第二幕「ローカル召喚」
再び目を覚ましたとき、背後は夜の闇に包まれていた。
中天には煌々と光る満月があり、目前にはかがり火を焚いた木製の祭壇が設けられていた。
祭壇の下には茶色の野良着をきて、頭にまげを結ったいかにも農民ですといった連中がひしめき、彼らの先頭で御幣を振っていたらしい白い狩衣姿の神官が、唖然とした様子でこちらをみつめている。
なんというか、「和」といった感じの光景だ。
「えーと、グッドアフタヌーン?」
なぜか英語で訊いてしまった。
我ながら混乱しているなと思ったが、それは相手も同じだったらしい。
「御使いだ、御使い様だ!」
白い狩衣姿の神官、面倒なのでもう神主と言ってしまうが、そいつが叫び声をあげた直後、背後の農民たちもまた騒然となった。
「やったぞ! うまくいった!」
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「ばあちゃん、それは仏様にいうやつだってば!」
「そうじゃ、こういうときはなんまいだーなんまいだーじゃ!」
「じいちゃん、それもちげーよ!」
なんだろうか、この状況は。
なぜか異様に、というか異常に歓迎されている。
俺の姿を見て泣いてるやつすらいる。
そこ、「ありがたや、ありがたや」する前に状況を説明してくれないか?
いい加減ここがどこか聞こうとしたところで、一際大柄な中年が神主の隣へと進み出てきた。
他の連中は粗末なつぎはぎだらけの服なのに、その男だけは割りとちゃんとした着物をきている。
まげは百姓のそれだが、腰に脇差をさしているあたり、それなりの人物なのかもしれない。
「よくぞお越し下さいやした御使い様。手前、この甲斐の国は上黒駒村にて名主をつとめておりやす、小池勝蔵と申しやす」
大きな身体を縮めるようにしてペコリと一礼された。
それから、かたわらの神主を紹介してくる。
「こちらはこの神座神社で神主をしておられやす」
「た、竹居外記にございまする」
俺の顔を見て最初に叫びをあげた神主は、もう落ち着きを取り戻したらしかった。
言葉が詰まったのは、もともと吃音であるかららしい。
頬のこけた厳つい顔で、神主というよりヤクザといわれた方がしっくりくる。
「み、御使い様をお招きできましたことはこの上ない喜び。な、何卒、当方にておもてなしさせて頂きたく、伏してお願い申し上げまする」
お願いされているのに脅されているような威圧感だった。
とにかくこの神主、顔が怖い。
Vシネマでよくヤクザ役をやっている俳優にけっこう似ているのだ。
「は、はぁ……」
正直に言えば、頭がまるでついていっていなかった。
甲斐の国とはいまの山梨県のことだが、本当にここは日本なのだろうか。
そして村民たちのこの時代錯誤な感じはどうだろう。
もしかして俺はタイムスリップでもしてしまったんだろうか。
「あの、なにがなんだかわからないんですけど……」
神社の本殿に場所をうつした後、ありのままの感想を言ってみると、ヤクザ顔の神主・竹居外記がまるで用意してあったセリフを披露するようにつらつらと語って聞かせてくれた。
ウガヤフキアエズ朝ミヨイ帝国。
この中世の日本ぽい村人たちが暮らす国は、そういう名前であるらしい。
タイムスリップではなく、異世界にある日本によく似た国に飛ばされた。
どうやら、それが俺の現状のようだった。
外記はつづけて語る。
現在、ミヨイ帝国は戦国乱世の真っ只中であると。
「乱世、ですか?」
「は、はい。も、もう、かれこれ百年になりましょうか」
戦乱の原因は将軍家の継承問題に端を発した政争にあったらしい。
どこかで聞いたような話だ。
おかげでこの国は、それぞれの地方で領主を奉戴し、その人物や彼らが抱える家臣団の合議によって政治が行われているのだそうだ。
外記がそこまでいったところで、名主の小池勝蔵が後を引き継いだ。
「この国の御屋形様、加賀美法性院様は英邁な御領主様でごぜえやすが、いかんせん、戦にお忙しくて、細けえところまで手がお回りじゃござんせん。昨年もこの村は川が氾濫して田畑がそれはそれはひでえありさまになっちまいやした。この上、今年まで同じことになったら俺たちゃおまんまの食いっぱぐれでごぜえやす。そいで今夜、星がたくさん落ちる夜に呪いを行えば、御使い様を天上よりお招きできると神主さんが申しやすもんで、村人総出で呪いを行い、貴方様をお呼びしたというわけなんで」
「はあ……そうなんですか……」
つい気のない返事をしてしまったが、ようするに川の氾濫をどうにかしたくて俺は農民と田舎の神主によって異世界に召喚されてしまったらしい。
農民たちにとっては死活問題なんだろうが、正直、思わずにはいられない。
かつて、こんなしょぼい異世界召喚をされたやつがあったろうか。
「いきなり王女様にむかえられて王様に謁見とかじゃないんだな」
「な、なにか?」
「いえいえ、こっちの話です」
そう、あくまでフィクションの話だ。
だから外記さん、顔が怖いって。
威圧感が半端じゃないんで、あんま近付かないでもらえます?
「では、俺……じゃなかった僕……でもないか、某になにをお望みですか?」
「へえ、御使い様、倉田様には川の氾濫を起きないようにして頂きてぇんで」
「つまり治水ですか?」
「さ、左様でございます」
できなくはない。
もともと大学の史学科で戦国時代について研究することを希望していたんだ。
予備知識はたくさんある。
たとえば信玄堤の手法がとれるだろう。
川の中に障害物を沈めて、意図的に流れを変える方法だ。
「では、丸太と石をたくさんあつめていただけますか? それで四角錐型の……」
「ちょっ、ちょっとまっておくんなせえ」
俺が説明を始めたところで、名主の勝蔵がいきなりさえぎってきた。
「なにか?」
「もしかして、倉田様は法性院様がおつくりになった堤をつくろうと思ってらっしゃるんで?」
「あ、もしかしてもうあるんですか?」
そういえば法性院とは武田信玄の別名だ。
異世界とはいえ、もしかすると武田信玄に相当する人物がいるのかもしれない。
だったら話が早い。
これからつくるのが信玄堤だと知れば彼らも安心だろう。
なにせもうあるんだから。
「でしたら細かい説明はいりませんね。堤をつくって川の流れを……」
「お、お、お待ち下さい。み、御使い様は天上の術を用いて川の氾濫を鎮めてくださるのではないのですか?」
「へ?」
「か、神の御業でこの村をお救いくださるのではないのですか?」
そんなの使えない。
というか外記さんの驚いた顔が怖すぎる。
「えっと……つまり魔法みたいのでババーンっと解決しろと?」
まさかなと思いつつ確認したら、二人ともコクコクと頷いた。
「……できません」
「な、な、何故にございましょうや!?」
「あの、出し惜しみしているわけではなくてですね。使えないんです。呪術とか御業とか魔法とか……」
俺、一般人ですし、という言葉は小声になってしまった。
あまりに失望されているのですごく申し訳なくなってくる。
強面二人はお互いの顔を見合わせると、そそくさと本殿から出て行ってしまった。
俺だけが神社の中に、ポツンと取り残されてしまった。
なんだろう、そこはかとなくマズイ感じがして、俺は木戸に耳を押し当てた。