(1)
別れることがなければ、めぐり合うこともできない。(西洋の諺)
「ほんっと、ふざけないでよ!」
藤堂間宵は久しぶりに怒り猛っていた。彼女の鳴らした床の振動が斉藤家のリビングを襲う。
「ふ、ふざけてなんかない! ちょっとだけ二度寝してしまっただけだ!」と兄の藤堂敦彦が応じた。
開き直った敦彦の態度を見てから、間宵は四角いテーブルに手のひらを叩きつける。すると敦彦は仰け反りながら、「ひ!」と小さく悲鳴をあげた。
二人は一つだけ年の離れた兄妹である。彼女らにしてみればこのくらいの喧嘩は日常茶飯事なことだった。
間宵の兄である敦彦は見た目、どこにでもいそうな普遍的な人物だ。男のわりに長めの黒髪にのべーっとした眼、男気のない細い眉。ただ、決して醜男というわけではない。きっと日本人の顔を数値化して平均値を割り出した時、敦彦のような顔が該当することだろうと、間宵は日頃から思っている。
ここは斉藤家の一室。彼女らがまだ幼少の頃に亡くなった両親の代わりに、精力的に二人を育ててくれた斉藤夫妻の家宅である。斉藤家の家具に怒りをぶちまけてしまったことに申し訳なさを感じたけれど、こうなった間宵は例え大金を積まれたところで止められない。
「どうして二度も眠る必要があるのよッ!」
「そ、そんなの眠たかったからに決まってるだろ!」
「ねむ……眠たかったからといって、時と場合があるでしょ! お兄ちゃんなんて、雪山に行って遭難しちゃえばいいのに!」
「お前はそうやって僕に責任を押しつけようとするけど、もとをたどれば海へ行こうだなーんてバカげたことを考えた、お前にだって責任はあるはずだ!」
「はあ!? はあ!? そんなバカげたことをいい出したのはわたしじゃないよ! ペットの監督責任はお兄ちゃんにあるんじゃないの! 不行き届きじゃん!」
「おいこら、沙夜をペット扱いするな!」
実はリビングにいるのは彼女ら二人だけではない。部屋の端っこにもう一人存在していた。ソファーに腰を据えている彼女はゴスロリチックな服を着用し、大きな瞳をぱちくりとさせていた。現実離れな、妖精のような見た目をしている少女だ。間宵はそちらへぎろりと目を向け、声を張り上げた。
「……ねえ! 沙夜ちゃんッ!!」
「は、はい! な、なんでしょうか?」
名前を呼ばれた沙夜がやや鼻につく甲高い声でおずおずと返事をした。大きな瞳を瞬かせ首を三十度ほど傾げている。不思議そうな顔だ。まさか自分は叱られる対象ではないとタカをくくっているのだろうか。
まさか、そんなことが……。間宵は眩暈を覚えた。
ソファーから立ち上がり、王冠を模した髪飾りで留められた大きなツインテールを揺らす沙夜。彼女の胸元には大きな紅色の蝶ネクタイがついている。
「私ね……、お兄ちゃんを起こしてくるよう、あなたに頼んだつもりだったんだけど?」
「ええ、はい。頼まれました」
「つまりね……。起こすっていうのは彼の眠りを妨害してきて、という意味のつもりだったわけ。うん、異論はないよね? 認識に違いはないかな?」
「え、ええ、そうですね。そのように私も解釈いたしました、はい」
さも従順そうにこくこくと頷く沙夜。募っていた間宵の怒りがついに最高潮に達した。
「じゃあ、どうして“あなたまで”寝てたのッ!?」
「は、はあ、ええ、それはその……。えへへへー、ご主人様を見ているうちになんだか私まで眠たくなっちゃい……」
「ああ! もう、使えないっ!」
ヒステリック気味に叫びながら間宵が睨みつけると、沙夜はその威圧だけでこてりと尻餅をついた。そのまま土下座でもするように頭を下げる。
「ひい! ごめんなさい! 申し訳ありませんでした!」
「そんな風にいうことないだろ」沙夜をかばうように二人の間に立ちいる敦彦。「眠った沙夜も沙夜だが、沙夜に期待するお前もお前だ。沙夜に期待するということは、大穴馬券に全財産つっこむような愚挙に等しいんだぞ」
騒ぎの張本人である敦彦はなぜか説得口調である。
「お兄ちゃんは黙ってて! 大体、誰のせいでこんなことになっていると思ってるの?!」
今度は敦彦がきょとんと首を傾げた。自分に責任はないといわんばかりだ。
なんなのだろう。この能天気な二人組は……。
ふと、大きく開いたリビングの窓から外をみれば、天候がどんよりと陰りだしていた。朝方まで空は清澄であり晴天だったはずだ。それがあれから三時間ほど経過した十二時半、雨が振り出しそうな空模様に変容している。天気予報では一日中晴れだと報じられていた。どうして急に曇天になってしまったのだろう。
もしかすれば、自分の機嫌によって天候が変化しているのではないか、半ば本気で考えた。
誰にも聞こえないように顔を背けて、間宵は小さなため息を吐く。
そのため息のわけを説明するには。少し前に時を遡る必要があるだろう。




