第十三幕「魔法なんて怖くない」
赤紫色の粒子が消えたとき、そこにはもう白狩衣の神主の姿はなかった。
では何が居たのか。
それは、
「クモの怪人?」
変身を遂げたソルヴァリの姿は、そうとしか言えなかった。
砂色のラバースーツのようなものが全身を覆い、両目の他にも眼球らしきものが眉の上やこめかみにも存在する。
口は縦に割れ、太い牙が二本、左右から前方に突き出している。
何より、両手両脚の他に、腕なのか、足なのか、それとも触手なのか、とにかく長くて関節があってウネウネしたやつが肩の上と腰の横から二本ずつ生え出していた。
「ガラ、ディアリヒゲンテソリノルナ、『ワネェックス』!」
何かよくわからない言語で話しかけてきた。
いや、ドヤ顔でそんな気合満々に言われても伝わんねぇから。
「ズズ、ロヂレセリウホナ? ツイトハリ。ノホグヴァサザンヴァラウジナアホサタンイギシナアヒジョセセセヒギサウトホ。ゴホノルノルギガヒ、ジヅンソンサギソホナヌホシヴァリンナチギテウヴァリリ!」
どうも何か自慢しているらしい。
だが、
「日本語でオーケーだから……」
「ふ、ふん、しょ、所詮は邪神の世界から来た渡来人、う、美しきヴォンヴァ語を介すことは叶わぬか」
ヴォンヴァ語っていうんだ、いまの。
まあ、それが分かったからって覚える気なんかさらさら無いがね。
「で、お前は俺の敵ってことでいいんだな?」
「む、無論」
なら、話は簡単だ。
「こっちも時間が惜しい。邪魔するってんなら叩き斬るぜ」
「ほ、ほざくな、下等生物」
これ以上会話はいらない。
ただでさえ、上黒駒村の連中のために時間を食っている。
たとえ相手が変身ベルトを装備した怪人だろうが、躊躇している暇は無い。
俺は村雨を上段に構えた。
霞ノ太刀ほど大げさではないが、相手の面を狙った構え、『雷刀』あるいは『雷ノ太刀』と呼ばれるものだ。
気合とともに突っ立った状態のクモ怪人・ソルヴァリに流水の刃を振り下ろす。
が、その斬撃は空を切った。
ソルヴァリの姿が消えたのだ。
いや、見えてはいた。
やつは口から白いネバネバした糸のようなものを吐き出すと、それを近くの樹木の枝にくっつけて反動を利用して飛び上がったのだ。
その動きが恐ろしく早い。
「ちぃっ!」
追うべきか、捨てておくべきか。
決まってる。
俺が最も優先すべきは西野義姉さんの命だ。
人外との異種格闘技戦を楽しむつもりなどさらさらない。
俺は村雨を鞘に納めると、そのまま村の外に向かって駆け出した。
「ま、またしても逃げるか、『ワネェックス』!」
ああ、そうさ。
俺は戦闘狂じゃないんでね。
お前はそのまま木の枝で遊んでろ。
しかし、ソルヴァリは俺を逃がすつもりはないらしい。
やつは俺の前方に伸びる樹木にまたしても糸を吐きつけると、それを伝って跳んできたのだ。
「ブシャアッ!」
奇怪なかけ声とともに、俺の背中に向けて鉤爪のついた腕と肩から伸びた触手を奮ってくる。
俺は前転の要領でその攻撃をかわしたが、あと一歩遅れていたらざっくりと肉をえぐられていただろう。
このままやつに背中を見せて逃げれば、今度は致命傷をもらうかもしれない。
「ちくしょう、やるしかねぇか!」
俺は跳ね起きざま、村雨を引き抜いた。
ソルヴァリは笑っている。
正確には口の両端から生えた牙をキコキコしているだけだが、それが嘲笑であることは一目瞭然だ。
「嫌な野郎だ」
「い、嫌なのはお互い様だろう、ワネェックス。ヴィルクリヒカイトからの尖兵め」
「ヴィル……? だからお前らの言葉はわかんねんだよ」
「わ、我々の言葉ではない。お主の世界の言語だ」
「俺の世界?」
「ブシャアッ!」
会話の途中だというのに、やつはネバネバをこっちに向けて吐きつけてきた。
「にゃろう!」
すかさず村雨で叩き落とす。
この神器、刀身を自動洗浄する機能があるため、あら不思議、クモの糸を切ってもベトベトしないんです。すごいでしょ、奥さん。
「量産したら通販で絶対売れる!」
「な、何を言っているのだ、お主は?」
「こっちの話だ、気にすんな!」
「ま、まったく、鬼謀もなんでこのような男を選んだのか」
「ああ?」
「こ、こちらの話だ、気にするな」
「滅茶苦茶気になるだろうが!」
「お、お主もそう言ったではないか!」
「俺はいいんだよ!」
「ま、まったく、『基点王』はどいつもこいつも!」
「ゴチャゴチャとっ!」
俺は一気に距離をつめると、そのまま空中に飛び上がり、左手一本に持ち直した村雨による突きを見舞った。
咽喉元を狙った一撃に、ソルヴァリは即座に反応してくる。
――ギンッ!
と、やつが防御のために繰り出した触手との間に重い金属音が鳴る。
「何で出来てんだよ、この野郎!」
「ぐうっ! ち、調子に乗るな!!」
ソルヴァリはあらためて別の樹木に飛び移ると、こちらに向けて右手三本を一斉に構えた。
「ファイヤー・アロー!」
唱えた直後、手の先に灯った三本の火矢がこちらに向かって飛んでくる。
「魔法!?」
俺は驚きつつも、ファイヤー・アローという名前らしい火魔法のかたまりを村雨で叩き落とした。
「ちぃっ! 使えたのかよ!」
「ふ、ふふ、魔法は苦手と見えるな」
得意なやつがいたら是非教えて頂きたいね。
そいつにコツでも聞くとしよう。どうやったら魔法と関わらないで過ごせますかってな。
ソルヴァリは魔法による攻撃が有効だと感じたのか、次々とファイヤー・アローを放ってくる。
しかし、こっちの手にあるのは『水』の神器・村雨だ。その刀身は自ら水をたたえて血糊を洗い流す。
火魔法とて例外ではない。こいつが俺の手にある限り、この程度の火炎、どうってことはない。
なにせ、ファイヤー・アローは文字通り火矢でしかない。いや、ひょっとすると、鏃に油を染み込ませた布を巻いて放つ火矢より速度は遅いかもしれない。
どうやら魔法と実物と、一長一短あるらしい。
とはいえ、ソルヴァリはその気になれば口から吐いた糸にぶらさがって、六本の腕すべてでファイヤー・アローが撃てるらしい。
一度に六つまでの火魔法を叩き落とすのは至難の業だ。
なにより、魔法を防いでいる間、こっちは攻撃することができない。防戦一方だ。
俺はやむなく追撃してくるファイヤー・アローを切り裂きながら、崖に向かって逃げた。
正直二度とやりたくなかったが、またあそこから下の川に飛び込むしかないらしい。
懐の薬草を落としてしまわないか心配だが、もう四の五の言っていられる状況じゃない。
だが、
「さ、させぬ! ファイヤー・ウォール!」
ソルヴァリが叫んだ直後、いままさに俺が飛び込もうとした崖の端に燃え上がる壁が出現した。
「お、同じ手は食わぬぞ、基点王」
「小賢しい真似しやがって……」
これで退路は絶たれてしまった。かといって、樹上のソルヴァリに対する有効な攻撃手段もない。
「打つ手なしか……」
俺がつぶやいたとき、まるでその言葉を聞いていたように、懐のマキモノから突如、コール音が鳴り響いた。




