第一章・幻想 その終わり
遊園地に入るなり、俺と奏龍は別行動をとることに決まった。二人一組で行動するという計画になり、俺と希実香のペア、もう一組は奏龍と羽森結衣となった。
何故、二人一組のペアで遊園地を行動しなければいけないかという理由は、建前として奏龍曰く「そのほうがデートっぽいから」らしい。
だが実際には、先ほどの奏龍からの頼みごとが、俺に希実香と二人で行動してほしいとい
うものであったというほうが答えとしては正しいだろう。
俺としては、奏龍の頼みには何の意図があっての事かは全くわからない。だが、頼まれた事に対して、引き受けるといってしまった以上は、最後まで遣り通す。
「希実香、どこかいってみたい場所とかはないか?」
俺からの突然の問いに、希実香は多少も焦る事はなく答えた。
「その前に、入場時にもらったパンフレット見ようよ。そのほうが、行きたい場所とかもすぐに決まるよ?」
そういって、希実香は上着のポケットから二つに折りたたまれたパンフレットを取り出す。ちなみに、どうして俺が持っていないのかと聞かれれば、貰ったと同時にゴミ箱に投げ捨てたからだ。今思うと、どうして捨ててしまったのだろうかと考え物だ。
「………そうするか」
「じゃあ、あそこのベンチに座って見ようね」
希実香はそういいながら、直ぐそばにあるベンチを指差している。俺はそれを確認すると、希実香と一緒にベンチに向かって歩く。
「そういえばさ、俺と希実香が二人で歩くって久しぶりだよな」
その途中に、俺は昔の事を思い出しながら希美香にそう言う。
「そうだね……小学校の頃は、よく一緒にこうして並んで歩いてたよね」
希実香は俺の言葉に苦笑いしながらも、言葉を返してくれた。
「まあ、あんまり昔の事は話すことでもないか………悪かったな、希美香」
「ううん、全然平気だよ……それに、本当に辛い事があったのは遼くんじゃない………」
「辛い事…か。別に希実香が気にする事でもないさ。あれは事故だったんだからさ」
俺が自分で話し出したことだというのに、うまく言葉を返せていない自分に失望する。これじゃあ、希実香に心配を掛けるだけだ。
「そうかな……だって、あれは私が――」
「そうじゃないだろ、あれは事故だったんだよ。希実香は何も悪くないし、あの事故は誰も悪くないんだ」
俺は、悲しげな目をしている希実香に自分の意思を伝える。そもそも、あんな事故は存在していないのだ。存在し得なかった事を誰のせいにできようか?
「そう…だね。そうだよね、あれは事故だったのよね」
俺の言葉を聴いて、希美香は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、いつもの希実香の表情に戻り、直ぐ目の前にあるベンチに座った。
俺も希実香の隣に座るように、ベンチに腰を下ろした。
「さて、さっきの話はなかった事にするとして……どこに行こうか?」
俺は希実香が広げているパンフレットの中身を覗き込みながら、そう呟く。希美香はすでに、行きたい場所が決まったのか、パンフレットのある一点を、沈黙を守ったまま見つめている。
そのアトラクション施設の名前は『鏡の迷宮』
俗に言う、ミラーハウスにあたるアトラクション施設なのだろう。そこの部分を希実香は凝視している。俺としてもミラーハウスというアトラクションは、遊園地にある絶叫マシーンよりも興味を惹かれるモノだ。
この歳にして、このような思考なのは、爺くさいと言うよりは落ち着いているのだと評価してもらいたい。それにとりわけ絶叫マシーンは苦手ではないし、嫌いでもない。だが、絶叫マシーンとミラーハウスのどちらを選ぶかと聞かれた場合はミラーハウスを取るというだけの話だ。
「俺としては『鏡の迷宮』って言うのが気になるんだけどさ、希実香はどうだ?」
間違いなく同意をしてもらえると思うが、一応確認を取っておく。
「よかったぁ、私もそこが気になってたの。けど、遼くんは絶叫マシーンとかの方が好きそうだったから……少し意外だなぁ」
「事実嫌いじゃないしな。けど、このアトラクション施設が気になったから選んだだけだよ」
俺は簡単に、正直に思った事を希実香に答えた。
「それじゃ、早速言って見ようよ!」
「そうだな。俺も気になっていた所だし、早速向かおうか」
そういって、俺はベンチから立ち上がる。希実香はベンチから立ち上がるとついでに、広げていたパンフレットを再び二つに折りたたみ、上着のポケットに入れた。
そして、俺たち二人はこれから見に行く『鏡の迷宮』がどんな所なのかと言う話をしながら、隣に並んで歩く。
そうして、歩く事数分でアトラクション施設『鏡の迷宮』の前まで俺たちは来ていた。その外観は、西洋の古城を思わせるような造りをしており、内部がどのようになっているのかが、容易には予想がつかないものだった。
その事に、俺と希実香はほぼ同じタイミングで「おおー」と言った、関心の声を漏らしている
「まさか……この遊園地にこんな施設があったとは……」
「いい意味で期待はずれだったね………」
このような外装の、ミラーハウスを今までに見た事がなかったために、期待が高まる。
「確か、奏龍から貰ったチケットがアトラクション施設のフリーパスになってるんだよな?」
「えっと、チケットの裏にもフリーパスになるような説明もあるし、そうだと思うよ」
希実香はチケットの裏面にある、細かな説明を読みながら質問に答えた。
「だったら早速、中に入るとしますか」
「どんな感じなのか楽しみだね、遼くん」
ぱたぱたと手を振りながら、希実香は俺にそう答える。その姿は、三人で名前を呼び合って遊んでいた、あの頃を思い出させるものだった。
少しだけだが、この場に奏龍がいないことを残念に思う。奏龍ならば、今の希実香と同じように笑い、俺すらも笑顔に変えてくれただろう。それを、本当に少しだが残念に思う。
「あっ、受付が直ぐそこに見えるよ!」
深く考えかけていた俺の思考を、現実に引き戻すかのように、希実香の声が俺の耳の中に聞こえてくる。
「それじゃ、受付を済ませますか」
「そうしよう♪」
俺たちは今の言葉を合図に、二人で並んで受付に向かう。もしも、隣に並んでいる人物が羽森結衣だったらと思うと、その途端に寒気を覚える。
そういった点で、希実香はとてもいい女性だと思う。人のことを考えられ、自分の意見を蔑ろにする事も無く、なにより人として他の人間を寄せ付ける何かを持っている。
「どうしたの、遼くん?」
そんな俺の視線に気がついたのか、希実香は不思議そうに俺を見ながら聞いてくる。どうやら、自分ではわからないほどに希美香のことを見つめてしまっていたのだろう。
「いや、別になんでもないさ。悪かったな、急に顔を眺めてさ。嫌だったろ?」
「ううん、別にそんなこと無いよ。知らない人だったら嫌だけど、遼くんだもん」
少し顔を赤らめながら、そういう希実香の顔を見て俺は思った。こういうことをリアルで言われると、言った本人は当然のこと恥ずかしいのだろうが、言われた方も結構恥ずかしいものということだ。
お互いに、よく分からないダメージを受けて赤面しながら、俺たちは『鏡の迷宮』の受付を何食わぬ顔で済ませ、中に入った。
中に入る前から、俺と希実香の興味を引いていた、この『鏡の迷宮』と言う施設は、中に入ってからも俺たちを飽きさせるような内装をしていなかった。大抵のミラーハウスは、進む道が分かりにくいように設計されている場合がほとんどだが、この『鏡の迷宮』という名のミラーハウスは、それらのミラーハウスとは違い、床に矢印を引いて進む方向を分りやすくしている。
遊園地の設計者の多くは、ミラーハウスはお化け屋敷と同類視している者が多いらしい。お化け屋敷ならば、怖がらせると言う概念で合っているのだろうが、ミラーハウスそうではないのだ。
その、迷路のような道を作るために設置された大量の鏡は、幻想的な空間を作り出すためにあると俺は考えている。だが、実際にそのような造りをしていたミラーハウスにこれまで出会ったことは無く、その思いも最近になっては消えかけていた。
しかし、このミラーハウスのおかげで、ようやく思っていたものと同じミラーハウスに出会うことができた。
美妙な光度を放つLEDの人工的な輝きが、薄暗く染まっている館内を怪しく照らしている。そして、無数に枝分かれした行き止まりの道の先には、入場者を退屈させないように何らかの芸術品が飾られている。それは絵画であったり、人形であったり、石造であったり………その手のことに詳しくない人間でも、素直に美しいと思えてしまうようなモノばかりが飾られている。
そんなことを思いながら歩いている俺の隣で、希美香は声を漏らしていた。
「凄く綺麗だなぁ」
俺も言葉で感想を述べたのならば、その一言しか出てこないだろう。本当に良いものには、長い言葉なんて必要ないのだから。
「最初にここに来て正解だったな……」
俺も、ぼそりと呟くように言葉にする。だが、その呟きは希美香に聞こえていたようで、希実香は返すように言葉を放つ。
「うん、私もそう思うよ」
そんな希実香の言葉聞き、表情を見て、俺は自分の中にある一つの感情に気付いてしまっ
た。その感情は誰もが抱くような感情。俺はそれを気付かないフリをして見過ごしてきた。だが、気付いてしまえばそれは意識せざる終えなくなる。
――ああ、俺は希実香のことが好きだったのか………
この感情を希実香に伝えたらどうなるのだろうか? 希実香は俺を受け入れてくれるだろうか?
もし、この思いを受け入れられなかったとしても、希実香は今までと変わらずに接してくれるだろう。だが、それはあくまでも俺の想像でしかない。
「―――ん?」
だったら、失敗を恐れずにこの思いを伝えるのは無謀なのだろう。
「―――くん?」
その時、一つの物語が頭の中に浮かんできた。それは『ジャバウォックの詩』と呼ばれる英語で書かれた最も秀逸なナンセンス詩であると言われるものだ。
しかし、俺はそうは思わない。あの詩はきっと、誰もが物語の主人公になれるということを伝えたかったのだと思う。
だったら、失敗を恐れてばかりではいられない。物語を進めたいのなら、まずはその物語の主人公にならなければならない。
しかし、俺が主人公になる資格はあるのだろうか? 過去に、事故だったとしても、あのようなことを起こしてしまった元凶である、この俺に………
「具合でも悪いの? 顔色悪いよ……」
再び、希実香の顔を見ると、俺に向かって何かを喋っている希実香の姿が目に映る。
―――ああ、また俺は思考に囚われていたのか……
「悪い…少し考え事をしていたみたいだ」
きっと、この返答は会話と噛み合っていないのだろう。だが、俺にはそう答えるしか出来ない。これ以上の関係を望んでしまう事は、俺には身に余る事だから。
「………どうして?」
「えっ?」
しかし、返ってきた言葉は理解できないものだった。
「……どうして遼くんは自分を許してくれないの!?」
「何を……言って―――」
だから、その言葉に答える事もできぬままに希実香の言葉が俺に突き刺さる。
「確かに……遼くんはやっちゃいけない事をした。だけど!!」
その声は嗚咽のようで、慟哭のようで………何故か分からないが、希実香にそんなことを言わせている自分が許せなくなる。
「あれは事故だったって、自分でも言っていたじゃないの!! それに、由岐ちゃんと涼香姉さんを守るためにやった事じゃない!! それをどうして――」
それは過程を知っている人間にしか言う事のできない言葉だ。事実を知らない人間は、俺を■■犯と呼ぶ。
だが、希実香と奏龍は俺をそう呼ぶ事はなかった。俺は、それを同情の一種だと思っていた。
「それでも、俺は―――」
「もう、許してあげてよ……辛いのは遼くんだけじゃないんだよ……奏君も、私だって辛いんだよ……お願いだから……許してあげようよ、自分を……十分、苦しんだじゃない……」
俺と希実香しかいない『鏡の迷宮』に、泣き声が響き渡る。その泣き声は俺の出しているものではない。泣いているのは希実香だった。どうして希実香がなくのだろうか?
―――本当は分かっている。ただ、知りたくなかっただけなんだ。
―――だから俺は逃げる事を選んできた。
―――そうする事が、奏龍と希実香に迷惑を掛けない方法だと思い込んでいたから。
「なあ…希実香。俺はさ、本当に自分を許してもいいのかな? 涼香姉さんも由岐も、それを望んでくれるかな?」
―――俺は……幸せを望んでもいいのかな?
たった一言、たった一言を聞くことができなくて今まで苦しんできた。それに対する答えを希実香が教えてくれる。許してくれる。それが堪らなく嬉しい。
「遼くんは十分苦しんで償ったよ。涼香姉さんも由岐ちゃんも望んでいるはずだよ……だから―――」
「許す……か。だったらさ、俺は幸福を望んでもいいのかな?」
ぼそりと口からこぼれた言葉。それに対して、希実香は首を縦に振ってくれた。
「ありがとう……希実香。だったら言うよ、俺の気持ちを……」
「気持ち……?」
だから、俺は気付いてしまった思いを希実香に告白しよう。
希実香がどうしようもなく愛おしくて、今すぐにでも笑ってほしくて、強く抱きしめたくて………
「好きだ、俺はお前のことが好きだ……だから、付き合ってくれ!!」
それが、俺の幸せの形だから。お前がいてくれる、それだけで満足だから。
「そんなの……卑怯だよ……だって、私のほうがずっと前から……遼くんのこと大好きだったんだから……だからね、私から聞かせて……本当に、私でいいの?」
何を迷うことがある? 何をためらうことがある? そんなこと考えるまでも無い。もう、俺は自分を許すことができたから。
「何度だって言ってやるよ。希実香、俺はお前のことが好きだ。お前のこと、もう泣かせたりしない」
泣きじゃくる希実香を、そう言って強く抱きしめる。
「…ありがとう、遼くん。私……今、とっても幸せだよ」
「俺も同じ気持ちだよ……ありがとう。許してくれて…許させてくれて……」
希実香も、俺のことを優しく抱きしめてくれる。
―――今回の、俺の物語は三日前に始まって今日で終わった。
満たされることが、自分を許すことが、俺がこの世界で機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナが望んだことだから。幾度と無く繰り返して、ようやく手に入れることができた夢の完成形だから。
―――ありがとう、素晴らしき繰り返しを。
―――ありがとう、幸せな夢を。
―――ありがとう――――
徐々に意識が薄れ始める。今まで訪れることの無かった夢の終わり。ようやく手に入れた幸せな夢。だけど、俺は眠ってはならない。目覚めなくてはならない。この世界ではない、あの世界で待つ二人と再会を果たすために。
―――だから気付けた、夢は夢であると。
―――機械仕掛けの神は必要ないと。
―――デウス・エクス・マキナは必要ない
俺は幸せな夢を望んだ。そして、結末は幸せなものであった。だが、それは俺だけの幸せである。
だから戻るんだ、あの世界に―――
―――第一章・境遇 (主人公・笹宮遼) END―――
次章予告―――第二章・契約(主人公・今神奏龍)―――
ある日のこと、今神奏龍は親友の眠る病室で絃城兄妹と二年ぶりの再会を果たす。
そこで、絃城兄が言う―――俺達の時間も、こいつと一緒に止まっちまったんだな―――
次の日、奏龍が通う学校を中心に、ひとつの噂と共に不穏な空気が流れていた。
『隣の進学校で、絃城と言う女性徒が誘拐されたらしい』
その日から、止まっていた時間が狂いながら進み始める。
今神奏龍と言う少年の日常を狂わせながら。