最終話「夕焼けに照らされながら」 2
「え?」
「けどね……全ての人間が、君のように生きられはしないのさ」
青年は言葉を発しながら、両手をゆっくりと振り上げる。風に煽られたのか、彼のサラサラした蒼い髪が木の葉のざわめくように揺れる。
「君の存在は……俺にとって眩しすぎる」
「ミズホ、気をつけて!」
メルエッタちゃんが鋭い語調で注意を呼びかけてきた。
「急に周囲の魔力が乱れて始めてる……何かくるわ!」
「へ、何かって何……?」
私が戸惑いながらも彼女に問いかけようとした、その時。
「もう遅いよ」
青年の静かな声がやけにハッキリと一帯に響きわたったかと思うと、私の視界が急に霧のかかったように暗くなった。突然の事に動揺するも、すぐに異変の原因に気がつく。
――結界……?
そう。私達の周囲を、黒い膜が覆っていたのだ。メルエッタちゃんが先ほど発した警告から察するに、恐らくは魔力によって形作られたものだろう。結界は廃墟群に挟まれた道一帯を完全に内包していて、私と彼女を中心に、四角い形で展開されている。しかし、ナクトゥスさんは結界の外にいるようだった。どうやら、先頭に立って積極的に道案内をしたり、鋭く制止を呼びかけたりしたのは、私達をこの場所へと巧みに誘導する為だったらしい。
という事は。私達をこの結界に閉じこめた背景には、何らかの狙いが隠されているに違いなかった。
――なんだろう、変な感じがする……。
私はメルエッタちゃんのように魔術に通じた人間ではないので、ハッキリした事は分からない。けれど、肌から伝わってくるザラザラした気持ち悪い感覚は、明らかに気のせいではなかった。結界の内部は黒い霧で満たされていて、これが視界の変化と身体を襲う不快感の原因なのだろう。
そして、徐々に不安を募らせていた私を、更なる異変が襲う。
「……あ、れ?」
四肢に力が入らない。まるで血液を抜き取られたかのような脱力感に、私は堪らず地面にへたりこんだ。そのまま崩れ落ちそうになる上半身を、辛うじて両手をついて支える。
――メルエッタちゃんは……?
身体を襲う強烈な感覚に耐えながら、首を動かして彼女の方を見やる。幼い風貌の魔女は私と同じく、地に膝をついて自らを蝕む結界の力に抗っている様子だった。
「これはね『ネグシェイラの接吻』という禁じられた魔術なのさ」
耳に、ナクトゥスさんの得意げな声が届いてくる。視線を移すと、結界の外に佇む青年の姿が伺えた。やはり、妖しげな霧に包まれていない彼の方は、全く術の効力を受けていないらしい。平然とした様子で、地に伏している私達二人を交互に見つめている。
「かつて、この世界に存在した極悪非道の魔女ネグシェイラが、拷問の目的で開発したと言われている術だよ。まず、四方に第一の術を掛けた紙を配置する。第二の術を発動すればその一枚一枚が強力な結界を形成し、第三の術を発動することで結界内の生物は皆、魔力を術者に吸われ続けるという寸法さ……強力無比な術だろう?」
しかし、この禁術には欠点があってね。そう言葉を続けて、ナクトゥスさんは小さく首を振った。
「ネグシェイラは強大な力を誇る魔女だったから、この術を用いて得た魔力を自らの内に留めておくことが可能だった。しかし、常人ではそうはいかない。特殊な修練を積んでいない並の人間が体内に貯蓄しておける魔力の量は、そう多くないからね。限界を越えた魔力を身に宿せば、その人間は自分の魔力の負荷に耐えられず自壊してしまう。そこで、コレを利用する事にしたのさ」
彼はチラリと自身の胸元の発光しているペンダントを見やる。気を抜けば掠れそうになる目で注視しているうち、私は結界内に渦巻いている黒い霧が、宝石に吸い込まれ続けている事実に気がついた。心なしか、発せられている紫の輝きも強まっているように思える。
「『ネグシェイラの接吻』で得た魔力を自らの体内に取り入れるのではなく、吸収しながら逐次、このペンダントに注ぎ込む。そうすれば、僕は自らの強大な魔力で身を破滅させることなく、容易に強大な力を手に入れられるって寸法さ。どうだい、素晴らしいだろう?」
返事は出来なかった。恐らく、彼の方も期待していなかっただろう。身を蝕む術の効果に、私とメルエッタちゃんは翻弄され続けていた。
このまま魔力を吸われ続け、体力を消耗してしまえば、取り返しのつかない事になってしまうかもしれない。
――何とか、何とかしないと……!
状況を打破するキッカケを探して、私は気力を振り絞って辺りを見回した。すると、ちょうど結界の角に相当する部分、建物の柱に一枚の紙が張り付けてあることに気がつく。なるほど、これが先ほどナクトゥスさんの説明していた『第一の術』だろう。あまりに自然な形で仕掛けを施されていたので、今まで全く気がつかなかった。
とにかく、カラクリさえ分かれば、この状況を打開する策を模索出来る。
「……メルエッタちゃん、あの紙を見て」
必死に声を絞り、隣にいる少女に呼びかける。彼女は苦しんでいる様子ながらも、私の指し示す先へ目を向けた。
「あれをどうにかすれば結界も解除されるかもしれないよ。魔法で何とか出来ない?」
「……やってみるわ」
と、メルエッタちゃんは手に抱えていた番重を地面に置いた後、か細い口調で長い文章を呟き始める。私はこの世界の魔法について全く知識を持っていないものの、きっとファンタジー小説みたいに術の詠唱を行っているのだろうと思った。
しかし、緑髪の魔女がよろめきながらも立ち上がり、魔法を唱え始めた直後。
「……ぐっ!?」
突如、彼女は苦しげな声と共に崩れ落ちた。当然、詠唱は中断される。




