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ありふれた夏の一日  作者: 甘味処
愛し・恋し・難し
21/23

(4)

 木篠崎美恵はどうにもやるせない気持ちになっていた。

 目前で珈琲をすすっている男をのぞき見る。坂土泰誠。彼は美恵の恋人である。彼とは本の趣味も合うし、アニメや映画の趣味も合う。服装のセンスだって抜群だ。もっとも、どんな衣装に着替えたところで似合ってしまうくらいに完璧な見た目の男だ。恋愛ごとに興味を示さなかった美恵が初めて一目惚れしたほどのもの。


 また、問題点としてよく取り上げられる、“ありあまる変態さ”に不服はない。むしろ美恵に対しては真摯しんし的だ。どうしてだか真摯的だ。だから、美恵の前でだけは性格が良く、顔が素晴らしく、頭が聡明そうめいな男であるといえる。それがどうにも不服に思えてしまう美恵だった。


 つまり、彼が下品な視線を投じる周りの女子高生に嫉妬している自分をいやらしいものに感じてしまい、それゆえ生まれるやるせなさなのだろう。女性としての品格が、あまり好きな表現ではないが女子力が、加速度的にすり減っていくような気がする。


「あ、そうだ」泰誠が口を開く。盗み見ていたことを悟られたのではないかと思ったが、そうではなかった。「今日は海はやめて映画を観に行こうぜ。そうしよう」


「映画? なんの映画ですか?」


 海へ行きたいところだったが、映画も悪くない。


「さあ? ここに来る途中に友達に貰ったんだ。ちょうど二枚あるからどうですかって。なにやら拾い物らしい」

「貰った? 拾った? なんか怪しくないですか、それ。いわくつきってやつかもしれませんよ。劇場に彷徨う幽霊たちが生きた人間を誘い込もうと、チケットを街中にばらまいたとか……。あ、これ、広報誌の記事にできそうですね」


 なにを隠そう、美恵は広報部員なのである。幽霊などという非科学な存在を信じたことはないけれど、面白そうな話ではあった。


 もともと、広報部員というものは自分の書きたいことを好き勝手に書けばいいというものではない。どういう記事を書けば生徒が関心を持ってくれるのか。そこに焦点があてられる。雑誌などでたまに低俗な記事を見かけることがあるが、それは民衆が求めているから生まれたものなのだ。こういった活動をしていると、社会のルールに抵触した気分になって少しばかりの楽しさを覚える。


「だとしたら、怖いですね」思ってもないことを口にしてみた。美恵は紅茶のカップに手をつけ、彼の反応をじっと待つ。


「そういうのって呪われるのは、せいぜい二三人だろ? 何人いると思っているんだ。大丈夫、多勢に無勢だ。確率的に見て怖かない怖かない」


 泰誠は冷静に分析をする。彼が思考を働かせる時、一瞬だけ見せる真剣な顔が美恵は好きだった。チケットをしげしげと見つめて、泰誠は苦渋を呈する。


「あ、でもこれ、くれた人には悪いけど、あんまり客入りがなさそうな映画だよな。……となると呪われる確率は急上昇だな」


 美恵も腰を浮かせてそのチケットをのぞき込んだ。


「そうですねえ……たしかに、これは……。もしかしたら私たちだけかもしれませんよ。特にタイトルが酷いです。なんだか、あっちゃんさんが好きそうですね」


 あっちゃんさんとは美恵と同校に通う、泰誠と同じ年齢の男子生徒だ。泰誠との関係を築く際に、彼に懇親的な協力してもらった。性格は温厚篤実で、見た限りいい雰囲気の男だった。温和的で内向的な一面を見せつつも、胸には熱意が溢れている、というのは美恵の想像だが。また、雰囲気とは違って香水でも振りまいているのか、なぜだか彼からはやたらと甘い香りがした。


「ははは、俺もそれ思った」泰誠はそういって笑ったあと真顔になり、「いやそこまでセンスないはずがないだろ」と友人をかばってから、もう一度笑った。


 二人は喫茶店を後にし、映画館を目指すことにした。平日の十時だというのに人通りが多い。そうか、夏休みだからか。


 そこで美恵は人ごみの中で学校の関係者を見つけた。見つけたというよりも目に焼きついた。彼女の圧倒的なスタイルが群衆に溶け込むことはまずありえない。


「あ、マリア様だ」泰誠が指をさしながらうっとりとする。

「本当ですね。……って、様ぁ? 様ってなんです?」


 道を歩いていたのは、ミステリアスな雰囲気から広報部でも度々取り上げられる、マリア・フランクリンという謎多き女性である。彼女は泰誠の担任の先生だ。日本人顔負けの端麗な目鼻立ち、プラチナブロンドの長い髪は男子生徒からも女子生徒からも、きっと教師からも評価が高い。


 二人の存在に気がついたマリアがこちらによってきた。


「あら、泰誠くんと美恵さんではありませんカ」


 名前を呼ばれて一瞬どきりとした。直接的な教え子である泰誠だけならば、名前を覚えていて当然のことかもしれないが、まだ高校に入学して一学期しか経っていないというのに美恵の名前を覚えられている。もちろん、学内において目立った存在であるという自覚は美恵にはない。


「ふふ、お出かけですカ?」

「へへ、そうなんですよ。なんといいますか、デートってやつです」と泰誠が答えた。

「羨ましいワ。どこへ行くんでス?」

「映画です」今度は美恵が答える。

「ほウ。映画ですカ。そういえば、敦彦くんも映画へ行くらしいですヨ」

「へえ、あっちゃんが? おつかいにいく……というわけじゃないよなあ」

「なわけがありませんね」

「うーん……誰かとデートなんかな……。あいつめ邪魔されたくなかったから、嘘ついたのか」などと美恵にはよくわからないことをぼやいたあと、にっと笑った。「よし、美恵ちゃん、やっぱり海へ行こう!」


 泰誠に手をぐいと引かれる。話の筋がよく見えなかったが、こうなった彼を止める術を美恵はまだ知らない。思い立ったが吉日を地で行くような男なのである。


「ちょっとぉ! 映画のチケット、どうするんです!」

「あ、そうだな。うーん……、チケットあっても仕方ないし、使わないのもなんだかもったいないよなあ。そうだ。マリアさぁん! これあげますよ!」


 マリアが泰誠の持っているチケットにちらりと目配せして、ぎゅっと顔をしかめた。彼女にしては珍しい表情である。


「おやまあ、センスのない映画ですネ」

「ですよねー。よかったらでいいですから」

「これ、どうしたんでス?」

「え、まあ拾い物です。それがたまたま俺の手に巡ってきたというか……」

「拾い物……ですカ。どっかの間抜けが落としたのでしょうネ」続けてぽつりとつぶやく。「ふぅん……相当なポンコツの仕業に違いない……」


 普段、艶然えんぜんとしているこの女性。時々、不気味な雰囲気を漂わせることがある。美恵の気のせいかもしれないので、誰にもいったことはない。


「ありがとウ。もらっておくわネ」


 マリアと別れて、駅まで向かう道中、ぐんぐんと進んでいた泰誠が動きを止めて、こちらへ振り向いた。


「あ、そうだ、美恵ちゃん」

「なんです?」

「電車賃、貸してくれねえかな……?」

「まったくもう……ふふ、格好がつきませんね」

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