第一章・幻想 その二
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羽森結衣という編入生という名の転校生がこのクラスに来た事により、同学年の間では話題になっているのではないだろうかと考えはしてみていたが、全くの杞憂に終わった。
一時限目から放課後になるまでの間、他のクラスの生徒は転校生について尋ねてきた様子もなく、同じクラスの連中に至っても羽森結衣を質問攻めにする事はなかった。
だが、そんな中でたった一人……今神奏龍は俺の机の上に堂々と座って羽森結衣との会話に花を咲かせていた。
「でさ、遼ったらなんて言ったと思う?」
「な、何を言ったんですか?」
「『殴るのも殴られるのも痛いからゴメンだ』だって。明らかに相手の事見下しちゃってるよねぇ~、あははは」
その会話の内容は若干だが脚色された『笹宮遼』と言う存在についての武勇伝だった。
正直に言おう。つまり、この俺について面白おかしく会話をしていると言う事だ。全くもって意味不明であり、俺にとっての黒歴史にプラスαを加えて話しているのだから嫌がらせ以外の何者でもない
「でも、ささみや君は本当に喧嘩が強いようでしたよー!!」
しかも、羽森結衣は昨日のDQNに絡まれていた時の俺の動きを真似しているだろうと思われる動きをしながら、シャドーボクシングのような動きをしている。
確かに放課後と言う事もあり人も教室にあんまり居ないが……全く居ないと言うわけではないので俺に関しての噂話を広げるような真似はよして欲しいところだ。
「そうだよー、遼はデタラメって言ってもいいほどに喧嘩慣れしてるんだよ」
「あれー? どうして”強い”じゃなくて”慣れ”なんですか?」
奏龍の言葉に疑問を持ったのか先ほどまで動いていた羽森結衣の動きが止まる。
……と言うより、ぜぇぜぇと息を切らしているところを見ると本気で疲れているようだ。それほどまで本気で動いていたと言う事だろうか?
「だって、今でこそ『コレだからDQNは……』とか言ってるけど、遼も中学時代は自他共に認めるほどのDQNだったからね。自分から進んで喧嘩売ってたんだよ」
なんて思っていたら、奏龍が俺の黒歴史を少しずつ暴露していく。
だから俺はそれをやめさせるべく奏龍の肩に手をのせて、奏龍に聞こえるように耳元で呟く
「おい、奏龍………その話は忘れろって言っていたと思ったんだが」
「えー、別にいいじゃんかよぉ。別に中学生特有の病気を患っていただけじゃん?」
「そういう問題じゃねーだろう。そもそも、中学生特有の病気っていうけどよ、未だに患ってる残念な奴も居るんだぞ」
「だから~、遼は自分で『あの時の自分はイタイことしてたなぁ』って自覚してるから別にいいじゃんかよー」
と言った具合に、奏龍は俺が言いたい事の意味を理解してくれずに黒歴史を話す事をやめてくれる素振りを見せない
「どうしたんですかー、いまがみさん?」
「ゴメンねー、結衣ちゃん。遼が恥ずかしいからやめてくれってさ」
しかし、奏龍も根はいい奴だから他人が嫌がる事は止めてくれる。
「恥ずかしいも何も自分の忘れたいと思ってる事は話されたくないだろ!?」
「はいはい、もう話さないから耳元で怒鳴らないでよー」
もっとも、毎回その”嫌がる”ような原因を作るのはその奏龍本人なのが困りどころなのだが………
「折角面白いお話だったのに……仕方が無いですねー、ささみやくんは~」
それ以上に困りモノなのは羽森結衣だ。奏龍とは違って明らかに狙ってない……要するに天然要素が強いのだ。
しかも見た目は中学生と間違えそうになる外見と来た。案外、見た目通りに中身も成長していないのだろうかと思うのも仕方ないのではないか。
それと、もう一つ言う事があれば人の名前を呼ぶ際にどうも舌っ足らずな感じがする。おそらくそう言ったことも合わさって見た目以上に幼稚に見えるのだろう。
言うなれば漢字とひらがなの差程度だが………
「どうしたの遼、そんなに面白い顔してさ……はっはーん、さては何かの解決策でもみつかったのかい?」
「あ、本当です。ささみやくんの顔が面白いですねー」
ようやく分かった。今まで感じていた羽森結衣に対するあの”異様なウザさ”は、コイツが中学生になりかけの小学生と同じ雰囲気を出しているからだと言う事に。
「いや、面白い顔とか言うなよ……本当に失礼なやつ等だな。それと奏龍、どうしてそう思った?」
気がついてしまえば対応は簡単だ。時折見せる異様な雰囲気を除けばコイツの扱いは小学生と同じものでいいのだから。
「だってさ、遼がそんな顔をするときって大抵は何かの解決策を見つけたときだよね?」
「いや、聞かれても分からん。自分が話しているときの顔なんて見る奴なんてそもそも居ないだろ?」
「いやぁ、確かにそうだけどさ……もしかして自覚なかったの?」
「自覚するも何もそんなこと知らないし、今初めて聞いたんだけど……」
そもそも、今の今までそんな話をされた事もなかったし聞いた事も無い。むしろ今知った。
そんなことを思っていたら、今度は羽森結衣がむくれ顔で文句を言ってくる。
「楽しそうに二人だけで会話を進めて………私が全然入っていけないじゃないですかっ!!」
勿論、その文句も到底理解できないものであったが。そもそも、今の会話をどう聞いたら『楽しそう』にという単語が付くのか説明してくれ
「なんですかその顔は~? まるで『今の会話に楽しそうだって言う単語が付く意味を俺に説明してくれ』って言うような顔してますよ」
「…………」
「どうして無言なんですかっ!?」
どうしても何も、人の心をまるで読んでいるかのような事を言われれば無言にもなるのではないだろうか?
「それに心なんて読めるはず無いじゃないですか!!」
「あのー、結衣ちゃん? ちょ、ちょっと遼……結衣ちゃんが反応しなくなっちゃったんだけど!?」
そんな状況を”初めて”みる奏龍は流石に動揺している。それもそうだろう、次から次へとマシンガンのように羽森結衣という少女から言葉が撃ち出されて居るのだから。
正直なところを言うと、俺としてもあの妄想と現実を一緒にして繰り出される言葉の雨は二度と味わいたくないところなんだが……
「ま、まぁ、奏龍も早いうちに知っておいたほうが良いだろうし………」
「な、何の事だよっ?」
そもそも、普通の人間というものは奏龍のような反応を示すのが正しい。
いくら二度目とはいえ、アレに慣れてしまっては人間失格な気がする。
「何がって……羽森結衣の妄想が現実に駄々漏れになるところだよ。しかも本人は無意識らしい」
「なんだよそれはっ!?」
「見てれば分かるさ………」
さて……前回は悲劇のヒロインがどうとか言っていたが、今回はどんな事を言っているのだろうか?
俺は奏龍にそこまで言ってから口を閉ざし、こんな会話の間にも止まらず他人に聞こえるような声で独り言のように呟いている羽森結衣を見る。
「そもそも私にそんなエスパーじみた能力があれば………うふふ………じゃなくって、そりゃぁ私だって他の人の心を読めればいいなぁなんて思ったりしますよ!? でも、やっぱりそれってプライバシーの侵害になると思うんですよ。でもでも、やっぱり……うふふ」
そこには前回同様に初めこそ正論を言っていたかと思えば、突然あらぬ方向に迷走し始めた挙句、座った状態のままくねくねと身悶えしている羽森結衣の姿があった。
「あのー、遼くん? 結衣ちゃんは一体何処に向かってるのかな……?」
奏龍はそんな状況である羽森結衣の姿を直視せずに俺に尋ねてくる。
優しいやつだなお前は……俺なら誰かのこんな姿を間違って見たとしたら、絶対に距離を置く。
何の躊躇いもなく俺は断言できる。
「………妄想タイム?」
「あー、うん。質問した僕が悪かったよ……ゴメン、遼。………コレを街中でやられたら嫌だね」
俺の質問に対する答えを聞いた奏龍は理解したというように謝罪しながらそういうのだった。
「うふふふ…考えてるだけでも涎が……」
もっとも、話の話題の中心とされている本人は未だに妄想の世界に入り浸ったままなのだがね。
「ねぇ、結衣ちゃんはどうやったら戻ってきてくれるんだい?」
「取り合えず手を握って呼びかければ良いんじゃないか?」
「最後が疑問系なのが若干気になるけど……これ以上は僕としても見てて痛々しいからやってみるよ」
「そか、頑張れよ」
口調こそいつも通りを装って言っては見たが、内心では羽森結衣が誰に対してでも同じような反応をするのかが気になっているのも事実だ。
俺のときは変態呼ばわりされてムカッと来たけど、奏龍はどんな扱いをされるのだろうか?
「おーい、結衣ちゃーん。戻っておいでー」
「でもでも、相手の心が分かるって事は絶対にフラれ無いってことだから―――――――って、あれ? ど、どどど」
「ど?」
「ど、どどうしていまがみさんが私の手を握っているんですかぁー!! ま、まさかいまがみさんも変態なんですかっ!?」
やはり…というべきだろうか。奏龍も俺同様に派手に驚かれた挙句に変態呼ばわりされている。
だが『いまがみさんも』と言っている辺りで俺が羽森結衣の中で変態として位置づけされているのは確定していると考えるべきだろうか考え物である。
しかし、手を触っただけで変態呼ばわりをされるのならば”もしも”間違って胸に触ったりしたらどうなるのかも気になる。
「あのー、結衣ちゃーん」
「私、ショックです。超ショックです!? あれ、どうして私は今疑問系になったんでしょうか」
「話に脈絡がなさ過ぎるんですけどっ!?」
ああ、やっぱり羽森結衣の素はこっちだったのか。むしろ見た目通りで安心したって言うかなんていうか………
まあ、コレで奏龍にも俺の言いたかった事は理解してもらえていれば良いんだけどな
「そういえば、どうしていまがみさんは私の手を握っていたんですか?」
「僕の発言はなかった事にっ!?」
「……?」
そして、羽森結衣はというと奏龍の発言と行動をみて状況がいまいち理解できていないのか首を傾げている。
「可愛く首を傾げても――――ああ、もう意味がわかんねー!!」
奏龍も途中までは何かを言おうとしていたようだが、完全に羽森結衣のペースに乗せられてしまい、訳が分からなくなり挫折したようだ。
「ひぇっ!? いまがみさんどうしたんですかっ!?」
「アンタのせいだよっ!!」
「私のせいですかっ!!」
しかし、未だに一つだけわからないことがある。今の羽森結衣の喋り方に特に違和感を覚える事はないが、ファミレスでの話の時に一度だけ雰囲気が変わった喋り方をしていたと言う事だ。あの時だけ羽森結衣を『羽森結衣』として認識できなかった自分が居たような気がする。
こんな事を考えるのも俺の頭が「黒歴史を築き上げた時の自分の頭に戻っているのではないのか? はぁ、やっぱり俺もDQNか……」と多少不安にもなるが、おそらくそうではないだろうと確信している自分も居る。
「そうだよ、結衣ちゃんのせいだよ!!」
「私の”性”ってどういうことですか!?」
「なんかイントネーションが違ってるんですけど!?」
そう、アレはきっと人ならざるモノ―――――
「―――って、遼? おーい、そんなにぼんやりとしてどうしたんだい」
「およ、本当ですね。ささみやくんがぼんやりとしていますね」
ならばコノセカイはゲンジツではナイノダロウカ――――
「うーん、このまま放っておくのも良いんだけどね………前にこの状態のまま放置したらね、遼って一日中学校にいたことあるんだよ」
「それは………大変ですねぇ。どうすれば戻ってくるんですか?」
「ちょっとコツを掴まないと難しいけど、物理的に遼を殴ればいいんだよ」
「殴る……ですか?」
「そう、殴るんだよ」
ユメをユメだと認識してはイケナイ……
「こんな感じにねっ!!」
戻る事ができなくな――――!?
「ブッ!?」
「おーっ、見事な右ストレートですっ!!」
突如、頬を駆け抜ける衝撃。
痛い。結構痛いどころかかなり痛いです
「痛い……なんで殴られてんだ?」
「いやぁ、前みたいに夢想の世界に入っちゃってましたからついついね」
奏龍の言葉から現状の確認を急げ。つまり、要するに俺は羽森結衣みたいに黒歴史時代の自分に戻っていたって事か?
もしそうだったら激しく鬱だ。陰鬱だ………
「あの、ささみやくん? 今、何故か分かりませんけど激しく馬鹿にされた気がするんですけどー」
「HAHAHA、そんなはず無いだろう?」
「どうして疑問系なんですか? 絶対に馬鹿にしてますっ!!」
「さあ奏龍。明日の日曜日に備えて帰ろうか」
取り合えず、日曜日ともなれば羽森結衣なんかと顔を合わせる必要も無い。
「あ、別にいいんだけどさ……無視してもいいの?」
だが、奏龍は先ほどから俺に向かって文句を言っている羽森結衣のほうを見ながらそういうのだ
「そうです!! いまがみさんの言うとおりです。こんな超美少女・羽森結衣ちゃんを無視してもいいんですか!?」
「ぷっ、超美少女? お前は精々、超微少女だろ」
「激しく遺憾です!! まぁ、それは良いですけど明日はお二人でお出かけですか?」
「遺憾って言ってるのに気にしないのかよ………そうさな、明日は二人で駅周辺でもぶらつく予定だな。それがどうしたんだ?」
「いえ、なんでもないですー」
羽森結衣は俺にそう言って、奏龍のほうに近づき携帯を出しておそらくだがアドレスの交換をしているようだ。
それが済んだのか、おとなしく羽森結衣は大きく手をぶんぶんとこちらに振ってから帰っていった。
「なんだったんだよ…………」
「で、明日は本当に駅周辺でもぶらつくの?」
「ん、お前もそれで良いならそうするけど」
「了解、それじゃ明日は駅前の………そうだね、喫茶・こきりに何時もの時間でいいかな?」
「こっちも了解っと。そんじゃ、また明日な~」
「じゃあまた明日~」
そうして、俺たちはそれぞれ自宅に帰る事となった。
明日は日曜日だ。俺も今日は寄り道せずに帰るかな…………