第二十四幕「シュテッティン国際会議〔その6〕」
ザシャ・フォン・ファルケブルク。
カルマニエン地方東端に位置するリューベン王国の王にして選帝侯の一人。
そして皇帝フリードリヒ・ドライ・フォン・ファルケブルク、前ラタトスク公爵フィリップ・フォン・ファルケブルク=ローテンシルデの弟。
つまり僕とティル、レオンくんの大叔父に当たる人物だ。
「親戚だからって油断するなよ、二人とも」
と、レオンくんから僕とティルに注意が飛んだ。
「はっきりいって、ザシャ大叔父様は規格外と理不尽と不条理と暴虐が寄り集まって一着の服に納まっているような人だ」
「なんだかすごい例えですね……」
「例えとも言えない例えだよ。正直、大叔父様に比べれば、リヒロイもボルギアも子猫みたいなもんさ」
「じゃあ、大叔父さんは虎かなにかですか?」
「あの軍旗みたろ? あの人は正真正銘のケルベロスさ」
話している間にも、胸甲を身につけた騎士団の団員たちが、廊下の端にズラズラと並んでいく。
護衛のつもりのなのだろう。
それにしても、他の国の重鎮たちも大勢いる議場でこれだけ武装した兵を入れるなんて、後で問題になったりしないんだろうか?
いや、問題になること自体、意に介していないのかもしれない。
やがて、廊下の向こうから一塊になった人の群れがやってきた。
中央に腰の曲がったヨボヨボの老人がいる。杖にすがるように歩いていて、息も苦しそうだ。
どうやらあれが神聖レムリエン連邦皇帝、フリードリヒ・ドライであるらしい。
その隣を、五、六十代であろう初老の男が歩いている。
廊下の左右を固める騎士たちと同じ、茶色の胴着の上から黒い胸甲をつけている。
年齢に反して筋肉質な男だった。肩も二の腕も若々しく盛り上がり、歩き方も堂々としている。
あれが、ザシャ・フォン・ファルケブルクか。
銀色の髪を短く刈上げ、深いシワを刻んだ顔はエラが張り、顎が割れている。
この顔ならきっと高い鼻がついていたのだろうが、いまはその姿をうかがい知ることはできない。
なぜなら、彼には鼻がなかったのだ。まるで根元から削ぎ落としたようにその部分の皮膚がなく、あらわになった二つの鼻腔が前を向いている。
これだけでも充分、異相なのに、ザシャの顔は赤いアザだらけだった。
おそらく皮膚病か何かだろうが、本来は白いのであろう顔面には、赤い斑紋がそこかしこにあった。
あれが大叔父さん?
滅茶苦茶、怖いんですけど。
彼らの歩みは皇帝陛下に合わせているためか、遅々としている。
たしか皇帝フリードリヒ様は八十歳を超えていたはずだ。
そりゃ、息切れもするし、関節痛だって酷いだろう。
まだボケていないのがむしろすごいくらいだ。
フリードリヒとザシャ、この二人が兄弟なんて、初対面の人間は気付かないだろう。
それもそのはずで、二人は母親が違う。
フリードリヒと僕らの祖父、フィリップはかつての皇帝エルンストと最初の妻との間の子どもで、ザシャはその前妻が死亡してかなり経ってから迎えられた後添えとの間の子どもなのだ。
だから、フリードリヒとザシャは親子くらい歳が違う。
この年齢差が、僕らの父ジギスムントと、ザシャ大叔父との対立の原因になっているのだという人もいる。
皇帝フリードリヒには正妻との間に実子がいないのだ。
となれば、彼の死後、帝位を継ぐのは彼の近親者ということになる。
その第一候補がすぐ下の弟の長男であるジギスムントであり、第二候補が年の離れた末弟のザシャなのだ。
まあ、全部レオンくんが教えてくれたんだけどね。
レオンくんはさらに話してくれた。
「甥の突進公が第一で、弟のリューベン王が第二に甘んじているのは、二人が継承した領国の差が露骨に出てしまった結果なんだ。知っての通り、ラタトスク公国は河川運搬を用いた毛織物貿易で富を蓄え、連邦随一の経済大国になっている。一方、リューベン王国はカルマニエンの東端でね。国民の半分は農民、もう半分は遊牧民で、しかも土地が痩せていて、実りにとぼしい。要するに貧乏なんだ。皇帝選挙には多額の賄賂が飛び交うからね、ザシャにはそれを工面する資金源がないのさ」
「でも、こんなところにあんなに兵隊を入れて、羽振りが良さそうですよ?」
「それだけ内政より軍事に金をかけているってことさ。リューベン王国はグラスラントやアイスフェルト、イシュタリエンとも国境を接しているからね。ケンタウロスやドワーフ、エルフ連中が攻め込んできたときは真っ先に矢面に立たなくてはならない。だから、金がなくても国土防衛のために軍事力を強化するしかないんだ。レムリエン連邦が平穏でいられるのはあのケルベロス騎士団が居てくれるからともいえる」
なるほど、あの大叔父さんは東方世界の守護者ってわけだ。
「ま、その軍事力のせいでかなり傲慢な人になっているのもたしかだけどね。それはジギスムント伯父もかわらないけど」
「たははは……」
そうだよな、うちの父さんだってそんなに評判の良い人ではないんだよね。
話している間に、皇帝とリューベン王の一行はもう僕らの目の前まできていた。
ザシャはギョロッとした大きな目で、僕らをねめつけた。
「覚えのある顔ばかりだな」
その一言に、僕ら六人はそれぞれあいさつをした。だけど、ザシャは大して興味がある風でもなかった。
むしろ、フリードリヒ皇帝の方が僕とティルを見て、顔をほころばせた。
「ジギスムントの子どもなのねん? あの子も子どもの頃は可愛かったのねん。バームクーヘン食べるのねん?」
これが、皇帝?
威厳も何もない。
普通のおじいちゃん、というよりは普通よりちょっと変なおじいちゃんだ。
でもこの人、近くで見るとすごく体格がいい。
腰が曲がっているから気付かなかったけど、かなりの長身なんじゃないだろうか。
杖を持つ手も大きくて分厚く、まるで巨人みたいだ。
「ザシャ、ザシャ、この子たちにお小遣いあげてほしいのねん」
フリードリヒの言葉に、ザシャはやれやれと嘆息した。
「兄上、そろそろ議場に入らねば。皆が待っております」
「おお、そうだったのねん。じゃあ、可愛い姪っ子を紹介するのねん。リンダ、リンダ」
フリードリヒに呼ばれて、黒鎧の一団からひょっこりと小さな影が出てきた。
銀色の長い髪をした少女だった。
その髪はルキアと同じく流れるままにされていたけど、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えなかった。
ところどころ毛先が跳ね、まるで起きぬけの子狼のようだった。
その印象を肯定するように、青い双眸は眠たげに半開きになっている。
目蓋が重くてこれ以上あげられないとでも言わんばかりのジト目だった。
「ジークリンデ・シュバインシュタイガー……リンダでもジークでも、好きなように呼べ……」
それが全てだというように、ジークリンデは「ふう」と息をついた。
僕ら六人は言葉もなかった。
皇帝が姪っ子だと紹介した子が、どうみても貴族に見えなかったからだ。
なにせ、彼女ときたらその辺の農民が着ているようなボロボロの野良着に身をつつみ、腰にはなぜか鉈のような剣を差していたからだ。
おまけに名乗った姓が「シュバインシュタイガー」である。汗まみれの現場監督という意味だ。
「フォン」の貴族称もない。いったいこの子はどこの誰なのか。
呆気にとられてしまった僕らに、ザシャが舌打ちしていった。
「俺がその辺の端女に産ませたガキだ。私生児の上に礼儀作法も教えておらん。できるのは剣術くらいだ。おい、豚、幾つになった?」
「……七つ?」
ジークリンデは首をかしげながら言った。自分の年齢もうろ覚えなのか、この子。
ザシャは気にした素振りもなくつづけた。
「ならそれでいい。おい、お前」
呼ばれたのは僕だった。
「は、はい」
「一応、お前の親族だ。この豚の面倒を見ておけ」
「え?」
ザシャはそれだけいうと、背後に立っていたエルフの肩を抱いた。
他の部下たちはみんな黒い胸甲をつけているのに、そのエルフだけは内政官の制服を小粋に着こなしている。
水色の髪の上から紺色の頭巾を被ったとても綺麗なエルフだった。
「それじゃ、よろしくね、御曹司」
そういったエルフの声は、想像していたよりもずっと野太かった。
「お、男?」
「大叔父様は両刀なんだよ」
レオンくんの言葉に、僕は暴虐と理不尽の同居という意味を理解した。
この聖火十字教を根幹とする世界では、同性愛は、私生児を儲ける以上に罪深いこととされ、平民であれば魔女として火あぶりにされる行為なのだ。
にも関わらず、ザシャは女みたいに綺麗な男のエルフの肩を抱き、国際会議の場に入っていく。
リヒロイやボルギアといった教皇庁の枢機卿が、議場の中にいると知っているはずなのにだ。
あれが、僕らの当面の敵だって?
一面のボスに挑んだつもりが、いきなりラスボスが登場したような衝撃だ。
あまりのショックに僕とティルはしばらく動けずにいたのだけれど、そのままでいるわけにはいかなかった。
置き去りにされたジークリンデを、他の子たちが持て余してしまっていたからだ。
ヨアヒムは露骨に嫌そうな顔をしていたし、ルキアは面白そうに成り行きを見守っている。
カタリーナは自分と同じように武器を携帯している彼女にライバル意識でも芽生えたのか、仁王立ちでにらみつけていた。
レオンくんは何か思うことでもあるのか、顎に手を当てて考え込んでいる。
ジークリンデ本人は、その場にただヌボーッと立っていた。
ティルが「指名されたんだから、アンタがなんとかしなさい」と念話を送ってくる。
はいはい、やりますよ。だからそんなに頭の中でがならないでくれ。
「こっちにきて座ったら?」
僕が声をかけると、ジークリンデは不思議そうにこっちを見た。
「マクシミリアン・フォン・ローテンシルデです。えーと、君から見れば、従兄の子どもかな? よろしく」
手を差し出すと、そんなことされた経験ないって態度で困惑している。
ティルが、横から助け舟を出してくれる。
「大丈夫、怖くないわよ」
二人で彼女を挟み込むようにして椅子に座らせる。
再び席替えとなって、僕らの両隣が座席を一つずつずらした。
名だたる名家の子女たちが、野良着姿に鉈を差した少女を中心に居並んでいる。
不思議な構図だ。
ジークリンデは左右の僕たちを見比べて、それから微かに笑った。
その顔がたまらなく可愛かった。
思わず見惚れていると、ティルの方が先に動いていた。
「アンタ、笑うと可愛いわね。あたしのハーレムに入る?」
おい、それさっきも聞いたぞ。
いつもいつも先に動いてさ。こっちにもちょっとは譲ってくれよ。
そんな風に思っていると、カタリーナとルキアが眉間にシワを寄せてこっちを見ていた。
なに? 二人ともなんだってのさ?
困惑の中、背後の壁の奥で、国際会議の開催が宣言されていた。




