言葉にする勇気
修学旅行程度で浮かれやがって。
周りに蔓延る制服を着た仲間を見回すと、どいつもこいつもヘラヘラとした顔をしている。目に入るものすべてが初めてで、気分が高揚してるんだろう。行った事の無い場所の、見たことの無い景色に目を輝かせるのは最初だけだ。
修学旅行と言えば、やっぱり京都。
僕は小さいときから京都によく遊びに来ているし、三年に一回は必ず来る。だから今から行く清水寺なんて、目新しさの欠片も無い。
そんな中騒いでいる同じ学校の制服を着た奴らを見ると、子供っぽいとしか思えない。
どうして寺一つで仲間とギャーギャーわめいてバカみたいに騒げるんだ。全く、理解できないよ。
そんな子供っぽいクラスの中で、大人は僕一人だけか……
・・・・・・いや、もう一人居るかもしれない。
クラス。ううん、学年で。いや、学校で一番綺麗な、湊 麗華さん。
彼女だけは別だ。彼女は大人びているし、見どころがある。
まず、湊は頭が良い。必ず張り出される成績の順位表には名前が載る。
次に、容姿端麗だ。透き通る白い肌に艶やかな長い黒髪は古き良き日本の女性の美をそのまま体現しているといっても過言ではない。すっと通った鼻立ちに、パッチリと開いた大きな目に映る少し色素が薄く、儚げな印象を与える大きな瞳に長いまつげを携えている。プリプリと瑞々しさを感じさせるその唇は思わず触れたいという気持ちにすらなる。いや、彼女を部位的に見るなら触れたいと思うなら女性を彷彿とさせる部位の方が気持ちの優先度は上かもしれない。良い意味で女性らしいカラダをしている。
まぁ、なんというか。
僕は彼女に惚れているのだ。
ああ、だめだ。どうやら僕も修学旅行で浮ついたみたいだ。
けど、相手の方もきっと浮ついてるだろ?
だから、チャンスがあったら、もしかして、もしかしたらって思うのは……。
人込みを掻きわけるように歩いて、混雑していた清水道を抜けた。
少し広げた場所に出る。そこには清水寺への入り口が悠々と聳え立っていた。
白い階段を上り、石畳を幾分か歩いて寺への入場券を見せる。本のしおりにでも使えそうな、上品な品だ。
寺の中に入ると、なじみ深い、僕好みの寺の風景が広がっていた。
色んな思いが胸を駆け巡りつつ、足を動かし、思いも巡る。
そんな中、ワイワイと騒ぐうるさい学校の連中を見ても、見て見ぬふりをした。あまり騒ぐな、景観が損ねる気分になるだろ。
そんな中、ふいに後ろを見た。
そこに、湊 麗華が居た。
向こうも、僕に気が付いた。
眼と眼が合った。
柔らかで優しげな笑みを携えて、軽く会釈された。
そんな仕草に彼女の長い髪が揺れる。
少し揺れた髪に手を伸ばし、髪を後ろに流す仕草が大人びていた。
華麗だった。
「麗華。こっち、こっち」
「ごめんね。今行く」
もう一度僕を見ると、流し目を送り、友人たちの輪の中心に入っていく。その仕草は思わず誘っているのかと、勘違いするような妖艶さだ。
彼女はませている。僕が彼女に惚れている理由の一つに加えておいた。
その後は適当に参拝順路を回った。
清水の舞台に喜び、そこから見える景色にも心を弾ませた。恋占いの石含め、縁結びの地主神社は是非行きたかったが、今、修学旅行で来ているという事実を踏まえると、遠慮しておくことにした。
音羽の滝に来た。
滝の水が落ちており、その水を汲んで、飲む。その際に願いを込めるものだ。
昔はそれぞれのご利益が分かれていると言われていたものだが、それは今となっては否定されているらしい。
柄杓で水を受け、口に運んだ。
その際に、心の内から吐露された願いには「湊 麗華」という固有名詞が出てきた事だけは言っておこう。
やりたかった事を終えた僕は、足早に寺を出て清水道へ行こうと思っていた。
が、その途中で見つけてしまった。
数人の男が、見慣れた制服の女生徒に声を掛けている。
女生徒は不安げに手を胸元にやっていた。少しでも男との間に壁をつくりたいという心理から来る身体動作だった。
そんな意図を汲みもせず、あくまでフランクを装い肩に手を当てたりしてコミュニケーションを図る男達。
「可愛いね~。どこの子~?」
語尾を引っ張る独特で、耳に残るような聞こえの悪い声で言っていた。
そして、運の悪い事に絡まれているのはあの湊麗華だった。
関わらずにはいられなかった。
オロオロと、どうしようか迷っていた湊と共にいた女子グループを見かける。向こうも僕に気が付いたようで、少しの安堵を浮かべていた。
そのグループに声を掛ける。
「僕が少しだけ引き離すから、その間にどこか行け」
わかった。という女生徒たちの言葉を信じて、僕は湊に近づいた。
まず、湊の肩に手を当てて数歩下がらせる。そうして若い男達と湊の間に壁になるように体を入れた。
「彼女に用があるのなら、僕が聞くよ」
キュッとネクタイを締め直し、姿勢を正して言う。少しでも相手を威圧するために。
「ッチ。なんでもね~よ」
小走りに去っていく湊の背中をチラリと見た。その姿でナンパに失敗したと思ったのか男たちは興味を無くしたように踵を返していった。いや、もしかすると僕を湊の彼氏だと思って、彼氏がいたと発覚した時点でナンパに失敗したと考えたのかも……なんて、な。
何はともあれ、大事に至らず良かった。
その後、気分よく生八つ橋を食べたら、妙に美味しかった事だけは覚えている。
宿泊先のホテルに着き、部屋に荷物を置いたらすぐにロビーへと降りてくる。食事まで、少し時間がある。そこの自販機で缶のコーヒーを買って、置いてあるソファーへと身を沈めた。
ふう、と息を吐くと疲れがどっと押し寄せてきた気分になる。何だかんだと体は正直だ。
缶コーヒーを開けて、一口。苦味と甘さが口に広がった。
今夜は疲れが取れるとは言い難い環境で寝る事になるから、少し体の疲れが心配になる。
修学旅行なので、やっぱり一部屋に何人もいるわけで狭いことに加えて、気も使う事になる。狭い事に文句を言うのは、緒方洪庵の適塾の塾生の生活スペースが一人一畳だった事を思えば文句も言えないか。
ぼーっとコーヒー片手に、手持無沙汰に過ごしていると自販機が動く音が聞こえた。目を向けると、出てきた飲み物を取るために屈んでいた少女が、すっくと立ち上がる瞬間だった。愛おしそうに紙パックの飲み物を両手で持ち、こちらへ近づいてくる。
彼女は、他にも空いているというのに一つ断って僕の前に腰を下ろした。
「あの、さっきはありがとうございました」
「気にしなくていい。大事にならなくて良かった」
湊は買った紙パックのいちご牛乳を見つめたまま言っていた。僕としても彼女を前にしては何を言い出すかわからないという事もあってか、手に持ったコーヒーを見てくるくると回しながら居る。
「私、たまにああいう男の人に声を掛けられるんです」
言った後、紙パックのいちご牛乳にストローを指していた。飲み物を口に含み、口に出す言葉を考えているようだった。
「その、それに対して気を付ける事とかありませんか」
乱れていないというのに、髪を何度も耳にかける仕草をしている姿は可愛らしかった。
「声を掛けられるっていう事は、隙があるって事じゃないかな。言い換えるとぼーっとしちゃってるって事だね」
「確かに、そうでした。さっきも……」
「でも、それを変えろって言うのは難しいだろう? だから、問題の解決方法としては……そうだな」
何か良い事を言えないかと、頭を巡らせながらコーヒーを飲む。アドバイスを求められているんだ。それに、応えたい。
どこか不安そうな顔を浮かべている湊を見ると、悩んでいるという事は容易に想像についた。
「きっぱりと『ごめんなさい』って言う事かな。嫌なものは嫌って、断る事が大事だよ」
そういうと、湊の顔が明るくなった。
どうやら僕は、期待に応える事ができたようだ。
「ありがとうございます。私、元気が出ました」
安堵したように胸に手を置いて、リラックスして口角を上げる姿は美しかった。なによりも、慈愛に満ちていた。
そのまま、僕の隣で笑っていてほしいと思った。
その笑顔を、ずっと僕に向けて欲しかったんだ。
「……湊」
「何ですか?」
「八時ごろ、もう一度ここに来てくれないかな。話があるんだ」
「はい。わかりました」
「ありがとう。それじゃ」
そう言って席を立つ。
背を向けると同時に、小さくガッツポーズをした。どうにかこうにか、約束を取り付ける事ができた。勢いだけしか無いけれど、もう後には引けない。
それにしても、簡単に了承する湊に少しだけ不安を覚える所だった。まさか誰の呼び出してもそんな簡単に……いや、よそう。
食事も終えて、僕は再びロビーに居た。
腕時計は八時の五分前を指している。
……来た。
湊 麗華が姿を現した。
風呂上りなのか、少し潤いが残った髪で体操服に着替えていた。
静かな歩みで近づいてくる彼女を立って迎えた。
腹積もりは決めた。後は口にするだけだ。
「湊。湊 麗華」
「な、なんですか。改まって」
少し困惑した様子が浮かぶ。整った眉が訝しげに動いていた。
「単刀直入に言う」
喉が渇いて、つばを飲み込む。鼓動の音がやけに大きく聞こえた。
「好きです。僕と、付き合って下さい」
その一言がロビーに響き渡った。
当の本人は、唖然としていた。
「……あ、あの」
「……何を言ってるんですか。先生」
「……僕は真剣だ」
そう言うと、湊は腕を胸の前に持ってきていた。つい先ほど若い男に絡まれた時のようだった。
「本気、なんですね」
それに頷いた。
すると、不安そうにしていた湊の表情が晴れた。心を決めたんだろう。
彼女は、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「先生。嫌なものは嫌なんです。『ごめんなさい』お断りします」
その時、僕はどんな顔をしていただろうか。
確かな事は、目の前にいる女性が先ほどまでは天使のように見えたけれど、今は悪魔のように見えるという事だけだ。
湊は笑顔のままでいた。普段は目を奪われる笑顔に、僕は恐怖していたのがわかった。
「ふふ。先生、ご指導のほどありがとうございました。面白い指導でした。それじゃ、おやすみなさい」
僕は言葉も発せないまま、湊麗華の後姿を見送っていた。
そんな整理のつかない頭でも、一つだけわかったことがある。
指導という表現に僕は助けられている。
――――湊 麗華は、僕より大人だった
お読み頂きありがとうございました!