第二十一幕「シュテッティン国際会議〔その3〕」
ザシャ・フォン・ファルケブルクという男に気をつけろ。
突然現れた二人の転生者、ノルルとヌエロファソアはそれだけ言い残すと、あっさり姿を消してしまった。
こっちとしては他にもいろいろ訊きたいことがあったのだけれど、またの機会を待たなければならないらしい。
まあ、贅沢は言えないよね。今回、彼らが教えてくれたことはかなり重要だったわけだし。
なにせ、彼らが警戒しろといってきた人間は、軒並み国際会議に参加することになっているのだ。
僕とティルが眉間にシワを寄せながら考え込んでいると、隣から穏やかな声がかかった。
「二人とも緊張してるのかい?」
声の主は十歳くらいの金髪の少年だった。
耳が隠れる程度に伸ばした髪を撫でつけた爽やかな感じの男の子で、名前はレオンハルト・フォン・ローテンシルデ、つまり天才と呼ばれている僕らの従兄である。
僕はなるべく明るい調子で、この従兄に答えた。
「ちょっと考え事してただけですよ、レオンくん」
「考え事っていうと、何か新しい数式でも思いついたのかい? それとも新兵器に使えそうな工夫とかかな?」
はぐらかすためにした僕の返答に、レオンくんは目を好奇心いっぱいに輝かせて訊いてきた。
「えっと……もうちょっと待ってくださいね。少し煮詰めたいので……」
「結論が出たら是非聞かせてくれたまえ!」
レオンくんは実に少年らしい表情でいった。
まったく、父さんの話だと普通に毛が生えただけってことだったのに、この従兄の向学心はどうだろう。
シュテッティンの街に入る際、僕とティルは彼に引き合わされたのだけれど、そのときからこの従兄の茶色の瞳は期待で破裂せんばかりだった。
どうやら僕とティルが天才という噂をきいて、秘かに楽しみにしていたらしい。
レオンくんが振ってくる話題は絵の構図のことだったり、剣術の工夫だったり、数式や文学的な表現だったり、新兵器の設計のことだったり、とにかく多彩だった。
そう、レオンくんは父さんの話とは違って、正真正銘の天才だったのだ。
いや、この場合、彼のことは万能人と呼んだほうがいいかもしれない。
いまだって、お手製のメモ帳にいろんなことをすごいスピードで書き込んでいるのだけれど、それが全部鏡文字なのだ。
いったいどういう頭のつくりをしているのか。
少なくとも転生したおかげで他人より物を知っているだけの僕らとは比較にならないおつむをしているのはたしかだ。
ティルなんて、いつもの偉そうな態度はどこへやら、すっかり萎縮してしまって不機嫌そうに沈黙を貫いている。
そんな僕ら三人がいるのは国際会議の議場の扉の前だった。
なんでも古代レーム時代、名家の少年たちは元老院の前に椅子を並べて腰掛け、政治の話を聞くということをやっていたとかで、僕らにもその伝統にあやかって会議の内容を聞いているようにとお達しが来たのだ。
ちなみに考えたのはうちの父さん、突進公ジギスムントである。
まったく、余計なことしてくれるよね、あの親父さんはさ。
おかげで僕らはこうして議場の前の廊下に椅子を並べてスタンバってるってわけだ。
いまは三人だけだけど、他の参加国の子どもたちもおいおいやってくるらしい。
「いったいどんな人が来るんでしょうね?」
話題を変えるためにそういうと、レオンくんはちょっと嫌そうに顔をしかめた。
「正直、今回来てる連中は、あんまり愉快じゃないんだよな」
「愉快じゃないって、どうしてですか?」
「にわか名家のやつが多いってことさ。うちと違って成り上がりのくせに、偉そうにしてるやつばっかりきてるんだ」
へえ、レオンくんは家柄とか気にするタイプの人なんだ。
ちょっと意外だな。
てっきり学問の肥やしになるならどんな人間とも交流する人だと想ってたよ。
「噂をすれば来たよ。しかも一番品位のないやつが」
レオンくんの視線の先を追うと、ガヤガヤと口やかましくしゃべっている一団が廊下の向こうからやってくるところだった。
その一団の中央に、羽飾り付きのつば広帽を被った小柄な人影があった。
遠目には同じ年頃の男の子かなと思ったんだけど、どうも違うらしい。
つば広帽からのぞいている亜麻色の髪は長くて艶やかだった。
男装の麗人ならぬ、男子服の美少女だった。
「ちっ、もう少し静かに歩けないのかな。これだから元が下賎の家は困るよ」
「どういう人たちなんです?」
「ハルモニエンはクズクズ公国の公爵、ルドルフ・フォン・シュトルツァーとその一門さ。ルドルフの父親は農家の三男坊から傭兵隊長になって、クズクズ公に婿入りした男でね。あの連中も傭兵隊式に育てられたらしくて、粗野なことで有名なんだ」
「傭兵隊長から公爵ですか? すごい出世ですね」
「まあ、初代はね」
そういうと、レオンくんはこのシュトルツァー家について、さらに詳しい話をしてくれた。
この家の初代はフランツという男で、元は農家の三男坊だったらしい。
あるとき新兵を募集している傭兵隊の一行を見た彼は、持っていた鍬を大木の上まで放り投げたらしい。
鍬が落ちてきたら農家を続けて、落ちてこなかったら傭兵になるという占いのつもりだったのだそうだ。
結果、鍬は木の枝にひっかかって落ちてこず、フランツはそのまま傭兵隊に入隊した。
レムリエンの傭兵隊は戦争がない時期、白壁山脈の向こう側にある迷宮に挑むのが通例になっている。
つまり、傭兵と冒険者は表裏一体の存在ってわけだ。
フランツは傭兵としても冒険者としても優秀で、メキメキと頭角を現し、ついに傭兵隊長になってクズクズ公爵と契約するまでになった。
彼は自分の名前しか文字を書けなかったけれど、人一倍努力家なたちで、側近の坊さんに頼んで古代レーム帝国の書籍を読み聞かせてもらったりしていたらしい。
やがて実力、人柄ともにクズクズ公爵から気に入られた彼は、公爵の一人娘を妻にもらってクズクズ公国を継いだ。
異例の出世と言って良い。
しかし花の都クズクズの領主になっても、フランツは傭兵としての自分を忘れなかった。
彼は自分の家族を貴族であると同時に傭兵であり冒険者として育てた。
普通なら調子に乗っちゃうところだけど、そうならなかったのがこの英雄の英雄たる所以なのかもしれない。
やがてフランツは、増水していた川を馬で渡っている途中、あやまって流された新兵をかばって自分が濁流に飲み込まれ、帰らぬ人になった。
なんていうか、カッコいい人だよね、ほんと。
後を継いだのは長男のヨハン・ギルベルトという人物だったのだけれど、彼は公爵になって数年で暗殺されてしまった。
その後は同じ名前のヨハン・ギルベルトの長男、ヨハン・ギルベルトが継いだのだけれど、この子は相続当時わずか七歳で、当然、公国の政治なんてできない。
なのでクズクズ公国の舵取りは父親の方のヨハン・ギルベルトの弟、ルドルフが摂政として担当することになったのだけれど、なんとこのルドルフ、公爵位が欲しいばっかりに甥っ子のヨハンを暗殺してしまったのだ。
そしてまんまと兄の一族から爵位をくすね、ルドルフは正式に公爵になった。
クズクズ公ルドルフ・フォン・シュトルツァー。英雄フランツの次男にして甥っ子殺しの大悪人。
ついたあだ名は「ディ・マオルべーレ」、レムリエン語で「桑の実」って意味だ。
桑の実みたいに腹の中が真っ黒だというのが由来らしい。
僕らの目の前にやってきたのはこの桑の実と彼の家族ってわけだ。
「お、そこにいるのは突進公んとこの坊主どもか?」
キノコみたいなヘアースタイルのおっさんが「がはははっ!」と豪快に笑いながら近付いてきた。
レオンくんが小声で「こいつがマオルべーレだよ」と教えてくれた。
へえ、この人が貴族で傭兵で冒険者で英雄の息子で甥っ子殺しの桑の実さんか。
うん、イメージと違いすぎる。
もっと熊みたいながっしりした人を想像してたんだけど、頭はキノコだし、目は垂れてるし、アゴなんて水でも入ってんじゃないかってくらいタプタプだ。
「お前らの親父と俺はマブダチでな! 優秀な子どもが二人も生まれたってんで、自分のことみてぇーに喜んでたんだ! いやあ、会えてよかった! おい、カタリーナ! お前と同い年なんだぜ! 仲良くしろよ!」
キノコ頭の桑の実がそういって背中をバシバシ叩いたのは先ほどの男子服の美少女だった。
カタリーナ・フォン・シュトルツァーというのが、彼女の名前らしい。
「うっせーっての叔父貴! ちゃんと耳付いてんだから聞こえてるよ!」
亜麻色の髪のカタリーナちゃんは眉間に縦皺を刻んで怒鳴った。
おや、黙ってると綺麗だけど、しゃべるとあれな感じの子らしい。
彼女は僕らの前に立つと、腕組みした姿勢でほっそりした綺麗な輪郭のアゴを上向かせた。
「おい、そこのチビ二人、名乗れよ!」
うわお、いきなり上から来たよ、この子。
僕にMッ気があったら豚みたいに鳴くところだけど、あいにくそっちの趣味はないんだよね。
ティルはというと、真っ赤な髪を逆立てながら口元をヒクヒクさせていた。
ああ、やばい。キレかけてる。
ここは僕が紳士的にいかないといけないとこかな、なんて思ってたらレオンくんが横から口を挟んだ。
「名乗る必要はないよ、マクシー」
レオンくんはキラキラした茶色の瞳に怒りをたたえてカタリーナをにらんだ。
「おい、身の程をわきまえろよ私生児」
その言葉に、カタリーナはギリッと奥歯を噛みしめた。
ちょっとちょっと、そんなこと言って大丈夫なの?
桑の実さんが怒るんじゃない?
見ると当のクズクズ公爵は楽しそうにニタニタ笑っている。
姪っ子が馬鹿にされてるのに、なんで喜んでるんだろ、この人。
「言われちまったな、カタリーナ」
まるで煽るみたいに彼はいった。
瞬間、カタリーナが左の腰に手を伸ばした。
この子、ダガーをレイピアに見立てて腰に差していたのだ。
レオンくんもこの動きに即座に反応した。
彼も腰にレイピアを帯びている。
立ち上がりざま、丸いツバのついた柄に手をかけた。
さすがに子ども同士の刃傷沙汰はダメでしょ。
僕は二人の間に割って入ると、双方の武器の柄尻を手のひらで抑えた。
そのまま、怒りに震えるカタリーナの瞳をまっすぐ見る。
「マクシミリアン。マクシミリアン・フォン・ローテンシルデと申します。どうぞマクシーって呼んでください」
自己紹介したところで、営業スマイル。
営業マン時代に身につけた唯一の技がこんなところで役に立つとはね。
カタリーナは面食らった様子でこっちをまじまじと見た。
――なんなんだ、こいつ?
心の声が、均整のとれた綺麗な顔にデカデカと書いてある。
僕はすかさず指先に緑色の光を灯すと、スッと空中をなぞった。
浮かび上がる呪文に、魔素・ヤドリギが反応して一つの物体を形作る。
――ポンッ!
と、シャンパンボトルからコルクを抜いたような音を出して現れたのは一輪の花だ。
「よろしければどうぞ、フロイライン」
ダガーに向かっていた手にピンクの花弁をつけたそれを握らせると、カタリーナは途端に顔を朱で染めた。
おやおや、初心な反応ですな。
そういう表情をしてくれた方が、こっちも楽しい。
カテリーナの硬直を隙と見たのか、ティルが対抗するように腕組みした姿勢で立ち上がった。
「ディートリント・フォン・ローテンシルデよ! このマクシーの双子の妹! ティルって呼びなさい!」
ティルの声に、カタリーナはハッと夢から覚めたような顔をした。
「か、カタリーナ・フォン・シュトルツァーだ、このヤロー!」
素直じゃない感じの挨拶だったけど、僕はこの少女に好感を持った。
それはティルも同じだったらしい。
「アンタ、可愛いわね。どう、将来あたしのハーレムに入る?」
こらこら、ドサクサ紛れに口説くんじゃありません。




