第四話「珍しき果実を求めて」 13
「でも、とにかくクラールさんの目を覚まさなきゃ」
気持ちを切り替え、私は気絶状態である彼の側に膝を下ろすと、蓋を開いた小瓶を泡だらけの咥内にグサリと突っ込んだ。見る見るうちに紫色をした液体の大部分がクラールさんの体内に入っていき、一部は青ざめた唇の端からダラリと垂れる。薬を投与した最初の頃は変化が起こらなかったが、程なくして盛大な爆発音と共に、クラールさんの口やら耳やら鼻やら目から、紫色の噴煙が勢いよく立ち上った。轟音に驚いたのか、ミューちゃんの体がビクッと震える。
――こ、これって大丈夫なのかなっ。
私は不安を感じながらクラールさんの様子を見守った。彼の高価そうな衣装は今や緑やら紫やらが混じりあった液体でビショビショである。洗濯しても汚れが落ちきるかは分からない。いや、それ以前に彼が目を覚ますのだろうか。先ほどの衝撃は明らかにヤバそうな雰囲気だった。
「……う」
しかし、私の心配は杞憂に終わり、弱々しい声と共に、クラールさんはゆっくりと目を開いた。
「クラールさん! 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ……うう、まだクラクラするよ」
頭を抱えながら上半身を起こそうとする彼を、私はその背中を押して支える。
「しっかりして下さいっ。でも、目を覚ましてくれて本当に良かったですっ」
「あはは……でも、さっき変な夢を見たよ」
「どんな夢ですか?」
「どこかの川を渡ろうとする夢」
「それって本当に危なかったって事じゃないですか!」
一歩遅ければ、本当にあの世行きだったのかもしれない。
「ところで、一体この薬は何なんだい? 苦過ぎて、口の中が変なんだけど」
「あ、これはですね」
先ほどの出来事を話すと、クラールさんは驚いたように目を見開いた。
「物好きな女性もいるもんだね。この森を通らなきゃ帰れない町なんて、僕には聞き覚えがないけど」
「何でも違う世界の自分を探す為だそうです」
「へえ……でも、おかげで僕達の行動指針も立ちそうだ」
そこら辺に生えていた大きな葉っぱを使い、彼は身にこびりついた液体を出来るだけ拭き取ると、ゆっくりと立ち上がった。私もそれに倣う。
「その婦人がパイナップルを見つけたっていう場所はどこだい?」
「確か、あっちでした」
私が森の一点を指さすと、クラールさんは頷きながら、
「よし、それじゃあ早速向かおう……しかし、まだあの味が舌にこびりついてるよ」
悪夢のような惨劇を思い出したのか、彼は肩を落として顔をしかめた。
「すいません、私のせいで……」
「いや、ミズホちゃんのせいじゃないよ。すっかり浮かれきってた僕が悪いと思うし」
「そんな事……でも、どんな味だったんですか?」
「そうだなぁ。あの不味さは……」
彼は腕組みをしながら考え込み、深い嘆息をつきながら、げんなりとした口調で告げた。
「まるで異世界の味だったよ」
「そ、そうですか……」
何とも居たたまれない気分になって、私は曖昧な笑みを浮かべた。
――私の世界のアイスは、もっと美味しいと思うんだけどなぁ。
謎の美女が示していた方向を、私達は歩き始める。トロールを倒してからは強力な魔物も現れず、私達は順調に森の中を進む事が出来た。
そして、枝葉の隙間から微かに見える空が次第に赤らんできた頃、私達は遂にソレを発見した。
「ミズホちゃん、あれを見てみなよ!」
「えっ、何ですか……あっ!」
興奮気味に話すクラールさんの目線を追い、私もまた小さく声を出した。沢山の気味が悪い植物達に囲まれるようにして、その場に違わないモヒカン頭っぽい果実がデデンと存在を主張していた。
そう、紛れもないパイナップルである。
「やっと、やっと見つけたよおおおおおおお!」
「ミズホちゃん、ちょっと待って……」
私は歓喜の叫びを発しながら、両手を広げて走り出した。クラールさんの制止が微かに聞こえてきたが、舞い上がる私のハートは最早誰にも止められない。天にも昇るような喜びを噛みしめながら、私は眼前のフルーツに手を伸ばす。
――ぺちっ、ぺちっ。
パイナップルを左右から叩いた瞬間、私の両手の平に無数の棘が突き刺さる。
無数の棘が、突き刺さる。
「いだああああああい!」
激痛がたちまち神経を襲い、私は堪らず涙を流し始めた。
「だ、大丈夫かい?」
「ぜんぜん大丈夫じゃありまぜん……ううっ」
私はすっかり、パイナップルの果実はチクチクするような棘で覆われているという事実を失念していた。今にして思えば、絵本か何かで外見を知っていたとはいえ、実物を手にしたのはこれが初めてかもしれない。我が家で食べるパインはいつも、甘いシロップがかかっていて、更にカット済みという便利な缶詰ものだった。
――でも、普通のパイナップルと比べても、何だか刺々しい感じがするよっ。
ひょっとすると、このパイナップルは危険で薄暗い森で生息する為に進化した品種なのかもしれない。
しかし、今は悲しみにも考察にも暮れている場合じゃなかった。真っ赤に腫れ上がった手をぶらぶらしながら、私は涙目でクラールに訊ねる。
「でも、どうしましょうか。このままじゃ持って帰れないですよね」
「フフフ、心配は無用だよ、ミズホちゃん」
彼は不適な笑みを浮かべると、前に針金を取り出した時と同様、服の袖からある物を引っ張りだした。
「あっ! それは泥棒さんがよく使いそうな風呂敷!」
「僕は泥棒じゃないけどね」
クラールさんは苦笑を浮かべつつ、パイナップルを風呂敷で包み込み、それを抱えあげる。
「こうすれば、棘も気にならずに持ち運べるよ」
「わあ! クラールさん凄い!」
私が感嘆の声を上げると、彼は照れくさそうにはにかんだ。
「いやいや、大した事じゃないさ。さあ、まだ明るいうちに森を出よう」
「はいっ。でも、クラールさんの服の中って、一体どんな風になってるんですか?」
私の素朴な疑問に、彼はイタズラっぽい笑みを浮かべて答えた。
「ハハハ、それは秘密さ」
「えーっ」
とにかく、私達は何とかお目当てのパイナップルを入手出来たのだった。




