第二章・英雄 その三
六月七日
あれから今日で、ちょうど二ヶ月が過ぎた。入学式からこの二ヶ月間、彼女はなんら変わりなく学校に登校していた。僕を遠ざけるようなこともせず、学校に来るという役目を果たすためだけに学校に来ているのだという印象を僕に与えた。
そういう僕も今までのように土日には遼のお見舞いに行き、なんら変わりのない日常を過ごしてきた。
だが、二つだけ変わったことがあった。
『なあ、今神くん。絃城兄妹と何かあったのかい?』
それは水上先生から突然、質問されたことであった。しかし、全くもってと言うほどに心当たりはなかった。そもそも、最後に会ったのは久しぶりに会話をした二月十四日のバレンタインの日だ。それ以降は一度も顔を合わせていないし、向こう側から接触してくることもなかった。
だから、僕は首を横に振るしかなかった。
『そうか……すまなかったな』
そう言葉を僕に返した後に、ぼそりと呟いた言葉はしっかりと僕の耳に残った。
―――……つまり、今まで欠かさずにお見舞いに来ていた兄妹が来なくなった理由は別にあるというわけか
確かに、水上先生がそう呟いたのを僕は聞いた。しかし、それを直接聞いてこなかったということは僕には秘密にしたかったということだろう。
だから、僕は今までどおりに病室の花瓶に挿してある花を入れ替え、その日は帰った。
そして、現在は学校の昼休みである。
「けど……恭介さんはともかく、希実香が遼のお見舞いに来て無いって言うのは妙だよなぁ」
ぼそりと漏らすように僕は呟いていた。
「……突然どうしたんだよ」
その声を聞いていたのか、この二ヶ月の間でよく話すようになった隣の席の住人が僕のほうを見ながら尋ねてきた。
「んー、なんでもないよ。ただ、ちょっと考え事しててね」
その、隣の席の住人の名前は佐倉悠里と言う。一年にして剣道部の中堅に入るほどの実力者であり、成績も中の上ほど。文武両道を歩んでいる人間である。しかし、天然も混ざっているために少々馬鹿っぽくも見えることが残念でたまらない。
「はあ、考え事ねぇ。最近はずっと考えてんだな……それもお前の癖だっけか?」
「良くそんなこと覚えてるね……結構前に話したことだよ、それって」
そのくせ、進んで他人の厄介ごとに首を突っ込んでくるお人よしで、この前も不良に絡まれていた他校の女子生徒を助けたりしていた。
「でもな、忘れろって言う方が無理があるぜ?」
そう言って、悠里は僕に言い返す。
「何がさ」
「お前の昔話だよ……まあ、現在進行形なんだろうけどよ。そん時にいろいろ教えてくれただろ?」
まるで、相談しろと言っているようにも聴こえる。
「それは悠里が教えろって言ったからだろ……確かに、話したのは僕だけどさ」
「まあな。けどよ、他人に話したほうが楽になるって事もあるだろ?」
「それは相手が理解してくれるような他人だった時だけだよ………」
「そんじゃ、俺には話してくれるわけだな。よし、何を考えてたのか言ってみろよ」
「どうしてそうなったのか理由を教えて欲しいよ………けど、いいか」
結論。悠里は他人の懐に入ることが秀でているのだから、どうせそのうち聞かれる……と言うよりも話すことになる。だったら、相談と言う形でも話せる相手がいることを幸運に思おう。
「実は―――」
「おお、そうなのか。そいつは大変だな」
「まだ何も言って無いんですけどっ!? 悠里はエスパーなのかっ!?」
話せと言われたから話そうとした結果がこれでは突っ込むしかない。むしろ、いっそのこと陥没させる勢いで咽仏に叩きつけてやる。
「まあ、そう切れの良い突込みを咽に入れないでくれ。痛いから……ちょ、痛いって!!」
「それでっ! 何が大変なのか教えてくれないかなっ! 僕にさ!!」
「ちょ、マジでヤバイって……咽仏が陥没する!! ごめんなさい、マジで謝るから許してっ!!」
悠里の目尻に涙が滲んできたあたりで、咽仏に切れのいい突込みを入れるのを中止する。
「うぅ、げほっゲホッ……はぁ、マジで咽仏が陥没するところだった」
「別に咽仏の一つや二つ陥没した所で―――」
「咽仏は一つしかねーよ!!」
と言う感じで、どこぞでもやってあろうコント的な何かを終える。大分脱線してしまったが、少し気が和らいでいる。
これも悠里の思惑通りだというのなら、佐倉悠里という人間の器の底が見えない。
「それで、恭介さんと希実香ちゃんがどうしたって?」
「ねえ悠里……本当に読心術とか―――」
そこまで言いかけたところで、悠里は鞄から取り出したであろう焼きそばパンのパッケージを開封しながら答えた。
「そんなんじゃねぇよ。さっきボソッと呟いてただろ? それを聞いただけだって」
そう言って、焼きそばパンをぱくっと口に咥える。
「さっきは咽仏を陥没させようとして悪かったよ………」
「まあ、俺ももう少しやり方を考えればよかっただけだから言いっこなしだ。けど、今度は勘弁だな、アレは」
咽仏を撫でるようにさすりながら、悠里は笑って答えた。
「悪かったよ……それで、本題なんだけどね。いいかい?」
「もうギャグはやらないから安心してくれ。流石に学習はするから」
再び口に咥えた焼きそばパンをもごもごと咀嚼しながら、悠里はこちらに耳を傾ける。実際には鞄に手を突っ込んで、別のパンを取り出しているのだが……
「それじゃ、あらためて……考え事って言ったけど、どうも引っかかることがあってさ」
僕が話し始めると、今度はメロンパンのパッケージを開封しながら黙っている。
「それで、絃城兄妹の事はあの時に纏めて話したから覚えてるよね?」
「恭介さんと希実香ちゃんだろ?」
「そう。恭介さんと希実香が最近お見舞いに来ていないらしいんだ」
僕がそういうと、悠里は少しの間のあとに言う。
「たまたま用事が重なっただけじゃないのか? もう高校生なんだぜ……土日の予定なんて個人の勝手だろ?」
確かに、それはそうだ。しかし、問題なのはそちらではない。
「恭介さんならともかく……今まで毎週欠かさずにお見舞いに来ていた希実香も一緒に来なくなったんだよ」
そうなのだ。問題は兄ではなく妹が来なくなったことなのだ。あれだけ遼のことを想っていた希実香が………
「だったら、直接本人に聞きに行けばいいじゃねーか。別に知らない仲じゃないだろ?」
「確かに、それは言いアイディアだと思うけどさ……何年も顔を合わせてないって言わなかったか?」
そもそも、何年も顔を合わせてすらいない幼馴染の家に行くなんて気が重い。
「いや、つい最近に顔を合わせたんだろ? だったら大丈夫だろうさ」
「うっ……」
いつの間にか食べ終えていたメロンパンのパッケージをクシャクシャに丸めながら、悠里は言葉に詰まった僕にいい笑顔を向けてきた。
何故だろうか……昔にも同じような事をしてくれた人がいた気がする。どうか気のせいであって欲しい。
「それじゃ決まりだな。今度の土日のどっちかに絃城兄妹の家に行くか」
「分かったよ……行くよ。行けばいいんだろ……って、もしかして悠里もついて来るつもりなの?」
「当たり前だろ? 相談されたんだから最後まで付き合うさ」
その物言いに若干だが違和感を覚える。何故なら『相談された』ではなく『相談させた』の方がしっくりと来るからだ。だけど、悪い気はしなかった。
長い間、病院で眠る親友を待っているだけの僕に、過去を知ってからも友人として接してくれる。それは今までに無かったことだから……
「ありがとう…悠里」
素直に言葉にして伝えると、悠里は即答した。
「それは全部解決してからもう一度言ってくれよ。役に立てるかわからないからな」
そう言って悠里は冗談めくように笑う。
「そうだね」
だから僕も笑って返した。
「それでさ、俺からも頼みがあるんだけどいいか?」
「何? 言ってみてよ」
「お前の持ってきたパンと俺の食いかけのパンを交換してくれないか?」
まじめな顔をして聞いてきたからどうしたかと思ったけど……やっぱりいつもの悠里だった。
「冗談、絶対に嫌だよ」
「えっ? いいじゃん。別に0と1を交換しようって言ってるんじゃねーしよ」
「だったら聞くけどさ、同じ事言われたら悠里はどう答える?」
「ふざけんな、誰がそんな食いかけと交換するかよ!!」
「はい、回答終了」
「ちぇ、考え事をしてる奏龍なら交換してくれると思ったんだけどな」
そんなことをブツブツ呟きながら、悠里は食べかけのパンをもさもさと頬張るのだった。
その後の授業は赤点をとらない程度にノートをまとめるだけで終わった。そして、放課後を迎えるわけだが………
「ねぇ悠里……どうして結衣ちゃんがこの会話に加わっているの?」
「なんか羽森が仲間にしてほしそうにこっちを見てたから……ついな」
どこのRPGだと突っ込みそうになるが、我慢して心を落ち着かせる。
「ついって……まあ、別にいいけどさ。結衣ちゃんはどこまで悠里から聞いてるの?」
「今神さんが今度の土日のどちらかに幼馴染みの家に乗り込むと言うところまでです」
「……全部だね」
「そうなります」
少し痛む頭を軽く手で押さえながら、悠里を睨むようにじっとりと見る。その視線に気が付いたのか悠里は、親指をグッとこちらに向けて立てていた。
―――その指を……折 れ ば い い の か ?
「おい、どうして俺の親指を掴んでるんだ?」
「普段は文武共に優秀な悠里君の発言と行動に疲れてね……つい―――」
「つい?」
「折りたくなっちゃった♪」
そして、掴んだ親指を本来曲がらない方向に曲げる。
「「折りたくなっちゃった♪」じゃねぇよ!! 痛い、痛いって!!」
「おお!!いまがみさんはこっちでもそういうキャラなんですかー」
「おい羽森!! 傍観してないで助けてくれ! ちょ、マジで痛いって!!」
悠里の親指が軽く、パキッという音を鳴らしたあたりで手を離す。しかし、先ほどの彼女の発言に多少の違和感を覚えたのは気のせいだろうか?
「俺の親指があぁぁぁぁ!!」
「そうじゃなかった! だ、大丈夫ですか佐倉さん!?」
いや、やはり気のせいだろう。彼女はいつもこんな感じだったから。
「何だよ、軽く握っただけだろ? 大げさだなぁ悠里は……」
「骨の間接から音がする時点で軽く握ったって言いませんから!!」
「いやいや、軽く握っただけでも音くらいはするからね」
そう言って僕は自分の拳を握って、空いている手でその握りこぶしを軽く締める。すると、小気味のいい音がポキポキッと鳴り響いた。
「ほら、こんな感じにさ」
「そういう音じゃなかったよ!? 『ぽき』じゃなくて『パキ』だったから!」
「うん、分かったよ。それで、今週の土日のどっちにする?」
僕がそういうと、ついさっきまで騒いでいた悠里が答える。
「くそ…始めからこの会話をしていればこんな目に―――じゃなくて、俺はどっちでもいいぞ?」
そして、彼女も申し訳なさそうに言ってくる。
「あの、初めに確認するべきでしたんでしょうけど、私も参加と言う形でいいんですか?」
「あ、うん。別に大丈夫だよ」
それに対し僕は気さくに答える。
僕たち三人は、はたから見れば仲の良い三人組に見えるだろう。実際にはお互いがどう
思っているかなんてわからないけど……客観的に観てそう見えるなら僕としては満足だ。
「そもそも、そういうお前はどうなんだよ奏龍?」
「僕?」
「そう、お前だよ。コレはお前の考え事……まあ、簡単に言うと悩みの種を解決するためのもんだ。だから、お前が決めないと意味が無いだろ?」
それを言う悠里は、先ほどまでの天然っぽい表情が消えている。だから、僕も真面目に答える。
「そうだね……土曜日だと希実香は学校があるから、日曜日がいいかな。日曜日だったら恭介さんか希実香のどっちかがいるかもしれないしさ」
僕の答えを聞くなり、悠里は彼女に向かって確認を取る。
「了解。じゃあ、日曜日で決まりだ。羽森、お前も日曜日で大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよ。それじゃ、何処に集まりますか?」
そして、彼女の質問は僕に返ってくる。だから僕は、咄嗟に思い浮かんだ喫茶店の名前を言う。
「喫茶・こきりはどうかな? あそこだったら駅も近いし、集合には最適だとおもうけど……」
「こきりって、駅前にあるちっこい喫茶店だよな?」
「多分それであってるよ。結衣ちゃんは場所分かるかな?」
僕がそう尋ねると、彼女はにっこりと笑いながら答える。
「知ってますよ。とてもいいお店ですから」
「それじゃ、日曜日の十時頃に集合でいいかな?」
「問題ない」「分かりましたよー」
それで、今日は解散となった。
悠里も彼女も僕も、家の方向がバラバラのために下校は一緒にすることはないが別に問題はない。何故なら、次の日に学校でまた会えるのだから。
しかし、幼馴染である希実香は同じ学校ではないためになかなか会うこともできない。だったら、自分から会いに行くと言う考えは悠里がいなければ思いついても、実行するまでには居たらなかったと思う。
昔から僕は、こういった友人のおかげで迷わずに歩いてこれた。昔は笹宮遼と言う親友が。現在は、佐倉悠里という友人がいてくれる。
(遼……君も早く元気になってよ。そうしたら、また僕達と一緒に―――)
今は眠っている親友を思いながら、僕は家に帰るのだった。