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第三幕「炸裂、柳生新陰流」

 異世界にきて数時間、そろそろ夜も白もうという時間だったが、俺は一睡もできていなかった。


 それというのも、神社の境内で村人による協議が夜通し開かれていたからだ。


 俺は木戸に耳を押し当て、時折、隙間から村人らの様子をのぞき見た。


 協議は紛糾している。


 とはいえ、それは論と論をぶつけ合うとかいった類のものではない。


 有り体にいってしまえば、俺に対する罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)のオンパレード、村人総出での大合唱大会だった。


 魔法も、呪術も、御業も、奇跡も使えない。


 なんでそんなやつがやってきたのかと、なんでそんな役立たずが天上からの御使いなのかと、互いに愚痴を言い合うだけの不毛な会議が実に三時間以上もつづいていた。


「……あほらしい」


 こういう連中をどこかで見たことがあるなと思ったら、俺が勤めていた会社の連中にそっくりだった。


 自分が嫌いなやつの話で盛り上がると、なんとなく相手と仲良くなったような、自分が独りではないような錯覚に陥る。


 その甘美ともいえる時間を共有することで互いに悦に浸るのだ。


 ところがその甘美な時間で何が解決したのかというと、実のところ何も解決していない。


 何も進展していない。


 悪口を言い合っているだけなのだから当然だ。


 相手との距離が縮まったように感じても、それは相手と会話して打ち解けたからではない。


 自分の言いたいことを言ってすっきりした結果に過ぎず、だから相手が誰かなんて関係もなく、友情も信頼関係も構築できてなどいない。


 不毛で不快な無限ループをゆるやかにくり返しているだけなのだ。


 だが、それもそろそろ終わるだろうと俺は見ていた。


 この手の話し合いは、大半の人間が飽きた段階で終焉を迎える。


 その締めくくりとなるのは、かなり最初の方で出た最も愚劣な策と相場は決まっているのだ。


「やっぱり、人身御供(ひとみごくう)になってもらうしかねぇずら」


 年かさの村人が、ぼそりと言った。


 境内の石畳の上に丸く座をつくった連中も一様に頷く。


 人身御供、つまりは生贄だ。


 木製の十字架に人を縛りつけ、氾濫する川の中に沈める。


 そうすることで猛り狂う川の神様の怒りを鎮められるという、純度百パーセント迷信による行為だ。


 大抵は村内で何かしらの罪を犯した人間が選ばれるのだが、この場合、奇跡を起こせないということが俺の罪であるらしい。


 村人はなおもつづける。


「京のお公家様が浴びた風呂の湯を飲むと万病に効くときいたことがあるずら。御業が使えない出来損ないでも、御使い様が川に身をつければ神様も許してくださるかもしれねぇずら」


「勝蔵さんと神主さんはどう思うずら?」


 水を向けられた名主の勝蔵と神主の外記は、しばし考え込んだ。


 それも本当にしばしの間だった。


 二人は俺の処遇について、あっさり了承してしまった。


「ま、こうなりゃしょうがねぇでしょうな」


「や、やむを得ぬかと」


 強面二人が「うん」と言ったことで、村人たちは安堵したらしかった。


 一座の中から若い衆がおもむろに立ち上がり、そそくさと石段を降りていく。


 しばらくすると、彼らは家から持ち寄ったらしき刀槍を抱えて戻ってきた。


 それを境内に残っていた連中に配っていく。


 日本の戦国時代は、江戸時代と違って兵農分離がきちんとなされていなかった時代だ。


 農民であっても一皮向けば立派な武士であり、従軍経験者である。


 このミヨイという国がそんな日本とまるきり同じかは分からないが、この点では変わりがないらしい。


 刃物で取り囲んで、みんなで俺を川に沈めてしまおうってわけだ。


「まったく、冗談じゃねぇや」


 俺は慌てて出口を探したが、都合よく裏口があるわけもなかった。


 窓はあったが、それらにはすべて木製の格子がついている。


 逃げ道はない。


 そうこうしている間にも、村人らの足音が本殿に向かって近付いてくる。


 連中は俺がとっくに寝たものと思ったのか、気配を消すつもりもないらしい。


 奇襲は払暁(ふつぎょう)が基本だという。


 夜が白んだばかり、後数時間で目を覚ますというときが実は人間の一番眠りの深いとき。


 そこを狙って襲撃してくるつもりなのだ。


「なんだって、こんな目にあわなきゃいけねぇんだよ」


 異世界にきた途端、一方的に失望され、不安にさいなまれながら徹夜して、そのあげく殺されなければならないのか。


 あまりに勝手すぎるだろうが。


「上等だ……こうなりゃ、やってやるよ!」


 怒りが、俺の思考を明敏にする。


 相手は農村の男ども、総勢三十名ほど。


 武器はなまくら刀に槍と薙刀。


 対してこちらは墓参りのときの喪服姿。


 装備は黒ネクタイに背広に、線香に火をつけるために買っておいた百円ライターが一つきり。


 はっきりいって勝負にならない。


 退路はなく、相手はいままさにこちらを害そうとしている真っ最中。


 それならば、


「前に出るしかねぇだろうがぁぁぁあああっ!」


 叫びつつ、木戸を自分で蹴破って外へ出る。


 刃をこちらに向けて進んできていた村民たちの動きが一瞬止まる。


 俺は黒ネクタイを右の拳に巻きつけると、最も槍が集中している箇所に向かって突撃した。


 相手がひるんでいる隙に懐に潜り込んでしまえば、長柄の武器はかえって邪魔になる。


 案の定、村民たちは急接近したこちらに対処が遅れた。


 そのうちの一人の顔面を殴りつけて蹴り倒し、あとは遮二無二走った。


 三十六計、逃げるにしかず。


 勝負にならないときは余計なことをせず、ただひたすら逃げるに限る。


 虚をついたとはいえ、それだけで全ての白刃をかわせるほど簡単なわけもなく、走っている最中、ところどころひっかけて、俺の身体はすっかり傷だらけになっていた。


 なにせこの農民どもときたら、武器が足りなかったのか稲刈り用の鎌まで持ち出していたのだ。


 人の脇をすり抜けることそれ自体が、傷を生む行為そのものになっていた。


「そっちへいったずら!」


「逃がすな! 逃がすな!」


「どうせ沈めちまうんだ! 殺したってかまわねぇずら!」


 口々に勝手なことをいう連中を押しのけ、ようやくのことで囲みを抜ける。


 あとは全力疾走で森なり山なりに入ればいい。


 と、思ったのも束の間、俺の眼前に白い狩衣をきた人影が立ち塞がった。


 俺をこの世界に呼んだ男、神座神社神主、竹居外記。


 漆塗りの烏帽子(えぼし)の下に位置する顔が異様に怖い。


「お、お覚悟!」


 外記は手にした太刀を上段に構えていった。


 そのまま一刀両断、俺をスイカみたいに真っ二つにするつもりらしい。


 さぞかしみずみずしい赤い汁が、勢いよく噴き出ることだろう。


「笑わせるなよ、ヤクザ面……」


 なんの事前相談もなく、いきなり異世界から呼び出して、役にたたなそうだから川に沈めちまえなんて平気でいっちまえるやつに、誰が同情などしてやるものか。


 というか、あらためて考えてみると、ひどいなこいつ。


 完全なド外道じゃないですか、ヤダー。


 もちろん、外道神主、外記さんはこっちの心情なんかこれっぽっちもおもんばかってくれそうにない。


――く、くけぇぇぇえええッ!


 と絞め殺される寸前のニワトリみたいな奇声を発して、太刀を振り下ろしてくる。


 素人の打ち込みではない。


 若いときからきちんと刀を振って、身体を鍛え、基本を染み込ませた者の動きだ。


 普通の人間なら斬られていただろう。


 普通の人間なら死んでいただろう。


 しかし、この場合、俺は普通とは言いがたい人間だった。


 幼少のみぎりから、頑固者の祖父にみっちり古武道をしこまれてきている。


 それらの技は、履歴書にも書けず、面接でも話せず、就職にはまったくと言っていいほど役に立ってくれなかったが、たしかにこの五体に根付いているのだ。


 だから分かる。


 外記の放つ一撃をかわすにはどうすればいいか、他の人間には分からなくとも俺には分かる。


 俺は上体をかがめ、両腕をだらりと垂らした。


 顔だけはきちんとあげて、両の目で外記の動作を追う。


 踏み切られた左足。


 踏み込まれた右足。


 同時に直下へと向かう両腕。


 左手は柄尻(つかじり)を覆うように硬く握られ、右手はただそれを支えるように柔らかく包み込むように鍔下(つばした)にある。


 その太刀の柄へと目掛け、俺は自分の左手を突き上げた。


――間合いは、水月。


 二つの異なる光の波紋が、暗闇の中でその外輪を接する。


 そんなイメージで、俺の左手は外記の左手につつまれた柄尻を跳ね上げていた。


――柳生新陰流、無刀之位(むとうのくらい)


 太刀が、外記の両手からすっぽ抜ける。


 ばんざいの姿勢のまま、驚愕で硬直した神主のみぞおちに、俺はそのまま右の拳を突き入れた。


――ぐげぇッ!


 と腹からせり出した空気にうめきを漏らすやつの奥えりを左手でつかんで引き倒すと、脇を駆け抜け、石段を飛ぶようにして降りた。


 勝利の余韻などあじわっている暇はない。


 だが、習い覚えた技を初めて他人につかえたことに多少の満足感はあった。


 柳生新陰流は、祖父が最も熱心に俺へ仕込んだ流派だったが、祖父自身、誰かに習ったものではなかったらしく、それは書物からの引用で固められた我流もいいところで、だから、俺には流派を名乗る資格すらなくて、一刀流から派生した現代剣道ではもちろんこんな技は反則で、つまりは可能なのに誰にも見せることも、試すこともできずにいた技術だったのだ。


 それをぶっつけ本番の実戦で、綺麗に決めることができたのだ。


 創始者、柳生(やぎゅう)石舟斎(せきしゅうさい)宗厳(むねよし)以外、誰も再現できなかったとされている伝説の技を、いまじゃつまらない工場契約社員になったこの俺が。


 興奮しないわけはない。


 嬉しく思わないわけがない。


 胸の内から湧き出る高揚を原動力に、俺はひたすら走った。


 いや、高揚を原動力にするしかなかったと言った方が正確だろう。


 とにかく俺の身体はあちこち傷だらけのボロボロで、血もだいぶ失っていた。


 このまませまりくる村人相手に逃走劇などつづけられるわけもない。


 なにしろ奴らときたら、ゲームにでてくるあわれな一般人ではない。


 戦国乱世、つまりは戦いを常に隣に置いて生き残ってきた連中なのだ。


 フィクションの中で冒険者などと呼ばれ、モンスターを狩っているやつらより何倍もの経験と練度をほこっている。


 少しばかり古武道をかじっただけのひ弱な現代っ子が、正面からいってかなうはずもない。


 だから道なき道をあてもなく駆けた。


 周囲には村人が持っているのだろう松明が、夜の闇の中をゆらゆらと揺れながら距離を詰めてくる。


 このままでは完全に囲まれる。


 俺は唯一、松明の炎が見えない方向へと進んだ。


 選択肢と呼べるようなものなどまるでなかった。


 なんとなく、このままじゃまずいような、逃げているというより追いたてられているような、そんな感覚があったが、自分ではどうすることもできなかった。


 そして道の切れ目に到達したとき、俺の胸の内によぎった言葉は、「しまった」ではなく「やっぱり」だった。


「……お約束だよな、まったく」


 道の切れ目はまるきり崖になっていて、その下には大きな川が流れていた。


 村人が鎮めてくれと頼んできたのはこの川のことらしい。


 なるほど、泥みたいな色の水が流木や土石を飲み込みながらどうどうと下流へ落ちていく。


「あんまり手間ぁ、かけさせんでくださいやしよ、御使い様」


 背後からの声に振り返ると、名主の勝蔵が皮肉気な笑みを浮かべて立っていた。


 その横に松明を持って並んだ男が「ぺっ!」と地面にタンを吐く。


 俺は自分の脳みそが怒りのせいでだんだん冷たくなっていくような感覚に襲われた。


 どんな手を使ってでも、こいつらの意のままにさせてはいけない。


 思い通りにさせてはいけないと、その冷たさは命じてきた。


「おい、勝蔵!」


 俺は笑みすら浮かべて名主の名を呼んだ。


 これまでの丁寧な口調から一転して、上から目線で来られたことに勝蔵は面食らったようだった。


「へ、へい!」


 と神主の外記のように声を震わせて答える。


「お前たちが鎮めてほしいといった川は、この下のやつでいいんだな?」


「え、あ、そうでごぜ……そ、そうだ!」


「なら話は早い。ここまで追いかけさせた手間が一つなら、これからその手間を代わりに一つはぶいてやるよ」


「あ、え、へ?」


 事態を飲み込めずにいる勝蔵や村の連中の顔を眺めながら、俺は口角をつり上げ、後ろ向きに飛んでいた。


――あっ!


 と村の連中から驚きの声がもれる。


 俺は「やってやったぜ!」と心のうちで叫びながら濁流の中に自分の身体を躍らせた。


 それからどれだけの時間が経ったのか、正直なところ覚えていない。


 自分があのまま死んだのか、まだ生きているのか、そんなことすらも分からなかった。


 とにかく寒くて、俺は自分の身体をくるんでいる何かを懸命に抱き寄せた。


 とても温かくて、やわらかくて、いい匂いのするものだった。


 一体、これはなんだろうか。


 はっきりしない意識の中、うっすらと目を開けると、こちらを心配そうに見つめる黒髪の美女と目があった。


 誰だろう、このお姉さんは。


 ともかく、なぞの物体についてはこれではっきりした。


 温かくて、やわらかくて、いい匂いがするこれは、目の前のお姉さんの豊満なバストだったのだ。


 人生最大のなぞを解決した俺は、お姉さんの悩ましい双丘に顔を埋めたまま、再び意識を手放すことにした。


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