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ありふれた夏の一日  作者: 甘味処
避ける・蹴る・駆ける
3/23

(3)

 一度家に戻った奈緒は、きゃんきゃんと鳴きながら近寄ってきた愛犬マロンを抱きしめてからエサを与えた。品種はノーフォークテリア。愛嬌たっぷりな見た目をしているけれど、彼女は十度の誕生日を迎えている。もう立派な老犬である。


 二十分ほどシャワーを浴びてから学校の制服に腕を通した。今朝拾ったチケットを忘れないうちに、スポーツウェアから取り出して制服の胸ポケットに畳んで入れた。教材を鞄に入れ、髪の両側に桃色のヘアピンをつけた。周到に用意をしてから家を出る。


 奈緒が通う私立の高校は住んでいる町の二駅隣にある。電車にゆられながら辺りを見渡せば、乗客のほとんどがレジャー気分の人たちであるように見えた。制服姿の奈緒だけが異分子だ。


 目的地についたので奈緒は車両を降りて地上に出た。熱気の立ち込めたアスファルトの道を歩きだす。


 駅から高校までの道のりには広く細長い公園があった。桜下女子高等学校とN大学附属高等学校を隔てるように設置された、ミルキーウェイのような公園だ。その二校はほどよい距離感を体現しているらしく、この公園には両校の生徒がセットになったカップルが頻繁に出没する。まず間違いなく目撃されてしまうので、翌朝、抜け駆けしたクラスメイトとして冷やかされるというのが通例だった。逆にいえば、冷やかされるとわかっているのにこの公園で時を過ごすカップルが減らない。世の中には冷やかされたがっている人がことほか多いようだ。


 その公園に見覚えのある顔を見つけたので、奈緒は足を止める。見覚えがあるといっても二度会ったことがあるだけだが。


 彼は敦彦の親友だ。百七十を越す長身に端麗な容姿、爽やかな短髪、とにかく風体の優れた少年だった。敦彦からは凄くいいやつだと自慢された反面で、あまり近づかない方がいいと釘を刺されている。とはいえ、見かけたからには声をかけたくなるのが人情というやつだろう。


「あ、ええっと……泰誠たいせいくん」


 奈緒が声をかけるとベンチに腰をかけていた坂土さかつち泰誠は、こちらへ振り向いてから立ち上がった。彼の無駄のない洗練された挙動からは、やはり人畜無害な印象しか抱かない。彼と初めて対面した時、どこか異様な雰囲気を感じていたが、それも気のせいだったように思えてくる。


「よ、奈緒ちゃんだよね。久しぶり、こんなところで会うなんて奇遇だね」


 泰誠は奈緒の名前をしっかりと覚えていたようだ。しかも瞬時に記憶を解凍できる。学業優秀というだけあって、さすがの記憶力と頭の回転の早さだ。


「こんな所でなにしてるの? 散歩?」

「話せば長い」奈緒の問いかけに泰誠は肩を竦めた。

「あはは、なにそれ。気になるなあ」


「うん。じゃあ手短に話そう」泰誠はふうとため息をつく。「俺、二個下の妹がいるんだ。今は中学三年生。こういっちゃなんだが、俺たち兄妹はこれまで仲睦まじく育ってきた。だけどさ、今朝その妹に家を追い出されちまって、今ここにいるというわけだ」


「どうして追い出されたの?」

「俺がパンツを盗んだのに気がついて、鬼の形相になって怒りだしたんだ」


「え……」一瞬言葉に詰まる。「……ああ、ええ。そう」

「……あいつ。思春期かなぁ」

「うん。きっとそうなんだろうね」


 確かにあまり近づかない方がいいかもしれない。噂にたがわぬ好人物なのだろうけれど、危険な発言は対応に困る。


「それで行くあてがなくて、ついさっきまで途方に暮れてたんだよ。あっちゃんにも電話かけたんだけどよ、取りつく島もないって感じで……。なーんか機嫌悪かったな。どうしたんだろう、あいつ」


「きっと久しぶりに早起きしたから機嫌が悪いんだよ」

「ああ、確かにそんな感じだったな。あれ? なんか奈緒ちゃん、今見てきたみたいな口調だね」

「まあ、今見てきたからね」


「……ふうん、こんな朝から可愛い幼馴染みに訪問されるのかあ。くう、あっちゃんも隅には置けねえな」憎々しげな表情で小さく舌を打ってから、泰誠はにこりと笑った。「奈緒ちゃんはこれから学校?」


「うん、夏期講習」

「そっかそっか、その制服、桜下なんだっけか。俺、桜下女子と家が近いんだよね」

「泰誠くんはこれからどこへ?」

「ああ、彼女とデート。さっき約束を取りつけたところだ」

「あ、そういえば彼女さんいるんだっけ」


 その話は敦彦の口から聞いていた、敦彦は二人の関係に橋を渡すべく、ずいぶんと東奔西走とうほんせいそうしたらしい。後になってから橋ではなくて引導を渡すべきだったかもしれないと、冗談半分に語っている。


「彼女さんとどこ行くの? もしや、海とか?」

「え? なんで海なんだ?」

「いや、いい天気だからねぇ」

「ううん、どこ行くかは決めてない。着の身着のまま家を出てきちゃったから、財布まで置いてきちまって、ポケットには電車賃しかないんだ」

「それは大変だ。あ、だったら、映画のチケット二枚余ってるんだけど、よかったらどうぞ」


 渡したのはいいものの、自分の趣味の疑われたら心外だ。人様のデートプランを部外者である奈緒が決めるなんて、おこがましいにもほどがある。しかも拾いものだ。


「ほんと、もしよかったらでいいから」

「映画? どうしたの、これ。あっちゃんにあげるつもりだったとか?」

「え、どうして?」

「あいつが好みそうな映画だから」

「さすがにそこまでセンス悪くないよー」


 幼馴染みのセンスを疑われてむっとなる。


「はは、それもそうか。……で、どうしたの、これ」

「ええと、その……拾いもの。道に落ちてたから頂戴しちゃった」


 奈緒は舌を出した。


「へえ。あまりいい趣味とは思えねえな」


 一瞬、拾ったものを頂戴したことを非難されたのかと思ったが、もちろん、彼は映画の内容についていっている。


「あいや、わりいわりい、もらいもんにケチつけちゃあいけねえよな。ありがとう、誘ってみるよ」公園の中央に屹立した黒時計を眺める。「ていうか、時間大丈夫か?」


「あ、やば」腕時計を確認すると、あと三十分で講義が始まろうとしていた。「っていうか、あれ? どうしてわかったの?」


「なんか時間気にしてるみたいだったし。くだらないことで引き止めて悪かったな。話せてよかった」


 この人は何気ない素振りをしながらも、よく観ているし気遣いもできる。きっと泰誠の彼女さんは苦労することも多いけれど幸せだろうなと、奈緒は想像した。


「うん、じゃあ、またね」


 泰誠に別れを告げ、急いで学校へ向かうことにした。


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