その9 廃墟の女王
彼女は目を見開いて、ゆっくりとドレスを引き出した。銃を放し、ドレスを机いっぱいに広げ、邪魔なポセットの鞄を机からドサッと落とす。がちゃん、と鞄の中の消毒液の小瓶が割れる音がした。
「あぁ……」
ポセットが悲しげに声を漏らす。
「これ、誰にもらったの?」
「山の上に住んでいるおばあさんから。山のふもとの町に孫が二人住んでいるって聞いてね。届けてくれないかって頼まれたんだよ。そしたら、テルルくんに会って……」
「私たちが、そのおばあさんの孫かもって思ったってわけね……。おばあさんにはこれをもらっただけ?」
「え……、うん、そうだけど」
彼女はにやりと笑って、ドレスをぐるぐる手荒に巻き取ると、机のわきに置いた。そして足元に放置されたポセットの荷物をさらに乱暴にひっつかむと、机に叩きつけるかのように置いた。
「疑って悪かったわね。どうやら、あなたはお人好しのただの旅人みたいだわ。これ返すわよ」
「すると、やっぱり君はあのおばあさんの……?」
「何言ってるのよ、そんなおばあさん知らないわ。私はこの町から出たことなんてないんだもの」
「え?」
「それに、この町にはもうわたしとテルルしか住んでいないわ。他を当たるのね。それとももう一度山に登って、おばあさんに言ってきたら? お孫さんはいませんでした、って」
「そ、そう……」
ポセットはしっくりこない感じがしたものの、とりあえず、違うと言うのだから仕方がないし、半ば自動的にその場を去ろうとした。銃も未だ目を光らせている。
ポセットの手がドレスにかかる寸前、彼女がドレスを取り上げた。ポセットの手がむなしく空をつかむ。
「あら、これはいただくわよ」
「な! 何言ってるんだ! 返してよ!」
机を挟んで向こう側へ手を伸ばす。彼女はひょいっとドレスを振り、手をかわす。
「ほらほら、こっちよ」
「このっ! いい加減に! しろっ!」
ポセットが手を繰り出すたびにひょいっ、ひょいっ、またひょいっ。
ナットは机に座って、主人を助けるわけでもなく、彼女を邪魔するわけでもなく、ただ二人の顔を見比べて目を動かしていた。
「どこかで見たような光景……」
そんな事を思っていた。
「あげないわよ。これは私のものになったの」
ポセットは机に手をついて、身を乗り出す。
「なんでそうなるんだよ!」
「勝手に侵入してきたんでしょ? 料金くらいとって当然よ。入場料よ、入場料」
「に、入場料? そんなの君の勝手で……!」
「あら、この町には私たちしかいない。テルルは私の弟で、私の言うことを聞くわ。ということは、この町で一番偉いのは私ってことじゃないの? その私が言ってるのよ。誰も文句言わないわ。それに、勝手にズカズカ人様の土地に入ってきておいて、発言権があるとでも思ってるの?」
「でもそのドレスは僕のものじゃない! 預かりものなんだ! 宛先人がいないならおばあさんに返さないといけない。少ないけど、お金なら出すから……」
「あのねぇ、あなた話聞いてたの? 私は町から出たことがないって言ってるでしょ? そんなお金なんて、この町じゃそこら辺の石と同じよ。服の方がよっぽど価値があるわ」
「お願いだ。なんとかその服以外のものにしてくれよ。そうだ、家中掃除するさ。水だって汲むし、なんなら僕の帽子をあげてもいいよ」
「知らないわ、あなたの事情なんて。あと、いらないわよ、そんな変な帽子」
「変とは失礼な! これは僕のお気に入りの……」
「知らないって言ってるでしょ。これ以上ぐだぐだ言うならふっ飛ばすわよ!」
彼女は銃を構えた。ポセットの両手がピンと伸びる。
「ねぇ、頼むよ」
「あなた、なんでそんなにこのドレスが大事なの? 人のでしょ? 無くしたってあなたが損するわけじゃないわ。おばあさんにだって黙っていればばれないのに」
「そういう問題じゃないんだ。約束は守ることに意味があるんだから」
彼女はポセットの目をじっと見た。ポセットも視線を真っ直ぐに返す。
ため息交じりに、彼女が折れた。
「わかったわよ。ドレスはあきらめるわ」
「本当?」
ポセットの顔が明るくなる。
「ただ、しばらくこき使ってやるから、覚悟しなさいよね」
「えぇっ!」
ポセットはしぶしぶ了解した。そういうことで話がついたようだ。ナットは眠りかけていた。
「終わった?」
初めて口をきいた猫を睨んで、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「あと、この黒い猫は今日の晩御飯にします。さっそく水汲んできて。猫鍋よ」
「んにゃアホな……」
「わかった」
「えぇっ! わかっちゃうの!?」
かくして、廃墟の町の真ん中の、植物に囲まれた古小屋で、謎の姉弟との短い生活が始まった。
「遅れたわね。私は〝スズ〟。テルルの姉よ。よろしく、ポセットくん」
スズの放つ堂々たる威厳は、国を治める女王を思わせた。
つづく。