第二章・英雄 その二
高校の入学式を終え、これから一年間をともに過ごすクラスメイトたちと顔を合わせることとなった。今の時代も昔の時代も変わらずに、名簿に記入されていく順番はアイウエオ順である。つまり、自己紹介は早めに終わった。
だが、そんなことはどうでも良かった。自分の自己紹介など、他人に対する第一印象を左右するだけのものだから。
だけど、そんな自己紹介でただ一人だけ、僕は気になった人物がいた。
「―――中学出身、羽森結衣です。これから一年よろしくお願いします」
たったそれだけの自己紹介。他の人と何一つ変わらない言葉だったが、何故か彼女だけが僕の印象に深く残った。別に容姿が他の女子と違ってズバ抜けて可愛いわけでも綺麗なわけでもない。
だけど何故か、彼女とは初めて出会ったという感じがしなかった。
その後も残った数人が自己紹介を着々と済ませ、クラス全員の自己紹介は終わった。その後に関しては、特に何事も無く時間が過ぎたとしか言うことはできない。
そして正午。
入学式と言うことだけあって、午後になる前に下校となった。クラスメイト達のほとんどはホームルームが終わると同時に、中学時代の友人だと思われるもの同士でクラスから去っていった。それでも、数人の生徒は残っていた。
あるものは担任の先生と話をしている。また、あるものは時計の針を見つめている。そんな中に、彼女…羽森結衣の姿はあった。
彼女は何をするわけでもなく椅子に座っている。僕は、それをちょうどいいと思った。
「羽森さん…だよね?」
僕がそう話しかけると彼女はゆっくりと身体をこちらに向けて答えた。
「はい、そうですよ。それと、そんな貴方は今神奏龍さんで良かったですか?」
「うん、それであってるよ。それと、僕のことは苗字でも名前でも好きなほうで呼んで良いから」
「そうですか……それじゃ、今神さん。私のこともどうぞお好きに呼んでくださいな」
「それじゃ、結衣ちゃんで良いかな?」
「はい、問題ないですよ」
一通りの挨拶のような会話が終わると、彼女はにっこりと笑って返してくれた。その笑顔も何故か、初めて見る気がしない。
「それで、私に何か用事でも?」
そこで、あらためてといった風に聞き返された。
「あ、そうだった。あのさ結衣ちゃん、こんなこといきなり聞くのって失礼だと思うけど……今までにどこかで会ったことって無いよね?」
先ほどまで感じていた疑問を直接本人に尋ねる。最悪の場合、ナンパかと思われて口をきいて貰えなくなるかもしれないリスクはあるが、背に腹は変えられない。
「今まで……ですか。それは、本当に貴方の記憶ですか?」
すると、意外なことにまともに返答が帰ってきた。しかし、その返答の内用事態はおおよそ理解の範疇は超えていたけど。
「本当の僕の記憶……? それって、どういうことなの?」
「あっ、分かりにくかったですよね。じゃあ、『いまがみ』さん―――今の呼び方に何か感じるものはありませんでしたか?」
瞬間、ドクンと心臓が躍動する。先ほどとまでのしっかりとした呼び方とは違って、どこかしたったらずな呼び方に妙な違和感を覚えた。
「……そうですか。やはり ているんですね……」
そんな僕の表情を見てか、彼女は何かに納得したように呟く。その言葉の意味は、僕には全く理解できない。
心臓を得体の知れない痛みが襲う。まるで、何かを思い出させることを拒んでいるかのようにズキズキと頭も痛み始める。
「しかし、コレは に無かった ですね」
時折、彼女の言葉が一部聞こえなくなる。その単語を僕に聞かせないように。
「って……今神さん? 随分と顔色が悪いようですけど……大丈夫ですか?」
そこで、ようやく呟くような彼女の言葉からはっきりとした言葉に変わった。だが、先ほどの質問に対する答えは返ってきていない。
「大丈夫だよ……それでさ、結局なんだけどさっき質問の答えは教えてもらえないのかな?」
だから、多少の心臓を襲う痛みや頭痛は、この際無視して先ほどの質問に対する答えを催促する。そうしなければ、この後に答えを聞くことはできない気がしたから。
「そうですか……では、もう一つだけ私の質問に付き合っては貰えませんか? それに答えて貰えれば、私からも先ほどの質問に対する答えを話しますから」
僕はその言葉に無言で頷いた。
「では、今神さん。『デウスエクスマキナ』とはご存知ですか?」
「僕が知るものと結衣ちゃんが知っているものに相違がなければ知っているはずだよ」
「それは、解決の困難な物語に現れる絶対的な力を持った神であり、混乱した状況に解決を下して物語を収束させると言うものですか?」
彼女の説明してくれたものと、僕が思い浮かべたものに相違がなかったために再び無言で頷く。
「今神さんが考えたことは半分正解で半分間違っています。それは古代アテナイの三大悲劇詩人の1人、エウリピデスが好んで使用した技法の一つに過ぎません」
「それじゃ、結衣ちゃんが言う『デウスエクスマキナ』ってなんなの?」
僕は思ったままに疑問を言葉にして尋ねる。
「私が言う『デウスエクスマキナ』とは『悲劇を回避するモノ』です……どうですか、何か思い出しませんか?」
瞬間、今までに経験したことの無い映像が頭の中に流れた。
ある映像では、高校の制服を着た僕と中学校の制服を着た由岐ちゃんが、遼と涼香姉さんとテーブルを挟んで会話をしているシーンがある。
また、ある映像では遼と僕が高校に通うために笑いながら通学路を歩いているシーンがある。
また、ある映像では僕と彼女が楽しそうに会話をしている。
「なん……なんだ?」
今度はテレビに映像が映っていない時に流れる、砂嵐が吹き荒れた。
次に見た映像に僕は言葉を失った。
―――好きだ、俺はお前のことが好きだ
それは、遼が希実香に告白をしているシーンだった。
「結衣ちゃん……今の……何だよ…?」
「それはいずれも『望まれた』貴方の記憶と、彼が……笹宮遼が『望んだ』世界の貴方の記憶です」
それを言う彼女の表情から嘘をついているとはとても思えなかった。
しかし、現実にそんなことが在り得ていいのだろうか?
「認めるも認めないも今神さん、貴方の勝手です。ですが、私が接してきた『いまがみさん』は、この事実を知ってすら私と仲良くしてくれました」
そう言って、彼女は机の横にかかった鞄に手をかける。
「貴方の質問に対する答えは、おおまかに答えるのなら『YES』です」
そして、そういい終えると椅子から立ち上がると、教室の出入り口にあたるスライド式のドアに向かって彼女は歩く。
「そうでした……私は大事な事を伝えるのを忘れていました」
だが、何かを思い出したのかそう言ってドアの手前で立ち止まった。
「”デウスエクスマキナ”はあるべき世界を望んでいます………貴方も、彼と同じように正解にたどり着くことを祈っています。では、また明日。今神さん」
その言葉を最後に、彼女はそのまま帰ってしまった。
しかし、最後の言葉はどういう意味なのだろうか。全く理解ができない……だが、ついさっき僕自身に起きた出来事は、経験をしたことによって事実となった。
それは、別の自分だった者たちの記憶のフラッシュバック。
「………俺も帰るかな」
とにかく、今日起こった出来事は複雑すぎたのだ。理解に苦しむほどに難しい、そんな一日だった。だから、今日はひとまず家に帰って落ち着こう。
そして、それから今日を振り返ろう。
きっと、その方がより良い思考に至る事ができるはずだから………