第十四幕「特殊スキル発動」
前方に、クモ怪人・ソルヴァリを見据え、背後で火魔法ファイヤー・ウォールを負いながら、俺は右手で懐からマキモノを取り出した。
隙を作らないよう、左手に持った村雨の切っ先と視線はソルヴァリに向けたまま、通話ボタンを押す。
真剣勝負の最中にする行為ではない。
どうしてなんのためらいもなく、いまマキモノのコール音に答えなければいけないのか。
実のところ、俺自身もよく分かっていなかった。
しかし、異世界にありながら、まるでそれが当たり前ででもあるかのように鳴り響くその音をなんとしてもすくい取らなければならないと、理性ではなく本能が叫んでいる気がしたのだ。
「……もしもし」
相手を探るように、呼びかける。
画面を見ることができなかったから、この電話の向こう側に誰がいるのか分からない。
だが、一人、もしかしたらという相手なら居た。
『……巴か?』
――ザザッ!
と砂嵐を思わせるノイズの向こうから、知らない声が俺の名前を呼んだ。
「はい、倉田巴です。いきなりですが、端的に現状を説明させていただいても構いませんか?」
『……話せ』
通話相手に躊躇した様子は微塵もなかった。
こちらの言葉を聞き、なにかまずい事態になっていると即座に察した感じだ。
頭のいい人だ。
俺は一言だけで、この相手に好感を持った。
「現在、俺は異世界の大陸の西端、ミヨイという国にいます。最後の記憶は東京幕府から異世界で働かないかという勧誘メール。そのメールに返信した直後、この世界に来ました。最初にあった村人たちに魔法が使えないことを問題視されて生贄にされそうになり、逃亡。俺を拾ってくれた女性の家に婿養子として迎えられましたが、その女性が現在、病のために危篤。最初にやってきた村に薬草があるときいてそれを盗むべく潜入するも発見されて戦闘。村人三十名を斬殺しましたが、その村の一員と思われた神主が、なぜかクモの怪人に変身し、ただいま戦闘中です」
『……わかった。巴、記憶を失くしているか改竄されたかもしれないという自覚はあるか?』
「少々」
『相手はそのクモ怪人、一人だけか?』
「はい、しかしかなり苦戦しています」
『……お前がか?』
その答えに、俺はこの人がそれなりに俺を評価してくれているのだと感じて、ちょっと嬉しかった。
「ええ、魔法だといって、六本の腕か触手かわからないものの先から火を放ちます」
『……火か、その程度ならば問題あるまい、お前は……』
電話の相手がそこまで言ったところで、それまで樹上で俺の様子を観察していたソルヴァリがまたしてもファイヤー・アローを放ってきた。
数は三本。
俺は左手の村雨を振って一撃目を切り飛ばし、その直後に柄と右手のマキモノを目前に投げ出して空中で持ちかえると、残り二撃を切り払った。
「取り込み中だよ、クモ野郎」
「の、のん気に隙を見せるお主が悪かろう」
俺は村雨を正眼に構え直すと、再びマキモノを耳に押し当てた。
「失礼。いま攻撃がありました」
俺が通話を開始した直後、ソルヴァリが口から糸を吐き出した。
糸は俺の横を素通りして、背後の地面にくっつく。
まずい。
「ブシャアッ!」
気合の咆哮とともに、ソルヴァリが樹上から糸を伝って飛んでくる。
右腕三本を鎌のように構え、そのまま俺を横薙ぎにするつもりらしい。
まともに受ければ力負けして跳ね飛ばされる。
そう感じた俺はあえて前に出た。
相手の間合いをはずし、斬撃ではなく、太刀の柄を握ったままの右手で拳打を放つ。
ギョッとした様子のソルヴァリの顔面に、俺の拳がめり込んだ。
「ヘブァアッ!」
『……なんの声だ?』
「虫を叩いたら鳴きました」
『……そうか。話の続きだが、そのまま戦いながら聞け』
「無茶を言いますね」
『……俺はいつもお前に無茶しか言ってこなかった。その無茶をお前は常に実行してきた。今回もそうだと信じている』
「言うだけなら簡単ですよね!」
返事をしながら、俺は後方に飛んだ。
ソルヴァリのやつが起き上がりざま、下段から鉤爪のついた触手を振ってきたからだ。
一撃目をかわし、二撃目を払う。
――ギンッ!
と先ほどと同じように重い金属音が鳴った。
まったく、なんだってこんな硬いんだか。
『……記憶を失くしているということは、お前は自分の能力についても現在は自覚していないのか?』
電話相手は宣言通り、こっちの状況などお構いなしに話し出した。
やると言ったら本当にやる。
そういう人であるらしい。
「能力ですか?」
『……そうだ、俺がお前に与えた力。“五行の能力”だ』
「俺に超能力みたいなものがあるってことですか? 生憎そんなもの……」
――ない。
と答えようとして、俺はふと思った。
もしかして、この世界に来てから毎晩見続けている夢。
あれが俺の能力なのではないだろうか。
「それって過去を夢で見るってやつですか?」
『……なるほど、わずかながら自覚はあるのだな』
「わずかながら?」
『……過去視はお前の能力のほんの一部に過ぎん。いいか、お前の能力は……』
電話相手がそこまで言いかけたところで、俺は身をひねらなければならなかった。
ソルヴァリのやつが、こちらの顔面に向けて白い糸のかたまりを吐きつけてきたのだ。
糸は俺の顔の横を通りすぎ、なんとマキモノの先端を巻き込んだ。
「なにっ!?」
搦め捕られたマキモノはそのまま宙を飛び、やがて村人らの遺体が散乱する地面に、
――ベヂャッ!
と音を立てて張り付いた。
「ソルヴァリ!」
「よ、余計な情報は、与えぬ」
勝ち誇った笑みを浮かべるクモ怪人。
だが、
『千里眼だ!』
白いネバネバした鳥もちみたいな糸に巻かれた状態で、しかし、マキモノのスピーカーは死んではいなかった。
『別名、浄天眼! お前の目は過去も未来も、近場のものも、遠方のものも、すべてを見通す!』
電話相手の張り上げた声に、ソルヴァリのやつが露骨に慌てだした。
余程、その情報を俺に与えたくなかったらしい。
考えてみれば当然か。
俺が記憶を失くしているか、一部を改竄されているとして、やったのは目の前のこのクモ怪人以外ありえないのだ。
そこまでして隠そうとした情報。
奪おうとした能力。
つまりは、
「それだけお前にとって、いや、お前たちにとって都合が悪い能力なんだな?」
「ぐ、ぐぬぬ」
分かりやすいやつだ。
人外の顔をしているのにこんなに分かりやすい表情のやつも珍しい。
とはいえ、超能力ってどうやって使うんだろう。
電話相手が過去視といった夢だって、俺が狙って見たわけじゃない。
寝ていたら勝手に頭の中で始まっていたのだ。
「とりあえず、叫んでみるか?」
なんか必殺技ってそういうものだと思うし。
俺は必殺技は叫ばないといけないと考えている派閥の人間だ。
ここぞと言う時に声を張るとそれだけ力が出る。
「千里眼!」
腹から一気に息を吐くようにして言ってみたが、特に何も起こらなかった。
ふむ、やっぱ声に出すだけじゃダメかな?
いや、待て、たしか別名があるって話だった。
「浄天眼! ふぁっ!?」
言葉のあとで変な声を出してしまった。
だって仕様がないじゃないか。なんでだか分からないが、全身がいきなり赤く発光を始めたんだから。
「この光……」
覚えがある。記憶にはない。だが、意識の奥の奥、その片隅の薄暗い小部屋に置き忘れてきたような、懐かしい何かを見つけた感覚が、たしかに存在する。
ソルヴァリが途端に駆け出した。
こちらに急迫し、すぐにでも首をかき切りたいらしい。
やはり、やつにとってこの能力はそれだけ警戒すべきものなのだ。
しかし、いまの俺にはソルヴァリのそうした動きや感情の変化が手に取るようにわかっていた。
やつは肩の触手でフェイントを入れたあと、腰の触手でこちらの腹を突きえぐろうとしている。
俺はそれらの攻撃を払いのけ、上段からの面打ちを見舞った。
ソルヴァリは鉤爪のついた両の腕を交差させてその一閃を防ぐ。
――ガギャッ!
と村雨とやつの腕の間で火花が散った。
直後、俺の頭の中に、ここではない別の場所の光景が流れ込んできた。
刀剣干戈をかかえ、中華風の鎧兜に身をつつんだ大軍勢。
その中央で馬にまたがる長い髭の偉丈夫。
彼らが行くのは峻険な山々の下を走る間道だ。
「将軍、まもなく江油に抜けます」
偉丈夫のかたわらにいた男が言う。
「う、うむ、江油を抜いたあとは綿竹に向かう」
「はっ!」
「け、剣閣の姜伯約はやり過ごしたとはいえ、まだ成都には諸葛孔明の子息が残っておる。ゆ、ゆめゆめ、油断すまいぞ」
偉丈夫の言葉に側近らしき男たちが勢いよくうなずく。
頭の中に広がった光景は、そこで終わりを向かえた。
「見えたぞ、ソルヴァリ。いや、転生者。お前の本当の名が」
鍔迫り合いの最中に発した俺の言葉に、ソルヴァリは憎々しげに顔を歪めた。




