第六幕「風の最強魔法」
ともかく情報を仕入れないことには何もできない。
僕とティルはお互いに手分けして、魔法の情報収集を行うことにした。
具体的には、ヴァルブルガや他の女中たちが僕たちを抱きかかえたまま部屋を出たとき、目についた本なんかを持ってきてしまうという方法だ。
0才児がどうやって持ってくるんだって?
かんたんかんたん。その瞬間ぐずって泣き出せばいい。あわてた女中たちが僕らをあやすためにその本を借りてきてくれるってわけさ。
なので僕もティルも普段はまったく泣かないくせに、今回は盛大に泣きじゃくった。
もちろん、カルラに手伝ってもらうことも忘れない。
しばらくすると、僕らのベッドにはカビ臭い本がうずたかく積まれることになった。
0才児にカビは問題だが、僕もティルも余裕がないのでその辺は我慢する。
こっちの人はあんまり衛生面のことを気にしないので特にとがめられることもなかった。
「けっこう集まったね」
「でも肝心の内容が書いてある本はやっぱりないわね」
「うー……」
僕らは母さんやヴァルブルガの目を盗んでは本を読み漁ったのだけれど、やっぱり魔法に関する記述は極端に少ない上にあまり正確ではなかった。
このまま結局見つからないのではないか?
そうあきらめかけたとき、唐突に事態は好転した。
「これ見てよ、マクシー!」
いつものように女中との散歩を終えてベッドの上に戻ると、ティルが満面の笑みで出迎えてくれた。
「どうしたのティル?」
「見つけたのよ、魔法のハウツー本!」
「え! 本当!?」
「カルラが持ってきてくれたの!」
僕がカルラの方を振り向くと、彼女は得意気に「うーっ!」と胸を張って見せた。
うんうん、えらいえらい。
「どういう本なの?」
「冒険者向けに実践的な魔法について書かれてる解説本よ。白教会じゃなくて黒教会が発行してるやつ!」
「黒教会が!?」
白教会と黒教会というのは聖火十字教を信奉する別々の宗派のことだ。
もともと聖火十字教は白教会だけが存在していて、古都レームにいる教皇聖下も白教会の枢機卿の中からコンクラーベという選挙で任命されていたのだけれど、このレーム教皇庁がどんどん腐敗していって、平然と重税をかけたり、賄賂をとって教義を曲げたりをくり返してしまった結果、それに不満を持った人たちが黒教会という新宗派を立ち上げて分離独立してしまったのだ。
黒教会のリーダーはかつて白教会の司教だったマルティン・アグリッパという人物で、このお坊さんはレムリエンの三大魔道師として非常に名高い。
ティルが持ってきた本も、そのマルティン・アグリッパが書き上げたものだった。
「そういえば、冒険者ギルドは黒教会と仲が良いんだったね」
「白教会は保守派の伝統貴族とどっぷりだしね。冒険者出身の新興貴族たちが反発して黒教会と結びつくのも当然よね」
伝統貴族と白教会が結びついているのは白教会のお坊さんの大半が貴族の次男三男、もしくは私生児で占められているからだ。
教会の所有になっている領地を自分の家に取り込むために、わざと親類縁者を僧侶にする家は多い。
本当だったらカスパル兄さんもその一人になっていたはずなのだけれど、あの人は早々に勉強をほっぽりだしてしまったので父さんが断念してしまったんだそうだ。
反面、新興貴族たちの大半は冒険者となって迷宮を攻略した人たちだ。白壁山脈の向こう側にある迷宮は、攻略すると自分の領地にすることができて、そのまま貴族の列に加わることが出来る。
そういう出世した冒険者たちはそもそも白教会の上層部とは縁が薄いから、自分たちの立場を強化するために黒教会支持に回る人が多い。
おかげで黒教会は白教会と肩を並べるほど大きくなったのだけれど、そのせいで白教会VS黒教会という図式が、伝統貴族VS冒険者ギルド、保守派VS革新派という風にもなってしまっているわけだ。
「うちって伝統貴族だから白教会だよね? 黒教会の本なんてどこにあったの?」
「なんか、ヴァルブルガが持ってたらしいわ」
ティルの言葉にカルラは「うっ!」とうなずいた。
そっか、ヴァルブルガは黒教徒なんだ。
これは黙ってた方がいいのかな?
もし主人と違う宗派を信奉してることが分かれば、ヴァルブルガはここを追い出されちゃうかもしれないし。
とりあえず、本を読み終わったら他の人にもバレないようにこっそり戻しておかないとね。
「で、本にはどんなのが載ってるの?」
「ふふふー。それがすごいのよ。攻撃魔法と防御魔法、回復魔法が簡単な手順でわかりやすく書かれてるの。しかも図説入りよ」
「まじですか」
詳しく読んでいくと、たしかに魔法について簡潔かつ確実な方法が記載されていた。
どうやらこれから迷宮にもぐる新人冒険者のために書かれたものらしい。
まさしく僕らが探していた内容だ。
「これ、試してみても大丈夫かな?」
「やるんなら慎重にやんなさいよ。ボヤなんか出したら一発で取り上げられるわ」
「うん。ちょこっとだけにしておくよ」
僕は本に書かれている魔法の中から風の魔法を探し出した。
ラ・ムーに転生させてもらったとき、風魔法を得意にしてくれと頼んでいたからだ。
「えーと、一番威力が低いのは、『シュラーフ・ヴィント』またの名を『スリープ・ウインド』。効果は相手を眠らせる、か」
「そんなのよりこっちにしなさいよ」
「『グランツ・デア・シュトルム』? ってこれ最上級の攻撃魔法じゃないか! さっき慎重にやれっていったのティルだろ!」
「だから、慎重に最強魔法出しなさいよ。あたしたちは強くなんなくちゃいけないんだから、ちんたらしてらんないでしょ?」
「そんなこと言ったってさ……」
まあ、でもやるけどね。
グランツ・デア・シュトルム。和訳すると『嵐の栄光』なんて、なんかそそるネーミングだし。
「えーと、呪文は、『風よ風よ、碧羅の天ゆく猛き翼、そもいかなる空の笛あるいは琴の調べの与えしや、汝の輝く栄光を』」
――グランツ・デア・シュトルム!
言った直後、寝室中から蛍火みたいな緑色の粒子が湧き出し、どんどん僕の掌に集まってきた。
その粒子が渦をまいて、さながら竜巻みたいに旋回を始めた。
「え、ちょ、これ、なんかマズくない?」
「カルラ! あたしを抱えてベッドの下に入りなさい!」
いち早く事態の異常さに気付いたティルが叫ぶ。
カルラは顔を真っ赤にしながらティルを抱え上げると、一緒にベッドの下へもぐりこんだ。
って、僕は置き去りかい!
「坊ちゃま!?」
悲鳴にも似た声に驚いて振り返ると、洗濯したばかりのおむつを持ったヴァルブルガが立っていた。
「げ、こんなときに!?」
「手を上に挙げてください! はやく!!」
どうしていいかわからなかったので思わずヴァルブルガの指示通りに手を挙げる。直後、
――ドォォォオオオンッ!
という大砲みたいな発射音と共に、寝室の天井が吹っ飛んだ。
「へ?」
天井は木片をまき散らしながらどんどん上昇していき、ついに空へ一抹の輝きを残して跡形もなく消えさった。
「……まじですか?」
なんつう威力よ、これ。もし下に向けて撃ってたらどうなってた?
うちには三十人以上の家族がいるんだ。きっと全員が、いまの天井みたいになっていただろう。
「はは、やっべえ……」
あやうく大量殺人鬼になるところだったぜ。
冷や汗をかきつつ、ホッと溜息をついた僕は、次の瞬間「ひっ!」と短く悲鳴を上げてしまっていた。
仁王立ちしたヴァルブルガが、般若の形相でこっちをにらんでいたからだ。
「坊ちゃまぁぁぁあああっ!」
ひぃぃぃいいいっ!
やっと魔法が出せました。
余談ですが、マクシーのモデルは神聖ローマ帝国皇帝だったマクシミリアン一世だったりします。通称「中世最後の騎士」。白馬に乗って捕らわれのお姫さまを救出したあとそのまま結婚してしまうという「人生=中二病」みたいな人でした。知ったとき「こういう人、本当にいるんだな」と感心したのをよく覚えています。




