちなのだ!」
もう辛抱たまりませんといった蕩け顔でクレーマーのやつはほざいた。
ちょっとちょっと、神父がムチ持ってその表情はマズイでしょう。
っていうか、ちんちくりんのティル相手にその反応ってことは、ペネロペのときはさらに興奮してやがったんだな。
他人の嫁になんてことしてくれてんだ。絶対許さん。
「ふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふふっ!」
クレーマーは気味の悪い声を出しながらムチを振りかぶった。
そのまま二度、三度、四度とティルの小さな背中を力いっぱい打ち続ける。
「こ、これは、れは、違うのだ、のだ! わた、わたわた、私は喜んで、などなど、いないない、いない! 神が、主が、私に、お仕えする喜びを与えてくださっているだけだけだけだけ、なのです! んひぃぃぃいいい、信仰サイコォォォーーー!」
いや、お前がサイコだよ。
なんだあれ、よだれ垂らしまくってるじゃないか。
瞳なんてぐるんぐるん回りすぎて渦を巻いている。
前世でもああいう趣味の人がいるとは聞いていたけれど、間近でみると迫力が凄まじい。
狂態を演じる検事に、滅多打ちにされているティルは、だけどピクリとも動かなかった。
傍聴席にいる市民たちは、いたいけな少女に降りかかる暴力の雨に息を呑んでいる。
若い町娘の一人が泣きそうな声で「もう、やめて」とつぶやくのが聞こえた。
それでも、僕も判事席にいる枢機卿たちも、誰もこの状況を止めなかった。
正面を向いているティルの顔がいつまで経っても余裕を崩さなかったからだ。
結局、一番最初に音を上げたのはクレーマーの握っていたムチだった。
検事が熱烈に振りまくったせいなのか、もしくはティルが頑丈すぎたのか、先端に革を仕込んだそれは半ばからボッキリと折れてしまったのだ。
クレーマーは肩で息をしながら「どうですか? あなたの魔法は解けましたか?」と問いかけた。
ちゃんと効果があったはずだと確信している者の言葉だった。
しかし、彼は趣味に走りすぎて見落としてしまっているらしい。ティルの背中は傷つくどころか着ている服すらそのままだったのだ。
「はい、神父様、あたしにかかっていた悪しき魔法は取り払われました」
なのに、ティルの口から出た返事は真逆のものだった。
クレーマーは額の汗を拭き、満足げに頷いた。
「よろしい。では真実を口になさい。いまのあなたは神の真の御威光を知りました。もう虚偽の汚泥の中に自らの心を浸し続ける必要はないのです」
「はい、神父様、わたくし、ディートリント・フォン・ローテンシルデは真実を告白いたします」
ティルはそういうと、爽やかな笑顔を浮かべて背後の傍聴席を振り返り、直後、その表情を憤怒に染め上げて叫んだ。
「みんな見たでしょ! こいつが変態とんでもゲス野郎だってね! こんなやつのせいで家の可愛いペネロペは、魔女にされて、拷問されて、縄で縛られて、火あぶりにされそうになってんのよ! こんな話ってある!?」
叫ぶだけ叫ぶと、彼女は、
――ダンッ!
と石畳を小さな足で打ちつけるように踏みしめ、ギロリと硬直している検事をねめつけた。
「そんなもんで魔法を解除なんて出来るか、ブゥワァァァアアアカッ!」
あまりの態度に唖然とするクレーマーとは裏腹に、傍聴席からは爆発したような歓声が鳴り響いた。
「いいぞ、嬢ちゃん!」
「なんだい、あのエルフは魔女じゃなかったのかい!?」
「おい、白教会の陰謀なんだってよ!」
「そんな小さな子まで拷問して、恥ずかしくないの!」
場の空気が、急激にこちらに傾く。
僕は傍聴席の端にいた例の無精ひげの男へ合図の頷きを送った。
男もまた頷き、周囲に集めていた仲間たちと声を張り上げる。
――赤い盾!
僕とティルが裁判の前に仕込んでおいたサクラたちだ。
彼らの声が呼び水となって、礼拝堂は一気に赤い盾コールに包まれた。
これで聴衆はみんなこっちの味方に付いた。
僕は中央の判事席に座るボルギアを見上げていった。
「主席判事殿、クレーマー検事の提出なさった供述書には証拠能力がないと言わざるをえません」
ボルギアは「うっ」と短くうめき、それからクレーマーをにらんだ。「何をやっているんだ、馬鹿者がっ!」って顔だ。
慌てた異端審問官は、飛びつくように自分の席に戻った。手札の一枚がダメになった以上、もう一枚のカードを切るしかない。
そして僕の記憶している限り、この場で彼が用意している手札はそれで最後のはずだ。
「き、供述書が疑わしいからと言ってなんなのです! 疑わしいというだけで、あの自白が本物であることは神の御前にて明らかなのです! 何より、こちらの証拠は一つばかりではない! し、信徒台帳です! 連邦のどこの教会にも彼女の名前は記載されていない! 彼女は改宗などしていない! 紛れもなく異端の魔女なのです!」
クレーマーは病んだ雄鶏みたいに早口でしゃべった。
ボルギアは鷹揚な態度で頷くと「弁護人は何か反論があるかね?」と訊いてきた。
こっちも余裕がなくなってきたらしい。段々口調が高圧的になっている。
僕は良い事だと思いながら答えた。
「記載ミスです」
ボルギアもクレーマーもギョッと目を見開いた。
「弁護人、それは……」
「き、聞きましたか!? よりにもよって教会の記録を疑うなど言語道断です!!」
連邦の人間は生まれたあとしばらくすると教会で洗礼を受け、そこで聖火十字教徒として名前が登録される。
だから信徒台帳は単に聖火十字教徒としての証明の他に、戸籍としての役割も果たしている。
そこに名前がないということは、聖火十字教徒としての否定だけでなく、連邦の人間ではないという意味も含まれている。
この国の人間にとってはものすごく問題のあることなのだ。
でも僕は続けた。
「高位聖職者の方々が大勢いらっしゃるこの場で申し上げるのは非常に心苦しいのですが、珍しいことではありません。田舎の僧侶の中には文字の読み書きができず、師から聞きかじったことをそのまま丸暗記して信徒に伝えている者もかなりの数いるのです。実際、信徒台帳の記載ミスは毎年多くの訴訟の原因となっています。今回の場合も、被告はイシュタリエンからやってきた改宗エルフですから、なんらかなの手違いで名前が抜けてしまったのでしょう」
「そ、それを証明することはできるのかね!」
クレーマーは金切り声を上げながらこっちを指さしてきた。
「残念ながらできません」
「は、ははは、お聞きになりましたか皆さん! つまり、弁護人は根拠のない誹謗中傷で教会の権威を貶めているのです! 真実は一つだ! そこのエルフは聖火十字教徒ではない! 信徒台帳に名前がないということはそういうことなのです! あの女は異端なのだ!」
クレーマーが勝ち誇った態度を見せた瞬間、傍聴席の後ろの方でどよめきが起こった。
礼拝堂の扉を開けて、ガッティナラをはじめローテンシルデ家の人間たちが慌てた様子で飛び込んできたからだった。
その中には護衛の騎士たちに囲まれた父さん、母さんの姿もあった。
「突進公だ!」
「ついに本命のお出ましだぞ!」
無責任な聴衆が声を上げる中、額から汗を吹き出したガッティナラが仕切りとなっている木の柵に飛びついてきた。
「お、御曹子、これはいったいどういうことだ!?」
「……ガッティナラ、ごめん」
僕は申し訳なくて、すぐに頭を下げた。
「ごめんではない! ペネロペには関わらないと話し合ったばかりではないか! なのにこんな形で裁判に参加してしまって! もう無関係だといっても誰も信用してくれんぞ!」
「それもごめん、僕もティルも、ペネロペと無関係だなんて言うつもりは全然ないんだ」
ガッティナラは顔面蒼白になった。
後ろにいる父さん、母さんも絶句している。
この状況を喜んだのは調子が戻ってきたクレーマーだった。
「これはこれは! やはりラタトスクの突進公が異端の魔女と共謀していたのは事実だったのです! いまのやりとりこそその証左ではありませんか!」
街中のガキんちょみたいにこっちを指さしてピョンピョン跳ねている。
あんたがやっても可愛くないだけだからやめてもらいたい。
僕はガッティナラから視線をはずすと、判事席に座る三人の枢機卿を振り返った。
「信徒台帳に名前がなければ、聖火十字教徒ではないのでしょうか? どんなに神を信じていても、どんなに清貧な生活をしていても、どんなにその心が澄んでいても、その人物は聖火十字教徒ではないのでしょうか?」
ボルギアもリヒロイも、答えようとはしなかった。
ここで答えることは僕らを助けることになってしまうと思っているのだろうか。それとも、単純に僕の言葉を否定することができないのだろうか。
どちらかは分からない。だけどその中にあってただ一人、ピッコローミニだけが答えてくれた。
「そんなことはありません。天上の父を信じるものは、例えどんな境遇に置かれていようとも必ず救われるのです」
僕はその言葉に涙が出そうだった。
ティルは隣で鼻をすすっていた。
正直、ペネロペが逮捕されて以来、僕たちが聞きたかったのはまさしくいまのピッコローミニのセリフだったからだ。
「僕も、猊下と同じ気持ちです。信じる者は救われなくてはなりません。例えどんな苦境に陥っても、いえ、苦境に陥った者だからこそ、その人は救われなくてはならないと信じています。僕は信徒台帳にペネロペの名前がないことについてなんの弁護もできません。証拠もありません。証人もいません。でもこれだけは他の誰よりも知っています。彼女は誰よりも立派な聖火十字教徒の一人であると」
僕の言葉に、クレーマーはすぐさま野次を飛ばしてきた。
「だからその証拠がないでしょう! 死刑がせまったこの状況でその女が敬虔な教徒だとのたまっても、それは単なる泣き落としでしかない! 君は法廷を侮辱しているのかね! 証拠を出しなさい! 証拠を!!」
「証拠ならば、検事、あなたの目の前にあります」
「目の前ですって!? そんなものがどこにあるというんです!?」
クレーマーだけでなく、ボルギアもリヒロイも、そして傍聴席にいるガッティナラも、父さん母さんですら分からないという顔をする。
僕はティルの手を取ると、二人で困惑する大人たちを見ていった。
「僕と妹がその証拠です。七歳の子ども二人が、異端の嫌疑をかけられたペネロペを放っておけず、いまこうして弁護人として法廷に立っているという事実が、僕らの家庭教師であった彼女が誰よりも優秀で敬虔な聖火十字教徒であるという何よりも大きな証拠なのです」
周囲の大人たちが息を呑む音を聞いた気がした。
そうなのだ。本来だったら、こんな状況はありえない。七歳の子どもが魔女裁判で弁護人を勤め、しかも異端審問官である検事と互角に渡り合うなんてことは逆立ちしたってありえないのだ。
そのことにみんな今更気付いたのだ。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まった礼拝堂の中で、ピッコローミニの穏やかな声音だけが響いた。
「恐ろしくはありませんでしたか? お家の方々は、あなた達がこの裁判に関わることを反対しておられたようですが、それは家族を巻き込むまい、より多くの人間を救おうという気持ちの現われだったのでしょう。そんな彼らを騙し、引きずり込み、危険にさらしてしまうことは恐ろしくはありませんでしたか?」
「恐ろしかったです。僕たちの勝手な行動が家族に迷惑をかけてしまうことがたまらなく辛かったし、苦しかった。でも、それでも僕たちは黙っていることができなかった。あのまま沈黙を貫いていれば、家族は無事でいられたかもしれません。家族を救おうとすることは何も恥ずべきことではないのかもしれません。むしろ、家族を大切にしなさいという神の教えに充分かなった行いなのだと思います。だけど、それは狭き門に通じる道です。確かに楽だし、安全だし、賢いことなのかもしれないけれど、そこには大事なものが欠けています。正義が欠けています。信じる者は救われるという神の教えを本質的には疑う行為です。僕は、そんなのは嫌です。子どもの我がままかもしれません。青臭い戯言かもしれません。だけど、僕は大きな門に通じる道を行きたい。僕の大切な人たちと、誰一人欠けることなく、歩んで行きたい……」
そこで言葉を切って、僕は傍聴席の父さんを見た。
「私はあえてやってみた!」
僕の発した言葉に、父さんはハッとした様子で目を見開いた。
「僕はあえてやってみた。家族を危険にさらすと分かっていても、ペネロペを見捨てるなんてできなかった。だからやってみた。どんなに小さな可能性でも、みんなが救われる道があるなら、誰かを犠牲にする堅固な道より、僕はボロボロでも、頼りなくても、その道を行きたい」
僕は再び、ピッコローミニへと視線を戻した。
彼は優しい微笑をたたえて、僕の声に耳を傾けてくれていた。
「僕はラタトスクの突進公の嫡子、マクシミリアン! 師の名前はガッティナラとピッコローミニ、そしてペーネロペイア! この世に神の正義がちゃんと存在すると信じる、一人の聖火十字教徒です!!」
言い切ったとき、僕の目からは後から後から涙が溢れ出てきた。
僕は本当は異世界人なのに、聖火十字教の教えだって半信半疑なのに、だけどいまはその教えを信じたかった。僕にそれを教えてくれた人たちを信じたかったのだ。
静寂に包まれた礼拝堂に「パチパチ」と手を叩く音がした。
ピッコローミニが拍手してくれている。
その拍手が、水面に落ちた波紋みたいに広がっていった。
ボルギアもリヒロイも手を叩いている。
傍聴席の父さんと母さんも、ガッティナラも、野次馬根性で集まった聴衆も、みんなが拍手してくれていた。
「いいぞ、貴公子!」
「かっこいいよ、坊ちゃん!」
「赤い盾! 赤い盾! 赤い盾!」
いつの間にか礼拝堂は拍手と喝采に満ち満ちていた。
僕とティルはお互いの顔を見て頷きあった。
「勝った」とそう思えたからだ。これでペネロペも父さんも救われると。
だけど、そんなお祭りみたいな気分はすぐに雲散霧消することになってしまった。
礼拝堂の扉が開き、黒い胸甲の一団が入ってきたからだった。
「とてもこれから死刑が始まる雰囲気ではないな」
そうつぶやいた鼻のない赤ら顔の男、ザシャの登場に、礼拝堂の空気は一瞬で凍りついた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は4月10日19時になります。




