第一章・幻想 その三
「ただいまー…………って、またかよ」
白目を剥いて暗黒物質を片手に持ちながらテーブルの前で倒れる姉の姿。そして、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたと思われる妹があわあわとしている姿。
ぶっちゃけると、コレが笹宮家の日常である。
「あ、お兄ちゃん!! 涼香お姉ちゃんが私の造った料理を食べたら―――ううぅ……」
「なに…少し衝撃的な味がして驚いただけだ………」
「お姉ちゃん!!」
俺が帰ってきたことで意識を回復した涼香姉さんはよろよろと立ち上がると、妹である由岐は涼香姉さんに抱きついていた。
そして俺はと言うと、いつものように何事もなかったかのようにリビングにあるソファーの上に鞄を置き、ブレザーを脱ぎ捨てる
そもそも、どうして毎度の事を繰り返し行っているのか全く持って理解ができん。
「む、弟よ。姉たるもの兄妹の世話を焼くのも勤めと言うものだろうさ。遼くんも由岐ちゃんもお姉さんにとっては大切な家族だからな」
「ッ!! 面と向かってよくそんなに恥ずかしい事が言えるな」
「お姉さんは嬉しいんだよ。遼くんもあの頃に比べたら普通に会話をしてくれるし、由岐ちゃんには自主性というものが現れてきた。それとも、遼くんはお姉さんが邪魔だからこの家から居なくなって欲しいと言うのかい?」
その言葉を聞いた俺は一瞬だが固まってしまう。現在、笹宮家の生活費を稼いでいるのは隠す必要もなく涼香姉さんだ。
感謝する事はあれど姉に居なくなって欲しいと思うのは筋違いと言うものだ。
「む……すまなかったな遼くん。今の発言は忘れておくれ」
涼香姉さんも俺の気まずそうな雰囲気に気が付いたのか、しまったと言う表情をしながらそう言うのだった。
「あ、うん。俺も悪かったよ、涼香姉さん」
「さて、それでは遼くん。帰ってきたところですまないんだが夕飯を作ってはくれないか? 今日は昼を抜いてしまってお腹がペコペコなんだ」
俺が同じく謝ったところで、先ほどとは打って変わって涼香姉さんは、お腹を押さえながら空腹ゲージがMAXだという事を俺に示すかのような仕草をする。
俺はそれに微笑しながらもこくりと首を縦に振ると、先ほどから涼香姉さんに抱きついていた由岐に一声かける
「りょーかい。由岐、料理作るの手伝ってくれるか?」
「うん……私もお料理上手になりたいから頑張る」
由岐はそう答えると、涼香姉さんから離れてテーブルの上に置いてある暗黒物質を回収して台所に走って向かった
「さてと、なんか料理のリクエストはある?」
「何でも良いさ、遼くんが作ってくれるんだからな」
そして俺もその場から逃げるように台所に向かった。
自前のエプロンを台所にある棚から取り出し身に付ける。そして、台所の流し場の前に立つ。由岐も先ほどの料理に使っていたであろうエプロンを付け直し、台所の流し場の前に立っている。
そして、先ほど涼香姉さんにした質問を由岐にすると……
「由岐は何か食べたいものはあるか?」
「お兄ちゃんの作る料理って美味しいから何でもいいよ♪」
即答された。
よくよく考えれば姉妹であるのだから二人の答えは聞くまでもなく同じになる確率が高い。
「そんじゃま、作りますか」
冷蔵庫に入っている食材を適当に取り出し、俺は作業に入るのだった。
◆◇◆◇◆◇
テーブルの上に並ぶ数品の料理。エビチリに麻婆豆腐、野菜サラダと………中華料理が多いのは俺が和食を作るのが苦手であるからで、俺が作るときのご飯のおかずは大体が洋食か中華になる。
妹の由岐は調理こそ壊滅的に下手だが、下準備に関しては一般女性よりはできるほうだと俺は思っている。もう少し練習を重ねればきっと俺よりも料理が上手になってくれるだろう………俺はそう願ってるよ由岐
「それじゃ、頂きます」
「「いただきまーす」」
涼香姉さんの声を合図に俺たちは食事を始めた。
涼香姉さんはどうやら本当にお腹が空いていたようで無言でパクパクと料理を口に放り込んでいる。由岐は涼香姉さんの食べっぷりを見て多少驚きながらも自分のペースでご飯を咀嚼している。
俺はというと自分の作った料理を食べながら、次回に料理をする時のために改善する点はないかと一応確認しながら食べている。
無言の食卓。別に姉妹、兄妹の仲が悪いという事ではない。この家では食事の時に極端に会話が少ないというだけの事だ。
そう、ただそれだけの事。
三十分が過ぎた頃には全員が食事を終え、各自で台所に立って食器を洗っていた。
「なあ、どうして二人は台所に居るんだ?」
「なに、料理を作って貰っているんだ。自分で使ったものくらい自分で洗うのが筋というものだろう」
「私も涼香お姉ちゃんと一緒の理由だよー♪」
そういわれてみれば俺も涼香姉さんが料理を作ってくれるときは自分で食器を洗っている気がする。
やはり、家族という事だ。根本的な部分では似てしまう、それが例え無意識の行動であったとしても。
「まあ、それは別にかまわないんだがね……遼くんはお姉さんが見るに疲れているようだがなにかあったのかい?」
「そういえばお兄ちゃん、心なしか表情が疲れてるねー」
姉妹そろって俺に言うという事は、俺はきっと疲れているのだろう。今日一日を思い返せば疲れる要素しかなかった気もする。
主に羽森結衣のせいだが………
「ああ、きっと今までに無いくらい俺は疲れているんだと思うよ……現実的に」
溜息混じりに俺がそう呟くように答えると涼香姉さんは考え深そうに、由岐は珍しそうにと言った表情で俺を見ていた。
「遼くんが現実に疲れるのか………ふむ、大方変な女の子に絡まれたと考えるのが妥当かな」
「涼香姉さん……どうしてそこで変な女の子って言う単語が出てくるのか説明してくれないか? 理由しだいでは怒るよ」
そもそも奏龍といい涼香姉さんといい、どうして俺が疲れる原因やその他出来事に”変な女の子”という単語を入れるのか納得できない
「なに、別に大した理由じゃないよ。遼くんは昔からそういった女の子から好意を向けられていたからね。今回もそうじゃないかって思っただけだよ」
「好意……ねぇ。アレが俺に対する好意の行動なら俺は疲れる運命なんだろうさ……ははは」
無理矢理に俺をDQNとのいざこざに巻き込み、街中で不穏な言葉を公衆の面前で騒ぐように言いふらし、ファミレスで奢らせる。
コレを本当に好意として受け取っていいのだろうか?
もっとも、羽森結衣自身からは悪意すら感じ取れないのを考えれば嫌がらせではないのだろうが………
「言葉から察するにどうやら予想通りのようだ………由岐ちゃん、遼くんはおそらくしばらく戻ってこないだろうからお姉さんと一緒にお風呂に入ろう」
「大変なんだね、お兄ちゃんって………」
そもそも、俺が知る女性には一人しか一般的に見ても普通といえる女性はいない気がする。
今日は学校を欠席しているようだったから会話こそできなかったが、よくよく考えてみれば彼女は今まで俺を支えていてくれた気がする。
それも俺が気付かない程度に………
明日…は、予定が入ってるから無理だから月曜日に学校で感謝の言葉を伝えよう。きっと彼女からしてみれば突然すぎる良くわからないことになるだろうけど。
「そういえば涼香姉さん―――――って、あれ?」
さっき話していた事の続きなんだけど………そう続けようとして、隣にいたはずの涼香姉さんに声をかけようとしたが、隣を見ると涼香姉さんどころか由岐すらいない。
時計を見ると一時間ばかり時計の針が進んでいた………おぅ、また無意識に考え込んでしまったのか
「むぅ、この考え込む癖はどうにかしないとな…………」
本気でそう思う。それに、この癖は就職をしたときに限って絶対に不利になる。
作業中に突然考え込んで一日が終わっていたら間違いなくクビにされるだろうし。
「取り合えず風呂に入ろうかな………」
疲れている脳を休めるには風呂で湯船に使ってゆっくりするのが一番である。尤も、コレに関しては人それぞれであるだろうけど俺にとっては風呂に入ることが一番効果があるのだ。
廊下をのそのそと歩き風呂場に向かう。その途中に風呂場から女性の話し声が聞こえてきたため、間違いなく涼香姉さんと由岐が入浴中だと分かった。
だから俺はその場で一旦停止し、リビングに戻るか多少待ってでも廊下で待っているかを考える。
でも、どうせ待つ事になるのならリビングのソファーで寝転がっている方が楽だろうし………
「仕方ないしリビングのソファーで寝転がってるかな………」
「遼くん、大丈夫だ。私達なら今ちょうど出たところだ」
「へっ?」
戻ろうとしたところで後ろから声を掛けられたために多少声が裏返ってしまった。
というか、俺は一体何分考えていたのだろうか?
「それともお姉さんと一緒にお風呂に入るかな?」
「なっ、なな、いらんわっ!!」
「今なら由岐ちゃんも一緒だぞ」
「どうしてそこで由岐を出した!?」
俺が涼香姉さんに半ば叫ぶように尋ねると涼香姉さんは笑いながら答えた。
「なに、お姉さんの豊満ボディと由岐ちゃんの未発達なロリボディに挟まれたら君はどんな反応をしてくれるのか気になってね」
「お、お姉ちゃん!!」
そこで先ほどまで後ろで黙って話を聞いていた由岐が涼香姉さんに怒った風に声を上げる。
だがな…由岐。いくら家族といえどもタオルを体に巻いただけの状態でお兄ちゃんの前に立たないでくれ……流石に目のやり場に困るから
「どうやら由岐ちゃんは不満らしい、残念だったな遼くん。それと由岐ちゃん、先ほどから遼くんが私より後ろに視線を向けないようにしているのは君のせいか。いくら家族といえどもキチンと服を着てから廊下に出ような」
「「なっ!!」」
俺と由岐は同時に声を出していた。主に由岐は俺が男であると思い出したように。そして俺は何故、たったそれだけで俺の考えを見抜けたのかという驚きの意味で。
というよりも、涼香姉さんって鋭すぎるような気がする。
「まあ、驚いているのは良いんだが由岐ちゃんは服を着てきなさいな」
「あ、うん。ゴメンねお兄ちゃん」
だが、涼香姉さんはそんなことは知らんと言ったふうに笑いながら由岐に指摘している。
由岐もその指摘に従い脱衣所に戻っていった。
「さて、遼くん」
「ん、なんだ涼香姉さん?」
「いま脱衣所に入るときっと素っ裸の由岐ちゃんが見れるぞ」
そして、この場に残った涼香姉さんは少しニヤケながら俺にそう言う。
そもそも涼香姉さんはどうしても姉妹のどちらかの裸を見せたいのだろうか?
「……そんなことしねーから」
「そうか、お姉さん少し残念だよ」
そう言って頭に巻いたタオルを外し、首に掛けなおすと涼香姉さんはリビングに戻っていった。
「つか、どうして涼香姉さんはそんなに残念そうなんだよ…………」
「あれ、お兄ちゃんだけだ………お姉ちゃんは?」
「由岐はどうか素直に成長してくれよ………」
「お兄ちゃん……?」
俺は由岐の両肩に手をのせてそう呟いてから、由岐の不思議そうな声を聞かずに脱衣所に入った。
しばしの間、俺は湯船に浸かってから何事も無かったかのようにリビングに戻った。
「さて、遼くんが戻ってきたところでお姉さんが作っておいたデザートを食べるとしましょう」
「やったー!! お姉ちゃんの作ったデザート♪」
そこで待っていたのはフォークを片手にテーブルの前に座っている由岐と、台所からリビングに向けて何かを持ちながら歩いてくる涼香姉さんだった。
「涼香姉さんのデザートって……忙しくてお昼抜いたんじゃなかったのか?」
「なに、忙しかった理由はどうでも良いだろう? 結果的には忙しくて昼食を抜いたのだからな」
涼香姉さんはそういいながら台所から持ってきたショートケーキをテーブルに並べる。その姿は本職のウェイトレス顔負けなくらいに美しいものだった。
そして、由岐は珍しく髪をカチューシャで止めた状態でいる。まさに、たい焼きを持たせたくなるようなパジャマ姿だ。
「遼くん……その、そんなにまじまじと眺められると恥ずかしいのだが……」
そんな俺の二人を眺める視線に涼香姉さんが気付いたのか、ニヤケ顔のまま俺にそう言った。
「………誰も涼香姉さんを直視して無いからな。それは勘違いだからな」
それにさ、涼香姉さん……そういうことを言うならせめてもう少しだけ頬を赤らめてくれた方が俺を騙せると思うんだ。
そんなニヤケ面だったら誰も騙されないと思う。
「もー!! そんなこと良いから早く席に座ってよお兄ちゃん!!」
俺がそんなことを考えながら涼香姉さんを見ていたら、由岐に怒られてしまった。
「あー、悪い。今座るよ」
「はーやーくー!!」
「はいはい」
それにしても、由岐は本当に涼香姉さんの作るデザートが好きなんだな。
「ふふっ、由岐ちゃんがそんなに嬉しそうでお姉さんは満足だよ……ああ、遼くん。鼻から血が出そうだよ」
「分かった分かった、どうでも良いから早く涼香姉さんも座ってくれ。由岐が我慢できなそうだからさ」
「よしよし、了解したぞ」
俺が席に座り、涼香姉さんが席に座る。
そして、涼香姉さんは短く言う
「それじゃあ食べてくれ」
俺と由岐は一緒にではないが「いただきます」と言う。
「いただきまーすっと…」
だが、由岐は「いただきます」ではなく、言うなれば「いただきまふっ」と言う感じに、言うと同時にショートケーキを頬張っていた。
俺もフォークで一口サイズに切り取り口に運ぶ。味は言うまでもなく美味しかったといえる。由岐に至っては珍しく俺の残っているショートケーキを狙ってこちらを見ていた。
普段がとてもいい子であるためにこういった行動をする事自体、由岐には珍しい事だ。だから俺はもう一口だけ口に運び、残った分を由岐にあげるのだった。
涼香姉さんはそれを見ながら微笑をしていた。その笑い顔がどうしようにもなく嬉しそうに見えて、俺は何も言えなかった。
「ごちそーさまー、美味しかったよお姉ちゃん!!」
「そうかそうか、それは良かったよ。遼くんも大人になったものだな………もう、お姉さん嬉しすぎて泣いてしまいそうだ」
「いつまでも子供扱いをしないでくれよ!!」
「はっはっは、お姉さんからしてみれば遼くんはいつまでも子供さ」
そんなことを今日の最後に言い合いながら、長いようで短い一日は終わった。
明日は奏龍と一緒に駅周辺をぶらつく予定もあるし、今日は早めに寝ておこうかな…………
俺は自室のベットに身体を投げ、そのまま眠りに付くのだった。