第二十二幕「シュテッティン国際会議〔その4〕」
いきなり口説きにかかるティルをたしなめた僕だったけれど、どうも余計なお世話だったらしい。
男子服に身をつつむカタリーナと、元は二十代の男だったティルは馬が合ったのか、ちょっとした時間でびっくりするくらい仲良しになってしまった。
「アンタ、まじで面白いわよ、カタリーナ。クズクズなんかにいないでうちの城に来なさいよ」
「んだよ、ティル、水くせーな。カタリーナじゃなくてケートって呼べよな。オレらもうマブだべ?」
二人の会話の一部を抜き取るとこんな感じだ。
ちなみに僕も試しにケートって呼んだらすごい目つきでにらまれた。
「テメェはダメだ、青びょうたん」
ってことらしい。
理由はよく分からないけれど、まあ、僕としてはそんなにショックな言葉ではなかった。
それというのも、ダメだと語ったカタリーナの頬が心なしか赤かったからだ。
なんていうか、拒絶されたというより、恥ずかしいから突っぱねられた、そんな印象を受けて、だから僕はそれ以上食い下がろうとは思わなかった。
こういうツンデレ気質の子も、僕はけっこう好きなのだ。
すっかりカタリーナを気に入ってしまった僕らと違って、レオンくんは不満そうだった。
「僕には君たちの気が知れないよ」
呆れた様子で言われてしまった。
レオンくんがカタリーナを嫌う理由は、彼女が成り上がりのシュトルツァー家の人間というのもあるのだけれど、もう一つ、僕らの知らなかった事情があった。
カタリーナは、死んだ前クズクズ公爵、ヨハン・ギルベルト・フォン・シュトルツァーの私生児で、叔父のルドルフによって暗殺された二代目ヨハン・ギルベルトは彼女の腹違いの兄だったのだ。
名家意識の強いレオンくんにしてみれば、傭兵上がりの家系ってだけでも鼻につくのに、そこの私生児なんて冗談じゃないって気持ちがあるらしい。
もちろん、僕もティルもそんなことは気にしないけどね。
いまだに聖火十字教の教えってピンと来ないところがあるし、何より、僕らにも私生児の兄弟がいる。
カスパル兄さんはちょっとお間抜けだけど、それでも大事な家族だ。
私生児ってものを否定したら、カスパル兄さんのことだって悪くいうことになってしまう。
それにしても、兄を暗殺した叔父に養育されてるなんて、なかなかハードな家庭環境だ。
実家に居づらくないんだろうか。
そういえば、あの桑の実おじさんはカタリーナがレオンくんに馬鹿にされたときニタニタしていた。
多分だけど、この子は、叔父の家族からそれほど愛されてはいないのだろう。
僕ではなくティルが突っ込んだ話を聞くと、カタリーナはあきらめたように息をついた。
「ま、しょうがねぇーよ。それに辛い思いしてんのはオレ一人じゃねーからな」
カタリーナによれば、彼女には妹がいるらしい。
その娘はヨハン・ギルベルトの正妻の子どもで、つまりは暗殺されたヨハン・ギルベルトの同腹の妹にあたる。
名前はビアンカ・フォン・シュトルツァー。
「オレに似て美人なんだよ。ちょっと根暗だけどな」
カタリーナは腹違いの妹を誇らしそうに語った。
うん、自分で言うのはどうかと思うけど、カタリーナはたしかに美人だ。
亜麻色の長い髪と整った顔立ちは、男子用の衣服につつまれて普通の女の子とは違った中性的な魅力を放っている。
妹のビアンカが彼女に似ていて、しかも男装趣味がないのだとすれば、それはそれでとんでもなく可愛いだろう。
僕らがシュトルツァー家の御家事情を話題にしていると、廊下の奥がまたぞろ騒がしくなってきた。
きっと次の参加国の重鎮がやってきたのだろう。
視線を向けると、赤い僧服に身をつつんだおじさんがお供を引き連れてやってくるところだった。
すらっとした爽やかな感じの人だった。
上背があって、でも顔は小さい。
広い額の下にある目はつぶらでちょっとだけ垂れている。
灰色の髪を耳が隠れる程度に伸ばし、頭の上にはお椀型の赤帽子をカポッと被せている。
口元と顎の先に生やしたヒゲは綺麗に整えられていて、きっと若い頃はモテたんだろうなと感じさせた。
ただちょっと残念なのは、頬骨が浮き上がるくらいげっそりしていることだった。
胃腸が弱そうなオシャレおじさん。それが僕の彼に対する感想だった。
でも、かたわらにいたカタリーナとレオンくんは、それとはまったく違うことを思ったらしい。
二人は驚いた様子で両目を見開き、マジマジとこの赤い僧侶を眺めたのだ。
「おいおい、マジかよ……」
「リヒロイ枢機卿……だと……」
え、あのおじさん、けっこう有名な人なの?
相手が誰か分かっていない僕とティルを二人は信じられないといった様子で振り返った。
「テメェら、ギャグか? ギャグでいってんのか?」
「ランツェロート王国の宰相じゃないか!」
ランツェロート王国といえば、ラタトスク公国のお隣、シンフォニエン地方一円を支配下に置く強国だ。
あのおじさんの名前は、アルマント・ヨハン・フォン・リヒロイ。
ランツェロート王国の宰相にして、レーム教皇庁の枢機卿の一人である。
かなりの切れ者で、いまのランツェロート王国があるのはこの人のおかげだともっぱらの評判だった。
同時に凄まじく冷酷な男でもあるという。
「ラタトスク公国にとっては最大の強敵だよ」
レオンくんは生唾を飲み込みながら語った。
どうやら僕らの父さん、ジギスムントと長年に渡り合戦をくり返しているのはこの赤い坊さんらしい。
「ラタトスク公国は元々、ランツェロート王国の臣下だったんだ。二人とも百年戦争の話は聞いてるだろ?」
問われて、僕とティルは首を横に振った。
なにそれ、有名な話なの?
レオンくんは青い顔をして口をあんぐりと開けた。
「二人とも、本気で言ってるの?」
「ええ、まあ」
「あたしたちを舐めないでよね。ンサバブンデだって知らないんだから」
レオンくんは頭を抱えてうずくまってしまった。
仕方ないので、僕らはカタリーナの方を見た。
解説頼むぜ、新しい友人。
カタリーナは僕らの無言の問いかけに「うっ」とうめいた。
普段、あまりそういう役回りを引き受けることがないらしい。
まあ、どう見ても知的キャラとは程遠いもんね。
「し、仕様がねぇーなー」
カタリーナはちょっと自信なさ気に話してくれた。
その昔、僕らの祖父、フィリップ善良公の時代、ラタトスク公国はランツェロート王国の中でも一、二を争う有力諸侯だったのだそうだ。
だけど、そんなランツェロート王国とラタトスク公国の間に突然、亀裂が入る。
きっかけはシンフォニエン地方の北部に領土を持つ、アルビオン王国との戦争だった。
アルビオン王国はレーム帝国時代から歴史を持つ古い国家で、白壁山脈の向こう側にノアトゥーンという迷宮を飛び地として保有する世界で最も古いダンジョン国家でもあった。
このアルビオン王国が、ランツェロート王国の王位継承権を主張して戦争を仕掛けてきたのだ。
ランツェロート王国は騎士の国として名高い。
山脈の向こう側に本拠を持つ田舎国家なんて余裕で退けられる。
最初は誰もがそう思っていた。
だけど、アルビオン王国の長弓部隊の実力が明らかになった瞬間、事態は急変する。
なんとプレートアーマーに身を固めた騎士たちが、この狩猟用の長弓を抱えた革鎧の一団にフルボッコにされたのだ。
それはそれはひどい負け方をしたらしい。
この敗戦に焦ったランツェロート王家は、ラタトスク公国に助けを求めた。
まあ、本来は主従の関係なんだから、救援を出すのが常識だ。
ところが僕らの祖父、フィリップ善良公はこの主人の命令を突っぱねた。
理由は宮廷の派閥争いで、善良公はこの政争に敗れて宮廷からローテンシルデ城に引っ込んでいたのだ。
「いまさらどの面さげて頼みに来てやがる」
善良公としてはそんな気持ちだったらしい。
ランツェロート王家は怒れる重臣に平身低頭した。
「お願いです、助けてくださぁぁぁーーーい!」
ほんとにそう言ったかはともかく、イメージとしてはこんな感じだったらしい。
この主人のあまりにも情けない姿に、善良公も一度は支援を約束した。
ところが、ここでまたしても事件が起こる。
なんとランツェロート王の側近が、善良公を暗殺しかけたのだ。
その側近は、言うことを聞かない善良公を黙らせてラタトスク公国を完全に王家へ吸収してしまうつもりだったらしい。
王家のこの行動に、善良公はマジギレした。
「上等だ! そっちがその気ならやってやんよ!」
元々、フィリップ善良公はカルマニエン地方を領有するレムリエン皇帝の弟で、ラタトスク公爵家には婿養子として入った人である。
だからランツェロート王家への忠誠心は、他の諸侯に比べて薄かった。
彼は即座にランツェロート王家との決別を宣言すると、なんと王国に攻め込んできていたアルビオンと同盟してしまうのである。
結果、ランツェロートは惨敗に惨敗を重ねることになった。
「一時はマジでもう無理ってとこまで行ったらしいぜ。なんせシンフォニエンの九割を持ってた王家の領地が半分以下になったんだからよ」
そのうちの何割かは我が家が離反したからだな。ラタトスク公国ってけっこうデカイからね。
ともかく、ランツェロート王国は滅亡寸前までいってしまったらしい。
しかし、ここで瀕死の王国に救世主が登場する。
ヨハンナ・アルクという農民の娘がそれだった。
彼女は自分が神から王国を復活させるために使わされた人間だと主張し、先代のランツェロート王に謁見した。
普通だったらこんなぶっ飛んだことをいう女の子を誰も信用したりしない。
だけど、当時のランツェロートはほんとにギリギリの状態で、この電波少女を聖処女だとでも言わなければやっていけないところまで来ていた。
聖処女アルクは王国軍に加わると、そこから予想外の快進撃を開始した。
惨敗続きだったランツェロート王国が、なんと連戦連勝したのだ。
彼女のおかげでランツェロートは長年続いた戦争に勝利し、かつての栄光を取り戻していく。
しかし、そんな栄光の日々にアルクの姿はなかった。
なぜなら、彼女は合戦の最中、敵軍の捕虜になっていたからだ。
その彼女を捕虜にしたのが、僕らの祖父、フィリップ善良公だった。
「テメェらのじいさんはアルクをとっ捕まえると、そのままアルビオン王国に引渡しちまった。そこでかの聖処女は傭兵にまわされたあげく、火あぶりになって死んじまった。まあ、アルクを神の使者だって認めちまったらラタトスクもアルビオンも悪魔の仲間ってことになっちまうからな。魔女だってことにして殺しちまうしかなかったのさ。救世主を失ったランツェロートは、そんときには勢いを盛り返してたから、それほど困らなかった。つっても国土は荒れてるし、貴族連中はわがままになってるしで、後始末は大変だったんだけどな。その後始末をやってのけたのが、あのリヒロイ枢機卿ってわけだ。権謀術数の限りをつくして王権の強化をしつづけ、往年の栄光を取り戻したってわけさ。ま、おかげでみんなから蜘蛛、蜘蛛いわれて嫌われてるけどな。でも、実力は本物だぜ」
カタリーナの解説に、僕とティルは唖然とした。
なんてこった、我が家にそんな歴史があっただなんて。
そして思った。
僕らのじいちゃん、全然善良じゃねー。
でも、まあ公国にとっては良い人だったんだよね、多分。
問題のリヒロイ枢機卿は、廊下に椅子を並べる僕らをチラッと見ると、そのまま議場に入ってしまった。
どうやらランツェロート王国からの見学者はいないらしい。
よかった。カタリーナの話から推測すると、うちとランツェロートの関係はかなり悪いらしいからね。
隣に座られでもしたらストレスで大変なことになってたよ。
リヒロイ枢機卿が居なくなると、またしても廊下の奥がザワザワしだした。
立て続けに来るなぁとのん気に思っていたら、これまた赤い僧服を着た人間を中心にした一団だった。
その周囲を、僕らとそう変わらない年頃の少年少女が固めている。
彼らの姿を見て、レオンくんとカタリーナが同時に「げっ!」とうめいた。
どうやら、今度の相手もなんだかヤバイらしい。




