A-SIDE-2
数時間遊び回るのはいいが、鞄をどうにかしないといけない。
こんな物騒な鞄を持参しながらでは、一向に落ち着かない。
ただでさえ女性と二人で遊ぶ行為に慣れていないのに。
彼女が行きたがっている洋服屋やレストランがどこにあるのか訊いてないが、僕は彼女に了承してもらわないといけない事がある。
「ねえスズメさん。一旦自宅に戻っていいかな?」
「かまわないけど、どうして?」
「鞄を自宅に置いときたいんだ」
「鞄? ああその旅行鞄みたいなのか。ここから勇君の自宅ってどれくらい?」
「距離は近いよ。徒歩で5分くらいじゃないかな」
「そっか。じゃあ一緒に行くね」
二人並んで歩きながら僕の自宅へ向かう。
とても変な感じがする。
他人と並んで歩く行為もそうだが、自宅に一緒に向かうなど母さんくらいしかいなかった。
それも小学生時代の話だ。
でも自宅といっても部屋にあがりこむ訳ではないので、特別緊張することはなかった。
自宅の前に着くまでは。
「ねえ。自宅ってマンションとかで一人暮らしなの?」
「うん、マンションだよ。どうして?」
「ふーん。男の人の部屋ってどんなのかなと思って」
「えっ!」
「あははっ。そんな驚かないで。押し入ったりしないし。マンション前で待っているから」
「う、うん」
年下の彼女に翻弄されているような気がする。
いや、からかわれているのかもしれないが……。
女性から男性の部屋に行く云々の話は、よくネットで見かけるけど僕が強引に誘ったりしたら彼女はどうするつもりだったのだろう。
こんな時に冗談でも「それじゃ部屋見てみる?」と言える僕ではないけど……。
鞄の件がなくとも無理だ。
自宅のマンションは母親が契約した状態から、僕へ名義を変更して貸してもらっている。
大家と母親が昔からの知り合いらしく、その御厚意により住み続けている。
家族がいなくなった僕を想っての好意であるのに、家賃を滞納するという恩を仇で返すような僕は最低だ。
人は一人で生まれてこないし、一人では生きていけない。
そんな当然の事象に打ちのめされたのが、最近という笑えない話だ。
母親を亡くして気付いた一つが大家さんの件でもある。
母親と大家さんがいなければ僕はとっくの昔に住む場所をなくしていた――ホームレスだ。
過去に母親と大家さんがどのような関係にあったかは知る由も無いが、友情にしろ愛情にしろ絆があったからだと思う。
母が亡くなっても尚、二人の繋がった関係が僕を生かしてくれていた。
そんな有難い事情を知るわけもない輩達が、マンション前に屯っている。
「ちょっと待ってスズメさん」
マンション近くの角で、彼女を制止させた。
マンションの玄関付近にいるガラの悪い連中が3人。
その中の二人を僕は知っている。はっきりとではないけど、顔や服装を覚えている。
何故なら今朝会ったばかりであり、金髪茶髪のコンビを取り押さえた人達なのだから。
嫌な予感がしてならない。
「ちょっと。どうしたの? ここが自宅?」
「しっ! 静かにして……どうしよう……」
あの連中の目的は僕である可能性は高いと思う。
偶然僕のマンション前で待ち合わせしているなどと、楽観視した推測は危険のような気がする。
困ったぞこれは……。
僕が見遣る方角にいる連中に気付いた彼女は怪訝な顔をする。
「ねえ。あの連中ヤクザじゃないの? 勇君なにかやったの?」
多分正解ではあるけど、何をやったかと訊かれれば――鞄しかない。
「ヤクザかどうかは知らないけど、今朝連中と少し関わったんだ……僕が何かしたとかじゃないし、偶然遭遇したと言うか……」
どうも歯切れの悪い返答しかできない。
それよりも、彼女を巻き込む事は許されない。
ここは自宅に戻るのは中止して、この場を離れた方がよさそうだ。
彼女にそう言おうとしたが、彼女はスタスタと連中に向かって歩いて行く。
「えええ!? ちょ、ちょっとどこ行くの!?」
極力声を押し殺して、彼女を止めようとしたがこれ以上前へでると連中に目撃されてしまう。
「勇君はそこで待ってて」
「いやいやいや。何言ってんの。連中堅気じゃないんだよ!? 危ないから戻ってきて!」
言葉の制止を振り切り、彼女は犬をあしらう様にシッシッと僕に手を払う。
「犬でも出来ることでしょ。『勇君そこで待て!』じゃ行ってきます」
犬と同等レベルの扱いに怒るほど僕は心の狭い人物ではない。
一歩も動かず彼女の言いつけを守っているのだから、忠誠心の高い犬を演じているのではないだろうか。
見ようによっては、恐怖によってプルプル振るえているチワワなのかもしれないけど。
テレビドラマの犯人を目撃するような格好で僕は彼女の背中を見守る。
こんな場所で待ち続けていいのだろうか。
忠犬ハチ公でさえ主人の危険を察知したなら、わが身を顧みず立ち向かうだろう。
彼女に何かあれば僕にそんな勇気があるのだろうか。
会って一日――厳密には二時間程度――なのに彼女はなぜそこまでする?
そして僕もなぜここまで付き合う必要がある?
わからない。
だけど彼女に危険が迫ったのなら、策などないけど飛び出していく。
そんな僕の覚悟とは裏腹に、彼女は連中を素通りしたままマンションのロビーへ入って行く。
「はぁ……よかった」
恐らく連中の強面を間近くで垣間見て、恐れおののいたのだろう。
連中は男三人であり、体躯も良く危険を漂わせている。
恐怖心を持って当たり前だ。
その当たり前と思っていた彼女がロビーから出てくると、僕の待つこの場所に戻らずに連中と向き合っている。
話し合っている。
「な、なにやってるのあの子……」
彼女はマンションを指差したり、大きく頷いたりしている。
僕のいる場所からでは話している内容など聞きとれない。
万が一、話が拗れて彼女が怪我をしたのなら僕は一生後悔するだろうし、トラウマになりそうだ。
だからと言って飛び出したところで何もできない。
喧嘩などしたことのない僕が男性三人を退ける力なんてない。
河川敷でみた手際の良さからすると、連中は喧嘩のプロであろう。
まったくもって僕など相手にならない。
まだ犬の方がもしかするともしかする。
卑劣な考えが脳裏に過る。
――鞄の中身を使用すれば切り抜けられるかもしれない。
そんな馬鹿げた考えを払拭したのは彼女であった。
平然とした顔つきでこちらに向かって歩いてくる。
連中を見遣ると三人は話し合いをしているように窺えた。
一難去って安堵の表情を浮かべる僕に、彼女は爽やかに――デートの待ち合わせに来たように――。
「お待たせ」
どういった環境で育てばこのような強いハートの持ち主になるのだろう。
ヤクザらしき三人相手に堂々と話し合いをして、爽やかな笑顔で何の問題もなかったかのような振る舞い。
彼女もまた鞄の中身と同様――尋常じゃない。
「うん? どうした? ああそうか。待ってたもんね。勇君いい子いい子」
癖毛の僕の頭を撫でまわすスズメさん。
白けた目で僕は言う。
「僕は犬じゃない…………って言うかあいつらと何を話していたの!?」
「ああ、そっち」
そらそうだろ。
「あいつら勇君を探しているみたい。自宅には戻らない方がいい」
予想はしていたがなんでこうなる。
元々ない頭をいくら捻り出そうが、答えなどでるわけがない。
しかし原因はハッキリしている。
鞄だ。
それしか考えられない。
経緯など知らないが、金髪茶髪が僕の持つ鞄を兄貴と呼ばれるあの人に洩らしたのだろうか。
だけどどうして僕の住所がわかった?
もう警察に直行するしかないじゃないか。
彼女には悪いが、気分転換に付き合う時間はなさそうだ。
しかしどうやってあの連中から、僕を探している情報を訊きだしたんだろう。
「そう。スズメさんはどうやってあいつらから情報を訊きだしたの?」
「そうって……驚かないのは想定していたってこと?」
「うーん、なんとなくね」
「そうなんだ。ああ、訊きだした事だけど簡単よ。一旦ロビーに入って、勇君を探しているフリをします。何号室なんか分からなくても、適当に操作してる感じでインターフォン前にいればそう見えるでしょ。それから外へ出て連中に訊きます。『もしかしてあんた達も佐伯勇を探しているの?』と。すぐに否定する言葉がでればシロ。相手が餌に食いつけばクロ。あいつら三人は一瞬戸惑い顔を見合わせ怪訝な顔をしました。どうみてもクロです。結局あいつらは『お前に関係ない』と言いましたが、その後に『そいつになんの用件だ?』とわたしに訊き返してきました。完璧に入れ食いです。後は適当に話を流して忠犬勇君の元に戻ったのでした。まる」
よくやるなこの子……。
肝が据わってるよほんと……。
普通なら思いついても行動にすることはない。
この行動力はどこから生まれているのだろう。
「スズメさんは何者なの?」
冗談で言ったつもりが、先ほどまで饒舌だった彼女は急に黙り込んだ。
失礼なことを言っちゃったのかもと焦っていると、もっと焦ることが起こった。
「おい! ねえちゃん! そいつ逃がすなよ!」
連中の一人が彼女を追っていけば僕に辿り着けると思ったのか、大きな声で呼び止めた。
いや、叫びながら猛烈にこちらに走ってきていた。
残りの二名は僕に気付いていないらしいが、それも時間の問題だろう。
「やばい、スズメさん逃げるよ! 早く!」
僕が言った『何者なの?』という質問を聞いてから、彼女は黙ったままピクリとも動かない。
俯いて長めの髪が被さり表情は窺えない。
数秒後には男が罵声を浴びせながらこの場所に到着してしまう。
僕は彼女の手を強引に掴み、引っ張るように移動させようとした。
それを拒絶するかのように、振りほどく彼女。
「どうしたの!? 逃げなきゃ危険な目に――」
「でかしたねえちゃん! 探したぞ佐伯勇。さあその――」
僕の言葉は男に掻き消され、男の言葉は彼女の蹴りに掻き消された。
鈍い音と共に男は膝から崩れ落ちるように倒れた。
彼女が放った鮮やかな上段回し蹴りが、男の後頭部に直撃したのだ。
綺麗で色っぽい、すらりと伸びた足からは想像できない破壊力と瞬発力。
意表を突いたとはいえ、身長180cmはあろう男を一撃で伸せた。
一連の動きを瞬時に目撃した僕は、称賛の感想よりも畏怖して後ずさりした。
一歩後退した僕を見た彼女は少しショックを受けた顔に思えた。
また僕もショックを受けた顔になっていたのだろう。
「残りの二人に気付かれたら厄介だからいきましょ」
彼女はそう言うと、僕の腕をとり引っ張るように走りだした。
言われるがまま僕も走りだし、その場を凌いだ。