リラの呪いと銀の花
昔々、ある国に、一人のお姫様が住んでいました。その瞳の色をとってリラと名付けられたお姫様は、この世のものとは思えない、人形のような少女でした。波打つ銀色の髪、ぱっちりと大きな瞳。見た者が感動のあまり泣き出してしまうほどの美しさを授けられたリラは、それゆえに魔女に妬まれ、年が両の手では数え切れ無くなった頃に、一つの呪いをかけられてしまいました。
「お前を幸せになどさせてなるものか。いいかい、お前は決して恋など出来ないよ、まして誰かを愛するなんてもってのほかだ! もしも誰かを愛したならば、その時お前は石になって、そうして砕け散ってしまうんだからね!」
いずれ婿を取って国を継がなければいけないリラにとって、この呪いはまさに致命的と言えました。もちろん、恋をした相手と結ばれるわけではない、というのはリラだって知っています。けれど、結ばれた相手を好きになることも出来ないのでは、良い国など築けそうにありません。
悲しむリラを見て、彼女を愛してやまない国王は一つのおふれを出しました。
姫の呪いを解いたものを、姫の婿とする、と。
ですが、ああ、呪いをかけたのは恐ろしい魔女なのです! それを解く方法なんて、一体誰に分かるでしょう?
何も出来ないまま月日は飛ぶように流れ去り、気付けばリラは十六になっていました。
ますます美しくなったリラでしたが、その頃には彼女の元を訪れる男性は減っていました。理由は簡単で、もう出来ることは全てやりつくしてしまったのです。一年目にはリラが住む国の、リラを姫様と慕う民たちが。二年目には隣国の、噂を聞きつけた男たちが。思いつく限りの方法を試しても、リラの呪いを解くことは出来ませんでした。
◆
その日、リラはこっそりと城を抜け出して、敷地の端にある小さな庭園に来ていました。目の前で戯れる小鳥たちをぼんやりと眺めながら、リラはそっと嘆息します。
「きっと、私の呪いが解けることはないのでしょうね」
それは哀しいことだ、とずっと思っていました。誰かと結婚しても、その相手を愛することは自分には出来ないのです。それはとてもとても哀しいことだ、と彼女は思っていたのでした。自分にとっても、相手にとっても。
ですが、そろそろ受け入れる必要があるのかもしれません。呪いを解いたものを婿とする、などと言っていては、きっと一生結婚は出来ないでしょう。それでは、この国を継ぐ者はいなくなります。
父王を自分のわがままに付き合わせるのは、みんなに迷惑をかけるのはもうおしまいにしよう。リラは今日、そんな決意を固めるためにここに来ていたのでした。
不意に、そんなリラの耳にガサッという音が聴こえます。驚いて振り向くと、草むらの中に一人の少年が立っていました。
年はリラと同じくらいでしょうか。美しいものなどたくさん見てきたリラも驚くほどに整った顔立ちの少年は、リラと目が合うとその翡翠色の瞳を瞬かせ、次いでにっこりと微笑みました。
「良かった、ここにいたんだな。リラ姫」
「え? あの……貴方は?」
自分の名を知っていること、そしてその口のきき方に驚いて。リラは訊ね返します。 すると少年は一瞬きょとんと目を丸くした後、おかしそうに笑いました。
「ああ、名乗ってなかったっけ」
そして彼は突然その場に跪き、そっとリラの手を取りました。驚くリラに微笑み、少年はリラの手に口付けます。
「銀の国の第二王子、ジェイドだ。――初めまして、リラ」
「まぁ……!」
少年の言葉を聞いて、リラは目を丸くしました。
銀の国。この国からは少しだけ離れた、他に並ぶもののない大国です。リラは賢い少女でしたから、その国のことも教育係に聴いて覚えていました。けれど自分には関係の無いこと、とばかり思っていたのです。
「初めまして、ジェイド様。リラと申します。……あの、訊いてもよろしいかしら。何故この国に?」
「君と結婚しようと思って」
「……え?」
にっこりと微笑み、ジェイドはリラの目の前の地面に腰を下ろしました。服が汚れてしまう、と慌てるリラを面白そうに見つめ、彼は再び口を開きます。
「君の呪いを解く方法に、心当たりがある」
「っ! ほ、本当に?」
彼の言葉に、リラは思わず目を見開き、身を乗り出しました。そんなリラを見て、ジェイドは真剣な表情で頷きます。
「ついさっき、国王陛下にも話してきて、許可を頂いた。リラが良いと言えば、って条件付きではあるけどな。多分確実に呪いは解けるけど、危険なんだ」
「いいえ、行くわ」
心配そうに顔を歪めるジェイドに、リラはきっぱりと言い放ちました。瞳に強い光を灯して、彼女はジェイドを覗き込みます。
「確実に呪いは解けるなんて、そんなことを言われて行かないわけがないでしょう。詳しい話を聴かせてちょうだい」
「……分かったよ」
呆れ混じりに嘆息し、ジェイドは顔を上げました。
「うちの国の辺境――人どころか魔物も滅多に足を踏み入れないくらい深い森の奥に、幻と呼ばれる花が咲いてる。国民の間じゃ噂程度のものだけど、それが実在することは王家では正式な記録として残っているから、これは間違いない」
「……続けて」
「その花には魔力があって、どんな呪いも解いてくれる。だけど、それには呪われた人間が自ら出向いて行って、その手で花を摘まなきゃいけない」
「そんなに危険なのに、よくお父様が許可したわね」
リラが微笑むと、ジェイドは苦い表情を浮かべます。そして一つ嘆息すると、呟くように答えました。
「俺が護る、って言ったからな」
「え?」
「姫のことは必ずお守りします、って説き伏せた」
ジェイドの言葉の意味が分からなかったかのように、リラは目を瞬かせます。そしてその表情のまま、不思議そうに首を傾げました。
「それなのに、私に対しては危険だなんていうのね」
「それは……」
「行きましょう、ジェイド様。……ジェイド、と呼んでも良いかしら?」
ジェイドが頷くと、リラはにっこりと、見惚れない者などいないような美しい笑みを浮かべます。
「私を、貴方の国に連れて行ってちょうだい。呪いを解いて、私、貴方のお嫁さんになるわ」
それが、二人の旅の始まりの合図でした。
◆
「ねえジェイド、銀の国にも、ちゃんと植物が生えている場所はあるのね」
「王都の辺りまで行くと一面雪に覆われるんだけど、この辺りはまだ暖かいからな。寒くないか?」
「ええ、平気よ。それより、とっても綺麗だわ」
辺りに咲き誇る草花を眺めながら、リラはそっと微笑みました。
二人きりで旅に出てから、一体どれほど経ったのでしょうか。二人ともそれを数えてはいませんでしたが、それなりに長い時間をかけて、ようやく二人は目的の森に辿り着いていました。もちろん、広い森の奥には、一日や二日では辿り着けません。今日はようやく目的を果たせそうだ、と二人とも朝から少し緊張気味でした。
「そういえば、ジェイドにはきょうだいがたくさんいるのよね? 正式に結婚が決まったら会えるかしら、楽しみだわ」
「ああ、兄と姉が一人ずつ、それと弟が一人に妹が二人。……なあ、リラ」
「何?」
「本当に、俺で良いのか? ……その、結婚する相手」
不安げなジェイドの言葉に、リラは戸惑うように瞳を揺らします。少しして、彼女は困ったように首を傾げ、微笑みました。
「ええと……ジェイドは怒るかもしれないけどね、私にとっては、誰でも良いのよ」
「誰、でも?」
「そう。私は、私の呪いを解いてくれた人と結婚する。小さい頃からそう思っていたから、もしも私が人を愛することを許されたら、その時はそれを叶えてくれた人を心から愛し抜く、って。そう決めていたの」
リラの強い口調に、ジェイドは黙り込みます。それに気付くと、リラは慌てて苦笑いを浮かべました。
「それしか出来なかった、ってだけよ。それにね、ジェイド。私は……」
「危ない!」
言いかけたリラの言葉を遮り、ジェイドが彼女の前に躍り出ます。同時に掲げられた剣が、彼らの目の前で甲高い音を立てました。
目の前に立ち塞がった、大きな黒い影。それに気付いて、リラが悲鳴を上げます。
「魔物……? そんな、どうしてこんなところに!」
「どこかから迷い込んだのかもな。リラ、危ないから下がって――っ!」
飛びかかってきた魔物を、ジェイドは慌てて剣で食い止めました。けれど相手の方が大きいせいか、少しずつ押されて行きます。そして、
「っぐぁ!」
「ジェイド!」
魔物の爪をかわしきれなかったのか、ついにジェイドの服に赤い染みが出来ました。それを見て、リラはようやく心を決めます。
「ジェイド、花が咲いている場所は、ここから遠いの?」
「花? ……いや、もうすぐ近くだよ」
「そう」
ジェイドの答えに、リラは安心したように微笑み、彼を庇うように前に立ちました。
「リラ!」
「ねえ、ジェイド。さっき言いかけたこと、教えてあげるわ」
慌てたように叫ぶジェイドを振り返り、リラは再び微笑みます。
その表情はとても優しく、目の前の魔物とはあまりに不釣り合いなものでした。
「誰でも良い、って言ったわよね。私の呪いを解いた人を愛する、って。でもね、ジェイド。今は少しだけ、わがままな私もいるのよ」
「リラ……?」
「どうせなら、ジェイドに呪いを解いてほしい。誰だって同じだけど、もし私にも選ぶ権利があるなら、私はジェイドを選ぶわ。貴方が良い」
「リラ、まさか」
リラのやろうとしていることに気づいたのか、ジェイドの表情が僅かに歪みまず。傷に邪魔されて立てないジェイドに、リラは美しい笑みを向けました。
「これを愛と呼ぶのなら、そうね。私は確かに、貴方を愛しているわ。ジェイド」
ぱりん、と澄んだ音が鳴り響きます。
いつの間にか魔物の黒い肌に触れていた白い手が、光を放ちました。
◆
「この……馬鹿!」
「……ジェイド。目が覚めた途端にそんなことを言われると、さすがの私も傷つくわ」
「当たり前だろ! 一体どうすれば考えつくんだ、あんな……呪いを破って、自分の石化に魔物を巻き込む、なんて!」
「上手くいったでしょう?」
「魔物があれ以外にもいたらどうするつもりだったんだ?」
「……あ」
ジェイドの言葉に、リラは初めて気付いたように目を丸くしました。
それを見て、ジェイドは疲れたように嘆息します。
「俺がここに運んできて、花を摘むのが間に合ったから良いものの……もうちょっと、考えてから行動してくれ。例えば俺を見捨ててここまで走ってきたりすれば、リラの呪いは簡単に解けたんだからさ」
「ええ、ごめんなさい」
落ち込むように俯き、しかし次の瞬間、彼女は勢いよく顔を上げました。
「でも、でもねジェイド、あそこでジェイドを見捨てていたら、私絶対に後悔していたわ。あっ、そうだ。もう、呪いは解けたのよね?」
「え? ああ、リラが目覚めた時点で、完璧に解呪されたはず……」
「大好きよ、ジェイド」
「っ」
不意に放たれた言葉に、ジェイドは顔を赤くします。そんな彼を見て、リラはくすくすと笑みを零しました。
「さっきのじゃ、きっと伝わらなかったでしょうから。どうしても言っておきたかったのよ」
「……呪いを発動させるための嘘、とかじゃなかったのか?」
「あのねジェイド、私にかかっていた呪いは、嘘なんかに騙されるような安いものじゃなかったはずよ」
「そうだったな……」
何しろリラに呪いをかけたのは、誰もが恐れる魔女なのですから。それを思い出して乾いた笑みを漏らす彼に、リラは微笑みかけます。
「信じられないのなら何度だって言ってあげるわ、私はジェイドを愛しているの。こんなに遠くの国から私のところに来てくれて、私をここに連れてきてくれて、呪いを解いて、人を愛することを教えてくれた貴方を。だから、ジェイド――」
「待った。その先くらい俺に言わせてくれ」
苦笑交じりにリラの言葉を遮ると、ジェイドは彼女の前に片膝をつき、剣を置きます。真っ直ぐにリラを見据えて、ジェイドはゆっくりと口を開きました。
「俺も大好きだよ、リラ。愛している」
だから、と言葉を切って、彼は微笑みます。そして少年は、そっと少女に手を差し伸べました。
「俺と結婚してくれませんか、姫」
その言葉に、リラは驚いたように目を丸くします。けれど、それも一瞬のこと。
「……喜んで、王子」
彼女もまた微笑むと。優しくその手を取りました。
呪いを解くのはいつだって、
王子と姫の深い愛なのです。
こんにちは、高良です。連載作「枯花」の投稿が遅れているのに何やってるんだと読者様からは叱られそうですが、とりあえず出来上がったものから。文芸部と漫研のコラボ部誌用に、徹夜で書いた作品です。一緒に仕上げたもう一つの短編と同時投稿。実は世界観も繋がっています。その辺りも、楽しんで頂けたら嬉しいです。
っていうか童話調って言いつつ童話じゃないね!
では、次は「枯花」でお会い出来たら幸い。