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第十七幕「さらば、愛しき者よ」

「ガナトス・イルルタって……あんた、どう見ても坂本りょ……」


「わしゃあ、ガナトス・イルルタぜよ!」


 片腕を失くした男はそう言ってニカリと笑った。


 のっぺりした顔をしているくせに、表情にどこか愛嬌(あいきょう)がある。


 男は左腕を振りかぶったまま、「ふん!」と肘から先のなくなった右腕を振った。


 途端に、


――ズルリッ!


 とやつの右肘から先が生え出した。


「ちゃっちゃっちゃっ、やっぱりちっくと痛いぜよ」


 再生した、ということなのだろう。


 生えたばかりの掌をグッパッと何度か握って離しを繰り返し、按配(あんばい)をたしかめるとイルルタは顔をしかめた。


 一体、どういう身体の作りをしているのか。


 外見は普通の人間だが、こいつもソルヴァリと同じく人外の何かになってしまっているらしい。


 俺はいぶかしく感じながら、身構えていた。


 もし、こいつの正体が俺の思っている通りの男であるのなら、油断した段階でこっちの身体は真っ二つにされてしまうことだろう。


「流派は、北辰一刀流でしたっけ?」


「お、よく知っちゅうのー」


 いや、日本人ならみんな知ってると思うぞ。


 あんたが、通ってた道場の娘とできてたのはけっこう有名な話だからな。


 俺は村雨を正眼に構えると、マキモノを懐にしまった。


 軽口を言いあっていたのが嘘のように、ピンと張り詰めた空気がその場を満たしていく。


 斬れるか?


 斬れるような気がする。


 しかし、同じくらい斬れないような気もしていた。


 このままやり合えば五分五分。どちらが死んでもおかしくない。


 おそらく紙一重の差が、俺たちの命運を分けるだろう。


 まさかあの坂本竜馬と互角とは、俺もずいぶん偉くなったもんだ。


 まあ、この人はもともと剣の腕より型破りな行動力と卓越した交渉力で歴史に名前を残したタイプだからな。


 刺客に襲われた際も剣を抜かずに高杉晋作にもらったピストルで応戦してたって話しだし、腕が同じでも自慢になるか微妙なところだ。


 そう、ピストルだ。


 イルルタを名乗るこいつは左腕一本で剣をあやつる。


 それなら復活した右手にいつピストルが握られてもおかしくない。


 警戒から俺が構えを下段に変えたときだった。


――ピクリ。


 とイルルタの右眉が動いた。


 なんだ、いまの反応?


 仕掛けてくるわけでもなく、かといって隙を見せて誘いをかけてくるわけでもない。


 イルルタはつまらなそうに溜息をつくと、構えを解いた。


「やめぜよ」


「やめる?」


「久しぶりに剣を使えると思ったけんど、いかんぜよ。おまん、別のことばっかし考えちゅー」


 そりゃそうだろ。


 こっちはこの後もいろいろ予定があるのだ。


 そっちの都合に合わせてばかりもいられない。


 とはいえ、真剣を向け合っているときにそれじゃダメなんだよな。五分五分だなんて思っていたけど、実際、いまこの瞬間斬りあったら、死んだのは俺の方だっただろう。


 イルルタは勝蔵の遺体の側に転がっていた白鞘を拾ってくると、そこに刀を納め、さらにソルヴァリの(しかばね)へと手を伸ばした。


「ちゃっちゃっちゃっ、真っ二つぜよ」


 彼が言っているのはソルヴァリが腰に巻いていた青銅製のバックルのついたベルトのことだ。


 俺の下段からの一閃で、いまはその特徴的なバックルが割れてしまっている。


「おまん、これ高いんぜよ。やってくれたぜよ」


「いや、そんなこと言われても……」


「ソルヴァリ、おまんもがんばったのー」


――ぐすっ!


 と鼻をすすりながら、イルルタはソルヴァリの屍をヒョイと肩に担いだ。


「仲間の仇はきっと取るきにのー。首を洗って待っちゅーぜよ」


 有名人のくせに、その辺の雑魚キャラみたいな捨て台詞を吐いて、イルルタは跳び上がった。


 凄まじいジャンプ力だ。


 さっきまでソルヴァリが糸でぶら下がっていた枝を踏むと、自重でたわんだ反動を利用して、夕暮れの空の向こうに跳んでいく。


 ほんと、なんなんだ、あいつ。


「……はぁ」


 ともかく、これでひと段落ついた。


 さあ、義姉さんのところに帰ろうか。


 行くときは姿を隠す必要があったから裏道を使ったが、いまはどうせ自首するのだから関係ない。


 俺は薬草とマキモノを懐に、泥を跳ね上げながら街道を突っ走った。


 おかげで境村までは行きの半分くらいの時間でついた。


「義姉さん! 義姉さん義姉さん義姉さん!」


 すっかり暗くなった村の中を、義姉さんが寝かされている源応尼さんの尼寺に向かって急ぐ。


 尼寺の門の前は松明(たいまつ)によって明るく照らされていた。


 その周りに村の連中が集まっている。


 俺はそいつらに向かって怒鳴った。


「戻った! 戻ったぞ!」


 俺に気付いた連中がわらわらと駆け寄ってくる。


「や、薬草、手に入れたぞ! は、早く、義姉さんにッ!」


 言ったときには足がもつれ、こけそうになっていた。


 側にいた連中が慌てて手を貸してくれる。


 肺と横隔膜(おうかくまく)がとにかく痛い。


 全力疾走なんていつ以来だろう。


 記憶にあるのは高校の体育の授業だが、果たしてあれからどのくらい時間が経っているのか自分でも分からない。


「は、はやく、義姉さんっ……」


 薬草を取り出す俺の顔に、すっと人影が差し込んだ。


 視線を上げると新太郎が、悲しそうな表情で立っていた。


「し、新太郎……義姉さんに……」


 俺の言葉に、新太郎は無言だった。


 ただ黙ったまま肩を貸してくれて、尼寺の中へとつれて行ってくれる。


 なんだってんだ、らしくない真似しやがって。


 そんなちんたらしている時間はないだろう?


 急かしたい気持ちは強かったが、苦しすぎて声がでない。


 やがて、新太郎はすまなそうに言った。


「面目ねぇ……」


 面目ねぇ?


 こんなときに何言ってんだよ、お前。


 良いから急げよ。ただでさえ勝蔵とかソルヴァリとかイルルタのせいで時間を潰してしまったんだ。


 こういうときに焦るのがよくないことは知ってるさ。


 それでもやっぱり急いでほしいんだ。だって万が一ってことがあるだろ?


 俺の心配をよそに、新太郎はゆっくり歩みを進め、義姉さんが寝かされている一室へと入った。


「ね、義姉さん……?」


 部屋の中はとても静かだった。


 畳の上に布団が一枚きり敷かれている。


 しっかり綿が入ってふかふかしたやつだ。


 その周りに、源応尼さんをはじめ村の主だった連中が沈痛な面持ちで座っている。


 おい、なんだよ、この雰囲気。


 まるでこれから通夜が始まるみたいな、そんな光景。


 嫌な予感が、俺の胸中を黒く塗りつぶしていく。


 だが、


「……巴ちゃん?」


 枕元からの懐かしくも穏やかな声。


 周囲に居並んだ連中がギョッと目をむく中、俺は這うようにして走り寄っていた。


「西野義姉さん!」


「……どうしたの? 血まみれじゃない」


 常から白い義姉さんの顔は、より一層青白くなっていた。


 典型的な病人の顔だ。


 だというのに、この人は俺を心配させまいと、やわらかく微笑んだ。


「いまね、夢を見ていたの」


「夢?」


「そう、巴ちゃんの夢よ」


「俺が、どうかした?」


「ふふ、未来の巴ちゃんの夢だったのよ。金の屏風が立てられている大きな部屋でね、お髭をはやしたお武家さんたちにお辞儀されて、巴ちゃん『大儀である』ってあいさつするの。烏帽子をかぶって、綺麗な狩衣を着てた。髪もいまより伸びて、まげをゆってたなぁ」


「……現実の俺は、こんなんだけどね」


 息を整えながら、俺は言った。


 つぎはぎだらけの野良着を赤と緑の血で染め上げ、さらに泥と汗をまぶした貧農の入り婿。


 それがいまの俺だ。


 しかし、義姉さんは落胆したようすもなく答えた。


「未来の話なのよ、巴ちゃん。いまではなく、未来。いまは……」


――私とあなたの時間よ。


 義姉さんはそう言って、布団の中から手を伸ばした。


 その手が俺の頬を優しくなでる。


「義姉さん?」


 西野義姉さんの手は、布団の中にあったとは思えないほど冷たかった。


 半日前までは高熱にうなされていたのに、どうしたんだろう。


 俺の懸念とは裏腹に、義姉さんは涼やかな声音で語った。


「巴ちゃん、以前、私が天命の話をしたのを覚えてる?」


「……えっと、俺がなにか使命を帯びてこの世界にきたって話でしたっけ?」


「そう。でもね、あの話は、本当は私のことだったの」


「義姉さんの?」


「私ね、ずっと考えていたの。私みたいな人間が、どうしてこの世界に生まれてきたんだろうって」


「みたいだなんて、そんな言い方!」


 否定しようとする俺の言葉に、義姉さんは首を横に振った。


「女に生まれて、家も継げない。身体が弱くてお嫁にいくことも、子どもを産むこともできない。田畑の世話も、家事もろくにできなくて、父や妹に迷惑ばかりかける。そんな役立たずがどうして生まれてきたのか知りたくて、必死に勉強したわ。私でもきっとなにか、この浮世(うきよ)の誰かのためにできることがあるはずだって、そう思って。そして、あなたに出会った」


 義姉さんの目が嬉しそうに細められる。


「最初は私と同じ人なんだって思った。弱々しくて、迷いを持っていて、でも自分でもどうしていいかわからない、そんな無力な人なんだって。だけど違った。あなたは強くて、賢くて、誰よりも輝いていた」


 その目尻から、涙がこぼれでる。


「夢の中で、とても綺麗な人に会ったの。もしかしたら、あれが弥勒(みろく)様だったのかもしれないわね。その人にね、言われたの。巴ちゃんはすごい人なんだって。この世界を救うために来た人なんだって。そんな巴ちゃんを助けるために、私は生まれてきたんだって。その言葉を聞いたとき、私、すごく嬉しかった。ああ、そうなんだって思ったの。私は巴ちゃんを助けるために生まれた。巴ちゃんの背中を押すために生まれた。こんな私にも、ちゃんと役割が、生きている意味があったんだって」


「……義姉さん」


 なんてこと言うんだろう、この人は。


 そんなはずないじゃないか。この場に集まってるやつの顔を見ればわかるじゃないか。俺なんかのためじゃない。みんな義姉さんのために集まってるんだ。義姉さんを心配してここにいるんだ。義姉さんは役立たずでも無価値でもない。義姉さんが生まれてきた意味は、ここにいるみんなが証明してくれているじゃないか。


 なのに、義姉さんは言った。


「ありがとう、巴ちゃん。この世界に来てくれて、私のところに来てくれて。あなたが、あなたこそが、私の天命だった。あなたが……」


――私の生まれてきた意味のすべてだった。


 俺はもうじっとしていることができなくて、布団に横たわる義姉さんを抱きしめた。


 愛おしくて、同時に悲しかった。


「違います。そんなはずないじゃないですか。ちゃんと義姉さんの命にはもっとたくさんの意味があるんですよ。尼寺の子どもたちも、ここにいる源応尼さんや新太郎や、たくさんの人たちも、出て行った折花だって、本心では義姉さんを役立たずなんて思ったことないはずですよ。だって義姉さん、こんなに優しいじゃないですか。優しい人はね、必要とされるものなんですよ。必要とされなきゃいけない人なんですよ。義姉さんは、みんなに必要とされて、幸せにならなきゃいけない人なんですよ」


「もう充分、幸せよ。そのための時間ももらったわ」


「義姉さん?」


 義姉さんの身体から緑色の光の粒子が流れ出ていた。


 それがゆっくりと、蛍火みたいにまたたきながら、上へ上へと昇っていく。


「義姉さん、いったいどうしたんです?」


 義姉さんの身体から徐々に温もりが消えていく。


 まるで最後の瞬間が近付いているとでも言うかのように。


「巴ちゃん、この世界の人はね、みんなが心の中で悲鳴をあげているの。殿様も、商人(あきんど)も、百姓も、みんながみんなそうなの。子が親を殺してその座を奪い、隣人を襲って食べ物を求め、娘を人質として敵に嫁がせ、日銭を稼ぐために戦場に出て槍を奮い、最後は遺体から武器や糧秣(りょうまつ)を剥ぎ取る。みんなが、そんな暮らしをしているの。生きるために仕方ないことなんだって、それが誇りある生き方なんだって自分を誤魔化しながら、みんなが闘っているの。だからね、巴ちゃん、そんな世の中を終わらせて。あなたは戦いの中でしか生きられない人たちに最後の輝きを、安寧を求める人たちに安らかな光をもたらすことが出来る人」


 言いながら、義姉さんは両手で包み込むように俺の頭を抱えた。


 うるんだ瞳が、まっすぐ俺を見つめる。


「行きなさい、私の大切な人、愛しい義弟(おとうと)。草葉の陰から、私はずっとあなたを見守っているわ」


「じょ、冗談やめてくださいよ! 嘘でしょ!? 嘘なんでしょ、義姉さん!?」


 俺の叫びに答える代わりに、義姉さんは穏やかに微笑んだ。


「最後に話せて良かった。大好きよ、巴ちゃん」


 やがて、緑色の光の粒子が出尽くしたときには、西野義姉さんの身体からは温もりが完全に失せて、そのまぶたは固く閉じられていた。


 命禄(めいろく)三十年六月、俺の義姉、世良田西野はこうして十八年の生涯を終えた。


西野のモデルとなったのは「明慶院西野」という名前の伝説上のお姫様です。

この人物は武田信玄の父・信虎と相思相愛の関係にあったそうなのですが、のちに信玄を産むことになる大井夫人の実家に攻撃され、嫁入り直前に一族が滅ぼされ、失意のうちに出家してしまったんだとか。

史料的裏づけも乏しく、信虎の正室の実家から攻撃されるというくだりには多分にフィクションの匂いがしますが、そういう人物にこそこうした物語で光を当ててやりたいと思って主人公の義姉として登場させました。

作者としては試みがうまくいっていれば嬉しいのですが。

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