Eternal Pair
深々と雪の降る聖夜、二人の男女が歩いていた。
一人はやたらと目つきの鋭い、それ以外は何処にでもいそうな普通の青年。
もう一人は長く美しい艶やかな黒髪で目を半分隠した、低身長だが美しい女性。
彼らは地面にうっすらと積もった雪をサクサクと踏みしめ、何処へ向かうかも分からぬままひたすら歩き続ける。
ネオンの輝く大通り、周囲には大勢のカップルが存在していた。流石はクリスマスという年に一度の行事、人の賑わい方が尋常ではない。
夜九時という時間にもかかわらず、老若男女関係なく、皆一様に活気に溢れていた。
そんな人込みの中、手を繋いで歩く件の男女は静かに言葉を交わす。
「やけに人多いな……商売って、こういうときにやるんじゃないのか?」
「まぁ、そちらの方が理に適ってはいるな。だが――」
そこまで言うと、女性は少し顔を赤らめながら一呼吸、そして頭一つ分高い青年の目を見据えて言葉を続ける。
「折角の聖夜じゃないか。こうして二人だけで過ごすのも、悪くはないだろう?」
「……そうはっきり言われると、こっちだって恥ずかしいんだからな。真由良」
「ふっ、やはり大河は相変わらずだな。そういうところも大好きだぞ、私は」
「俺の言ったこと、きちんと聞いてたか?」
呆れつつも、しかし滲み溢れる嬉しさを隠せない青年――越智大河は、お返しとばかりに繋いだ左手を少しだけ強く握る。
それを感じ取った女性――辰巳真由良は、突然の不意打ちに体がピクリと震える。慌てて視線を逸らすも、その行動だけで彼女の動揺は大河に伝わってしまった。
観念して頭を上げた真由良の目が捉えたのは、雪の舞う空を背景にしたり顔をする大河。少し悔しくなって、今度はさらにお返しすべくいきなり腕に抱きついた。
必然的に腕を組む形になった大河は、腕に伝わる柔らかい感触と真由良の甘い香りに思わず生唾を飲み込む。それを見た真由良もまた、大河と同じように悪戯っぽくしたり顔を浮かべる。
「私に勝てると思うたか、若者よ」
「うっせ、たったの二年しか違わないだろうが。……ほれ、コケるぞ」
「心配な――きゃっ!」
大河の心配が見事に的中し、真由良は思い切り凍った地面に足を滑らせた。幸い大河の腕にしがみ付いていた為、強かに尻から転ぶことはなかったが。
体勢の安定しない真由良をひょいと起こすと、大河は今度こそ転ばないようにと自ら彼女の腕に己の腕を絡ませる。
その様子をじっと見ていた真由良は盛大に頬を紅潮させていたのだが、前を見て再び歩き出す大河はそれに気付かない。
「……真由良も、結構可愛い声出すのな。あんな声初めて聞いたよ」
「っ!? わ、私だってこれでも女なのだから、当然だろう!」
ふと口にした大河の言葉に敏感に反応した真由良は、少しムッとした表情でまくし立てる。
先ほどまでのクールな印象を与えるハスキーボイスは何処へやら。今の真由良は声優もかくやという高い声だった。
そんな真由良の様子を見て苦笑した大河は、右手で頭を撫でながら再び歩き始める。撫でられた真由良は一気に押し黙り、俯いたまま大河と歩調を合わせて歩き出す。
周囲にも同じような行動をしている人間は数え切れないほどいるけれど、彼らのいる空間だけはまるで別世界だった。否、この大通りだけで何人ものカップルが別世界を創り出している。
故に誰にも咎められず、嗤われず、こうして幸せな空気を振りまきながら歩いていられる。大河も真由良も、胸中ではそんな世界の集まりにひたすら感謝しつつ、人目も気にせず歩き続けた。
しばらく歩き続けると、小さな駅の前にそびえる巨大なツリーの前に辿り着いた。当然のように人込みが出来ており、大通りよりも更に多数の別世界が展開されている。
「ほぉ、これが噂の駅前ツリーか。こりゃ10メートルは下らないな」
「そうだな……しかし綺麗なイルミネーションだ。私の神経をくすぐるいい風景だな」
「……描くなら付き合うぜ?」
「いや、いい。今日は大河とゆっくり過ごすために、こうして仕事を休んでいる。絵は明日にでも描けるだろう?」
「ま、それもそうか」
納得した大河は、もう一度天高くそびえるツリーを見上げた。それにつられて真由良もまた、同じようにLEDの輝くツリーを見上げる。
視界を遮らない程度に降り注ぐ粉雪。それらがイルミネーションの光を受けて輝く様は、まるでクリスタルの粒が降り注いでいるようにも見える。
真に美しいのは雪か、それともツリーなのか……そんなことを、大河は胸の内で考察していた。
しかし、せっかくツリーを見ているのに無言なのもどうかと思い直し、大河は考察を止めて真由良へと顔を向ける。
「……そういえば、もうすぐ俺たちが出会ってから三年が経つな」
「ん、もう三年も経つのか。時の流れとは早いものだな……あの頃の私が今の私を見たら、きっとたいそう驚くだろう」
「確かに。あんな数奇な出会いの果てに、こうして愛する人までいるんだもんな……」
懐かしむように話しながら、言葉と共に大河の手が少し力強く真由良の手を握る。
白く吐く息、しかしそれ以上の言葉は交わさない。何故なら、言葉にせずとも行動だけで互いの気持ちが伝わるから。
三年前、絶望の淵に立ち命まで捨てようとしていた矢先、運命に導かれて出会った二人。彼らの繋いだ絆は何よりも強固で、何物にも変え難い。
「……少し、昔話でもしてみるか。未来を見続けるのはいいことだが、たまには振り返ることも必要だ」
「そうだな……振り返るって、いつからだよ?」
「そりゃあもちろん、私たちが出会ってから今までの間だ。それ以前のことは別にいいじゃないか」
「まぁな。何せ今は『二人だけの時間』だからな」
「そういうことだ」
互いに腕を組んだまま、双方顔を合わせることもなく、ツリーに視線を向けたまま交わす言葉。
意見が一致したところで、まるで呟くように二人は回想を始めた。
それからというものの、三時間にもわたって二人は回想を続けた。
樹海の中で死を覚悟した大河と真由良はお互い出逢えたことにより、生きる希望を再び見出した。すなわち、大河は『真由良の絵を見続けたい』。真由良は『大河の目を見続けたい』と。
そうして二人は自身の気持ちに気付き、愛を誓った。
しかし一度人生を捨てた人間が平穏を取り戻すのも楽ではなく、樹海を出たものの二人は困惑するばかりだった。
足もない、金もない。かといって今更家に帰るのも躊躇われる。それどころか真由良に両親はいない。
最終的に二人が出した結論は、『駆け落ち』という選択だった。それを反対するものなど誰もおらず、二人は生きるために行動を起こす。
真由良は放浪の画家として、大河と共に各地を転々としながら自ら描いた絵を売る露天商に。大河は真由良の生業を支えるため、少しでも稼ごうと日雇いのバイトを探してはこつこつ働いた。
どちらの頭にも『定住する』という選択肢はなく、ある程度慣れてくると現在の生活をそれなりに楽しんでいた。
そうして三年間、旅をしながらこの地へと辿り着き、現在に至る。
やっとのことで二人が回想を終えると、気付けば時間は午後十一時五十五分。あと五分でこの特別な時間も終わる。
「……長いこと話したな。もうすぐ日付が変わるぞ」
携帯電話の画面で時間を確認していた大河は、少し寂しそうに呟く。
そんな大河を見た真由良は、何故かそわそわしたように大河の顔を見上げた。
「そうだな……少し名残惜しいが、私としてはそろそろ思い出が欲しいところではある」
「思い出? それなら今までずっと一緒にいたこと、全てが思い出じゃないか」
気取ったように言う大河だったが、その言葉を聞いた真由良は少しムスッとしてしまった。
真由良の様子が変わったことに気付いた大河は首を傾げるが、何故なのかは彼自身も答えを見出せないでいる。
「……全く、大河は女心を分かってないな」
「悪いな、俺は男なんで」
「鈍い男は嫌われるぞ? ……私はな、幾つか望みがあるんだ。
今だったら、サン大河さんが滑り込みで望みを叶えてくれると思うんだが……どうだろうな?」
「さ、サン大河って……まぁ、出来ることなら何でもしてやる」
真由良のネーミングに苦笑しながらも、頭を掻きながら小さく頷いた。
対して、真由良は嬉しそうな表情を浮かべながらも、何故か組んでいた腕を解いてしまう。そのまま数歩歩き、大河の正面から少し離れた位置に立った。
いよいよ訳の分からなくなった大河は訝しげな顔になるが、それでも一つだけ気付くことがあった。
それは、真由良の視線。いつになく何かをねだる様な、扇情的で熱い視線。
「……一つ目。私は三年間も大河と過ごしてきて、何故か一度もしたことがない事がある。
さて、心当たりはあるか?」
「…………あぁ」
ホワイトクリスマスでツリーの下というシチュエーション、そして先ほどの三年間の回想。これだけの材料があれば、流石の大河でも幾つか心当たりがあった。
真由良の望みを知った大河は、それを叶えてやるべく足を一歩踏み出す。けれど、もう一歩踏み出そうとした瞬間に真由良が手で静止をかけた。
「まだ、全て言い終えてないぞ?
……二つ目。私はこの三年間、大河と一緒に旅をしてきて本当に楽しかった。嬉しかった。
けどな、それでもやはり何か物足りなかった。私自身でもそれが何か分からなかったのだが……今さっき、やっとそれの正体が分かった」
「……その正体は?」
「それはな――」
そこまで言うと、大きく息を吸い込み、三年前の大河が言った言葉を借りて続ける。
「『二人で支えあいながら、いつか死ぬその日まで生き続けよう』。あの時、そう言ったよな?
私はそれを契りの言葉とし、そっくりそのままプロポーズの言葉として使わせてもらう……私は、大河と結婚したいんだ!」
「っ!?」
予想外の言葉に、大いにたじろぐ大河。しかし、それは動揺から来るものではなく、寧ろ照れのほうが大きかった。
心の内では期待していた、けれど言葉に出来なかった想い。先手を打たれてしまった悔しさも相まって、大河は数秒で表情を改める。
虎視眈々、という言葉がよく似合う鋭い目つきになった大河に、一切の迷いはなかった。
「先に言われるとはなぁ……俺の答えを聞かずとも、分かってるんだろ?」
「じゃ、じゃあ……むふっ!?」
大河の言葉を聞き、真由良が輝いた笑顔で口を開きかけるが、それは叶わなかった。
何故なら、大股で一気に真由良の目前へと進んだ大河の唇によって、唇を塞がれてしまったから。
虎のような荒々しさを感じさせるキスに、いつもは強気な真由良もただ押し黙るしかなかった。
高鳴る鼓動、甘く熱い吐息、いつもより男らしい表情……五感の全てを幸せという情報に刺激された真由良は、恍惚の表情を浮かべながら静かに涙した。
永遠に続くと思われた時間、しかし実際には十秒足らずの長いキス。大河がそっと顔を遠ざけると、真由良は少し残念そうな顔をしながら、けれど幸福感を滲ませた表情になった。
「……ありがとう、大河。私の人生の中で一番いい思い出になったよ」
「ま、まぁアレだ……その、えっと……これくらいならいつでもしてやるからさ。俺たち今日から夫婦だろ?」
「あぁ。本日12月26日をもって、私たちは夫婦になったんだ」
「げ、日付変わってたのか……そりゃ残念だ」
「ふふっ、別にいいじゃないか。毎年クリスマスと結婚記念日を同時に祝うなんて、少し勿体無いだろう?」
「ま、確かに」
徐々に人が少なくなりつつあるクリスマス明けの巨大なツリーの下、その余韻を楽しむかの様に二人は言葉を交し合う。その際にも、繋いだ手をぎゅっと握りお互いの体温を確かめ合いながら、周囲の人間が作り出す世界とはまた違う、温かく幸せな世界を創り出していた。
ふと、大河はもう一度携帯電話を取り出す。時刻は12月26日の00時08分、もうすぐ終電ということもあり、駅前の人も少しだけ多くなる。後三十分もすれば、おそらく人はかなり少なくなるだろう。
「……なぁ真由良、折角の記念なんだし写真でも撮らないか?」
「写真、か……そういえば最近は撮ってなかったな。風景に関しては自分で描いていたし」
「それもそれでどうかと思うが……」
真由良の発言に再度苦笑しつつ、大河は携帯電話のカメラを起動する。三秒ほどのラグタイムの後に写った画面を自撮り機能に設定し、ツリーを背景に二人の顔を映し出した。イルミネーションの煌びやかなツリーの前では、少しだけ顔の映りが悪い。
「そーいやライト点けられないんだっけか……まぁいいや。ほら笑えー」
「う、うん」
少しだけぎこちない様子で画面を見つめる真由良を、大河は微笑みながらぐっと肩を引き寄せた。一気に顔が近くなって驚いた真由良の表情は幸か不幸か、シャッターを切るタイミングと重なり写真として反映される。
一瞬の出来事に未だポカンとしている真由良に、大河は笑顔で写真を見せる。とびっきりの笑顔を放つ大河に、恥ずかしそうな表情で驚いている真由良、そして背後にそびえる巨大なツリー。そんな写真を、真由良も静かに微笑みながら見入っていた。
そんな中、大河は達観したような言葉を真由良の耳元で囁きかける。
「ほら、いい思い出だろ。……さっき真由良は『人生で一番いい思い出』って言ったけどさ、俺はこれで一番だなんて思わない。これからずっと真由良と一緒に歩む人生で、俺はもっといい思い出を集め続ける。
その果て……人間ならきっと死ぬまでなんだろうけど、それまでの思い出の集大成こそが『人生で一番いい思い出』なんだと思うんだ。だからさ――」
そこまで言うと、大きく呼吸を整えるとありったけの気持ちを込めて続ける。
「俺たちは永遠に一緒だ。前は『いつか死ぬその日まで生き続けよう』って言ったけどさ、たった今考え方が変わった。たとえ死んで心身共に朽ち果てたとしても、俺は真由良を想い続ける。……その為にも、これからもたくさん思い出を作っていこうぜ?」
「大河……全く、何でお前はそんなに格好良いんだ!」
全てを聞き終えた真由良は、笑顔のまま大河の胸に顔を埋めた。そこから聞こえる嗚咽は、きっと嬉し涙なのだろう。大河も黙って真由良の小さな頭を抱いた。
深々と降り続け、聖夜を終えてもなお止まぬ白く美しく輝く粉雪。
二人の男女は静かに愛を誓い、これからもずっと、永遠に二人で人生を歩き続ける。
――健やかなる時も、病める時も、私たちは永遠に共にあることを誓う。
――命燃え尽きるまで永遠に愛し続け、たとえ死んでもずっと愛し続けることを誓う。
――大好きだよ。
選択項目……天気「雪」道具「携帯電話」場所「駅前、ツリーの前」状況「関係深まる」終わり方「ハッピーエンド」でした。
いつかは続編を掻きたいと思っていた矢先のクリスマスお題に、筆はすらすらと進みました……ぐうたらパーカーさん、他の作者さん、読者様、本当にありがとうございました!