第二章・英雄 その一
―――コレは、もう一人の英雄になる事の出来なかった少年の分岐点
たった一つを間違えてしまっただけで、救いから破滅に変わる物語
少年は、いつまでも親友を待ち続ける――――
2006年 二月十四日
私立高校の入学式まで約二ヶ月と迫った中学校の卒業生に与えられる、準備期間と言う名の長期休みを使って、僕は親友である少年の病室に足を運んでいる。その少年は中学一年の
冬から一度も目を覚まさない。
その親友の名を笹宮遼と言う。
遼のかかりつけの医者である水上先生からの説明では『身体の傷は全て完治しており、いつ目を覚ましてもおかしくない』という状況であるとの事だ。しかし、水上先生は「だが……」と口を閉ざした後に、こう言ったのだ。
『確かに彼の身体の傷は完治している。だがな、問題なのは彼の心が死んでしまっているかもしれないということなんだ』
その言葉を聞いたとき、僕はどうしようもない喪失感を覚えた。親友が二度と戻ってきてくれないかもしれないという、絶望から来る喪失感を。
しかし、その喪失感も水上先生が次に放った言葉によって消えてくれた。
『しかし、彼は恵まれているよ。こうして心配をしてくれる人間が、本当の家族以外に三人も居るんだからね。絃城兄妹、そして君だ』
遼がこんなになってしまってから、一度も顔を合わせなくなった絃城兄妹も僕と同じように、遼のお見舞いに来ているという事実のおかげで。
『だからね、彼が目を覚ました時は君達が彼を支えてやってくれ。私も彼が目を覚ましたら、この仕事をやめて彼の里親になろうと思っているんだ』
だから僕は、目を覚まさない親友のために病院に足を運んでいる。他の誰よりも早く、遼に「おかえり」と言ってやるために。
しかし、今回のお見舞いはいつもとは違った。いつもならば閉じられているはずの病室の扉が開いており、中から男女の話し声が聴こえた。
そのことに、若干驚きながらも病室に足を踏み入れる。しかし、病室の中に居た人物の顔をみて、僕は目を疑った。
普段なら絶対に遭遇しないはずの時間を選んで、この病室に来ていたというのに………そこには絃城兄妹の姿があったのだから。
「久しぶりだな……奏龍」
僕が病室に入ってきたことに気が付いた絃城兄……恭介さんは、目を合わせずにそう言った。
「ええ、本当に久しぶりですね……恭介さん」
本当なら殴ってやりたかった。涼香姉さんの一番近くに居たくせに、一番大事なときに近くに居てあげなかったこの人を。だけど、それを言うのなら僕も同じだ。僕を慕ってくれていた由岐ちゃんを助けてあげられなかったこの僕も………
きっと遼は僕等を怨んでいるだろう。人一倍、自分のことよりも姉妹を大切に思っていた遼だから。
「あれ……奏くん?」
僕が自己嫌悪に陥りかけた瞬間、希実香は僕に気が付いたのか、僕の顔を見ながらそう呟く。そして、病室に飾っている花瓶と僕を交互に見て、一人で納得したというように言うのだ。
「そっか……やっぱり奏くんだったんだね……」
「希実香ちゃん、何が『やっぱり』なの?」
「ううん、毎週此処に来るといつも花瓶に花が挿してあったから……薄々だけど、そうじゃないかなって思ってただけだよ」
それはそうだろう。僕は毎週欠かさずに、土日のどちらかに此処に来ていたのだから。
―――まて、希実香は今なんと言った?
「もしかして……二人も毎週この病室に来てたの?」
僕は一度も気がつかなかった。絃城兄妹もお見舞いに来ているということは、水上先生から聞いているから知っていた。だが、僕と同じように毎週、此処に来ているとは知らなかった。
「うん。私は毎週、お兄ちゃんも涼香さんのお墓参りと重ならない日以外は毎週来ていたよ……それに、『二人も』って事は、やっぱり奏くんも来てたんだね」
「そうだったんだ………恭介さんも来てたんだ」
僕が、希実香の言葉を聞いてそう呟く。すると恭介さんは、やはり僕とは視線を合わせずに、窓の外を見るように背を向けてしまった。
「そうだよ……。可笑しいよね、昔はいつも六人一緒だったのに。今はこんなにすれ違ってばっかり………どうしてだろう……どうしてこんな風になっちゃった……のか…な?」
希実香の声は終わりの近くでもはや泣いてしまっていて、声になっていなかった。それに、希実香の問いに僕が答えられるような答えは持っていない。
僕にだってわからない。あの頃の六人の内、二人は永遠に戻ってこない人になってしまった。そして、もう一人は今も病室のベットの上でこうして眠って居る。
できることならば、あの頃に戻ってやり直したいとすら僕は考えたことも在った。
だけど、そんなことができるはずも無い……
「なあ、奏龍……一つ聞いてもいいか?」
そんな時、不意に恭介さんはこちらを振り向かないまま、そう尋ねてきた。
「………」
僕は無言を持って返す。それが、僕たち六人の中に在った了承の合図。もし、恭介さんが覚えているなら話を続けるはずだ。
すると、恭介さんは消え入りそうな声で「ありがとうな、奏龍」と小さく呟いてから、僕に同意を求めるかのように言ったのだ。
「俺達の時間も……こいつと一緒に止まっちまったんだな――――」
その言葉は、やけに耳に残った。絡みつくように、粘つくように頭の中で何度も何度も繰返される。それが意味することはつまり………
「だから、止まった時間は進めないといけないんだよ………急にこんなこと話して悪かったな……希実香、俺は先に帰るよ」
「うん、私ももう少し奏くんとお話してから帰るから」
「ああ、先に家で待ってる……」
そう言い残すと、恭介さんはスタスタと歩いて病室を出て行った。僕と希実香と遼を残して……
そして、僕と希実香は顔を合わせると沈黙に陥ってしまった。先ほどまではそれなりに話すことができていたというのに。そして、数分ほど時間が経った後に、希実香はその口を開いた。
「ねえ、奏くん……きっと遼くんは目を覚ますよね?」
「………」
希実香の問いに、僕はすぐに答えることはできなかった。確かに、遼には早く目を覚ましてもらいたい。だが、それは僕の希望であり答えではない。
「……わからない。けど、きっと遼は僕や恭介さんを怨んでる……あんなに近くに居たのに、僕たちは誰も助けてあげれなかったから――――」
「違うよ!! 遼くんは……誰も怨んでなんか無いよ……」
俺の言葉を聞いた希実香は、半ば遮るようにそう言った。
「どうして……どうしてそう言えるんだよ!?」
「遼くんは誰かを怨んだりするような人じゃないよ……もし、遼くんが怨んでいる人が居たら、それは遼くん自身だよ……」
「希実香……?」
「だって……遼くん、あの時自分のこと責めてた。一番近くに居た自分が助けてやれなかったって………あの事件は、私たち六人は何も悪くないのに……」
希実香はそこまで言うと足元に置いてある鞄を手に取り、中身からごそごそと何かを取り出す。
「だから、遼くんは自分を許して欲しいの。奏くんも、自分を責めないで……」
それは、綺麗にラッピングをされたハート型の小さな箱だった。
手に持ったそれを、僕の手に半ば強引に持たせる。その時、僕の手に触れた希実香の手の平は温かかった。それは、長い間忘れていた他人の温かさだった。
「希実香、こういう綺麗なラッピングをしたの他の男子にあげると勘違いされるぞ?」
「大丈夫だよ。私があげる相手はお兄ちゃんと遼くんと奏くんだけだから」
微笑むようにそう言ってから希実香も病室を出て行った。
結局、最後まで残ったのは僕と遼だけ。いつもと変わらない――――いや、ラッピングをされたハート型の小さな箱が置いてある。
「遼……僕もそろそろ行くよ。次に来る時までは起きててくれよ……」
僕は小さくそう言ってから、花瓶の花を新しいものに入れ替え、帰ることにした。
帰り道、希実香から貰ったチョコを食べたら苦かった。きっと、甘いはずなのに苦かった。まるで、今の僕の気持ちを表しているかのように………