第十九幕「シュテッティン国際会議〔その1〕」
父さんのいつもの思いつきで国際会議に参加することになった僕たちだけれど、これには相応の準備ってものが必要だった。
なんといっても各国の重鎮や大使が一同にかいする場所なのだ。
正装してそれなりの馬車に乗って、お供も結構な数を連れて行かないと格好がつかない。
それに国際会議は田舎の地方都市で開催されるのが常だった。
現代みたいに先進国の都市で行われないのは各国がお互いを信用していないのもあるのだけれど、一番の理由は移動手段が徒歩か馬に限られるからだ。
ちゃんと参加国が安全に、かつ同じくらいの日程で集まれる場所にしないと会議自体なりたたない。
こんな風に気をつかっても、それぞれ事情があることだから半年くらい期間を設けるのも普通になっている。
父さんが突然参加を表明したのは、今回の国際会議がラタトスク公国からさして離れていないシュテッティンという街で開かれているからだ。
遠方の諸侯のためにそこからの日程を計算して開会期間を決めているから、いまから出発しても充分間に合うというわけだ。
とはいえ、世界一の金持ち貴族にして次期皇帝候補ナンバー1の突進公が行くとなればそれだけでお祭りみたいな騒ぎになる。
父さん、母さんはもちろんのこと、僕とティルも同道することになったからお供も慎重に選ばれ、馬車の装具も改められた。
つまり、ローテンシルデ城の使用人たちはフル回転で働かなくてはならなくなったということだ。
城詰めの騎士たちも、護衛計画を立てなくてはならなくなったから、誰を連れていって誰を残すか、臨時雇いの騎士たちをどう集めるかでかなり苦心していた。
当の言いだしっぺである父さんはというと、この人はいつも言い出すだけであとは周りに丸投げしてしまうので、案外気楽そうだった。
「マクシー、会議にはヒュルヒテゴット叔父さんと従兄のレオンハルトくんも来るそうだよ」
書斎に呼んだ僕を相手に、父さんは嬉々とした表情で言った。
僕もこの叔父と従兄にはちょっと興味を持っていたので、父さんに詳しいところを聞いておこうと思った。
なんでも従兄のレオンハルトくんは生まれてからずっと天才の名前をほしいままにしていて、ティルによれば僕らと同じ転生者の疑いがあったからだ。
もし彼が、僕たちのようにラ・ムーによって選ばれた人間なら、なにかとお互い助け合えることもあるだろうし、仮にいつかやってくる敵側の人間なら、それはそれで敵状視察にもなるというわけだ。
裏の事情を隠して、単に歳の近い従兄に早く会いたいといった感じで話を振ると、父さんはちょっと気まずそうにした。
「ああ、もしかしてマクシーはレオンハルトくんが天才って言われてるから興味があるのかな? 自分と同じなんじゃないかって?」
「僕が天才かは分かりませんけど、優秀なお兄ちゃんってのは実際会ってお話してみたいです」
「うん、そっかー。そうだよなー。でもね、マクシー、ここだけの話なんだけどさ……」
そういって、父さんは僕の耳の横に手をかざして、声をひそめた。
「あんまり期待しないでおいてくれるかな」
「どういうことですか?」
「レオンハルトくんが優秀なのはたしかにそうなんだけど、父さんが見たところお前やティルほどじゃないんだよね。お前たちは三歳のときから普通にしゃべれたし、読み書きもできたし、最上級魔法も使えたけどさ、レオンハルトくんはなんていうか、普通に毛が生えた感じなんだよ」
「普通に毛が生えた感じ?」
「うん、ちょっとしゃべりだすのや立ち上がるのが他の子より早かったってだけでさ、まあ、平均よりは上ってだけの子なんだ。それをヒュルヒテゴット叔父さんが天才、天才って騒いじゃって、周りもそんなあいつに気をつかって同意しちゃったから近隣の国々にもそういう風に伝わっちゃっただけなんだよね。だからお前やティルがいつもの調子でいっても、相手はびっくりするっていうか、多分、コンプレックスを感じちゃうんじゃないかって思うんだ。上には上がいたみたいにね」
「……父さん、お話は分かりましたけど、なにか隠してませんか?」
「え?」
「だって子ども同士の話なのに、ずいぶん気をつかっておいでだから。いつもの父さんじゃ考えられないことです」
「ストレートにものを言うね、お前」
「まあ、僕も『無鉄砲公』の子どもですから」
父さんは珍しく「やれやれ」と溜息をつくと、事情を話してくれた。
「実は父さんが気をつかっているのはレオンハルトくんじゃなくてヒュルヒテゴットの方なのさ。あいつは私の弟だけど、歳が近かったせいか何かにつけてライバル意識を燃やされてしまってね。私の方はあまり気にしてなかったんだが、周りの家来たちがそういう話に敏感だからあいつも気にしてしまってね。で、馬上試合とか集団討論会とかになると私に挑んでくるわけさ。まるではやし立てられた牡牛みたいにね。ところが、そのどれもうまくいかなかった。なんていうか、あいつは真面目だけど、とにかく要領が悪いんだ。そんなことが続いたせいであいつはすっかりしょげてしまってね。でも息子が生まれたら立場が逆転したんだ。あいつにレオンハルトくんが生まれたとき、私はまだお前たちの母さんとは結婚していなかったからね、私の子どもといえばカスパルだったわけさ。そのカスパルよりレオンハルトくんは優秀だったからあいつの喜びはひとしおだった。親の代では負け越したけど、息子の代では勝ち越せそうだってね。ところが私がゾニーレ・ナーゲルの姫君、つまり母さんマリア・ゾフィーアと結婚して生まれたお前たちは、まあ、普通じゃなかった。そしてローテンシルデ家の家督を継ぐのは当然、正妻の子どもであるお前たちのどちらかになるわけだ。だからね……」
「あんまり差を見せ付けると叔父さんがまたしょげちゃうから、子どもらしくしてなさいってことですか?」
「察しがよくて助かるよ。本当にお前は優秀だね。大人になってからが怖いくらいだ」
「そんなのレオンハルトくんと話してみないとわかりませんよ。もしかしたら向こうは本当の天才で、僕やティルなんかちょっと成長が早いだけかも知れませんし」
「その可能性もあるだろうけれど、いまのお前たちをみたら十人が十人とも真逆の評価をすると思うんだ」
「わかりました。向こうで叔父さんやレオンくんに会ったら気をつけてしゃべることにします」
「本当かい? ありがとうマクシー」
「ええ、聖なる父とツァラトゥストラの名前に誓いますよ。でも父さん、ティルには自分で言ってくださいね。僕は説得する自信がありませんから」
そこまで言ったところで、僕と父さんは部屋の窓から下の中庭を見下ろした。
中庭には忙しそうに働く鍛冶職人たちを尻目に、車両形態に変形したパトを駆ってティルがドリフトを決めていた。
「……説得、できると思うかい?」
「……叔父さんには泣いてもらいましょうか」
僕が言うと、父さんはガクッと肩を落とした。
僕らが旅の準備を整えてシュテッティンに向けて出発したのは、それから三日後のことだった。
旅のお供に選出されたのは母さんと僕とティル、それにペネロペとヴァルブルガ、カルラ、フリッツ、ガッティナラとヴォルフガングだった。
ガッティナラは父さんの政治顧問として、ヴォルフガングは護衛としての参加だ。
二人とも諸侯にはそれなりに顔が知られているそうで、連れて歩くだけで父さんが周囲から一目置かれることになるらしい。
まあ、いまをときめくラタトスク公爵にそんなものが必要なのか、はなはだ疑問だけどね。
もちろん、さっき名前を上げたのは主だった面々で、他の使用人や護衛騎士たちもかなりの数が同行している。
総勢300人を越える大所帯だ。
馬車の窓からチラリと外をのぞくと、畑仕事をしていた農民たちがものめずらしそうにこっちを眺めていた。
レムリエンでは大名行列が来たからって地べたに平伏しなくてはいけないって法はないらしい。
まあ、その方がこっちも気楽だけどね。
到着したシュテッティンの城壁はさして大きくも高くもなかった。
人口はだいたい三千人。
連邦内ではこれでもかなりの大都市に入る。
父さんは行列を城壁の外に留めると、入城のための使者を送った。
連邦の都市機能というのは案外小規模なもので、一度に何人も連れて入ると治安の悪化や伝染病の蔓延を招いてしまって非常に危険なのだ。だからたとえ護衛の目的だったとしても、供の人数をいきなり城壁内に入れるということはしない。
実際、僕らが野営地に選んだ場所の周りにはすでに到着した諸侯のお供たちが色とりどりのテントを建てて、まるでお祭りみたいな雰囲気になってしまっていた。
都市に住まう商人や、軍勢にくっ付いていって荒稼ぎする酒保商人も混在して、テントの森の中はドンちゃん騒ぎになっている。
国際会議というやつは、開催するだけで金を落としていってくれるイベントでもあるのだ。
なんだか楽しそうなので、遊びにいってもいいか聞くと、父さんも母さんも了承してくれた。
ただし、ヴォルフガングとペネロペの保護者つきで、カルラとフリッツも同伴するようにということだった。
貴族の子弟が誘拐されて、身代金を要求されることは珍しくないらしいし、ラタトスク公国に金があることは衆知の事実なので、警戒しているのだろう。
まあ、僕とティルと敵対して無事でいるためにはヴォルフガング並みの実力が必要だから、そんなに身構えることもないと思うんだけどね。
さて、祭りにはなにがあるかというと、舞台演劇に、串焼きに、弓矢の的当てなんかがあった。
この辺は日本のお祭りと大して変わらないね。
舞台演劇は古代にイシュタリエンのエルフたちが記した古典を題材にしたものだった。といっても演じているのはヒト族なんだけどね。
英雄アヒルが、イーリアス攻略を間近にしながらアガメムノンに呪いをかけられ幼児化してしまうところは、なんていうか身につまされるものがあった。
形は違えど、僕もティルも大人から子どもになってしまった身の上なので、親近感が半端じゃないのだ。
いまだったらメガネに蝶ネクタイの少年探偵と、涙ながらにお互いの心情を語り合える気がする。
草原に捨てられたアヒルが、それでもワーウルフの女性と出会って幸せになろうとする場面なんか、僕とティルの顔面に洪水を起こすのに充分だった。
お芝居が終わって客が引けると、あとに僕たち五人組と、そして同じように泣いている大男だけが残った。
大男は不思議な格好をしていて、よくよく見ると僕らが元いた世界の学ランを着ているようだった。
髪型も耳が出るくらいに短く刈り上げていて、パッと見には高校の運動部の学生だ。
ただちょっと不自然なのは、腰のところに大きなバックルのついたベルトを巻いていることと、そのベルトに二振りの片手剣を差し込んでいることだった。
なんとも不思議な男だなと思っていると、彼は鼻をすすりながらこっちへとやってきた。
「お前たちも、泣けたのか?」
「え、ええ」
「なんか、他人事じゃない感じがしたからね」
男の質問に、僕はちょっとたじろぎながら、ティルは物怖じした様子もなく答えた。
かたわらで、ヴォルフガングがマントの下でロングソードの柄に手を置くのがわかった。大男を警戒しているのだろう。
大男はヴォルフガングの挙動に気付いたようだったけど、特に何の反応もなくいった。
「俺はナーカルの兄弟が一人、ノルルという。主人からの命により、お前たちに手を貸すためにここまできた」
男の名前に聞き覚えはなかった。
ノルルってずいぶんファンシーな名前だよねなんて思ったくらいだ。
「主人って、父さんのお知り合いの方ですか?」
どっかの貴族がラタトスク公爵に貸しをつくるためによこしたりしたのだろうかと思ったら、ノルルは首を横に振った。
「俺の主人は神賢王ラ・ムーという」
――俺もお前たちと同じ転生者だ。
ノルルの言葉に、僕とティルは息が止まるほど驚いた。




