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「パ……パンツ?」
今現在、時刻でいえば九時五十分。泰誠の目前には、侮蔑の眼差しで彼を眺める、木篠崎美恵がいた。栗毛の髪はいつも通りポニーテールに束ねてある。大きな右目に被さるように垂れた後れ毛が実にチャーミングだった。
「うわー……。急に呼び出されたのでいわれるままに、めかしこんできたのはいいものの……。用件はなにかと問えば、そんなくだらないことだったんですか。相ッ変わらずどうしようもないですね、泰誠さん。そろそろ自粛しないと、そのうち勘当させられちゃいますよ」
今日の彼女の服装はキャミソールにデニムのショートパンツ。彼女にしては華美なコーディネートだ。夏着の私服は初めて見た。清楚系のコーディネートを好む泰誠だが、現在のファッションも嫌いではない。
純白という印象が体の内から溢れ出ている彼女は、いつも通り化粧気がない。しかし泰誠の観察眼はごまかせない。唇にリップクリームを塗っている。その唇が小さく開かれた。
「だいたい、そういう話を私にしますかね」
本格的なそういうのに対して、免疫のない泰誠は気づかれないよう、彼女の唇からそっと視線を外す。
「するもんですかね、しちゃいますかね。ええ……、私の認識が正しければ、私たち恋人同士ではありませんでしたっけ? どうでしたっけ?」
「そりゃ、そうなんだけど、愛する人に隠しごとするのは失礼だろ?」
「うわ! 超ッ絶、無駄な真摯さですね! この世で一番、割られたくない腹でした!」
彼女独特のスタッカート節で声を潜めるようにまくしたてると、ふうとため息をついた。美恵の目前には紅茶があり、泰誠はブレンド珈琲をオーダーしていた。
「なに、美恵ちゃん、もしかして、うちの妹に嫉妬……」
「してません」
「見栄張ってんの?」
「それ、この世で一番嫌いなダジャレです。通算五百回くらい聞きました」
美恵は紅茶のカップに手をつけた。ここは栄えた街の一角にある喫茶店である。
呼び出したのはいいものの、ポケットには五百円玉が一枚しか残っていなかった。珈琲の代金を払った今、限りなくゼロに誓い数値となっている。十の位を四捨五入すれば、二百円しかない。
「呼び出したのは悪いと思ってるよ。財布を持ってくるのを忘れちまって、困ってたんだ。ほんと、申し訳ない」
「それはいいですよ。ほかにもなにか困ったことがあったら言ってくださいね。金銭面ではフォローできますから」
「いや、そういうわけにはいかないだろ」
「え? どうしてです?」
「ああ、まあ。男のくだらないプライドだ」
とはいったが、それだけではない。木篠崎美恵は全国的にも有名な木篠崎財閥の令嬢なのだった。たしかに彼女なら金銭的な問題であれば九分九厘解決することができるだろう。だからこそ、お金の貸し借りというものを極力避けたい。まるでお金に目が眩んで関係を築いてしまったような境遇になってしまう。泰誠にそんな気はない。そんな気がないという誠意をアピールするには、話題に出さないように心がけるのが一番なのだった。誠実でいようとするだけ口からは本音ではない言葉が簡単に飛び出してしまう。日頃、磊落な泰誠がこんなに慎重になることは滅多にない。
「ほんと、私は構いませんですからね。逐一、報告とかしてくれなくても。なんだか返って落胆しちゃうんで。知らない方がいいことってあると思うんですよ」
「でもさ、心配じゃねえのか? ほら、俺ってのはこんなだし、もし他の子になびいたらとか」
「まあ、そこらへんは信じてますから。あなたがどれだけ常軌を逸した行動をしていようとも、浮気だけは絶対にしないでしょう?」
「ああ、しないだろうけどさ」
「だろう?」美恵は目を細めた。
「はは、してんじゃん、心配」
「む、かまかけましたね?」
大きな窓から外を覗き込む。燦々《さんさん》とした日の光が店内に注ぎ込んでいる。
「あ、そうだ、泰誠さん。今日は天気もいいことですし、海……行きませんか? 安心してください、電車賃くらいは私がもちます」
「おお、海かあ、いいなあ海!」目を瞑り、その光景を想像する。「熱された浜辺に水着の女の子たち! 最高のシチュエーションだ!」
「最ッ低のインスピレーションです!」
「でも、美恵ちゃん。水着とか持ってきているわけではないよね。中に着込んでいるわけでもなさそうだし……」
「ちょ、ちょっと、人をやらしい目つきで見ないでいただけませんか! 持ってきてないですけど……。まあ、眺めているだけでもいいじゃないですか」
「そうだな、まあいいか。水着女性を眺めているだけでも……」
「え、私が持っていないといっているのに、なにを眺めるつもりなんですか。ねえ、ねえ!」
「でもさ、この晴れ晴れしい空の下、心待ちにしている人たちのためにやめといた方がいいと思うぞ」
「え、どうしてです?」きょとんとした顔でこちらを見る美恵。
「知らなかった?」彼女の眸を五秒間見つめた後、泰誠は真剣な顔で言う。「俺、雨男なんだぜ」




