第二話「走って、走って、自分の道」 10
城で窮地を救ってくれた青年と再会してから、数日後の昼下がり。私は一人で店番に立っていた。今日はドーサックさんが用事で出掛けているので、その留守を預かっているのだ。
「はい、お釣りです」
すっかり馴染みになった常連のお婆さんに商品と貨幣を手渡す。彼女はニコッと笑いながら、
「ミズホちゃん、お仕事頑張ってねえ」
と、小さく手を振って通りを歩いていった。
「はい、頑張りまくりますっ!」
彼女の姿が見えなくなるまで盛大に手を振り返した後、私は店に置いてある椅子に腰掛ける。ずっと立ちっぱなしでは足が保たないので、私が設置したのだ。ドーサックさんは『まだそんな年じゃねえ』と頑なに使っていない様子だが、もしかすると私がいない時はこっそり休んでいるのかもしれない。そうだったら、ちょっと可愛いかも。
「それにしても、今日も良い天気だなぁ」
空にはお天道様が燦々と輝き、綿飴のような雲が風に押され、青空の下を静かにゆったりと流れている。絵に描いたような春うららである。先ほど昼ご飯を済ませた私がウトウトしてしまうのは、ある意味必然であった。
――って、流石に店番中に寝ちゃ駄目だよっ。
もし居眠りをしてしまえば、近所のイタズラな子供達が店の品物をこっそり拝借していかないとも限らない。そういった事態に陥れば、ドーサックさんの雷が落ちてくるのは間違いないだろう。私はだんだんと重くなっていく瞼を堪えるのに必死だった。しかし、今の私には通りに響き渡る人々の声ですら子守歌である。
――うう、もう駄目……。
私の精神がついにギブアップを迎えようとした、まさにその時である。
「おや、奇遇だね」
「ふえっ!?」
聞き覚えのある清涼な声に、私の意識はたちまち覚醒した。慌てて顔を上げると、店の前にはこの前出会ったあの青年がいた。彼は私に向かってニッコリと微笑むと、
「そうか。君が働いている果物屋さんっていうのは、ドーサックさんの所だったのか。今まで見かけなかったから気がつかなかったよ」
「え、あ、はあ」
曖昧な言葉を返している内に、一つ素朴な疑問が私の心に浮かんだ。
「あの、もしかしてドーサックさんとお知り合いなんですか?」
「うん、そうだよ」
青年はあっさり頷いて、
「まだ幼かった頃、よく城を抜け出して外出してね。その時によく追っ手から匿ってもらったんだ」
「へえ……そうなんですか」
城の人とパイプ持ちとは、ドーサックさんも結構人脈があるようだ。しかし、あの曲がった事が大嫌いなおじさんがそんな事をするとは何だか意外である。それを口にすると、彼は苦笑を浮かべつつ、
「まあ、助けてもらう度に『二度とこんな事はしないように』って叱られたんだけどね。あの人、あれで結構子供には甘いんだよ」
「し、信じられないです……私には鬼みたいに手厳しいのに」
「誰が鬼みたいだって?」
「ひぎゃあああああああ!」
いつの間にか傍らに立っていた険しい目つきの男に気がつき、私は地面を揺るがす程の絶叫を上げた。瞬間、目玉も飛び出ていたような気がする。
「ドドドド、ドーサックさん!? いつ帰ってきてたんですか!?」
「さっきだ」
「そそそそ、そうなんですか。お、お帰りなさいませ」
「で、誰が鬼みたいなんだ?」
「いいいい、いやあの。全くもってドーサックさんの事じゃないですよっ」
「その反応を見るに、どうやら俺の事を言っていたようだな。一応言っておくが、お前が居眠りしかけていたのは遠目からよく見えたぞ」
「ひ、ひえええええ!」
ドーサックさんの瞳がギラリと輝き、睨みつけられた私は恐怖に体が竦み上がってしまった。
――マズい、このままじゃマズいよっ。絶対後で怒られるよっ。
「まあまあ、ドーサックさん」
青年は笑顔を浮かべて彼の肩をおもむろに叩き、私に助け船を出してくれた。
「こんなに良い天気ですし、誰だってウトウトしちゃいますよ。それに、彼女だって実際は眠気に耐えていたわけですし」
――ううっ。この人、凄く良い人だよっ。
二度も私の窮地を救おうとしてくれた青年に、私は感謝と尊敬の入り交じった輝く視線を浴びせずにはいられなかった。
しかし、次の瞬間。
「ううむ。まあ、貴方がそう仰られるのでしたら」
「……え?」
今現在、私の目は点になっているに違いない。何故なら、ドーサックさんの口から発せられた言葉が、年下に向けて放たれているとは思えない程に丁寧なものだったからだ。いつも私にガミガミ怒鳴ってくるドーサックさんだから、尚更奇妙である。
「あ、あの」
私は動揺しながらも、疑問をそっくりそのまま口にした。
「どうしてドーサックさんまで、敬語なんですか?」
「……は?」
次は、おじさんの目が見開かれる番だった。
「お前、何を馬鹿な事言っとるんだ」
「いや、だって」
私は青年とドーサックさんを交互に見やりながら、
「その、おじさんって私にはいつもタメ口なのに、何でだろうって」
「何だお前」
彼は私にジト目を向けながら、
「まさか次は『私は異世界から来たお姫様です』とでも言うつもりじゃないだろうな。そんな出任せをまた言ったら、今度は本当に癒し屋へ連れてくぞ」
「ち、違いますっ。ただ、おじさんが年下に敬語を使うのに違和感があって」
「はあ!?」
「ひにゃっ!?」
いきなりドーサックさんが驚きの叫びを上げたので、私は思わず飛び上がってしまった。彼は私を驚愕の表情でしばらく凝視した後、凄い剣幕でこうまくし立てたのだった。
「お前、王子を知らんのか!?」




