第四話「珍しき果実を求めて」 8
あれから。不要な荷物を城の人に預けた私達は王都の外に出て、目的地である森を目指して道を歩いていた。
「改めて見ると、外は自然だらけなんですね」
私は見渡す限りの大草原に目を凝らしながら呟いた。
「改めて、という事は、ミズホちゃんは都の外に出た事があるのかい?」
「はい、ありますよっ」
ふと異世界に放りこまれた時の出来事を回想し、私はげんなりした気分になる。
「……かなり怖い体験をしましたけど」
「ん、一体どんな事があったんだい?」
興味津々といった様子でクラールさんは訊ねてくる。気は進まなかったが、私はその時の事を思い出しながら彼に語った。
「あのですね、ゴブリンがいきなり結婚を迫ってきたんです。それで断ったらずーっと追いかけ回されたんです。私が都に逃げ込むまで」
「うんうん、あの時は俺も若かったゴブよ」
「あ、そうですっ。そんな感じでゴブゴブと……あれ」
不穏な気配を感じ、私は後ろを振り返る。そこには先ほど私に返事をした声の持ち主がニヤケた笑顔と共に立っていた。その茶色く毛むくじゃらな手には小さな棍棒が握られている。
「出たあああ! クラールさん! あれです! あのゴブリンです!」
私は無我夢中でクラールさんの腕を引っ張る。すると彼は相変わらずの爽やか笑顔を浮かべ、
「アハハハ、ミズホちゃんも隅に置けないね。こんなイケメンに言い寄られるなんて」
「む、そっちの男は話が分かるみたいゴブね」
「クラールさあん! こんな時に冗談言わないでえ!」
全く助けようとしてくれない彼の両肩を、私は渾身の力を込めて激しく前後に揺さぶる。しかし、彼は私のされるがままでいるばかりで、一向に戦闘の構えを取らない。一方、相手の方は既にこちら側に危害を加える気満々で、
「今日はこの前みたいに手加減しないゴブよ。振られた男の怨み、とくと味わうゴブ!」
叫び声を上げた後、棍棒を振り回しながら私に突進してきた。
「い、いやあああああああ!」
「ミューちゃん、出番だよ」
絶叫する私の横で、クラールさんがか細い声で足下の小動物にそう呼びかけるのが耳に届いてきた。即座にミューちゃんは私と走ってくるゴブリンの間に割ってはいると、そのお尻を敵の方へと向け。
勢いよく悪臭を辺りに放った。そしてそれは、真正面にいた彼に直撃する。途端、彼の顔つきに苦悶の色が表れる。
「く、く、臭いゴブ! 臭いゴブー!」
ゴブリンは瞬時に自らの鼻を棍棒を持っていない方の手で摘むと、そのままどこかへと走り去ってしまった。
その間、私が悲鳴を上げて僅か一分足らず。あまりに突然の出来事にポカンとする私をよそに、平然とした様子の彼は大手柄を上げた小さなヒーローの頭を優しく撫でていた。
「ありがとう、ミューちゃん。おかげで助かったよ」
「あ、あのクラールさん。さっきのは一体……」
無数のハテナマークを頭の上に浮かべながら私が訊ねると、彼はスカンクの顎を擽りながら口を開いた。ミューちゃんは心地よさそうにウットリと彼のされるがままになっている。
「あれこそが、僕がミューちゃんを一緒に連れ出した理由だよ」
彼の解説によると、城の研究者達が行っていた近年の研究で、スカンクの放つ悪臭が一部のモンスターにとてつもなく有効な事が判明したのだという。
「スカンクが町でペットとして流行っているのも、迷い込んできた低級モンスターを撃退するのに役立つからなのさ。懐いた飼い主には危害を加えないしね」
「あの訳が分からないブームの裏にはそんな理由があったんですか!?」
酷い頭痛と目眩が一緒に襲ってくる。
――何だかここ数時間、驚いてばっかりかもしれないよっ。
頭の周囲を超高速で飛び回る星達を焦点の定まらない目で懸命に追おうとしながら、混乱状態の私は胸の中で呟いた。
とにかく、それから何度も凶暴な動物や魔物に遭遇したものの、私達はミューちゃんのおかげでそれらの襲撃を難なく避ける事が出来た。自然と私達の歩みが遅くなる事もほとんどなくなり、私達は僅か数十分で森の入り口に到着する事が出来たのだった。
「何だか、不気味な場所ですね……」
不気味に枝がねじ曲がっている木々達を見上げ、私は不安を感じながら言った。
「うん、その通りだよ」
真剣な口調で答えるクラールさんの様子には、最早おちゃらけたムードは感じられない。
「ここから先は本当に危険な場所に立ち入る事になる。ミューちゃんの攻撃で怯まない魔物も出てくるだろう。それでも、僕についてくるかい?」
彼は眼前に広がる大森林から目を外し、私を真っ直ぐに見据えながら言葉を続ける。
「今からなら、まだ間に合う。ミューちゃんを連れて王国に戻ればいい。さぁ、どうする?」
とうに答えなど、決まっていた。私はハッキリと自らの思いを言葉にして彼に伝える。
「私はクラールさんと一緒に行きます。それが、クラールさんに食材探しを手伝ってもらう事に対する最低限の義理だと思いますから」
「……よし、分かった」
一瞬の間を置いた後、彼は勢いよく頷いて、
「それじゃあパイナップル探し、一緒に頑張ろう!」
「はいっ!」
こうして私達は広大な森の中に足を踏み入れたのだった。




