すべての始まり
怪盗の仮面を着けて廃墟の暗闇を駆け抜ける少年。
黒山真
それが彼の名前だ。貧相な身なりをしていて、貧乏人オーラを全開にしている。ぼさぼさの髪は真っ黒で、顔を隠す仮面からは黒い瞳を覗かせる。
彼の後ろを走る三人は、魔人から町を守る為に政府によって作られた組織、守護隊。青い制服を着ていて、その上からさらに寒さを防ぐための分厚い服を着ている。
この組織は、民間人を魔人から守るだけでなく、犯罪も取り締まる。
なぜ彼が守護隊に追いかけられているかというと、理由は一つ。
「そこの君! 今すぐ止まりなさい!」
一人の守護隊員が大声で叫ぶ。真の手には大金の入った袋がある。
「止まれと言われて止まる馬鹿がいるかよ。」
後ろを走る守護隊を見ずにうんざりと口にする。周りに人は誰もいないようだ。
自分達の足音だけが、静かな廃墟に鳴り響く。
「止まれ!」
守護隊員の一人が怒り心頭といった様子で、腰の拳銃を抜く。
「......上位ランクのやつしか持ってないんじゃなかったのかよ。」
短銃は守護隊の二十あるランクのうち、十以上の隊員が携帯可能な代物。
十以上のランクは、大きな実績を上げない限り、一生上がれないランクだ。
なにが言いたいのかというと、十以上のランクの守護隊はレベルが高い。
面倒なことになってしまった。
こんなにランクの高い守備隊員が来るとは思わなかった。
やっぱり町のど真ん中で貴族の鞄を盗んできたのがまずかったか?
「最終警告だ! 止まれ!」
最初の温厚な言葉遣いはすっかりなくなり、隊員は荒々しく叫ぶ。
止まるわけにはいかない。平民が貴族の物を盗んだ場合、捕まれば死刑は確実だ。
前に見えるのは一直線の道に終わりを告げる二方向に別れた道。
真は迷わず右を選び、走る。この道は毎日通るので、自然に道を覚えた。ここからは迷路のような道だ。
曲がりきったと同時に後ろで発砲音が聞こえる。
威嚇射撃だろう。真は気にすることなく慣れた道を走る。
右、左、左、右、左、右、右と、不規則に道を曲がっていくと、いつの間にか隊員達は消えていた。
それを確認すると、徐々にスピードを落とし、止まる。乱れた呼吸を調えてから、耳を澄ませる。
遠くで走る足音が聞こえるが、音は近づくどころか、遠ざかっていく。
見失ったらしい。
しばらくしても、守護隊員達がやってくることはなく、足音も消えた。
「ふぅ」
安堵のため息と共に完全に警戒を解き、金袋を肩で担ぎ、上機嫌で自分の住んでいるビルに向かう。
夜空を見上げると、眩しく輝いている星達が、俺の勝利を祝ってくれている気がした。
***
「さて、中身はどれだけ入ってるかな。」
ボロボロで、今にも崩れそうな三階建てのビルに戻ってきた真。崩れそうなため、誰も住まない。
だから、ここには真一人しかいない。広い一階フロアのど真ん中で腰を下ろす。
居心地は良いとは言えない。だが、住む場所がここしかないのだから仕方がない。
袋を地面に置くと、ジャラリと金同士が立てる音に自然と期待も高まる。仮面を外して、中身を見ようとする。
突然、部屋の隅でカサカサ、という音がした。音がしたほうを見ると、なにもいない。
「気のせいか?」
特に気にすることもなく、袋を開き、中身を覗く。
そしてそのまま動きが止まる。
「すげぇ......」
口から自然と漏れた言葉。すごいとしか言えなかった。こんな大金は見たことがない。
なぜ袋にこんなに金を詰めているかは分からないが、多分、カモフラージュの為か、ただ袋に金を詰めることに憧れてるかのどちらかだろう。
「よし、これだけあれば当分金の心配はいらないな。」
袋の口を閉め、その場で横になる。
生活用品は一式揃っている。服が貧相なのは、服に無頓着なことと、そういう物に金を使ってしまうためだ。
二階フロアの一室を、生活スペースにして住んでいる。
なぜ二階なのかというと、一階には部屋がないという単純な理由だ。
そろそろ二階に移動しようと腰を上げるとまた、カサカサ、という音が聞こえた。
「なんなんだ?」
早く移動したい気持ちはあるが、音の正体も気になる。
暗闇に視線を巡らせる。
すると、暗闇に溶け込む黒い色をした生物がいた。よく見ないとわからなかっただろう。
「............」
それがゴキブリと気付くのにそう時間は掛からなかった。
「はぁ......」
自然と漏れた重いため息。
真はゴキブリが心底嫌いだ。
理由はなんとなく、という曖昧なもの。
暗闇の中、じりじりとこっちに近づいてくるゴキブリから、同じ距離だけ後退りをする。
「ゴキブリは嫌いかの?」
今日は分からないことばっかりだ、真は思う。
いきなり部屋に響いた老人の男性の声には、そう思うしかなかった。
辺りを見回すと、宙に浮いている黄色い服を着た老人を発見した。もう意味が分からない。
「誰ですか?」
突如出現した謎の、老人に、ゴキブリそっちのけで真は尋ねる。
しばらくの静寂の後、男は深く笑み、
「我は神なり!」
両手をわざとらしく掲げ、大きな声でそう言った。
最初の雰囲気と今の雰囲気が全然違うのは気のせいだろうか。
そしてなにを言ってるのだろう。
「えーっと......名前は?」
「God!」
関わりたくない......という感情を無理矢理押さえつける。
「じゃあGさん。お帰り願いたいんですけど......」
「駄目じゃ。」
Gさんという呼び名は気にせず、真の意思をだけを否定する。
「なんでですか?」
露骨に嫌そうな顔で真はGさんに尋ねる。
真の表情に気にした様子もなく、Gさんは答える。
「お前さんには、そいつと旅に出てもらう。」
Gさんが指差すのは真の後ろ、ゴキブリがいる位置だ。
しかし、真が振り向いた時には、ゴキブリはもういなくなっており、そこにいたのは一人の少女。
小さい彼女はチョコンと大人しく座っている。短い髪は黒く、目も真っ黒。
服はお嬢様、という感じのドレス。
「............」
本日二度目の沈黙。
意味が分からない。
不思議なことが三つ起こった。
まず一つは、いきなり少女が現れたこと。
次にさっきまでいたゴキブリがいなくなっていたこと。ただ逃げただけかも知れないが、他の場所に逃げられていたら、面倒だ。
最後に、これはどうでもいいかもしれないが、この恵まれていない世の中で、高級そうな服を着ていることだ。
「意味が分からんか?」
「三つくらい......」
「わしが答えられる範囲なら、なんでも答えてやるぞ。」
「じゃあ、この子はなんなんですか?」
「あー、その子はさっきのゴキブリじゃ。わしの力で人間に変えたんじゃよ?」
「え?」
ゴキブリを人間に変えた?
わけが分からなかったが、これで二つの疑問が解けた。自分の感情を一旦抑え、最後の疑問を問う。
「じゃああの服はなんですか?」
「わしの趣味じゃ。」
「うわぁ......」
驚くほど自然に言葉が出たことに、自分でも驚いた。
「......なんじゃ、なんか文句でもあるのか?」
Gさんが一気に不機嫌になる。
文句ならある。あの無駄に露出の多い服を着ているせいで、少女は寒さで震えているのだから。
......可哀想に。
「はいはい、普通の服にすればいいんじゃろ? ついでにお前さんの服もいいやつにしてやろう。」
突然Gさんが光り、目が眩む。
「ほれ、これでどうじゃ。」
光はすぐに収まり、また暗い空間に戻った。もともと窓があった場所から、月明かりが射し込んでいる。
自分の服を見ると、いつの間にか落ち着きのある黒い服を着ていた。
「これはおまけじゃ。」
ぽん、と真が受け止めたのは白いマフラー。寒いのは苦手なので、こういうのがあると助かる。
早速、受け取ったマフラーを首に巻く。とても柔らかく、暖かい。
少女はドレスから可愛らしい赤の服になっていた。それでもまだ震えている。
「あれも趣味ですか?」
「......その子は言葉を話せるぞ。」
話を誤魔化すための苦し紛れのGさんの一言。
真はこれ以上の追求を止めた。
「旅は一ヶ月後じゃ。それまでにコミュニケーションを取っておけ。楽しみにしとるよ。あ、その子の名前は千夢じゃ。
千に夢と書く。」
Gさんはそういうと目の前でいきなり消えた。
闇の中深く、ため息を一つ吐く。白い息が口から出て、消えていく。
「なんでこんなことに......なんで俺なんだよ。」
再びため息を吐く。
Gさんがいた場所から、千夢という名前の少女に目線を移すと、きょとんとした眼差しを、こちらに向けていた。
落ち込んでいても仕方がないので、千夢に話しかけてみる。
「なあ、お前喋れるのか?」
千夢に近づき、ゆっくりと話す。
だが、千夢はその大きな目をゆっくりと瞬きをしただけで、なにも話そうとはしない。
やっぱり、ゴキブリだったとは思えない。
どこをどう見ても人間だ。肌は少し白い肌色で、腕と足は細い。
羽は生えてないし、触覚もない。
右手の人差し指で千夢の頬をつついてみると、柔らかく、冷たかった。つついている間も、少し嫌そうにはしていたが、無言のままだ。
頬を引っ張ってみようかと思ったが、それはさすがに止めておいた。
「私は誰?」
いきなりの千夢の第一声がそれだった。
驚きを隠して、質問に答える。
「確か、千夢って名前だったと思う。」
「千夢......いい名前だね!」
千夢は自分の名前が気に入ったのか、満面の笑みを浮かべる。
さっきの無表情な少女はもうそこにはいなかった。




