第二章・英雄 その七
「さっきはすまなかった……つい感情が出てしまってね。ははっ、年甲斐も無く泣いてしまったよ」
霞さんはアレからしばらくしてから僕のことを抱きしめるのをやめてくれた。
別に悪い気はしていなかった。それに、誰かに抱きしめられるのは悪いことではないと思った。人の温かさを直に感じることができるのだから。
「いえ、僕は気にしてませんよ。それに、涼香姉さんのことも思い出すことができましたし……」
僕がそう答えると霞さんはどこか複雑そうな表情をしながら、それでいてどこか拗ねたような表情で、
「奏くん……どうせなら私のことを褒めてくれてもよかったんじゃないのかい? どうせ私は霞の代わりと言うことか。霞さんは少し悲しいよ」
そう言って可愛らしく頬をぷくっと膨らませた。
「いや、別にそういうつもりで、いや、その――――」
僕はそれに対し上手く言葉を返すことができずにしどろもどろになってしまう。
そんな僕の姿を見ていた霞さんは先ほどまでの可愛らしかった表情から一変して、いつものような軽い感じの笑い声……いや、本気で笑い声を上げたかと思うと、それを堪えながら僕に言う。
「くっ、ははは、っひ…はは、ふぅ。奏くん、君は本当に良い男の子に成長したよ。どうだい、私が誰か可愛い女の子を紹介してあげようか?」
「っ~~~~!!」
僕は顔を真っ赤にしながら、声にならない声を出してから霞さんを睨みつけた。
すると霞さんは悪びれたところも見せずに僕に話しかける。
「冗談だよ、冗談。だがね、君も悪いんだよ奏くん。女の子はいつだって自分だけを見ていて欲しいものなんだ」
それは冗談めいていて、それでいて何処か真剣さが混じっていた。
「奏くん、今度は絶対に手を離してはいけないよ。手を離すとき、それは託す相手を見つけた時だけだ」
それは過去に、大切な人の傍にいることのできなかった自分に対する戒めの言葉。
けど、もう大丈夫だ。僕は二度と、掴んだ手を離したりなんかしない。
「良い眼だよ奏くん。もう私が話すことはない、今日は家に帰って大丈夫だ」
僕はその言葉を聞いてから、数瞬後にゆっくりと座っている席から立ち上がる。
「君は君のために頑張れ。私にはできないことだからね」
「ええ、全て終わったらまたみんなでここに来ますよ。勿論、希実香と恭介も連れてね」
「楽しみにしているよ」
霞さんのクスクスと微笑みとその言葉に無言で小さく頷き、僕は喫茶こきりを出て行く。
決意は固めた。霞さんが教えてくれた日時まではおおよそ三日ある。だから、今からでも遼の眠っている病室に足を運ぼう。
そこで、眠っている遼に僕は告げるんだ。
『希実香は、遼の代わりに僕が守って見せるから』と。
その言葉は遼には聞こえていないかもしれない。けど、それでも僕は言葉にする。それは誓いの言葉だから。
今までが嘘のように心が落ち着いている。
そんな時、僕の背中に向かって声が飛んできた。
「いまがみさーん!」
何故だか分からないけど、異様に懐かしさを覚えるその呼び方に僕は反射的に振り返っていた。
「結衣ちゃん?」
「ん、なんですか~?」
パタパタと腕を振ってこちらに走ってきたかと思えば、今度は急に真横に立ち止まり不思議そうな顔で僕のことを覗き込んでくる。
「え、あ、うん。別に大した事じゃないけど奇遇だなぁって思ってね」
「そうでしたか。確かに奇遇ですねぇ」
その行動、及び言動……言葉遣いに若干の違和感を覚えるが、直に気にならなくなってしまった。
―――そういえば、結衣ちゃんってこんな話し方だったっけな
気付かぬうちに自分で納得してしまう。たったその程度の違和感であったのだろうと思い、考えることを放棄した。
「どうしたの、こんな時間に?」
ふと、思い出したというように僕は彼女に尋ねる。
「私はですねー、病院に向かっているところでした」
「病院……何処か調子でも悪いの?」
そう聞き返すと、彼女は違いますというように首を横に振ってから答える。
「お見舞いですよ。それで、いまがみさんの方こそこんな時間にどうしたんですか?」
「僕もね、友人のお見舞いに行くために病院に向かって歩いてたんだけど……」
「そうだったんですか、では一緒に向かいませんか?」
彼女から出された急な提案に、僕は断る理由も特に持ち合わせていなかったので首を縦に振った。
病院に向かって歩く途中、彼女はお見舞い相手のことを話してくれた。
彼女の話しを聞く限りその相手とは男の子であり、僕たちと同じ年齢らしい。そして、遼と同じくらいの時間を病室のベットで目を覚まさぬままに過ごしているそうだ。
それを聞いて、僕の口は自然に言葉を発していた。
「その人の名前って……」
「残念ですがお話はここまでですね」
そう言って、彼女は僕の問いを封殺する。「どうして」と、そう口を開こうとしたが目の前にある建物を見て納得した。
既に病院の目の前まで歩いていたようだ。
「では今神さん。また今度」
僕の言葉を待たずに彼女は病院の中に入っていってしまった。呆然と立っていた僕は、道の真ん中に立っているんだと言うことを思い出し、彼女を追う様に病院の中に入ったが、既に彼女の姿は無かった。
それからは何時ものように看護師さんに面会の許可を取り、遼の眠る病室に足を運んだ。いつの間にか病室の扉をノックすることはなくなっていた。何故なら、幾度と無くお見舞いに来る間に返事は返ってこないと分かっているからだ。
だから今日も同じように無言のままに病室に入り、なるべく大きな音を立てないように遼の眠っているベットの横に向かって短い病室の通路を歩く。
そして、ベットの上を見て自分の目を疑った。
「遼―――」
そこには静かにベットの上で上体を起こしている遼の姿があった。その顔は病室の窓の外に向いており、まだこちらには気が付いていない。
だが、僕が出した小さな声に気が付いたのかゆっくりと僕のほうに顔を向け、口を動かした。
「アンタ……どうして俺の名前を知っているんだ?」
その言葉に僕は言葉を失った。




