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ありふれた夏の一日  作者: 甘味処
避ける・蹴る・駆ける
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(4)

 蝉時雨に包まれた並木道を抜けて、桜下女子高等学校の校門に至る。私立の名門校というだけあって門構えが神々しいほど厳かである。この荘厳そうごんな門扉は、女子生徒を追いかけ回す不躾ぶしつけな輩を弾き出す、ねずみ返しのような役割を担っている。その上、警備員や監視カメラまで徹底して配置されているので、近寄る者はまずいない。一言でいうならば、この学校は来る者を拒む。


 昇降口へ行く途中、周囲に目を配れば、九月に開催される学園祭の準備に取りかかっているクラスがちらほら目についた。この時期から本腰を入れているクラスは数少ない。夏休み中盤に差しかかってから本気を出すクラスがほとんどだ。奈緒のクラスも熱心な方ではないので、コンビーフの缶詰のごとく後期に予定がぎゅうぎゅうに詰まっている。


「奈緒!」


 一棟と二棟を渡す、やや広い廊下を横断中、不意に後ろから抱きつかれて奈緒は倒れそうになった。首にまとわりついてきたのは美馬川麗華みまがわれいか。去年まで同じクラスだった少女だ。マフラーのように、というのは極端な例だが、それを連想させるほど軽い小柄な体型をしている。


 振りほどいて「おはよう」と挨拶を交わすと麗華はにひひと笑った。こうして並び立ってみると、二人の身長差は二十センチほどもある。奈緒は平均的な身長だ。麗華が小さすぎるのである。


「ちょっと、なんなの、麗香。やけにご機嫌じゃん」

「私はあなたを待っていたのだよ」

「え? なんで?」

「単刀直入に訊くけどさ、来週の月曜日ひまかな? みんなでカラオケいかない?」

「なぁに藪から棒に。なんか嫌な予感するなぁ。みんなって? メンバーは?」

「N大付属高校の子たちとだよ。ほら、この間紹介したでしょ、私と同じ中学だった俊介しゅんすけくんと廣田ひろただよ」


 なるほど、そういうことか。


「えー……と。はいはいはい。あの人たちね」


 正直な話、覚えていなかった。思い出そうという気はない。はたして麗華にとって名前で呼ばれている俊介くんが本命なのか、それとも苗字であれど呼び捨てにしている廣田との方がより親密な関係を築けているのかなどと、低俗な想像をしてしまったことを悔いるばかりだ。


「他にも何人か呼ぶつもり。だからさ、私としては奈緒にも参加してもらいたいんだぁ」

「うんと……。悪いけどさ、私は遠慮しておくよ」

「ええ、なんでぇ。奈緒さえいれば百人力なのにぃ」

「あんまり私、そういうの得意じゃないんだよ」


 麗華はアヒルのような口を若干尖らせた。


「奈緒さぁ、もうちょっと遊びを覚えた方がいいよ。あなた可愛いんだから。せっかくの美貌がもったいなぁい」

「ありがと。だけどその手には乗らないよ」

「お世辞じゃないのにぃ」

「わかったわかった。でも私はいいよ。あまりそういうのに興味ないんだ」

「駄目だよぅ。そんなんだと心が冷めきっちゃうよぅ」


 彼女に悪意はないのだろうけれど、少しだけむかついた。当然、その気持ちは上手く笑顔で隠す。


「それに私たちのはそういうのじゃなくって単なる友情だよ。やましいことなんてなにもないんだってば」


「友情……ねえ」基準は誰が設けているのだろう。「でもその日は予定はいってるから、やっぱり行けないや。ごめんね」


「まあ、強制はしないけどさぁ」交渉が決裂すると麗華はころりと表情を一変させた。取引モードから交友モードに切りかわったようだった。「そういや、奈緒も夏期講習受けるんだよね」


「うん。そうだよ」

「よかったら、一緒に帰らない?」

「あ、そっか麗香は文系学科だから教室別々なんだ。うん、わかった。いいよ」

「絶対だよ! じゃ、あとでメールするねぇ」


 手をふりながら駆けていった。まるで烈風のような子どもである。


 むんむんと熱された廊下を一人歩きながら奈緒は考える。どうしてここまで色恋の話題に否定的なのだろう、と。

 予定があるといったのは真っ赤な嘘だった。どうしても乗り気になれない。


 カラオケが嫌なわけでもないし、男性恐怖症というわけでもないはずだ。中学校の時は男子生徒とよく遊んでいた。さきほどの事例をあげれば泰誠とだって普通に接している。


 頭が古いのかもしれない。

 もしくは、ただ要領が悪いだけだ。


 奈緒が思うに男女間に華々しい友情なんて成り立たない。きっとありえない。一見成り立っているように見えるだけ……。なんとも思っていないと、いくら両者が口を合わせていても裏でどう思っているかなんてわかるはずがない。誰かが感情を殺している、誰かが傷ついている、そのようなケースが多いはずだ。それらの歴然とした愛情をこれは友情だからと否定するように、見て見ぬ振りをするのなんてあまりにも残酷だ。


 たとえ友情は本物でも、いつまでも友情のままであるとは限らない。そもそも人の感情はそんなにわかりやすいものではない。自分のことだってわからないのに、どうして他人の気持ちが知れるというのだろう。ふとしたきっかけで崩壊の兆しが見え隠れしてしまう。これだけの不確定な要素を持ちながら、知らないふりして友情を繕うのだろうか。なに食わぬ顔で毎朝「おはよう」といえるのだろうか。


 そんな見かけだけの友情が成り立つのは、都合良くことが運ばれていく物語の世界だけの話だ。ああいう話が得てしてハッピーエンドで終わるのは単にきりがいいからだ。意味のないバッドエンドなんて観衆は求めていないだろう。制作側がリアリティを排斥してロマンスだけを追求するのは、観衆が求めているからという理由に過ぎない。


 そこまで明白な理屈なのに、架空の恋愛話を青春をありのまま模写したものだと勘違いしている人は多い。憧れを具現化したものに憧れて真似をしたがる。テレビアニメを見て探偵になりたいと妄想をするのと同じようなものだ。


 だからといって麗華は悪い人ではない。

 奈緒よりも少しだけ能天気なだけだ。

 能天気な人は幸福だ。純粋な人は幸福だ。

 繊細な心とは邪魔以外のなんでもない。

 人の気持ちが汲み取れる人ほど損をする。

 世間ずれしていない鈍感な人ほど、毎日を楽しく送れるに違いない。


 好き好んでグループを形成したがる彼女、彼らは愛情と友情が全く別のパラメータで測定されていると信じている。信じ込んでいる。信じ込もうとしている。


(甘いよ……。甘すぎるよ……)


 奈緒だってこの間までは、友情と愛情が紙一重な感情だということに気がついていなかった。気がついてしまってから、今まで対等に付き合ってきた人と友情ごっこを演じるのはつらい。引っ張れば引っ張るだけ、いずれ待ち受ける反動は大きくなる。積み上げれば積み上げるほど、崩れた時の衝撃は増加する。


 奈緒の場合もそうだった。友だちのままでいられると信じ続けた結果、それが変容した。友情だと思っていた感情が愛情に変貌する瞬間の気持ちの悪さを知った。そこしれない不安を知った。恐怖を知った。すると案の定、奈緒ばかりがつらくなった。


 長い期間一緒に過ごしてきたはずの人の見せた奈緒の知らない顔。欠けた部分を認識して心許なさに襲われた。突然、彼の考えることがわからなくなった。


 はっきりといえることが一つ。

 彼は奈緒の知らない世界の誰かに思いを馳せている。


 彼の心を変えるようなきっと素敵な女性に……。

 それくらいはわかる。ずっと一緒だった幼馴染みだから。

 だから能天気な人たちを見ていると、こんなにも心苦しくなる。


 講義の始まりを告げるチャイムが鳴る。

 黒板に目をやりながら、一個目の教科が終わったら早い昼食を取ろうかと考えたけれど、あまり使わないようにという意識から財布には五百円しか入れてこなかった。普段なら五百円もあれば購買部で格安なパンを買えた。そういえば夏休みの間、購買は開かれていない。


 なにが用意周到だ。そんなことすら失念していた自分が情けない。

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