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ありふれた夏の一日  作者: 甘味処
避ける・蹴る・駆ける
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(5)

 夏期講習は選択式であるために、一科目終わったあと一時間以上の空いた時間が生じてしまうことがある。もう少しうまいシステムにならないものかと毎度思うのだけれど、教師は生徒の気持ちの知りようがないし、生徒だって教師の事情を汲み取ることなどできない。従って割り切るしかない。


 一科目の講義が終わって十一時を過ぎた頃、昼食を取ろうと席を立った。この期を逃すと夕方までご飯はおあずけとなってしまう。コンビニでおにぎりでも買ってこよう。奈緒は昇降口へ向かった。


 グラウンドでは陸上部が練習をしていた。中には顔なじみといえる人もいる。グラウンドに背を向けて、練習中の彼女らを避けるように校門から学外に出た。


 この学校へはもともと陸上のために入った。中学の時から陸上をしていた奈緒は入部してそうそう目をつけられた。もちろん、悪い意味ではなく良い意味でだ。当時の奈緒にはそれが順風満帆のすべり出しであるように思えた。


 走っているだけでもいい。競わなくたって構わない。毎日が楽しかった。


 しかし恵まれた日々は願ったようには続かなかった。


 春先の県大会を直前に控えた予行練習中に奈緒は横転した。部員のみんなが見ていた時に起きたことだった。


 幸運なことに大事には至らなかった。骨に異常はなく、ギブスを取りつけない程度の怪我ですんだ。一週間走れないというだけで日常生活に支障をきたさないほどの軽傷だった。単純に二日後の大会に出られなかったというだけのことだ。それだけのことだったはずだ。


 周りから深刻な嫌がらせを受けたわけでもない。他の部員たちは気遣ってくれた。機会はきっとまだまだあるよと、また走るんだよねと、なにごともなかったかのような優しい口調で声をかけてきてくれた。クラスメイトも、同学年の生徒も、奈緒がいなければレギュラーの座を獲得していたであろう先輩方も……、みんなが優しく接してくれた。周囲が気を遣ってくれた。とても嬉しかった。感極まって涙が出たほどだった。本当に嬉しかった。


 奈緒はその翌朝、退部届けを提出した。

 精神的にしんどくなってしまったのである。


 今でも復帰できないというわけではない。ブランクはあるもののやろうと思えばできるはずだ。けれど、もうそんな気力は残っていない。


 走るのは好きだ。半年ほど前、敦彦に「変わりたい」といったことがある。あの発言は本心からのもので、陸上と違った趣味を見つけようとしたのも事実だった。ベリショートだった髪を伸ばしたのも陸上と決別するためだった。けれど朝早くジョギングしているように、それでも捨てきれなかった。いや、すがっているだけなのかもしれない。もし手放したら、なに一つ残らないような気がして……。


 足掻あがくなり藻掻もがくなりし、新しい自分を羨望した。

 そうしているうちに、れて、割れて、欠けて。

 知らず知らずにこんなにもきずだらけになっている。


 可哀想だと思ったことはない。肉体的なアクシデントも精神的なコンプレックスも、元をたどれば全て自分の責任だ。それを不幸だなどという言葉で片付けるなんて、甘え以外のなにものでもない。


 体育の授業でたびたび走ることはあるが、今でも人前で走ると緊張する。だから全力で走ったことはない。タイムを測られると特に駄目だ。いつもの二倍は精神が疲労する。それにまったく楽しくなかった。


 だから、朝早くに走るのだ。

 朝は楽しい、清々しい、気持ちがいい。


 あまり人目につかないように。

 なにかから逃げるように。

 すがるように。


 なんのためなのか……。

 それでも、やはり走ることに意味なんてない。


 コンビニでおにぎりを二つ購入してから外へ出た。おかしなことに買い物をしている間に、外の景色は一変していた。快晴だったはずの空が陰り始めているのである。海に遊びに行くといっていた二人のことを思った。


 教室に戻った奈緒は席に座り頬杖をつく。教室に開いた広い窓から外を眺めた。


「ああ、空、晴れないかなぁ」


 空が曇っていると、少しだけ憂鬱ゆううつになる。


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