第十幕「嫁、来たる(中編)」
レーム教皇庁のトップは聖火十字教の教皇聖下と十数人の枢機卿猊下によって構成されている。
ごくまれに平民出身の人がいたりするけれど、このメンバーの大半がどこかの国の貴族かそれに類する名家の出身者だ。
どうして平等をうたう宗教の総本山がそんなことになっているのかというと、ハルモニエン、カルマニエン、シンフォニエン、タイタニエンに分立する各国がそれぞれの外交官となるべき僧侶に多額の金を支払って、教皇庁のトップに食い込ませているからだ。
教皇庁の決定は宗教界において絶大な影響力を持つ。
その結果、皇帝を頂点とする貴族社会へもなんらかの波紋が起きる。
それをいち早くつかむ、あるいは事を自ら起こすために、どうしても宗教界のトップ集団に自分たちの息のかかった人物を置いておきたいのだ。
うちの父さん、ラタトスク公爵もその一人で、すでに枢機卿の何人かは父さんから多額の袖の下をもらっている。
家庭教師を一人融通してくれと言われれば、彼らは躍起になって自分たちの縁者を推薦してくるだろう。
予想通りというかなんというか、そのせいで僕たちの家庭教師はなかなか決まらなかった。
まあ、教皇庁が人選でもめるのも分からないじゃない。
ラタトスク公国は連邦でも一、二を争う金持ち国家だし、ラタトスク公爵は次期皇帝の最有力候補だ。
その跡継ぎである僕やティルを自分たちの都合の良いように教育できる機会がやってきたのだ。そりゃ、大騒ぎにもなるよね。いまや世間は黒教会の方に傾きつつあるし。
白教会の総本山としては、ここらで一発かましておきたいところなのだろう。
一月が経ち、二月が経ち、ティルの堪忍袋がそろそろ限界を迎えようとしていたころ、ようやく教皇庁から二名の司教を選出して派遣したという手紙が届いた。
その報せに僕は微笑し、ティルは中庭で踊り狂った。
二名ということは、おそらく一人は教皇庁の高位聖職者だろう。髭を生やして、黒い服を着て、学者然とした宗教者。そんな人物が来るはずだ。
そしてもう一人、こっちはきっと、
「金髪のエルフ、なんだろうね」
僕が期待を込めてつぶやくと、ティルが「あったりまえじゃない!」と怒鳴ってるんだかはしゃいでいるんだか分からない声でいった。
「やっとよ、やっと! 三年もかかったのよ!? いえ、三年で会えるってのはむしろラッキーだったかもね。下手したら大人になるまで待たされた可能性もあるわけだし。そのときに例の敵が来てたら最悪だったわよ。ゆっくりハーレムを楽しむ暇なんかなかっただろうしね」
「うん、ラッキーだったんだろうね」
「なによ、浮かない顔して?」
「え?」
ティルにいわれて、僕は初めて自分の気分が沈んでいたことを知った。
僕だって、早く自分の将来の相手に会いたいって気持ちはある。
その点では変わらないのだけれど、でも、同時に思ってしまったのだ。
本当にこれでよかったんだろうかって。
「ねえ、ティル、家庭教師の先生って、どんな人なんだろうね」
「はあ? 何よ、いまさら。金髪美人のエルフでしょ? 自分であのうっさんくさい神にリクエストしたんじゃない」
まあ、たしかにそうなのだけれど。
正確には向こうが提案してきて、僕が受け入れたのだけれど。
「でもさ、金髪で美人でエルフってこと以外、僕たち、その人のことなんにも知らないんだよね」
「だからなによ? これから知っていくんでしょ? そんで何かしらのトラウマとか裏の事情を抱えていたら解決してあげて、攻略して、ハーレムに入れるんじゃない」
「……ゲームのキャラなら、それでいいかもね」
そう、恋愛ゲームのヒロイン相手ならそれでいいのだ。
容姿の気に入った子にとにかくアプローチをかけて、イベントが発生したらそれをクリアして、その子が聞きたそうな言葉を連発して好感度を上げて、晴れて幸せなエンディングを迎える。
でも、僕らがいるのは現実だ。
異世界だけれど現実なのだ。
やってきたのが美人だったとして、容姿が果たして僕の好みに合致するか分からないし、性格だって良いんだか悪いんだか判断しようもないし、何よりすべてうまくいったとして、エンディングのあとも僕らの人生は続くのだ。
ハッピーエンドの向こう側で何をすればいいのか、僕は知らない。
「……早まったかもしれない」
じっくり相手のことを知った上で結婚したいなんていう奴は、だいたいリア充で、非モテの気持ちなんて分かりもしない贅沢者なんだと思っていたけれど、いざとなってみるとすごく怖い。
僕は前の人生も勉強ばかりしてきたから、女の子と付き合った経験がない。
転生して三歳になったいまは言わずもがなだ。
だから、いまさらだけれど、とても怖いのだ。
これからやってくる人と、一生を共にしなければならないという事実が。
どうしてもマイナスな方ばかり見てしまう僕を、ティルは鼻で笑った。
「ふん! なら、あんたは黙ってみてなさい。家庭教師はあたしがもらうから」
「……ティルは怖くないの?」
「なにを怖がるのよ?」
「だって、うまくいかないかもしれないし、想像と違うかもしれないんだよ?」
「だから? うまくいくかもしれないし、想像通りかもしれないじゃない。もしかしたら頭で考えてたのよりずっと良い結果になるかもしれないじゃない。あんた、こっちにきて金持ちのボンボンになったから忘れちゃったんじゃないの? さして頭がよくないやつでも毎日コツコツ勉強したら良い大学いけるの。大して運動ができなくても、基本をちゃんと続けてればレギュラーになれるの。こっちがアクションを起こさなきゃ、リアクションは返ってこないの。そうやって、あたしたち、前世をすごしてきたんじゃない」
「その結果うまくいかなかったじゃないか! 最後はブラック企業に入って、営業でぼろくそに言われて、欝みたいになって、トラックに跳ね飛ばされたんじゃないか!」
「だからでしょうが、ブゥワァァァアアアカっ!」
「……!?」
「だから、今度こそはうまくやるんでしょ。幸せになるんでしょ。最後は『どちくしょう』じゃなくて、『良い人生であった』っていって死ぬんでしょ。そのために生きるんでしょ」
「……ティル」
「せっかく二度目の人生をもらったんだから、今度の今度こそ、あたしたちは幸せになるのよ、マクシミリアン」
「……うん……そうだね、ディートリント」
ティルが差し出してくれた手を、僕はつかんで立ち上がった。
僕はマクシミリアン・フォン・ローテンシルデ。
君はディートリント・フォン・ローテンシルデ。
二度目の人生で、僕らは二倍の幸せを手に入れなくちゃいけないんだ。
レームからの馬車が到着する日時は、先触れによってローテンシルデ家全体に衆知された。
この日ばかりは父さん、母さんはじめ、一家総出で門の前に整列してお迎えする。
馬車は一両だけではなくて、家財道具や従者たちを乗せたやつも含め、その周囲を今回の旅のために雇われたであろう騎士たちが美々しく着飾った姿で固めていた。
まるで大名行列だ。実際、やってくる人物が大名級なので、当然といえば当然なのだけれどね。
肝心の家庭教師たちを乗せた馬車は、なんていうか、日本の祭りの神輿というか、遊園地のメリーゴーランドをそのまま引っこ抜いてきたみたいなやつだった。
外壁は白く塗りたくられ、その上に天使とか鳩とか、とにかく縁起が良さそうな絵がびっしりと描き込まれている。
車を引いている白馬も、おそらく厳選された血統書つきのやつなのだろう。真白い体毛には、芦毛特有の、あの砂をまぶしたような黒い毛がない。本当に純粋なる白って感じだ。
僕らの前に停まったそのメリーゴーランドの扉を、御者台から飛び降りた従者がおごそかに開いた。
「いよいよだね」
「そうね」
僕とティルは生唾を飲み込んで、食い入るように扉を見つめた。
やがて、扉の前に設置された小さな階段に、靴の先っちょがかかる。
そして、姿を現したのは、
「お初にお目にかかりまする。シュプリング・ブルネン司教、メルクーア・フォン・ガッティナラと申しまする」
こげ茶色の髭が顔の半分を覆っているおっさんだった。狐目で、見るからにずる賢そうな感じだ。
ゆったりしたカーテンみたいな黒服をまとっていて、頭の上には同じ色のベレー帽を乗せている。
けっこう有名な人らしくて、父さんは少々興奮気味にあいさつしていた。
「ま、まあ、最初から二人って話だったしね」
「ふ、ふん、前フリが入るのは基本よね」
僕もティルも正直、心臓がばっくんばっくんだったけれど、気にしていない振りをつづけた。
あんまり騒ぐと第一印象が悪くなっちゃうしね。
「ティル、本番は次だよ」
「ええ、マクシー。抜かりないわ」
僕たちは三歳だ。三歳であるがゆえに放つことができる魅力というものを、一度大人になってしまった僕たちは充分以上に心得ている。
「あざとくたっていいさ」
「何より可愛く、何より無垢に、母性本能をくすぐり倒してやるわ」
そう、アクションを起こさなければリアクションは返ってこない。
だから行く。三歳幼児のつたなくもはかない懸命さで、金髪エルフを骨抜きにしてくれん。
「レッツ!」
「プリチー!」
気合満々、準備万端、戦闘態勢に入った僕たちのまえに、ついに二人目の人物が現れた。
「ザクソフォーン司教、フランツ・フォン・ピッコローミニと申しますですハイ」
ちっちゃいおっさんだった。白い肌で、しわが大きくて、頭も背もちっちゃくて、髭を生やさず、くすんだ金髪の短い、その辺のおっちゃんだった。
「「ザ・糞・ふぉーん!!」」
僕とティルは同時に奇声を発していた。いいや、これは怒声だ。僕らの内なる炎が、やり場のない灼熱の方角を求めて荒れ狂っているのだ。
「父さん、どういうことです!」
「天丼なんかいらないのよ! なめんな!!」
僕らの剣幕に、父さんはキョトンとした。
「気に入らなかったかい? お前たちの希望通りの人だと思うけど?」
「どこが!?」
「あんなのに需要あるわけないでしょ!!」
つい叫んでしまった僕たちに、馬車の方からクスクスと忍び笑いが答えた。
笑うな、ザ糞ふぉーん!
両目をつり上げて振り返った瞬間、僕もティルも硬直した。
「あらあら、お父様と同じで元気いっぱいなのですね、ちいさな鉄砲さん」
オカリナの音色みたいに柔らかな声だった。
長いレモン色の髪はゆるやかなウェーブを描いていて、額の真ん中で分けられている。
肌はミルク色で、瞳は夏の空の朝のよう。
背は高すぎず、低すぎず、胸は小ぶりではないが、だらしなく垂れてもいない。
顔立ちは、口とアゴとエラがそれぞれ大ぶりなように見えて、しかしシュッとした輪郭とふっくらした頬によって絶妙なバランスを演出している。
そしてもっとも特徴的なパーツ、長く尖った耳は、うっすらとした血の赤みを帯びていた。
「……映画で見たことある」
「キャ、キャメ……」
幼い頃みたハリウッド女優に、そのエルフはものすごく似ていた。
「ペーネロペイアと申します。どうかペネロペと呼んで下さいね、ちいさな鉄砲さん」
彼女が名乗った瞬間、僕もティルも短い両腕を振り上げ、叫んでいた。
「「きたぁぁぁあああっ!!」」
これが僕たちと、運命の人、ペネロペとの出会いだった。




