A-SIDE-2
「スズメさん。この入口で待ってて。逃げたりしないし絶対戻ってくるから」
「…………うんわかった」
彼女は渋々了承した感じではあったが、言うことを聞いてくれた。
入口の端へ移動した彼女を見送り、僕は店内へ入った。
購入する物は決まっている。
使い捨てのビニール手袋。
色付きのゴミ袋。
消臭剤。
この店は何度か足を運んでいたので、大体どこに何があるか把握していた。
特に日用雑貨はここで購入していたのも大きい。
購入する三点を手に取りすぐに会計を済ませ、僕は店のトイレへ駆けこんだ。
トイレの個室で――腐った両手首の進行具合を確認する。
駅構内のトイレとは違い、悪臭は酷くなく少し臭うくらいであった。
明るさは段違いにこちらの方が明るい。
これなら細部までよく見えるだろう――あまり見たくはないのだけど。
購入したゴミ袋を地面に敷き、使い捨てのビニール手袋を手にはめる。
息を止めながら鞄のジッパーを全開に開け、黒い袋を持ち上げてゴミ袋の上へ置いた。
黒い袋を開封すると同時に臭いを嗅ぐと、腐敗臭が漂っていた。
「うぅうっ……!」
吐くのを堪え、袋の中身を覗きこむ。
「……あれ?」
前日に見た印象と違っている。
それは腐敗の進行速度によって変化した両手首ではなく、寧ろ腐敗していないのではないかという印象。
血液であろう液体によって赤黒くはなっているが、腐っているような傷みは見てとれない。
専門家でもないので断言できないが、変色具合からしても腐ってないように思える。
ビニール手袋をしているので、直接取り出してみることにした。
「なん……なんだよこれ……作り物じゃないか……」
一気に肩の荷が下りた。
お遊びであれば、それはそれで構わない。
その方がいいくらいだ――ジョークとしてはまったくもって僕は笑えないけど。
しかしとんだお笑い草じゃないか。
偽物の両手首に怯えて嘔吐したり、両手首の持ち主のことを想ったり。
馬鹿馬鹿しい。
それにしても臭いは本物だ。
恐らく液体が腐った臭いの原因であり、それは人間の血液ではなく魚や小動物などのものかもしれない。
ここまでする必要があるのだろうか。
ただ単に驚かせる為だけに用意したのだろうか。
「よくできてるなこれ……暗い所じゃ見分けつかない――ん? なんだこれ?」
両手が祈るように合わさっている間――掌の中にビニールらしきものが挟まっている。
掌の隙間から僅かに見えるビニールを、直接抜き取るのは無理そうだ。
「これ指動くのかな……あっ、動いた」
まるでプラモデルの関節のように指を動かすことができた。
少し固めであるが、片方の指5本を真っ直ぐに伸ばしてみる。
すると隙間が広がり、ビニールを取り出せたのだ。
ビニールは小さなジップロック付きの袋だった。
透明の袋なので外観からでも、中に何が入っているかわかった。
――それはまた鍵だった。
それだけではなく、小さなメモも一緒に入っている。
両手首を先ほど購入したゴミ袋に入れ団子結びで括った。
黒い袋に入っていた、悪臭の元である液体は――躊躇ったがトイレの便器に捨て、そのまま水を流した。
心の中で店の人へ「ごめんなさいごめんなさい」と呟いた。
黒い袋も購入したゴミ袋に入れて団子結び。
さて。
僕はビニール手袋を脱ぎ、両手に挟まっていた小さな袋を躇いもなく開ける。
鍵は普通のタイプではなく、少し豪華な物に感じた。
綺麗な長方形で凹凸がそれほどなく、精密的な溝や鍵山がいくつもある。
頭の部分は車の鍵みたく少し大きい。
鍵はいくら調べてもどこで使用するか分からなければ、意味がないのでメモを取り出し開いてみた。
『兵庫県神戸市○○町△△―□□ 地下1階』
住所と地下1階という文字だけだった。
建物の名称はないのに地下1階?
しかも今度は兵庫県に行けというのだろうか。
ふざけるな。
小さな袋に鍵とメモを直し、鞄の中へ手荒く投げ入れた。
両手首とゴミ袋も手荒く鞄へ投げ入れた。
なんなんだこれは。
ゲームのつもりなのか?
ゲームなら誰がこんなことを何のために?
それとも本当に事件性のある事柄に巻き込まれているのか?
わからない。
少し整理しよう。
まずはこれが仕組まれたものであるのか、それとも違うのか。
この考え方によって大きく違ってくる。
ゲームであれば目的があるはずだ。
ただ巻き込まれた事件なら目的は決まっている。
ヤクザらしき連中はこの鞄を回収したがっている。
よし事件という線は一旦置いておこう。
仕組まれたゲーム説であれば、最終的な目的など僕にわかるはずもない――この段階ではまだ兵庫県という目的場所を提示されているのだから。
誰がというのは到底導き出せない。
真相を知りたければそのまま兵庫県へ行けということになる。
そう考えれば、河川敷での金髪茶髪コンビやヤクザの兄貴との出会いも不自然に思えてくる。
だってそこで車の鍵を貰ったのだから。
今田さんの前払いに頂いた10万円にしてもそうだ。
移動手段として考えれば筋が通る。
河川敷の後に警察署に行こうとしてスズメさんと遭遇した。
あれが偶然なのか必然なのか。
スズメさんも警察署に用事があったみたいで、思い留めて今も店の外で待っている。
僕を巻き込んだとさえ言っていた。
あの大事そうに扱っているトートバッグに僕と同じような秘密があるのだろうか。
彼女がもし必然的に遭遇したのならそこに意味があるのか?
待てよ。
彼女は香川県にいる祖母に会いに行きたいと言った。
それに三人組の一人に容赦のない上段蹴りでKOさせていた。
あの蹴りは本物であり、偽物なんかじゃなかった。
何を考えているんだ。
僕は彼女まで疑っているのか。
いくら推理小説やミステリー小説が好きとは言え、すべてを疑って掛かるのは失礼すぎる。
彼女にはお詫びとして紅茶納豆でもご馳走しよう。
駄目だ駄目だ。
疑い出したらきりがない。
何かを見落としている気がする――府に落ちない気持ちがそうさせているのだろうか。
かなりここで時間を割いてしまった。
早く彼女の元に戻らないと不安がっているはずだ。消臭剤を鞄の中に入れ、消臭剤スプレーを鞄へ大量に吹きかける。
納豆の臭いのせいで、鞄が臭いのかいまいち判断つかないがいいか。
よし。
もう出よう。
「あ!」
閃くというか、忘れていたブツを思い出す。
銃二丁と金。
これらが偽物であれば、事件などでなく誰かの悪戯めいたゲームだと確信が持てなくとも、大きくそちらに傾く。
だけども銃をここで試し撃ちするほど、僕は愚か者ではない。
もしも本物ならそれこそ事件になる――本物なら銃刀法違反が先なのだけど。
念のため、新しい使い捨てビニール手袋をはめる。
鞄のジッパーを開け、底板を片手で浮かし現金が入った袋を取り出す。
袋の中から一束を手に持ち、表裏の一万円札を確認する。
ホログラムなどは本物っぽい。
多分表裏の二枚は本物なのだろう。
パラパラと束を捲ってみると、ただの紙切れなどではなく全部本物っぽい。
少し躊躇したが、帯を千切り無作為に一枚取り出し蛍光灯の光に当ててみた。
透かしもしっかりあり、どうやら本物のようだ。
一千万円。
本物の大金が眼下にある。
これだけあれば引きこもりの空白期間をやり直せそうな錯覚に陥りそうだ。
もしヤクザ絡みの事件だとしても、この街を捨ててどこか遠くに――駄目だ。
KOされた奴が僕の名前を名乗っていた。
フルネームで。
――あれ、おかしくないか。
なんであいつらが僕の名前と顔を知っているんだ?
スズメさんが鎌をかけて僕の名を言ったのは分かっているが、それ以前に奴等は僕の自宅前で待機していた。
それは住所も知っていたということだ。
面が割れている状態だった理由はどこだ?
僕の中で仕組まれたゲームであるのではないかという疑念が強くなった。
ゲームならゲームで構わない。
散々虚仮にした仕返しに、この一千万円を略奪して逃げ切るだけだ。
僕は賭けにでる。