第十一幕「嫁、来たる(後編)」
三人の家庭教師たちがやってきてしばらくの間、僕とティルは天才の名をほしいままにした。
そしてその評価を得たときよりずっと早く、あっさり馬脚をあらわした。
僕とティルは三歳にして読み書きができて、四則算ができて、最上級魔法がつかえた。そのことにガッティナラは目を見張り、ピッコローミニは口をあんぐりと開け、ペネロペはしずかに息を呑んだ。
けれど、驚きという感情に、人間はすぐに慣れるようにできているらしい。
できることがわかって、そのことにひとしきり驚いてしまうと、三人の目には僕とティルは非常にいびつな存在としてうつったらしい。
学問や知識の背景には、その国の文化や風習がそれとなく染み込んでいるものなのだけれど、僕らにはそうした慣習的なものがまるきり抜け落ちていたからだ。
特に聖火十字教の司教二人のガッカリっぷりはすごかった。
「いったい、何をどうすれば神の恩恵を意識せずにこんなにすらすらと数式が解けるのかね?」
「読み書きは問題ないのに、『塩と光の書』の一文節すら暗記していないのですねハイ」
この国の学問は、聖火十字教とセットになっているから、僕とティルの知識は、本来のものの半分しかカバーしていないように彼らには見えてしまったらしい。
ならば聖火十字教の教義を学べばいいじゃないかという話になるのだけれど、これがなんとも難しいのだ。
「処刑される前の預言者にすっぱいブドウ酒がさしだされた意味は?」
「はあ? 安酒しか用意できなかったからでしょ?」
「天に昇る前の預言者に対する神の試練の象徴なんだって」
「分かるか!」
僕とティルはあわてて『塩と光の書』とその解説本をひっぱりだしてきて自習をはじめたのだけれど、正直チンプンカンプンだった。
というか、解説本の内容がすごくこじつけ臭いのだ。
そんなことどこにも書いてないだろうっていう注釈が、ひっきりなしに出てくる。
「やっぱり、一から学びなおさないとダメだね」
自室の机の上で宗教本を閉じながら、僕は言った。
どうして僕らがこうした本の内容を理解できないのかというと、それ以前のこの国の歴史とか文化をまるで知らないからだ。
本を書いているのは、もともとこの世界で生まれ育った人間だから、自分の本を読む人はだいたいある程度の知識を持っているものと決めてかかってしまっている。
ところが異世界から転生してきた僕らには、そうした前提となる知識がないから本を読んでも意味がわからない。
ガッティナラやピッコローミニから異質な存在と受け取られるのもそのせいだ。
となれば、本当の最初の最初、この世界の成り立ちから勉強していくしかない。
僕の提案に、でもティルは疑わしげだった。
「一からっていうけど、ガッティナラとピッコローミニに習うのはたぶん無理よ。二人とも聖火十字教にどっぷりだから、『塩と光の書』に書いてあることが正しいんだって言うだろうし。でも、『塩と光の書』が編纂されたのってレーム帝国時代なのよね。皇帝も教皇も実はそれ以前からいるわけだから、あの二人に習っても最初の最初から知識をつけていくってことにはならないわよ?」
「だから、ペネロペに習うんだよ」
「ペネロペに?」
「彼女はエルフだからね。レーム帝国はエルフの国、東方のイシュタリエンの文化をモデルにして発展した国家だし、もともと多神教だから、あんまり聖火十字教にもそまっていないと思うんだ。父さんがいってたけど、聖火十字教に否定されて、こっちじゃ失伝していた技術をエルフたちが保管していて、いまそれがすごく流行ってるらしいし。ペネロペにきけばそういうことも教えてくれるんじゃないかな?」
「でもペネロペって聖火十字教に改宗してんでしょ? 他の二人とおんなじことにならない?」
「まあ、同じかもしれないし、違うかもしれない。なら、まずは訊いてみないとね」
僕がいうと、ティルはニヤリと口の端をつり上げた。
「ふふん、良いわね。未来の嫁と内緒の授業だなんて、そそられるシチュエーションじゃない」
「たしかにね」
僕らは「あははは」となかばやけくそ気味に笑いあったあと、ペネロペに時間外の授業のお願いにいった。
ペネロペは以前から僕たちのいびつさが気になっていたらしくて、二つ返事で了承してくれた。
「そうね、昼食のあとならそれほど目立たないでしょうから、こっそり私の部屋までいらっしゃい」
往年のハリウッド女優にくりそつなエルフは優しい口調でそう言った。
正直、彼女の口ぶりにめちゃめちゃドキドキした。
とはいえ、エッチなことをするわけではない。
あくまで秘密の授業をするだけだ。金髪エルフの家庭教師と、彼女の部屋で。
「めちゃめちゃエロい展開ね!」
とティルが興奮したようすでいった。
おいおい、マイシスター、やめてくれよ。いまそれ、否定したところなんだからさ。
もちろん、妙齢の女性と三歳児との間にそんな桃色の展開など訪れるはずもなく、僕らは用意された机について、壁際に立ったペネロペの話に耳を傾けた。
ペネロペの授業は本当に最初の最初、一番古い神話に語られている世界創造から始まった。
「この世界でもっとも古いとされている神の伝承は、預言者の誕生から数えられる現在の霊歴の前、イシュタリエン地方でエルフたちによって信奉されていた十二創世神話までさかのぼります」
十二創世神話。つまりこの世界を最初に創ったとされる十二柱の神様たちの物語だ。
「その神話によれば、世界は初め、『無』だけがあったとされています。何もない、何も生まれないし、何も死なない世界。しかし、そこに巨大な爆発が起こり、『有』が生まれました」
ビッグバンみたいな話だなと思った。
まあ、ビッグバンなんて僕もよく知らないんだけどね。
「ここで重要なのは、『有』が誕生する以前、かつて世界を満たしていた『無』が死んだということです。世界の始まりは『有』の誕生ではなく、『無』が死亡し、自らを『有』が大きくなるための糧としたところに起源を発している。神話はまずこの考え方を基点にして進んでいきます」
世界の始まりは「生」ではなく「死」だった。
なかなか斬新な考え方だ。
「世界最初の死の概念、『無』の死亡した存在を神話は『始まりの屍』と呼んでいます。この『始まりの屍』は万物の母となりました。神話で語られる十二柱の神々も、『始まりの屍』から生まれました。正確には、『始まりの屍』から噴き出した魔素・ヤドリギから世界と神々は生まれたのです」
ペネロペの話に、僕は素直に驚いた。
あの魔法のもとになっている不思議物質にはそういう由来があったのか。
もちろん、これは神話の話で、科学的に分析したらまったく違う結果になったりするのかもれないけれど、それでもこの世界の人たちがどう認識しているかは今後すごく重要になる気がした。
「十二柱の神々はやがてこの世界に空と海と大地を作り出しました。そして神々の長兄、テンゲルカエルムは自分の妹にして伴侶、ガザルテッラとの間にもうけた十人の子どもを王として地上に派遣したのです。その際、十人の王たちは、父・テンゲルのちからによってヤドリギから生み出された武器、レリクスをさずけられていました。このレリクスは別名、特級神器と呼びます」
特級神器?
たしか神器は一等級から八等級まで格付けされているけれど、特級なんてのはなかったはずだ。
うちのメイドで僕らの魔法の師匠でもあるヴァルブルガによると、神器は属性によって使用者の魔法を強化してくれたり、あるいは魔法とは別の特殊なスキルを授けてくれたりと、いろんな効果があるらしい。
「しかし、十人の王たちは互いに争いをはじめます。大地は瞬く間に戦火に覆われました。そしてついに、激突した十王のために特級神器はバラバラに砕け散ってしまったのです。長兄・テンゲルのちからの結晶が失われることを惜しんだ残りの十一柱の神々は、この欠片に自らのちからを注ぎ込み、特級神器の修復を試みます。ですが、欠片は元に戻ることなく、それぞれが別々の神器となって地表に降り注ぎました。いま我々が使用している神器、レリクスはそのときに誕生した特級神器の欠片たちなのです」
そういうことか。
本当に特級神器があったかはともかく、いま実在している一等級から八等級の神器の由来を説明している内容なわけだ。
「十二創世神話はその後、神々の物語から十王の子孫たち、すなわちこの世界にいる十種の人族へと移ります。すなわち、エルフ、ドワーフ、ケンタウロス、ヒト、ワーウルフ、ワータイガー、ヤト、ツチグモ、ワニザメ、オーガです」
え、そんなにいるの?
ごめん、精々エルフとドワーフくらいしかいないと思ってたよ、この世界。
だって僕たちの周りにいる異人種ってペネロペくらいだし。
「二人はこの世界の形を知っていますか?」
ペネロペの質問に、僕とティルは首を横に振った。
恥ずかしながら、世界地図のようなものは生まれてこのかた見たことがない。
ペネロペは部屋の隅の壺に丸めて差し込まれている大判紙の中から、一本を抜き出して、僕らの前に広げてくれた。
「これが、私たちの住む世界。大海の真ん中に浮かぶ大いなる地、“ムー大陸”です」
ペネロペはどこか誇らしげに、あるいは畏怖を込めてそう言った。




