第十六幕「己を知る者のために」
ただでさえ村人の返り血で真っ赤になっていたところに、ソルヴァリの緑のそれが混ざって、俺の身体はとんでもない色になっていた。
正直、いますぐシャワーを浴びてこの不快感を洗い流したい。
しかしここは戦国時代に酷似したミヨイ帝国である。
シャワーどころか風呂はサウナ式でつかることができない。
そして何より、世良田家にはそんな蒸し風呂すらない。
「何もかも貧乏が悪い!」
おっといかん。つい本音が。
ともかく、自称ソルヴァリ・ギガリ君こと鄧艾士載は討ち取った。
もうこの上、厄介な敵は現れないだろう。
と、思いたいところだが、実はそうも言っていられない。
上黒駒村は特産の薬草を白壁山脈を挟んだ大陸の反対側にあるレムリエン連邦まで輸出して財をなしているような土地だ。
当然、この村の動向は領主である加賀美家のみならず、保護下においていた諏訪大社、堺の豪商や彼らと取引しているレムリエンの商業都市同盟も関心を寄せている。
そんな村の名主を含めた働き盛りの男共三十名を斬殺したのだ。俺の死罪は確定だろうし、逃亡しようものなら境村の乙名衆にも圧力がかかるだろう。
被害をこれ以上広めないためにも、俺は薬草を西野義姉さんのもとに届けたら、すぐにでも自首しなくてはならない。
その前に、一つ、やっておくことがあった。
「敵はすべて斬り捨てました、御主君」
俺はソルヴァリの吐き出した糸に搦め捕られて地面に張り付いたマキモノへ向かって言った。
「御主君……で、いいんですよね?」
『……ふん、自信がないなら言わんことだ』
「すいません」
『……俺はもうお前の主君ではない。お前をそちらの世界に送るとき、そういったはずだ』
「それも、すいません。正直、覚えていないんです。なぜ、この世界にいるのかも、貴方との関係も。俺が覚えているのは先ほど説明したことで全部です」
『……そうか』
電話相手はつぶやいてからわずかに沈黙した。
俺との過去を思い出してくれているのかもしれない。
生憎、そのことについての記憶が俺にはない。
だから同じように感慨に浸ることはできない。
やがて、電話相手は静かに言った。
『……俺のことを覚えていないということは、お前がその世界に向かった理由についても忘却しているのだな?』
「そのことについてなんですが、きっと俺は貴方に何かを約束したのだと思います」
『……ああ、たしかに約束した』
「それをなかったことにしていただけませんか?」
『……聞かせるな、ということか?』
「……はい」
『……より大事なものができたということか?』
「はい。俺はこれから死ななければいけません」
『……先ほど言っていた、病の女のためか?』
「はい」
『……お前がたった一人の女のために死のうとするとはな』
電話相手はおかしそうに笑った。
そんなに意外だろうか。
意外なんだろうな。自分で思い起こしてみても、こんなことをしようとしたことはない。
これでも自分では結構クールな性格のつもりでいるのだ。
『……その女は恋人か?』
「義理の姉ですよ」
答えると、電話相手はますます声を立てて笑った。
『……義姉のために死ぬか。敵からは悪鬼羅刹のように言われていたお前がな』
「すごく気になる言葉ですけど、聞くのはやめときます」
『……その方がいい。しかしな、巴』
「はい」
『……お前に与えた役目はおいそれと他の者に任せるわけにもいかんのだ。だから、気が変わったら、また連絡して来い』
「これから死ぬのにですか?」
『……そうだ。これから死ぬとしても、そのことだけ覚えてくれていれば良い』
「連絡って、こっちからできるんですか?」
『……特定の条件をそろえればな。やり方はそのマキモノに記録してある』
「多分無理でしょうけど、考えてはおきます」
『……ああ、それでいい』
「それじゃ、あの、御主君、お元気で」
『……もう主君ではないと言ったろう』
「じゃあ、なんなんでしょう?」
『……同業者といったところだろうな』
「俺に征夷大将軍になれと?」
『……冗談だ。ただの朋友だよ、いまの俺とお前はな』
「その方がわかりやすいです」
『……ああ、そうだな』
「それじゃ、信、さようなら」
『……ではな、巴』
俺たちの会話はそれで終わりを迎えた。
コール音が鳴り出したときと同じように、マキモノの通話は唐突に切れた。
「やっぱり、山田信だったんだな」
半信半疑で話していたのだが、間違っていなくて良かった。
これで違う人だったらどうしようと内心冷や冷やしていたのだ。
俺が元居た世界で160年ぶりに幕府を復活させ、征夷大将軍の職についた十七歳の少年。
さっきの口ぶりだと、俺は彼の部下として「敵」と闘ったりしていたらしい。
それが政治的な暗闘のことを言っているのか、それとも文字通り戦闘のことを言っていたのかはわからない。
しかし、この俺の身体から赤い光を出している正体、“五行の能力”を与えたと話していたところをみると、やはり実戦のことを言っていたのだろう。
東京幕府という組織が何をしていたのか、そこで俺がどんなことをしていたのか、いまになって非常に気になってきたが、確認している時間はない。
俺は村雨でソルヴァリの吐き出した白い糸のかたまりを切ると、マキモノを何度かこすった。
国内有名メーカーが発売している数ある機種の一つ。
さして珍しいわけでも、極端に高価なわけでもないが、いまはこいつがいかに特別かわかる。
上下についたゴツくて黒いユニット。おそらくこれのせいなんだろうが、俺のマキモノは異世界同士で通話ができるとんでも仕様になっているわけだ。
「っていっても、使いどころがあるとは思えないけど」
俺はこれから死罪になる。
というか、ならなければならない。
もし俺が行方をくらませれば、代わりの犯人捜しが始まる。
おそらく上黒駒村から領主である加賀美家に対して訴えが出るだろう。加賀美家は犯人を引き渡すように境村に申し付ける。
手続きはそれで終わりだ。捜査も、裁判も、基本的には村内の掟と乙名衆の合議によって行われる。領主は村が連れてきた犯人を引き取るだけだ。
日本の戦国時代の話になるが、その場合、替え玉を立てることも頻繁に行われていたらしい。
つまり、村にとって死んでも良い人間が、証拠も証言もでっち上げられた状態で突き出されるのだ。
もちろん、そうなった場合、替え玉になった人間の遺族が優遇されるとかいった契約を村との間で取り交わしている。
両方にとって特になる話というわけだ。
が、真犯人が俺の場合はどうか。俺の身代わりになったところでメリットは何もない。
むしろ世良田家の人間の犯した罪は、同じく世良田家の人間がすすぐべきだという話になるだろう。
ようするに、俺が逃げれば代わりに死罪になるのは西野義姉さんということになる。
義姉さんを助けるためにやった犯罪で、義姉さんを死なせたら本末転倒だ。
だから俺は死ぬ。
そのことに後悔はない。大損害をこうむった上黒駒村の連中には申し訳なく思うが、でも、こっちだって譲歩できるところはしようとしたし、交渉だって持ちかけたのだ。それを蹴ったのは向こうなわけで、とりあえず今回の件は俺が死罪になることでトントンと思ってもらおう。
あとは境村の人たちだが、その辺は新太郎と源応尼さんによろしく頼もう。
もともと異物は俺なわけで、二人は西野義姉さんとは家族みたいなものだった。
決して悪いようにはしないだろう。
「うん。そいじゃ、サクッと死んできますか」
その前に一端、境村に戻って薬草を届けないとな。
そう考えたときだった。
――ゾワリ。
と背筋に悪寒が走った。
「おまん、ここで勝ち逃げはさすがにずるいぜよ」
声に振り返るよりも、反射的に横に飛んでいた。
――ヒュンッ!
と銀閃が一筋、一瞬前まで俺が立っていた場所を縦によぎった。
「ちゃっちゃっちゃっ。やっぱおまん、強いぜよ」
声の主は、俺が右肘から先を斬り飛ばしたあの若い村人だった。
そいつが不敵な笑みを浮かべ、勝蔵が使っていた太刀を左手一本で持って上段に振りかぶっている。
左片手上段。そう呼ばれる構えだ。
「ナーカルの兄弟が一人、ガナトス・イルルタ。基点王……」
――いざ、尋常に勝負ぜよ!




