第十二幕「連邦の歴史(前編)」
ペネロペが見せてくれたムー大陸の地図に、僕とティルは頭の上に「?」を浮かべることになった。
「ペネロペ、これって……」
「ゾウのラクガキ?」
そうとしか思えなかった。
ペネロペがムー大陸だといった陸地は、右手の方に顔を向けたゾウのラクガキそのものだったのだ。
なんか拍子抜けだってのを全身でアピールしてしまった僕たちに、ペネロペはすごく不満そうだった。
「なんですか、その反応は。この地図は世界でもエルフ族の測量技術によってのみ描くことができる大変稀少なものなんですよ」
「いや、すごく貴重なものだってのはわかったけど、ゾウだよね?」
「どっからどう見ても、ゾウね。それもガキんちょがいたずらして描いた感じの」
僕らの言いように、ペネロペは眉をひそめた。
あれ? もしかして怒ってる?
ペネロペさん、意外と子ども?
「あの、ペネロペ?」
「違うのよ? 別に馬鹿にしたわけじゃないのよ?」
僕らはあわててフォローしたのだけれど、ペネロペが不審そうにした理由はまったく別のところにあった。
「ゾウってなんですか?」
「は?」
「へ?」
僕とティルはお互いの顔を見合わせた。
そういえば、この世界にゾウはいるのだろうか?
馬と牛と豚とニワトリがいることは知っている。
それから羊とヤギとロバとラバもいる。
しかし、ゾウは見たことがないし、聞いたこともない。
あれ? やべ、ミスった?
忘れてたけど、ここ異世界でしたね。
「えーと、ゾウっていうのはね……」
僕はとりあえずゾウについて説明した。
鼻と牙が長くて、うちわみたいな耳があって、ゴツゴツした肌をしてて四足で、とにかくデカいのだと。
しどろもどろになりながらの僕の話しぶりに、でもペネロペは納得したようにうなずいた。
「ああ、『ンサバブンデ』のことですか」
「ンサバブンデ!?」
「ここにきて!?」
転生する前、ラ・ムーに教えてくれと頼んだのに結局教えてもらえなかったなぞの生物、ンサバブンデ。
まさかこんなところで耳にすることになろうとは。
「ティル、ンサバブンデってゾウだったんだね」
「スライムと似たような存在だっていってたから、てっきりモンスターかと思ってたわ」
ちょっと興奮してしまった僕たちに、ペネロペは心底不思議そうな目を向けた。
ンサバブンデを知らないというのは相当特殊であるらしい。
「いったいどういう生活をしていたらンサバブンデを知らないでいられるんですか?」
真顔で訊かれた。
え、そんな日常レベルの話なの、ンサバブンデ?
「ま、まあ、今回分かったからよかったよね、ティル」
「そ、そうね、マクシー。ようはゾウなんだもんね。つまりこういう形なのよね?」
ティルが目の前の地図を指し示すと、ペネロペは「え、全然違いますよ?」という顔をした。
「え、あれ、結局ちがうの?」
「じゃあ、ンサバブンデってなんなのよ!?」
混乱する僕らに対して、ペネロペは冷めた一瞥をよこすと、ぼそりとつぶやいた。
「……あなたたち、さては私をからかってますね?」
「いやいやいや、してないから!」
「誤解よ、ペネロペ!」
ああ、なんだろう、すごい文化の差というか、常識の違いを感じる。
このままこの話題をつづけるのは非常まずい。絶対まずい。
「ぺ、ペネロペ、もう余計なこと言わないから、授業つづけてよ!」
「そ、そうそう!」
ペネロペの空色の瞳からはしばらく冷気が出ていたけれど、さすがに自分でも大人気ないと思ったのか、彼女は気を取り直した様子で授業を再開してくれた。
「このムー大陸、まあ、あなたたちによればゾウという生き物に似ているのだそうですけど、これが私たちの暮らしている世界の姿になります」
それからペネロペはざっとムー大陸の地理について教えてくれた。
まず、この子どもが描いた横向きのゾウのような大陸は、中央に白壁山脈と呼ばれる山々が南北に走っていて、そこを境界線にして東西に二等分されている。
西半分を領土とするのはウガヤフキアエズ朝ミヨイ帝国。
なんでもミカドという王様を中心に、サムライたちが支配している国なのだそうだ。
その話を聞いて、僕とティルは一瞬ノスタルジーを感じてしまったのだけれど、まあ、その話はいまは置いておこう。
ミヨイ帝国と白壁山脈を境にして線対称の位置にあるのが、僕らの暮らす神聖レムリエン連邦だ。
国教は聖火十字教で、ハルモニエン、カルマニエン、シンフォニエン、タイタニエンの四地方からなり、そのはずれに、グラスラントとイシュタリエン、アイスフェルトが存在する。
ハルモニエン地方はゾウの鼻の部分に位置する半島で、レーム教皇庁のお膝元だ。他に有力な国として、花の都・クズクズ公国、芸術都市・ザナディエン共和国、海洋商業国家・オベレーン共和国、南国・アロニエン王国がある。もともと大帝国の中心地だったが、その大帝国が滅んでからは一つにまとまることなく群雄割拠が続いている。僕が元いた世界でいうとイタリアみたいな土地だ。
カルマニエン地方はゾウの目元周辺の比較的大きな地方で、今上帝フリードリヒのファルケブルク家の他、三百諸侯と称される貴族たちが分立している地方だ。皇帝以外にも、皇帝を選出する権限を持つ選帝侯、ホーホラント辺境伯、ヅェクセン侯爵、デューネ宮中伯、カロッサ大司教、ホルン大司教、リゴン大司教、リューベン王、グリュンベルク公などが強権を有し、政治的なパワーゲームに興じている地方である。元の世界でいうところのドイツだ。
シンフォニエン地方は前の二つと違って、ランツェロート王国という一つの国家が強力なリーダーシップによって国内の貴族たちをきっちりまとめあげている土地だ。場所はゾウの肩と前足にあたる。農耕が盛んで生産力に富み、また軍事力も大きい。元の世界でいうところのフランスである。
僕とティルが生まれたラタトスク公国はカルマニエン地方とシンフォニエン地方のちょうど間にあって、いわばゾウの耳の部分になる。交易の要衝であることを利用して、毛織物の輸出によって財を成している土地だ。元の世界ではオランダとかルクセンブルクみたいな感じだ。
そしてシンフォニエンの向こう、ゾウの胴体部の半分であり、白壁山脈の麓に位置するのがタイタニエン地方だ。ここはゾニーレ王国とナーゲル王国という二つの国が支配していた土地なのだけれど、オーガ族との間で長年にわたりレコンキスタと呼ばれる国土回復運動を行っていて、数十年前に両王国の女王と国王が結婚して統一することで戦力を増強させようとした地方でもある。この夫婦になったゾニーレ女王とナーゲル国王には七人の子どもがいたのだけれど、そのうちの一人が僕らの母さん、マリア・ゾフィーアだ。元の世界でいえばスペインだろう。
神聖レムリエン連邦は一つの巨大国家でありながら、同時に無数に存在する小国の集合体でもある。
しかし、ムー大陸の東側には、このレムリエンの影響がおよばない外界が存在する。
まずグラスラント。ここはゾウの額に位置する土地で、見渡すかぎりひたすら草原が広がっている場所である。十種の人族のうち、ケンタウロスの本拠となっていて、まあ、モンゴルみたいなところだといえば、イメージしやすいかもしれない。
ついでイシュタリエン。ここはハルモニエン地方の北東で、カルマニエン地方の南東、グラスラントの南に位置する。ゾウの身体でいえば眉間にあたる土地で、国土はさして広くないが、エルフ族の都市国家が林立している。この世界で一番最初に文明化に成功した場所としても有名だ。
そして最後に、ゾウの頭頂部にあたる氷の世界、アイスフェルト。ここはドワーフたちの縄張りである。とにかく寒くて、誰も手を出したがらない土地として知られている。例えるならモスクワ周辺といったところか。
ペネロペは現在の状態をかいつまんで説明したあと、自分の故郷であるイシュタリエンを指し示していった。
「現在の神聖レムリエン連邦を構成するあらゆう要素はこのイシュタリエン地方を舞台にした一つの戦争から始まりました。イーリアス戦争と呼ばれるのがそれです。かつてエルフたちは都市ごとにまちまちの統治体制をしき、ときに近隣の都市を攻撃して征服してしまうこともありました。イーリアス戦争もそうした侵略戦の一つで、都市ミケーネの王・アガメムノンが大軍を率いて都市イーリアスを包囲したのです。そんな攻囲軍の中にアヒルという勇者がいました」
勇者アヒル。なんていうか「ぐわっぐわっ」鳴きそうな名前だけど、アクセントが頭の方にくるから、声に出してみると案外かっこいい。アヒルというのはレムリエン語の発音で、エルフたちの言葉に合わせると、本当は「アキレウス」というらしい。
ペネロペによると、攻囲軍の総大将であるアガメムノンとこの勇者アヒルはすごく仲が悪かったのだそうだ。主な原因はアガメムノンのわがままにあったらしいんだけれど、勇者アヒルを逆恨みしたこの王様は彼に突如、身体が幼くなる呪いをかけて、北に隣接しているグラスラントのど真ん中に放り出してしまう。
本来はエルフ族の中でも卓越した武力を誇っていたアヒルも、子どもの身体になってしまっては形無しである。彼は草原をさまよう中、運悪くケンタウロスの一団に出会い、手足の腱を切断されてしまう。ケンタウロス側は、アヒルを殺すこともできたのだけれど、草原の慣習で馬車の車輪よりも小さい人間は殺してはいけないというのがあったらしくて、それで半端に傷つけて放置したんだそうだ。僕からすればそっちの方が残虐に聞こえるけれど、異文化ってのは常にそういうものかもしれない。
子どもにされたあげく、手足の動きも封じられたアヒルは絶体絶命におちいった。しかし、そこは物語の主人公。運よく現れたメスの狼に助けられ、近くの洞窟で養われることになった。
「私は、このメスの狼というのはワーウルフの女性ではなかったかと思っています」
ペネロペがそう話すのは、のちにアヒルとこのメス狼が夫婦になるからだ。
やがて呪いがとけて大人の身体を取り戻したアヒルは、途端にメス狼とイチャイチャしだす。
ちなみに切断された腱は元に戻らなかったので、かつての勇者はすっかりメス狼のヒモであったらしい。
だが、二人の甘い生活も長くは続かなかった。
アヒルが生きていることを知ったアガメムノンが、ケンタウロスたちに彼の抹殺を依頼したのだ。
話を聞いたケンタウロスたちは、かつて手足の腱を切断した子どもがアヒルに違いないと見抜き、彼とメス狼が生活している洞窟を強襲する。
身動きがとれなかったアヒルはあっさりケンタウロスらによって殺されてしまうのだけれど、彼の子を身ごもっていたメス狼はからくも生き残り、やがて双子の男の子を出産した。
双子は兄をアルトガロ、弟をエリドゥレといった。
二人はメス狼のもとから羊飼いの老夫婦のもとへと養子に出されるのだけれど、そこで頭角をあらわし、やがて周辺諸部族をまとめて都市国家レームを建設し、兄のアルトガロが初代の王位についた。
でも、アルトガロは味方であったはずの諸部族と徐々に対立し、とうとう彼らによって廃位されてしまう。
かわって国王に祭り上げられたのは弟のエリドゥレだ。
玉座を追われたアルトガロは復権のため、敵対していた近隣の諸部族を説得してまわったのだけれど、成果を得られず貧窮してしまう。
五年後、弟のエリドゥレが森で狩りをしている際、兄に出くわしたときには、彼はすっかりやつれた姿で、仲間も十人程度しかいなくなっていた。
結局、よそからの支援を得られなかったアルトガロは、残った連中と一か八かのクーデターを決行しようとして、たまたま弟と再会したのだった。
兄のあまりの失墜振りに、クーデターの標的にされていたエリドゥレはむしろ同情してしまう。
彼は兄を自分の屋敷にかくまうと、兄と対立していた諸部族の長を呼び集めて王位をアルトガロに返還するよう説得した。
その際、エリドゥレはときに泣き、ときに脅し、とにかく自分の持っている手札を全部さらして諸部族を説き伏せたらしい。
弟の尽力によって王位に復したアルトガロは、その後、対立していた諸部族の長を自分の政治顧問に任命し、元老院を設立して善政をしいた。
彼は瞬く間に名君とたたえられるようになった。
アルトガロが病で死ぬと、その後はエリドゥレが再び王位についた。
しかし、かつてのアルトガロがそうであったように、エリドゥレも元老院と対立してしまう。
やがて両者の亀裂が修復不可能なところまで広がってしまったころ、春の祭典を行っていた広場に突如カミナリが落ちた。
祭典には王であるエリドゥレももちろん出席していて、彼は高台に設置された玉座から祭のようすをながめていたのだけれど、みんなが落雷に驚いて顔を伏せ、再び玉座を振り仰いだときには、忽然と姿を消してしまっていた。
兄想いの王エリドゥレは、稲妻の輝きと共にいずこかへと去ったのだ。
ペネロペによると、このエリドゥレの失踪は、元老院がエリドゥレを暗殺してその事実を隠蔽した結果だという風に解釈するのが一般的なのだそうだ。もちろん、真実がどこにあるのか、いまとなっては分からないのだけれど。
ともかく、エルフとワーウルフの間に生まれた二人の王は死んだ。
彼らには子供がいなかったから、元老院は協議のすえ、最も利害関係の薄かったヒト族から新しい王を選出して玉座につけることにした。
こうしてレーム王国は複数の種族を内側に抱えながら、ヒト族が中心となってその後の歴史をつむいでいくことになる。
だが、最初のヒト族の王から四代を数えた頃、大きなスキャンダルが起きてしまう。
レーム王の息子の一人が、将軍の妻に横恋慕したあげく、手酷く振られたのだ。
逆上した王子は、将軍が遠征に出ている間に人妻のもとへあらわれ、自分の物にならなければ将軍と子どもたちを処刑すると脅した。
人妻はやむなく王子に身体を許した。
ところがこの人妻、転んでもただでは起きない女傑だった。
彼女は遠征先から戻った夫と息子たちを呼び集めると、彼らの留守中に何があったか洗いざらいしゃべってしまったのだ。
それだけではなく、短剣で自分の胸を突き刺しながら、必ず自分の恨みを晴らしてくれと言い残した。
事情をすべて知り、愛する妻を奪われた将軍は息子たちと共に烽起。
元老院を味方につけ、王族全てを国外追放処分にしてしまう。
この事件以降、レームは共和制国家になるのだけれど、その後、広がり続ける領土や貧富の差のために、国内に大きな問題を抱えるようになってしまった。
こうした問題を解決するため、レームの執政官であったツェーザルという人物が、内乱を利用してライバルたちを次々に撃破し、終身独裁官の地位につく。
実質的な国王になったわけだけど、一度王を追放していたレームでその呼称を使うことはできなかったので、彼の後継者はみな彼の名前そのものを地位の代名詞とするようになった。
ツェーザル。転じてカイザー。すなわち皇帝のことだ。
古代に存在した巨大国家レーム帝国はこのようにして誕生したのだった。




